第9話 初の大阪探索にて

 駅に降り立つと、視界に飛び込んでくるのは人、人、ヒト。


 ここは大阪の中でも主要となるステーションの一つ、JR大阪駅。


 一日の利用者が50万人以上いるこの駅には、直結の施設で百貨店や大型商業施設などが建ち並び、平日でも人の群れでごった返しているという。

 そして行き交う誰も彼もが友達や恋人と今からの時間を楽しもうとしている中、もちろん俺はひとりぼっちだ。


 どうか寂しい奴だなんて言わないでほしい。

 むしろ魔のクラス会から逃れることができた自分を褒めてほしいところ。


 あの放課後の教室で、鮮やかかつスマートに下痢であることを主張した俺は、そのままトイレへと直行……するふりをして初日の北新高校を後にした。

 勝手に帰ってしまったことに対する若干の罪悪感と明日登校したときの尋問が気掛かりなところではあるが、心配することはない。そんな時の言い訳をしっかりと準備していればいいだけの話し。そうだな、言い訳は――


 トイレの個室のドアが、どこでもドアだった。……うん、これでいこう。


 そんなどうでもいいことを考えながら改札を抜けて広場に出た俺は、スマホを取り出すとグーグルマップという名の今日の相棒を召喚する。

 大阪といえばグリコ看板や黒門市場がある難波のイメージが強いが、ここ梅田にも様々な観光スポットがある。


 最先端のアパレルブランドや雑貨のショップが多数集結している複合施設グランフロントや、その形から未来の凱旋門と称されて外国人旅行客からも大人気のスカイビル。

 そして大阪人なら誰もが一度はデートで利用すると言われているヘップファイブなど、丸一日使っても十分楽しめるスポットがそこら中にあるのだ。

 ちなみにヘップファイブの屋上にあるあの赤い観覧車には、是非ともいつか真理愛まりあさんと一緒に乗ってみたいと目論んでいたりする。


 そんな数多くの観光スポットがひしめき合うこの梅田の街で、大阪初心者の俺が一番最初に訪れてみたいと願っていた場所、

 そこは――


「なるほど……ここが噂の丸善ジュンク堂か」


 目の前に聳え立つのは、地下一階から七階までがすべて本屋になっているという日本最大級の売り場面積を誇る巨大ビル。

 そもそもこのビル、建築家の巨匠・安藤忠雄がデザインしたというのだからその気合いの入れようが半端ない。


 などとネットで仕入れて誰にも話すことのない大阪雑学を頭の中で一人披露しながら自動ドアをくぐると、まず真っ先に向かったのは地下一階のエリアだ。

 ここはワンフロアを丸々贅沢に漫画やラノベのコーナーに利用しているという、まさに俺にとっては天国のような場所。


 月の始まりはラノベで始まり、そしてラノベで終わる。


 これこそたいらの将門まさかどならぬ、萩野はぎの将門まさかどが言い残した名言の一つ。


 卓上カレンダーをめぐる行為はそれすなわちスニッカー文庫の新刊発売日の訪れを意味し、月末という言葉はマンスター文庫の発売日を示すために存在する言葉。

 もちろんその途中に雷撃、CA、カカカ文庫などの列強レーベルたちがウマの娘たちのように切磋琢磨と競い合っていることは忘れてはならない。


「お、あった」


 頭の中で今月の新刊ラインナップのスケジュールを振り返りながら本棚を見上げていると、目的のラノベを見つけることができて俺は手を伸ばした。

 少しマニアックなレーベルのため一般の本屋ならなかなかお目にすることはないのだが、やはりここならあったか。


 お気に入りの最新刊を手にすることができた俺は、そのまま来た道を戻っていく。

 本当はもっとゆっくりと散策して、大好きなジャンルである年上おねーさんとのイチャコメ系やおねショタ系のラノベや漫画を発掘したいところなのだが、先ほどラインで朱華あやかから『働かざる者食うべからず。心晴と一緒に晩ごはん作っておいて』と残念な連絡がきてしまっていた。……いやあの人、カラオケ行ってるのに何言ってるの?


 しかし昨夜の晩飯を作ってくれたのは朱華(意外に美味かった)だったので、これに関しては歯向かうことはできない。

 俺は仕方なく階段を上がり一階まで戻ると、ずらりと並ぶレジカウンターの方へと歩き出す。

 その途中、せっかくなので春アニメの情報ぐらいチェックしようかと思い雑誌コーナーへと立ち寄ろうとした時だった。



「「あっ」」



 通り過ぎようとしていた棚の方をチラリと見た瞬間、そこに見覚えのある人物がいることに気付き自分たちの声が重なった。

 思わず目を見開いた視線の先にいたのは、艶やかな黒髪と制服姿があまりにも眩しくて尊い真理愛さんだったのだ!


