第2話

ふたりがおのおのの仕事をしていると、十二時の鐘が鳴った。

「お昼でも食べに行きましょうか」

 松崎は席を立つ。

「切りよくお昼休みが取れるとは、さすがお役所ですね」

「最近はそうでもないんですよ」

 土井の嫌味のような問いを、松崎は軽くいなした。

 外は晴れていた。昼間だというのに、人通りは少ない。

 市役所が建っているこの地域が、裏伊豆の中心街と言うことになっているが、名前ばかりだ。アーケードのある通りは、昔は商店街だったのだが、今やシャッターを上げている店は殆どない。

 買い物は国道沿いのスーパーや、チェーンの量販店で用が足りる。そうでなければ隣町のショッピングモールへ行く。服や家電の専門店、映画館やフードコートも込みの巨大施設で、買い物はすべてそこで賄い、一日潰すことが出来る。

 さらに、ネット通販業者は生鮮食料品や細かな日用の消耗品を含め、生活必需品のすべてを扱っている。無人運転車やドローンを使った配達も実用化に達し、この国のどこでも一日のうちに配達できるのだ。もはや個人商店に出番はない。

 シャッター通りとなっている商店街の片隅に、色あせた立て看板が残されていた。

 アニメキャラのようだ。

 そちらの趣味がない土井の記憶にはない作品だ。松崎が応える。

「それですか。昔、先代の市長の肝いりで作ったアニメですよ」

「はあ」

「ほら、いっとき流行ったでしょう。『萌えおこし』とか『聖地巡礼』とか。人気アニメの舞台になった地域が、そこを探訪するファンで賑わうとか。そのブームに乗ろうとしまして、いろんなところを巻き込んで、作ってはみたんですがね……こけましたよ、見事に」

 松崎は苦笑いの表情を浮かべる。

「ええ、ネットで飛び交ったオタクの感想は『裏伊豆推しが無理矢理すぎる』とか『仕掛けが見え透いてちゃ乗れない』とか『おれたちをなめるんじゃない』とか『市長は棒読み過ぎる』とか……」

「なんですか、最後のは」

「本人も声の出演をしたんですよ。まあ、アニメの出来が良ければ、ご愛敬で済んだんでしょうがね」

 あまり思い出したくないらしい。

「いらっしゃい」

 愛想よく迎えたのは主人の長岡だ。商店街の顔役で、町おこしのアイデアをいくつも出していた。

「期待してますよ。何年もこの街はめちゃくちゃな状況が続いてました」

 長岡は吐き捨てるように言った。


 民主政治の混迷は、この国の地方自治においても起こっていた。

 裏伊豆市はその矛盾の象徴のような自治体だった。

 この市は一頃大々的に推し進められた町村合併の産物だった。「伊豆の奥座敷」と呼ばれる温泉地を抱える町、漁港を擁し遠洋、近海の漁業で栄えた町、これと言って特産物もなく農業が唯一の産業と言っていい村。この3つが合併したため、当初から意思の不統一と利害関係の不一致が問題になっていた。

 結局、まとめられるのは、カリスマ的な人気を持つ首長だけであると皆は思ったのだ。

 先代の市長は、前職が大学教授で、TVタレント的な活動も行っていた。

 派手好みでメディアを巻き込んだ宣伝をたびたび行い、観光産業を推進した。遊園地や観光センターを作り、集客に励んだ。しかし、観光客を呼び込むために、身の丈に合わない「箱物」を次々に作ったことで批判が高まった。

 巨額の財政赤字が判明し、激しい攻撃の中、かろうじて再選されたが、その任期の途中で心臓発作を起こし、現職のまま急逝した。

 市職員だった現在の市長が就任したが、先ず行ったのは、先代が推し進めた路線を否定することだった。

 まず具体的に行ったことは、外国人観光客を歓迎しないことだったのだ。

 「よそ者」が我が町を闊歩していることに不愉快な思いをしている住民は多かった。市長は、その俗情に媚びたのだ。

 外国人向けの別荘地開発を白紙に戻すなどの施策は、観光政策のうまみにありつけなかった住民や、一部の保守的なメディアからは賞賛された。

 しかし、そのせいで、深刻な税収不足に陥ってしまった。

 市長は極端な緊縮政策をとり、専決処分を乱発したその手法は議会との対立を招くことになった。

 職員の給料は削減され、学校給食は廃止された。郷土資料館は潰され、図書館はカフェテリアになった。窓口や現業部門を担当する職員は、最低賃金ギリギリの臨時雇いばかりになったのだ。

