第8話 放課後にて

「これは、マズイな……」


 放課後。午前中よりも陽光の明るさが増した教室で、クラスメイトたちの盛り上がりは本日のピークに達していた。


「ほんならクラス会に参加できる人はこっちに集まってなーっ!」


 何やらクラスの中でも気の強そうな女子が教卓に立ってそんな声を上げている。


 出たよ、出た出た。


 学生にしろ社会人にしろ、新しい環境に切り替わった途端行われる悪魔の恒例行事。


 その名も、『みんなで仲良し会』。


 どうやら1年F組の親睦を深め合うために、これから参加できるメンバーでカラオケに向かうらしい。


 いいか。この際だから男らしくはっきり言ってやるが、誰も彼もがそんな会を楽しみにしてるなんて思うなよッ!


 なんてことを女々しい俺は心の中で叫びながら、できるだけ巻き込まれないようにと亀のようにそっと首を低くして存在感を消す。

 

 中学の時もこういった類のイベントはことあるごとに発生して強制的に参加させられていたのだが、良い思い出を作れた記憶なんてこれっぽっちもない。

 それどころか俺のことを無理やり誘った女子がファミレスで「店員さん、すいませんチーズフォッカチオで……ってごめん萩野はぎのくんだった」ともはやクラスメイトとさえ認識していなかった件については、こちらも死ぬまで忘れることはできないと思う。


 そんな黒歴史を一人思い出しながら息を潜めて辺りの様子を伺っていると、クラスのアイドル神嶋かみしまさんは早くも「一緒に行こや!」とあちこちから声をかけられているご様子。

 残念だったな心晴こはる、今日は大人しく一人で家に帰ってくれ。そして学校では二度と俺に絡まないでくれ。


 頭の片隅でそんなことを願いつつ、さてどうやってこの場から逃げ出そうかと考えていた時だった。


「そういや萩野って一人暮らしなん?」

「え?」


 逃げ出す方法を編み出すことに意識を集中させ過ぎていたせいか、ふいに前の席にいるたちばなからの質問を受けてしまい脳内が一瞬フリーズする。


「あ、いやその……」


 突然の質問にたどたどしい声しか漏らすことができない自分。

 何度も言うが、もちろん俺が神嶋三姉妹とシェアハウスをしていることはバラすことができない機密事項。

 かと言ってこの場を切り抜けるためのうまい言い訳も思い浮かばず、俺はとりあえず口を開くと茶を濁す。


「そ、そんな感じにも近いと言えば当たらずしも遠からず近くもないかな……」


 ははっ、と苦笑いを浮かべながら俺はわざと文法を崩壊させることでこの話題からトンズラを図ろうとした。

だかしかし、相手は「へぇ」と何やら感心げな声を漏らしてきたではないか。


「すごいな。やっぱ一人暮らししてるんや」

「……」


 え、ちょっと待って。今ので何が伝わったの?


 いったいその頭の中でどんな解釈がなされてしまったのか、確信めいた口調でそんなことを言い出す橘。

この北新高校は全国でもわりと有名な進学校のためか他府県からの入学生もちらほらといて、そしてその大半が寮に入るか懐に余裕がある家系の者は一人暮らしをしていたりする。

ちなみに俺は懐の余裕はないが、ぼっちの家系なので時間の余裕だけは石油王並み。


 などとどうでもいいことを考えて一瞬現実逃避していたのだが、ここはそろそろ真剣に話題を変えなければと頭をひねった。

 なぜならこの会話が向かう先には……


「それで萩野はどこに住んでるん?」

「……」


 やっぱりそうきたか。

 

 ぎこちない笑顔を貼り付けたまま、俺は内心で舌打ちをする。

ここで具体的に住んでいるところを教えるわけにもいかないし、だいたい引っ越してきたばかりの自分に大阪の土地勘なんてわかるわけもない。

 わかるのはあの修羅ハウスがこの学校よりも東側に存在するということだけだ。

 なので俺はこれ以上深掘りされないためにも、アバウトな感じで答える。


「しいていえば……こっから東の方?」


 少し暗い顔しながら、ちょっと訳ありな感じの口調でそんなことを言ってみた。だいたいの人間ならそんな自分の態度を見て、「あー、あんまり深掘りされたくないのか」と感じとってこの話題は終わり、そして以後二度と同じ会話は……


