冷たいミカンの方程式
foxhanger
第1話
「どうですか、『ミカン』の調子は……」
「いまのところ上々です。このぶんだと、豊作は間違いなしでしょう」
「なるほど。期待できそうですね」
コンソールルームに入ってきた松崎の問いに、画面表示を眺めながら、東電工から出向してきた土井は応える。
東電工は、通信機、コンピュータメーカーとしては、この国有数の規模と技術水準を誇る会社だ。現在は人工知能システムに力を入れていて、以前からの大口顧客である政府、地方自治体に売り込むための行政システムの実証実験として、廃止された文化センターの建物を買い取って、データセンターとして活用することにしたのだ。システムマネージャーとして裏伊豆市役所に出向してきたのが、土井だ。
松崎は裏伊豆市役所の職員だ。現在裏伊豆市に属する港町で生まれ、高校までをそこで過ごした。東京の大学では情報工学を専攻したが、家庭の事情でメーカーへの就職を断って卒業後は裏伊豆市の前身となる町に就職した。
情報関係に明るいことが「売り」で、進行中のプロジェクトの責任者に抜擢されたのだ。この時代において世界的に進行している、行政機構の電子化、無人化プロジェクトの。
静岡県裏伊豆市。
名前の通り、東京から見て伊豆半島の裏側にある。二一世紀初頭に「平成の大合併」で数町村が合併して出来た市である。
隣の市には一応名の通った温泉街があり、新幹線の駅からそこまで私鉄が通じているが、乗客は右肩下がりで、このままでは存続が危うくなるという話もある。
海岸は山がちで、海水浴場もひとつしかない。
ほかには、あまり冴えない水族館があるくらいだ。
特産物はアジの干物と、ミカンである。
しかし、かれらの言葉に出てくる「ミカン」は、それとは関係ない。
「新行政システム『ミカン』が本格稼働します!」
市の広報誌である「裏伊豆市だより」にそんな記事が大きく載っていた。市の行政を大きく肩代わりする統合行政システムが導入されようとしているのだ。
二十一世紀も半ばに入ろうとする今、人工知能革命によって、官僚主義の復権と復活が果たされようとしていた。
それは、世界規模で起こっていた民主政治の機能不全が大きな原因となっていた。
主な原因として挙げられたのは、格差社会の深刻化と、いささか皮肉なことではあるがインターネットの普及によるコミュニケーションの発達だった。
どんなに偏った、極端な意見でも、ネットを通して「同志」を見いだし、「連帯」が可能になる。
宗教的な原理主義や、民族主義に惹かれるひとびと。あるいは、ただ単に思想を共有しない集団に悪態をついて溜飲を下げるひとびとなど、利害や価値観を共有する小集団に分割されてしまったのだ。
むろん「分断」は昔から存在した。
しかし、それが生じる理由は、もっぱら旧世代が陋習を脱却できないこと、あるいは啓蒙の不足に求められてきたのだ。「進歩的」という無邪気な形容詞が示すように、時が経てばいずれは自分たちの時代が来ることは自明とされてきた。世代交代、あるいは教育の普及や情報伝達手段の発達で、なんのしがらみもない自由な言論が可能になれば、自分たちの正しさは自ずから明らかになり、われらの時代がやってくるのだ、と。
しかし、皮肉なことに「自由な言論」が実現してみると、そこに現れたのは、収拾のつかない混乱だった。
あるひとびとにとっての「美しい真実」は別のひとびとにとって「醜悪で破廉恥な欺瞞」でしかないことが露わになった。
公共性や政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)に配慮しない言説が政治の場に飛び交い、極論や暴論を叫ぶ人物が支持され、当選した。
彼や彼女は一時の熱狂を得たが、しばしば議会と対立してレイムダックに追い込まれたり、些末な不祥事を掘り起こされて非難され、辞任を余儀なくされた。そのたび議会では審議がストップし、新たな選挙のための税金が空費された。
メディアに非難されたが、強烈に支持するひとびとは意固地になり、新たなリーダーを引きずり下ろすことに熱中した。
極端なシングルイシューを掲げる小政党は「目玉政策」を呑ませることによってキャスティングボートを握ろうとする。
住民投票などの「直接民主制」に至っては、しばしば誰にとっても不幸になる結果をもたらした。反対者との利害を調整せぬまま「頭数」の多寡のみで決定するという状況が罷り通り、少数派の存在は無視される、分断された市民の反目を煽り、固定させるだけに終わった。
