第10話 何で誘わないんすか……

あらすじ:良心が投稿した動画は大盛況だったのだが、それを見た陣頭院じんとういん菜豆奈なずなは良心へと警告を残した。渡したお札が破ける様なら、引っ越しを検討した方が良いと。執念を感じる動画、それとは正反対の護るというコメント、これらは一体何を意味するのか――


――


 理容師の専門学校には、お店にある様なリクライニングが可能な椅子が多数設けられた実習室が存在する。ウィッグと呼ばれる人の顔の人形を使用したカット練習や、実際に生徒同士でシャンプーの練習をしたり、顔剃りの練習をしたり。


 良心たちは実習室に移動し、各々パートナーと組んで洗髪の実習をする事となった。良心のパートナーはもちろん瑠香だ。先に瑠香がお客様役になり、良心が技術者として瑠香へと接する。


「はい、では実際のお店の様にタオルを首に巻いて、ケープをしっかりと装着して下さいね。これが緩いと相手の襟元がびしょ濡れになりますよ~」


 先生の指示通りに、良心は椅子に座る瑠香の首へとタオルを巻き「苦しくないですか?」と質問しながら防水ケープで全身をくるむ。床屋の新人は大抵このシャンプーから入るのだが、同様に専門学校でもここから指導が始まるのだ。


 昔の床屋は座った客に前の洗面台に来てもらい、そのまま頭を突きだして洗う形式が取られていたが、今は美容と変わらず寝そべった形での洗髪が可能だ。仰向けに寝かせた瑠香の顔にフェイスガーゼをかけ、良心の手が瑠香の金髪を濡らしてからシャンプーで泡立てる。


 ふわり香るシャンプーの良い香り。実習室で十五組のペアが一斉に洗髪を始めると、まるでそこが理髪店の様な雰囲気に包まれた。


「痒い所はありますか~?」


 お決まりの言葉だ。

 良心が問いかけると、瑠香が少々うざったそうに返答する。


「痒い所はないんですが、良心さんの胸が顔にガンガンに当たるんすよね」


「お客さん増えちゃいそう?」


「……そういうお店なら良いんじゃないんですかね」


「あはは、冗談。ワザとでした~」


「はいはい」


 洗い終わると当然だがセットが始まる。ドライヤーとブラシで瑠香の金の髪をゆっくりと乾かしていく良心だが、そのブラシに結構な頻度で髪の毛が引っ掛かってしまっていた。


「瑠香の髪の毛ってヘアカラーじゃなくてブリーチなんだよね」


「そうですね、結構痛んでるんで、キューティクル死にまくりの枝毛ボーボーっす」


「うん、学校のトリートメントじゃごわごわしてダメっぽい。ダメージリペアじゃないとダメなんじゃないかな。次からは家の使っていいか聞いてみない?」


「そうしてもらえると助かるっす……あ、そういえば良心さん、今日ってカメラ買いに行くんですよね? 駅前の電気屋さんであってますか?」

 

 周囲からも賑やかな会話とドライヤーの音が聞こえてくる実習室で、瑠香は良心へと問いかけける。さながらサロンで会話をしているお客様と技術者の様だ。鏡に映っている良心と瑠香もそれっぽく見えなくもない。


「うん、菜豆奈ちゃんはああ言ってたけど、むしろ私達からしたらそれは好都合な訳だし。赤外線カメラって言うんだっけ? あれが無いと夜の撮影厳しそうだもん。流石に電気点けたままじゃ眠れないし。幾らくらいかな、高くないといいなぁ」


「さっきネットのショッピングサイトを見てみましたけど、結構しますよ? 長時間の撮影でしょうし、生半可なカメラじゃ結局見えないって感想で埋まりそうですし」


「だよねぇ……とはいえ先立つものが無いなぁ。スマホ一台で始められるって思ってたけど、結局ニーズに応える為に、先行投資は結構かかりそうだね」


 楽してお金稼ぎが出来る何て甘い考えだと、良心は思い知らされていた。昨晩投稿した動画は既に一万再生を越えているが、求められるは昨日よりも今日の動画。事故物件動画と銘打っている以上、丑三つ時の撮影は欲しい所。


「中にはその時間まで起きて撮影してる人達なんかもいるみたいっすけどね。ウチ等がそれをしようとしたら、学校に影響出ちゃって本末転倒になり兼ねないっす。あくまで優先すべきは学業な訳っすからね」


