第13話 裏・これが本場のたこパです①

 私こと神嶋かみしま真理愛まりあは、夕食時のテーブルで一人焦っていた。


 だって……だって…………



 目の前にたこ焼きプレートとまさ君がいるんだもんっ!



 いや待て落ち着きなさい真理愛、今はそれどころじゃないでしょ!

 私はそっと息を吸って食欲を抑え込むと、今度は目の前にいるまさ君のことをじーっと観察する。その間常に脳裏にチラついてしまうのは、あの本屋さんでの出来事だ。


 偶然にも学校の帰りにまさ君と出会した時に彼が持っていた、あの怪しげな本。

 たぶん大人が読むようなエッチな本じゃないとは思うけど、きっとまさ君ぐらいの年頃の男の子が読むようなちょっぴりエッチな本に違いない。   

 いや、ちょっぴりエッチなぐらいならまだ構わないけれど、問題は朱華あやかちゃんや心晴こはるちゃんとの関係をほのめかすようなあのタイトルだ。


 たかが本のタイトルごときで動揺してしまった自分のことを恥ずかしく思いながらも、それでも「もしかしたら……」という嫌な可能性が頭からなかなか消えてくれない。

 もしも……もしもあの本のタイトルが現実に起こってしまっていることだとすれば、まさ君は今朱華ちゃんと付き合っていることになっちゃうし、それに心晴ちゃんに関してはそんなまさ君のことを……



「N……NTR……」



 たこ焼きが焼ける音に紛れながら、私は抑えきれない不安を思わずぼそりと口にする。

ふと興味本位で調べて知ってしまった、悪魔の言葉。

 もしも本当にそんな事件がすでに起こっているとすれば、今の私たちの関係はあのたこ焼きの生地なんかよりもドロドロだ……


 ごくりと唾を飲み込み、これから始まるシェアハウス生活の先行きに一人不安を感じる私。

 だからこそ自分はこの場にいる年長者として、そしてまさ君に一度は愛された元カノとして、彼と姉妹二人の関係についてまるで探偵のごとく鋭い視線で観察する……


 つもりだったのだけれど、あぁ……ダメだ。

これからたこ焼きを食べれると思うとお腹が減ってちょっと意識が……


 思わず「早く焼いちゃおうよ!」と自分から言いそうになるのをぐっと堪えて、私は心を落ち着かせるために深呼吸を一つする。

 すると目の前ではまさ君と朱華ちゃんが何やら言い争っている隣で心晴ちゃんがテキパキとたこ焼きを焼く準備を進めてくれていた。

 さすが大阪でずっと暮らしている心晴ちゃん、具材のチョイスがもう最高っ!

 定番のお餅やキムチはちゃんと揃ってるし、それに冷凍グラタンとかたこ焼きに入れるとホワイトソースがとろーり出てきて美味しいんだよね! ……って、今もしかしてまさ君なにか私に喋りかけてくれてた?


 視界にチラチラと映る具材に意識が囚われ過ぎてしまい、せっかくまさ君が話しかけてくれたのに、それに気づくことができなかった自分。

だから私は慌てて意識を切り替えると、空腹を再び抑え込むためにぎゅっと目力を込めて彼のことを見つめ返す。……でも残念ながら、すぐに逸らされちゃったけど。


「ではではまずウチが、本場大阪のたこ焼きの作り方を見せたるわ!」


 プチショックを受けている私の思考を遮るかのように、ジュワーっとたこ焼き生地をプレートの上に広げていく心晴ちゃん。

 白い湯気と一緒に立ち昇るのは、小麦粉が焼ける香ばしい匂い。

 昔は泥だんごしか作ったことがなかったあの心晴ちゃんが、今では美味しそうな匂いを操りながらたこ焼きまで作れるようになっている。


 姉としてそんな妹の成長を素直に喜びたいところではあるのだけれど、反面プレッシャーを感じている自分もいて正直気が気ではない。

 たしかにこうやって見ると、まさ君と心晴ちゃんも結構お似合いな感じがしてしまうからだ。

だって心晴ちゃん、なんか奥さんみたいな感じでまさ君にたこ焼き渡してあげてるし……、あ。あのたこ焼き他のよりちょっと大きい。


 やけにまさ君に優しくする心晴ちゃんを見てモヤモヤぐつぐつするものを胸の奥で感じながらも、私は実際に目の前でぐつぐつと美味しく焼けているたこ焼きに今度は視線が吸い寄せられてしまう。

 焼き上がった生地は黄金色に輝いていて、見ているだけで食欲が刺激されてしまうほどの出来栄えだ。

 いつもならこういう時、真っ先にお箸を握りしめて片っ端から料理を食べてしまう私だけれど、今日は好きな人の前なのでたこ焼き3つだけに我慢します。……ぐすん。


 そんな声を心の中で涙と一緒に流しながら、現実の私は澄ました顔でそーっとたこ焼きをお皿の上に乗せていく。

 すると隣にいる朱華ちゃんが、ふと不思議そうな表情を浮かべる。


「あれ? まり姉そんなけしか食べないの?」

「ッ⁉︎」


 不意にそんなことを聞かれてしまった私は、「しまった!」と思わず心の中で叫ぶ。

 心晴ちゃんはともかく、ずっと一緒に過ごしてきた朱華ちゃんにはここ最近の私が食べる量を知られてしまっている。

 ここは一刻も早く言い訳を言わなければ、まさ君に私が食いしん坊だということがバレてしまう。え、えーとそうだな……たとえば今日はちょっとお腹が痛い、とか……


「あーもしかして生理になってもうたん?」

「ッ⁉︎」


 まるで私の心を読み取ってくれたかのように、助け舟を出してくれた心晴ちゃん。

 でも違うよ心晴ちゃん! そんな言い訳はさすがに使えないよっ!