選挙や国民投票のたびに醜い争いが繰り返され、敗北した陣営は嘆き悲しみ、「偏向」した報道のせいにする。反体制デモを行う民衆と、熱狂的に支持する民衆同士が衝突する。
選ばれてはいけない人物が国の最高指導者になり、通るべきではない法案が国民投票で可決された。
金持ち出身で金持ちのための政策を進める政治家を労働者が熱狂的に支持し、「弱者のため」に献身してきた政治家に罵声を浴びせる。
捏造、歪曲した「フェイクニュース」がまかり通り、その副作用は思わぬところに及んだ。正しい報道にすら「フェイク」というレッテルが貼り付けられ、受け手のイデオロギーによって選別される状況になったのだ。「客観報道」は死語になった。
国によっては法律を無視した強権、超法規的な殺人までまかり通り、国と国との約束すら、政権がひっくり返るたびに反故にされたのだ。
独裁や専制は、もとより解答ではなかった。そう叫ぶ「ミニ独裁者」は次々に出てきたし、彼ら彼女らはあっという間にぼろを出してはバッシングの果てに退場し、同じ穴の狢の後釜が現れた。
政治はきわめて不安定なものになった。
いくつもの苦い経験の末に得た教訓とは、結局、必要なのは、極論を弄して一時の支持を得ようとする手合いとそれに煽られる大衆を、体よく意思決定の場からお引き取り願うシステムだった、ということだった。
熱狂する政治家や大衆、冷笑する知識人よりも役に立つものは、ひとびとの利害関係を的確に整理し、粛々と実行するビューロクラットだった。
麻痺状態の政治をよそに、行政は着々と強化されていった。
さらに、前世紀末から今世紀初頭に推し進められた、民営化、規制緩和の弊害が各地で噴出していたこともある。
交通機関やインフラ産業が官から民に委ねられた末に、公共サービスが極端に劣化した地域が出現した。
生活に不可欠なものでも、採算の取れないものは廃止され、あるいは大幅に値上げされて、生活を圧迫した。
行政サービスの末端が非正規雇用者に委ねられ、行政機関そのものが貧困者を作り出す。
それらの矛盾はもはや、限界に達しようとしていた。
この時期、金融取引や会社経営の意思決定にも使われるようになった人工知能を行政、立法分野にも進出させようとする動きが始まった。
ビッグデータから市民の不満や要望をすくい取り、法案を作成し、議会に諮問することも出来る。
ついには政策決定までが人工知能の判断に委ねられることが企画された。人間の政治家はそれを承認するだけだ。
官僚主義が忌み嫌われる理由として挙げられるのは、非効率や融通の効かなさだ。しかしそれは、元をただせば、官僚個人が「責任を取らされること」を忌諱することにあるのだ。
人工知能には「面子」も「責任」もない。誤りが発覚したなら即座に政策を転換させればいいし、そこになんの躊躇もない。「昇進」「左遷」という概念も存在しないから、成功も失敗もただ、あるがままだ。
人工知能は最大多数の最大幸福のために最適の判断を下す。袖の下も受け取らないし、さぼりもごね得もない。役得を欲したりもしない。忖度も腹芸もしない。一視同仁を体現した存在だ。公務員法に定義されている「全体の奉仕者」そのものである。
そもそも、人間とは「えこひいき」をするものなのだ。
自分に近しいもの、好意を持っているものに、より多く利益を配分する傾向がある。そして、意識的無意識的に、利益を誘導させようとする。そんな「えこひいき」の固定化、制度化が「社会階層」「集団(クラスタ)」であり、「格差」が埋まらない理由なのだ。
畢竟、「平等」とは「非人間的」なものなのだ。そして「非人間的」な「平等」こそ最大多数の「幸福」を下支えすることができるのだ。
かくて人類史上最も効率的で「人道的」な行政システムが完成した。
そのシステムが世界ではじめて完備したのは、華僑の国、シンガポールだった。そのため、かつての中国で皇帝に仕えた高級官僚をさす「マンダリン」と呼ばれた。
そもそも「マンダリン」という言葉は、とんでもなく難しい科挙をパスして四書五経には詳しくても、実務に疎い官僚を揶揄したものだった。この呼び名も、システムに懐疑的な欧米諸国による揶揄的な響きがあった。
しかし、その効率性が知られたときには、掌を返すように、各国はこぞってこのシステムを導入した。
そしてこの国に導入するとき「ミカン」と呼ばれるようになった。
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