「おっしゃる通りで。整髪料は何か付けますかぁ?」


「化粧水をお願いするっす」


 ドライヤーとブラシを持った手を、良心は止めて瑠香へと問う。


「……え? 髪の毛に使うの?」


「そうっすよ? 両親からお店で使ってるの沢山貰うんすよ。アタシの寝ぐせ直しも化粧水ですし。保湿もしてくれるし頭皮ケアもばっちり、良心さんも使ってみては?」


「いいの? じゃあ入れ替わったら使ってもらう~」


 ふわりとした髪型に仕上がった瑠香は、「なかなかいいじゃん」と良心を褒めたあと、今度は良心と交換して施術者側へと回った。


「せっかく今朝アイロンしてもらってカールしてるのになぁ、何か勿体ないね」


「休憩時間でまた巻いてあげるっすよ。それよりもカメラの件なんっすけど、購入前にちょっと心当たりがあるんで、そっちを先に当たってもいいっすか? もしかしたらタダで譲ってくれるかもしれないっすよ?」


「え? 本当? タダでって、結構するって今さっき言わなかったっけ? そんなの譲ってくれる人が居るんだ? ……パパ活?」


「一緒に住んでてアタシにそんな暇が無いの分かってるじゃないっすか。アホなこと言わないで下さいっす。はい、苦しくないですか? 椅子倒しますよ~」


 リクライニングと共に椅子を倒すと、瑠香はフェイスガーゼを良心の顔にふわりと掛けた。良心の黒くて艶やかな髪は、瑠香がシャンプーを塗布すると見事なまでに泡立ってくれて。


「しっかし憎たらしいくらいに綺麗な髪質っすね、良心さん毛染めってしたことないんすか?」


「ん~、相当昔にお母さんの実験台になったくらいかな。その時だけ茶色にしたんだけど、ウチ田舎だったからさ、何かクラスで浮いちゃって。次の日には元に戻したんだけど、それ以来してないなぁ」


「それっていつの話です?」


「小学生」


「あ~、確かにいましたっすねぇ。ある意味自由っすもんね、小学生の時って。金髪にしてたり、短髪柄入りの髪型にしてたり。親の影響ガンガンって感じでしたけどね。はい、痒い所はあるっすか?」


「ないで~す」


「……、はい、じゃあ起こしますよ~。それじゃあこの後連絡付けてみるっすから、期待しない程度に期待してて下さい。整髪料は何か付けるっすか?」


 タオルで乾かした後、ドライヤーを掛けながら瑠香は良心へと問いかける。

 瑠香とは違い、ブラシが髪の毛に引っかかる事がない良心が洗濯した整髪料は、もちろん――


「化粧水で!」


 学校が終わると、二人はその足で栄久戸駅へと向かっていた。ターミナル駅から数駅離れた栄久戸駅だが、周辺には大きな百貨店があり、それを筆頭に幾つかの巨大ビル群の様にお店が軒を連ねる。


 当初の目的であったはずの電気屋さんへは向かわずに、二人の足は百貨店の一階、コスメコーナーへと向かっていた。多数並ぶコスメから、二人はネイルのコーナーで足を止める。


「授業でもネイルやればいいのにね。あ、これなんて可愛くない?」


「あーそのピンクは可愛いっすね、良心さんの健康美にぴったりな感じっす。ネイル専門の学校があるみたいっすから、美容ならともかく、理容でネイルケアは需要がないかもっすよぉ」


「そうかなぁ、でもさ、爪を綺麗にするとどうしても視界にそれが入ってくるじゃん? 何か負けない様にピッとするっていうか、背筋が伸びる思いがすると思うんだよね」


「それは分かるっす」


 良心はネイルケアしてある自分の手を前に出して、光沢のある爪を自慢げに瑠香へと見える様に手を広げた。爪に限らず靴や頭髪、どこかを磨き上げると、それにふさわしい自分であろうとする心理が働きかけてくるものである。


「でしょ? それは男の人でも変わらないと思うんだ。甘皮をカットしてる男の人とか見た事ないけどさ、一回誰かにしてみたら、意外とそこから口コミで広がっていったりするかも?」


「そんなインフルエンサーが身近にいればいいんすけど。あ、良心さんそろそろ時間っすよ、待ち合わせの場所に向かいましょっか」


「もうそんな時間なんだ。ねぇねぇ、その人って結局誰なの? カメラ譲ってくれるって相当に太っ腹な人じゃない? 大丈夫? 後から変なお願いとかされない?」


「あははっ、大丈夫っすよ、良心さんも知ってる人ですから。あ、もう駅についたみたいっすから、行きましょ」


「私も知ってる人? そんな足長おじさんみたいな人いたかなぁ?」


 頭にクエスチョンマークを浮かべながらも、瑠香のスマホには相手の到着を知らせるSNSが届いているらしく。良心は手にしていたネイル用の器具を棚へと戻すと、瑠香と二人で栄久戸駅へと向かう事に。