「東のほうってことは東大阪? それとも八尾やおのほう?」

「…………」


 結局そうきたか。


 どうやら東京で通じていた戦法は浪花育ちには通じないらしい。

 それとも相手が橘だからか? と俺はイケメン相手に首をひねるも、理解できることといえば相手と自分の顔の差ぐらいしかないので虚しくなってやめた。

 

 しかしこの調子だと「じゃあ今度萩野の家に遊びに行くわ!」みたいなノリになるのも時間の問題。

 そんな恐怖を感じて、これは一体どうしたものかと深いため息をついて悩んでいる時だった。


「なぁなぁ、二人はこの後どうするん?」


 ふわりとした柔らかい声音でそんなことを尋ねてきたのは、先ほどまで教卓の近くで集まっていた女子たちの内の一人。

 ゆるふわパーマの長い髪に、ナチュラルメイクがお肌にも俺にも優しい印象を与えるザ・可愛い系の女の子だ。

 誰かさんとは言わないが、見た目だけ美少女の皮を被ったキングギドラとは全然雰囲気が違う。


「もちろん俺は行くで! なんかオモロそうやし」


 女の子の質問に爽やかな笑顔で答える橘。すると相手は「良かった!」と嬉しそうな声を上げる。


「萩野くんはどうする?」

「俺は……」


 甘く優しい声音で今度は俺に尋ねてくる女の子。

 しかし天使のような微笑みを浮かべているそんな彼女の斜め後方、その左肩の奥にチラリと見えるリーサルウェポン朱華あやかが再びその目をこちらに向けて語ってくる。


「てめぇ、まさか来るつもりなのか?」と。


 行かねーよバカ! とこちらも負け時と目力を込めて睨み返してやろうと思ったのだが、ドライアイに響きそうなのでやめた。


「あーごめん、俺はパスで。この後バイトあるし」


 さらっと流れるようにスマートな断りを入れたのは、残念ながら俺ではない。

 突然背後から声が聞こえてきたので振り返ってみると、そこにいたのはクール系眼鏡イケメンこと雨宮あまみやと、そしてコワモテ系ミシンイケメンの荒井あらいの二人だった。


「お、聡真そうまほんまにバイト始めたんや」

「ああ、早めに金貯めとこうと思ってな」


 親しげある感じでそんな言葉を交わす橘と雨宮。些細な会話でもイケメン同士が喋ろうものならやはり注目されてしまうようで、周りにいる女子たちの目がほわわーんとトロけている。もちろん、彼女たちの眼中に俺はいない。


 相変わらず自分のステルス性能の高さに驚きつつも、俺はこれ以上余計なことに巻き込まれなかったことにほっと胸を撫で下ろす。

 だがしかし、そんな俺のステルスを見破って威圧的な目でこちらを見下ろしてきたのは荒井だ。


「しょうもん……行かんのか?」

「あ、ああ……俺もちょっと」


 ドスの効いた低い声にビビりながらも、俺は何とか頑張って返事を返す。……というよりこの人、まさかマジで「しょうもん」で貫く気?

 そんな根本的な疑問を感じつつ、かと言ってヤーさん相手にツッコミを入れるのは怖いので、とりあえずこの人の前ではしょうもんでいようと思う。


「じゃあ俺らもそろそろ行こか」


 そう言って、机にかけていた鞄を手にする橘。

 どうやら橘と荒井はクラス会なるものに参加するようで、このままだと俺も強制的に拉致られてしまう恐れがでてきた。


 仕方ない……こうなってしまっては奥の手だ。


 俺は覚悟を決めると、ぐっと右手を握りしめて拳を作る。


 萩野はぎの将門まさかど、15歳。こう見えてもやる時はやる男だ。


 この将門という名に恥じぬよう、ここは将軍のようにスマートかつ鮮やかな断り文句でこの場を撤退させて頂くとする。



「ごめん、俺ちょっと下痢っぽいからトイレに行ってくるぅ……」

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