 いくら心晴ちゃんからの助け舟とはいえ、まさ君の前で嘘でも「うん」と頷くわけにもいかず、私は恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら「ううん。大丈夫……」と静かに首を振る。

 どうしよう……今のでまさ君に変な印象持たれなかったかな? 私のリアクション、大丈夫だったかな?


 一人心の中であたふたとしながらそんな不安を感じていた私は、恐る恐るまさ君の方をチラリと見る。

 するとどうやらまさ君は今それどころじゃないらしく、何故か頭を押さえながらまたも朱華ちゃんと楽しげに言い合っているではないか。……ふーん、そっかそっか。べつに私のことなんて気にならないのか。ふーん……。


 むすっと唇をタコみたいに小さく尖らせながら、まさ君のことをジト目で見つめる私。

 けれども視線が合ったら合ったで、やっぱり恥ずかしくなってすぐに逸らしてしまうのだから情けない。

 こんな調子じゃ朱華ちゃんと心晴ちゃんにますます差をつけられちゃうと自己嫌悪に陥るも、私は挫けそうになる心をこっそりと一つたこ焼きを食べることで何とか持ちこたえた。

 心配しなくても、まだ大丈夫なはずだ。だってあの恋愛指南書に書いていた通り、私とまさ君には二人だけしか知らない特別な秘密があるのだか……



「ってかさ。将門まさかどとまり姉ってなんでお互い苗字呼びなの?」


「「……え?」」



 私とまさ君だけの秘密に、早くもヒビが入った瞬間だった。

 突然不意打ちのようにそんな言葉を口にして訝しむ目を私たちに向けてくる朱華ちゃん。

 さらにはそんな彼女に便乗して、「そうそれ! ウチも変やなって思っててん」と陽気な声で心晴ちゃんまで突っ込んできたではないか。


 ど、どうしよう……このままだと深掘りされて、私とまさ君が昔付き合っていたという秘密が二人にバレちゃう⁉︎


 あまりの動揺に一瞬にして頭の中が真っ白になってしまう私。それでも年上の元彼女として何とかこの場を乗り切らなければと必死になって思考を働かせようとするも、極度のプレッシャーと鼻孔をつつくたこ焼きの匂いが邪魔をしてきてうまく頭が回らない。


 そしてそんな自分の空腹と緊張がピークに達した、まさにその瞬間。



 ぐぎゅうぅぅぅ――……



 まるで怪獣のような鳴き声が私のお腹から聞こえてきた。

 たこ焼きが焼ける音さえ飲み込むほどの大音量で。

 直後私は一瞬にして顔を真っ赤にすると慌ててまさ君の方を見る。


 ち、ち、違うの! この音は違うのっ!!


 思わず声に出してそんな言葉を発しようとした瞬間、よく見るとまさ君が動揺した表情を浮かべたまま固まっているではないか。

 まさかの状況の中で、まさかな失態をやらかしてしまった私。

 けれどもお腹の中にいる怪獣にはそんな事情など関係ないらしく、サディスティックにさらにプレッシャーをかけてくる。


 だ、ダメだ……このままだと私……また鳴っちゃう……


 食べているところを見られるか、それとも好きな人の前でお腹をぐーぐーと鳴らし続けるのか。


 心の中にある乙女の天秤てんびんに答えを委ねた結果、その天秤が傾いたのは……


「……」


 私は無言でお箸を握りしめると、食欲の怪獣をなだめる為にたこ焼きを次々とパクついていく。

 うぅ……ほんとはこんな姿、まさ君には見られたくなかったのに……


 でもたこ焼きやっぱり美味しい。ともはや喜怒哀楽は崩壊中。まるでお坊さんが焼肉食べ放題に参加しているような背徳感を感じながらも、それでも私は息つく間もなくたこ焼きを食べ続ける。

 けれども、これは仕方のないこと。

 だって女の子の私があんな衝撃的な音をまさ君の前でずっと鳴らし続けてしまったら、きっとドン引きされるに違いないから。


 いやすでにこの姿を見られてもドン引きされちゃうか、とグサリと胸に突き刺さる痛みを感じながら、私はたこ焼き片手に恐る恐る前を見る。

 すると視線があったまさ君が、何かメッセージを伝えようとするかのように大きく瞬きをパチパチと繰り返した。

 

 瞬き4回。……考えられるメッセージは、『任せて』。


「い、いやそれはアレだ、そうアレっ! 俺も高校生になったからには……」


 ぎこちない口調ながらも、二人に向かって突然話し始めたまさ君。

 さらに彼はこの場の流れを変えるために決めセリフまで口にしてくれたではないか。


 まさ君、もしかして……


 私は口の中と同じく、胸の中にじんわりと広がる温かい喜びを感じた。

 きっとまさ君は、私との秘密を守ってくれるために、頼りないながらも二人に向かってさっきの言葉を口にしてくれたのだと。


 そう思った私はそっとお箸を取り皿の上に置くと心を落ち着かせるために再び深呼吸を一つ。

 ダメじゃない真理愛、ほんとうは私の方が年上でおねーさんなのにこんなところで焦っちゃったら。


 そんな戒めの言葉を自分自身に向かって言いながらも、大好きな彼(元カレ)が秘密の約束を守ろうとしてくれたことに思わず今後の関係性を期待してしまう私。



 そして、期待することといえばもう一つ……



 まさ君がこれから焼いてくれるたこ焼きって、どんな味がするんだろっ⁉


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