 さらに悪いことには、「研修生」という名目で、極端な低賃金で働かされている外国人労働者の問題が噴出したことだ。

 市長の支持基盤である農家や養殖業は、下働きに「研修生」を使っている。その扱われ方があまりに酷いとタイ人の研修生から訴えられ、莫大な賠償金を払うことになり、その有様が向こうのメディアで「現代の奴隷商人」と取り上げられた。

 問題が一気に噴出し、市長はリコールに追い込まれた。出直し選挙では僅差で勝利した。しかし先代の市長を熱狂的に支持する一派もおり、予断を許さない状況だ。

 じつはこの「ミカン」こそ、現市長の肝煎りで整備されたものだった。先代市長の助役だった時代に、機能麻痺の施政を憂えて密かに根回しをしていたのだった。松崎をシンガポールに研修に行かせたのも、その一環だ。

 渋る前市長を説得した殺し文句は、こうだった。

「大幅な効率化と先進性のアピールで他の自治体に先んじることが出来ます。二番じゃダメなんですよ」


 午後からは、市長へレクチャーすることになっている。

 市長室に呼ばれ、タブレットにプレゼン資料を映して

「このシステムを本格稼働させた際の、シミュレーションの結果ですが……予算は現行からトータルで三六%減少します。削減されるのは職員の人件費ですね。その分増加するのは福祉関係、主に生活保護費です」

「なぜだ」

「はい。現在の生活保護受給世帯と、物価や所得などを総合的に判断して推測した貧困ライン以下の市民、潜在的な受給対象者の割合は55%です。対象者を全員捕捉していないと推定されます。

現在でも生活保護費の割合は3%にすぎません。

潜在的な受給対象者にすべて支給したとしても、市の予算に占める割合はわずかなものです。それに、受給者の状況を把握するのに必要な人件費などが大幅に削減できます。この効果は大です」


 とくに市長が敵視しているのが、生活保護受給者だった。

 議会で「不正受給の疑いがある」と名指しで発言し、問題になった。都会なら話も違うだろうが、こんな小さな町ではすぐに知れ渡ってしまう。

「人工知能は、生活保護受給者は不心得者だなんて考えませんからね。足らないところに配るだけです」

 土井はお茶を口に運んだ。

「掌を蚊に刺されてかゆいから、腕を切り落としてしまうような不合理な真似は、起こりません」

「通俗的な正論を振りかざしたあげく、社会がおかしなことになったのを、覚えてないわけではないでしょう。そのつけをたっぷり払っているのが、こいつですよ」

 市長は黙っていた。

「裏伊豆市住民で、収入、資産が貧困ライン以下の人口と、必要になる生活保護支給金額、それと現在支払っているそれを比較すれば、現行の生活保護予算は必要と推測される水準を下回っていると判断しています。その場合、カットするような思考ルーティンは含まれていません。根拠は憲法ですよ。この国の憲法にある『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』という条文に背反するような政策や施策は、実行できないんですよ。憲法は国をはじめとする『お上』のすべてを縛っています。行政AIシステムもね」

「なるほど」

 松崎は問うた。

「ならば、このシステムを国単位で導入した場合、あの条文の扱いはどうするんだろう?」

「さあ」

 土井は肩をすくめて見せた。


 午後から松崎は、市長への報告を行った。市長は自分が旗を振っておきながら、「ミカン」の効果を完全に信じているわけではなさそうだった。

「資料、読ませて貰ったよ」

「ありがとうございます」

「で、上手くいく根拠は何だ?」

「ひとことで言えば」

「人工知能は『他人の不幸』を喜ばない、ということです。他人の不幸はどこまでいっても他人の不幸。自分が得をするわけではない」

「だから、どうした?」

「ポピュリズムを支えてきたのは、『他人の不幸』を喜ぶ心性です。人間は自分も他人もお互い十の得をするより、自分が1の損をしても他者が百の損をするのを見て、溜飲を下げるほうを選ぶ。その繰り返しが、自らの首を絞めてきました。

 「公共性」を無視して、感情論への阿諛追従を図ったのが、ここ何十年かの「政治」ではありませんでしたか?