「真理愛……さん」


 俺は小声で思わず相手の名前を呟く。

 こんなところで愛しの人(元カノ)と出会えるなんて偶然を超えてまさに運命。

 やっぱり自分は真理愛さんと特別な糸で繋がっているのだと改めてそんな喜びに浸りながらも、年上の元カノとこんなところでばったり出くわしてしまったという動揺が一気に心に押し寄せてくる。


「あ、……その」


 ども。とシェアハウスで共に住んでいる真理愛さんに対して俺は恐る恐る近づきながら初対面のような言葉を漏らす。……くそっ、やっぱ情けねーわ俺ッ!


 などと自分自身に対して罵倒していると、目の前にいる真理愛さんがささっと何やら急いだ様子で本を戻した。

 その行為に若干の違和感を感じた俺は、今しがた棚に戻されたばかりの本をチラリと見やる。すると――



 そ……そんなバカなッ⁉︎



 思わず再び見開いてしまった視線の先、そこに映ったのは女性向けの棚にあったとある一冊の本。

 その名も、『意中の相手を夢中にさせる女の七十七の秘訣』。


 まさか……まさかとは思うが、転校初日早々から真理愛さんに好きな人が出来てしまったのか⁉


 早くも訪れてしまった今年最大……いや、人生最大の危機を前に俺は思わず固まってしまう。

 もしかしたら同じクラスに真理愛さんをたぶらかすチャラいイケメンでもいたのかもしれないと心の中で焦っていると、目の前では何故か同じように愕然とした表情を浮かべている真理愛さん。


「萩野くん、それ……」


 自分と同じく、いやもしかしたらそれ以上に狼狽えた声を漏らす真理愛さんの視線の先にあったものは、俺が右手で握っている一冊のライトノベル。

 そう。先ほど俺が手にしたばかりの『隣人の同い年の美少女と付き合ったら、その妹に俺がNTRれた』の最新刊だ。


「――ッ⁉」


 あまりの不覚に、一瞬頭の中が真っ白になった。

 何たる失態。しかもこのラノベ、いつもならチラ見せ程度の表紙のイラストが今回に限っては大胆にもまさかのダブルヒロインが下着姿なのだ。

 そのほどけかけた紐パンがまた可愛いくてエロいのなんのって……って、今はそんなこと言ってる場合じゃないッ!


「い、いやコレハデスネ……」


 外国人も驚くほどのカタコトで俺は拙い日本語を繰り出す。

 まさかあの純粋純潔で純白な真理愛さんの前で、こんな醜態をさらしてしまうとはッ!


 今回は心晴がいないので、これはまさに俺の意志で手に取った本だということは一目瞭然。

 だがそれでも往生際の悪い俺は、何とか必死になって言い訳を考える。


「む、向こうの本棚に挟まってて何の本かなーってちょっと気になりまして……」


 あたかも偶然を装い、珍しい本があった的な感じを装う俺。そして慌ててビシッと人差し指を向けた方向にあったのは、重厚感たっぷりの哲学書コーナー。……許せ、ソクラテス。

 どう考えてもこんなライトな本があんなヘビーな本の棚に紛れ込むわけなどなく、俺の嘘をすぐに見破ってしまったのか真理愛さんの表情がますます冷たくなっていく。


「……萩野くん」

「は、はい」


 なんだろうこの、初めて買ったエッチな本がお母さんにバレてしまった時のような心境は。いやそっちのほうが今の状況より百倍マシだったけどね!

 

 なんてことを考えて早くも思考が現実逃避をしかけていると、小さく息を吐き出した真理愛さんが自分に向かってそっと静かに一歩近づいてきた。

 そしてその宝石のような綺麗な瞳に映るのは、夏でもないのにダラダラと汗を流している自分の顔だ。

 これは相当ヤバいことを言われるなと覚悟した瞬間、真理愛さんの唇が静かに開く。


「私とあなたが付き合っていたことは、絶対に誰にも言わないで」

「……」


 荒井あらいとはまた違う静かな威圧感を纏った声で、そんな言葉を告げる真理愛さん。

 そして再びため息を吐き出した真理愛さんはカツっとローファーで床を鳴らすと、足早に俺の横を通り抜けていく。もちろんこちらを振り返ることなどなく。


「……」


 一人残された俺は、まるで死刑宣告を受けた囚人のような表情で、右手に下着の女の子を握りしめながら呆然と立ち尽くす。


 あぁ……やってしまった。


 俺は本屋のど真ん中で膝から崩れ落ちそうになるのを何とか必死に耐えながら、ついさっき言われたばかりの言葉を思い出す。

 あの言葉を告げた時の真理愛さんの表情が、何もかもを物語っていた。

 俺みたいな人間と付き合っていたということ自体が私の人生の汚点、だと。


「真理愛さん……」


 ぐすんと鼻が鳴りそうになるのをぐっと堪えて、俺は天を仰ぐ。


 こうなってしまっては、今の自分にできることはたった一つ。


 今すぐにでもお会計を終わらして目の前にあるマックへと駆けこみ、己の犯した過ちを悔い改めながら、紐パンツをはいたヒロインたちがいる世界へと逃げ込むことのみ。……以上。

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