 市長は微妙な表情をしていた。

 自分に対する否定になりそうな結果になりそうだった。

 松崎はいった。

「かつてこの国は、『偏差値教育』という素晴らしい教育制度をもっていました。義務教育により誰でも一定レベルの知識が与えられ、主観を排した試験によって高等教育機関へのアクセスが認められる。試験を通れば公務員の職を得ることが出来、出世もする。

 カネがなく親が無学でも、教科書を理解して問題が解ければ、代々知的階級の家に生まれたり、親が金持ちでふんだんに本が買えたり家庭教師が雇えたりする子供と、同じ土俵で戦える。それは『人物評価』やら『人間力』やら、おのれの努力と関係ないもので選別されるより平等だったのです。批判もありましたが、国民の圧倒的多数派にとっては恩恵だったのです。そして、前世紀末から今世紀初頭にかけてそのシステムを破壊したことが、いくら努力しても追いつけないような生まれながらの社会的格差を生んだ。その怨嗟が民主政治を破壊するエネルギーになっているのです」


「もういい。下がりなさい」

 レクチャーを終えてフロアに降りてくると、なにやら騒がしい。窓口でもめ事が起きているようだ。

「ちょっと、いいですかな?」

 フロアに大声が響き渡った。

 初老の男がカウンターにもたれている。

 職員たちは目配せを交わす。

「市の方に、言いたいことがある」

「また来やがった」

 舌打ちした。

「相本のじいさんだ。この辺じゃ有名なクレーマーだよ。いろんなもののあらを探したり、ちょっと癇に障ったことがあったら、すぐに文句をつけてきやがる」

「そうなのか」

「ああ、市民センターの職員の態度が横柄だったとか、図書館の電気が暗いとか、工事の音がうるさいとかな

「暇なんだな」

「暇つぶしに付き合わされる、こっちの身にもなってくれよ」

 そんな様子には構わず、

「話ってえのは他でもないんだ。同じアパートに住んでいる母子家庭のことなんだがね……あの家、生活保護を貰ってるんだろ。こないだ回転寿司屋に行ったら、親子でカウンターに仲良く座って、高いネタの皿をこんなに高く積み上げててな、ずいぶん景気のいいことだと思ったよ。俺たちの税金なんだろう……」

 うんざりするほど型どおりの邪推だ。

「どの家庭が受給しているというのは、お答えできません」

「そんなことを仰られても、プライバシーがありますのでね」

「なにがプライバシーだよ!」

 相本はカウンターを拳で叩いた。

「それにな、知ってるんだよ。こっそりアルバイトしてるのを」

 そんな事実はない。役所にはこの手の「たれこみ」がよくあるが、でっち上げや邪推も相当混ざっているのだ。もっとも、「本当の件」も時折は混ざっているのが、やりきれないが。

 松崎は心の中で呟いた。

 受給者のプライバシーを主張するのは、あんたみたいなやつが、他人のプライバシーに土足で踏み込んで、生活をめちゃくちゃにされないからだよ。

 いくら生活保護を受給していても、たまの回転寿司に行くくらい、いいじゃないか。高い皿をいくつ、とかいうけど、どうせ、盛(も)ってるんだろう。

 そんなことは、口が裂けても言えない。

「なあ、おかしいと思わないか?」

「お説ごもっともです」

 愛想笑い混じりの相づちを、どうやら、阿諛追従と受け取ったようで、相本という男は、酒でも入っているのか、くどくどと同じ文句を繰り返す。

「だいたいね、コンピュータに任せようとかしてるらしいけど、機械には人の心がないよ。血が通ってないんだ。行政ってのはそんなもんじゃない。政治ってのはな、人の心でやるものなんだ! ハートだよ、ハート。わかるかい?」

 そういって相本は胸を叩いた。

「こんながらくたに金をかけるくらいだったら、ねえ、あんたもそう思うだろ?」

 鼻白むばかりだった。

 体よく追っ払うにはどうしたらいいか。目配せを交わす

 ジリリリリリリリ!

 非常ベルが響き渡った。

 次の瞬間、周囲に激しく水しぶきが飛び散る。

 天井のスプリンクラーが作動し、真下にいた相本に水が降りかかった。

「うげえ!」

 ずぶ濡れになった。

「ちくしょう、」

 相本は大股で去って行った。

 そこにいた皆は、笑いを堪えきれなかった。


夕方、土井は職員たちに誘われ、長岡の店で宴を囲んだ。職員ともすでに気安い仲になっている。

 翌日も仕事があるし、ちょっと一杯のつもりだったが、お開きは深夜になってしまった。土井は借りているアパートまで、クルマで帰ることにした。

 スマートフォンで呼ぶと、すぐにやってきた。近くの道路を「流して」いたようだった。

 地方の過疎が進むこの時代、公共交通は衰退の一途を辿っていた。

 裏伊豆市も、ご多分に漏れず、過疎化に伴うバス路線の撤退が相次いだ。「地域の足」とはいえ、採算が取れない路線を維持していくのは難しかった。補助金を出すにも限度がある。自治体が走らせるコミュニティバスは本数も少なく、客を拾うためにくねくねと狭い道を遠回りし、評判のいいものではなかった。

 そこで、自動運転の電気自動車をシェアリングするシステムが導入されたのだ。

 自動車の大半は自動運転になり、人々は運転時の緊張と事故を起こしたときの責任から解放される。その代わり、動力のついた乗り物を操る楽しみや、運転を業とするものはその職を失いつつある。

 この裏伊豆にも、近年、カーシェアリングシステムが導入された。

 都市部で整備されていた自動レンタサイクルと、従来のカーシェアリングを組み合わせた、全自動運転の電気自動車をレンタルするシステムだ。

 免許は不要で、未成年者でも乗れる。

 用途に応じて、二人乗りの超小型車、五人乗りのセダン、八人乗りのミニバンがそろえられており、市内の要所に設置したカープールから、オンデマンドで客が待っている場所まで乗り付け、そのまま目的地までドアトゥドアで行くことが出来る。

 自分での運転に不安を感じるようになった高齢者にとっては、まさにうってつけのサービスだ。

 バスとは違って自分の好きな時間に好きな場所で乗れ、サービス範囲内なら好きなところに行ける。荷物が多くても気にならない。空のタクシーのように道路を「流して」おけば、必要なところにすぐに駆けつけられる。それに、非常事態には簡易的な救急車の代わりにもなるのだ。

 このシステムのおかげで、老人しか住んでいない限界集落の維持が可能になったのだ。

 酒を飲んだ帰りに自動運転車を呼んで、車内でぐうぐう寝ながら家まで送り届けられる。運賃は従来の運転手つきのタクシーよりもはるかに安い。その代償として、ローカル線をのんびり乗り回る楽しみや、クルマを思うさま飛ばして峠道をコーナリングする快楽も、過去のものになってしまったが。

 もはや乗り合いバスは、大量の客を見込める市街地や通学に使う一部の路線しか残っていない。

 エネルギー的な無駄も減らすことになり、交通事故も激減した。自動化に懐疑的なひとたちは特殊なシチュエーションを持ち出して危険性を訴えたが、実質的な意味はなかった。

 土井はそうとう酒気を帯びていた。従来のクルマではむろん運転不可だ。

 市道はがたが来ていた。緊縮財政で公共工事が減り、メンテナンスも滞るようになってしまったからだ。がたがた道を揺られながら、土井はとりとめのない思考に耽っていた。

 飲酒運転は昔から問題視されてきたが、厳罰化などの策を弄してもなかなか減らず、その撲滅には、自動運転車の普及を待たねばならなかった。

 世の中を動かす力は、往々にして不合理なものだ。イデオロギーによる熱狂、かつてあったとされるユートピアへの憧憬、失政や権力の私物化に対する怒り、そして個人崇拝。

 社会を動かしてきたのは、しばしばそんな理想や激情だった。しかし、それらは酒のようにひとびとを酔わせるが、冷静で理性的な判断に導かれるとは限らない。

「理想や熱情による社会の変革は、すなわち社会の飲酒運転であり、同じようにこの世界から消え去るべきだ、というのか……?」

 そこまで考えたとき、自動運転車はアパートの前に止まった。外に出ると、夜風が涼しかった。

 そんな考えは、酒の酔いがもたらしたものかもしれない……。


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