 栄久戸駅はターミナル駅ではないのだが、ベッドタウンの駅としてそれなりに栄えてはいる。駅のエスカレーターを上がれば三階部分にはコーヒーショップも存在するし、洋菓子やコンビニ、ファストフード店も備わっていて。


 人々で賑わうコンコースへと向かうと、二人の視界には昨日よりは整髪を整えた、たゆんたゆんなお腹の持ち主がスマホをいじりながら立っていた。


「えー!? 約束の人って佐治さんなの!?」


「そうっすよ? だから知ってる人って言ったじゃないっすか」


 佐治は二人を見ると「……どうも」とぺこりと頭を下げた。だぼっとしたパーカーに大き目ジーンズ。昨日よりかは幾分マシな服装の佐治を見つけて、良心は心を許したのか、ほんわかとした笑顔に。


「なんだ、佐治さんなら外じゃなくてお家でいいのに。暑かったですよね、大丈夫でした?」


「……いや、流石に女の子の家にそう簡単に行くのはどうかと」


「お兄ちゃんは奥手だからねぇ。妹もいるんだから積極的に利用してくれて構わないっすよ?」


 佐治はチラリと瑠香を見た後に、はぁ、と少しだけため息をついた。


「……瑠香の友達は、僕が苦手なタイプが多かったから……」


 何があったのかは分からないが、瑠香が絡んだ友達関係であまり良い思いをした感じではないらしい。「あはは」と頭を掻きながら、瑠香は困り眉のまま渇いた笑いをこぼした。


「あ~、昔はそうでしたっすね。それじゃ移動しますか、お兄ちゃんお家に行きたくないみたいっすから、近くのお店入りましょ」


 三人は駅の三階へと向かい、近くにあった喫茶店へと足を運ぶ。

 アイスコーヒーを三つ注文すると、佐治が「ここは払うから」と一言。


 男子たるもの女子に支払いをさせるべからず、良い恰好を付けるつもりもなく、自然と出てきたであろう佐治を前にして、瑠香は「ごち♡」と伝えたが、良心は佐治の手を止めた。


「ダメです、お金関係は平等にしないと友達関係が続かないって言いますよ? ですから、私の分は私が支払います。瑠香ちゃんは兄妹ですからそれでも良いと思いますけど」


「……きっちりとした人なんだね。分かった、気を使わせちゃってごめん」


「え~勿体ない、素直に奢られればいいのに~」


「ダメなの、そうじゃなくてもお世話になるんだから、これぐらいはね」


 一杯五百円のコーヒー代は、今の良心には決して安くない出費だ。ピンク色の可愛らしい財布から取り出した五百円を定員さんに手渡すと、良心は少しだけ寂しそうな顔をしたのだが。


「えー! このカメラ譲ってくれるんですか!?」


 五百円を失った顔は一転、とびきりの笑顔へと一瞬で変わってしまった。席についた二人の前に佐治が差し出したのは、ハンディタイプのビデオカメラだ。


「……買ったけど使ってないから、これなら4K画質で撮影も出来るし、ナイトビジョン対応だから光が無くても撮影できるよ。本来なら夜空の撮影とかの機能だけど、暗い室内の撮影でも問題ないと思う」


「すっご! 最近のカメラってそんな機能まで付いてるんですか!? へぇー!」


「お兄ちゃんコミケとか行く人だから、そこでコスプレの撮影とかしてるんすよねぇ」


「コスプレ? コスプレって、アニメのキャラクターの衣装着たりとか?」


「……そんなこと、いま言わなくてもいいじゃないか……」


 瑠香に自分の趣味をばらされて恥ずかしいのか、佐治は頬を赤く染め二人から視線を逸らした。コミケに行くこと自体は恥ずべき事ではないが、内容によっては性癖の暴露にも値してしまう。


「え? 別に大丈夫っすよ、ねぇ良心さん?」


 瑠香の言葉を聞いて、佐治はその目を良心へと向けたのだが。

 黒い髪を綺麗にカールさせた良心は、嫌な顔一つせずに「うん、平気」と微笑んだ。


「可愛いよね最近のアニメキャラって。私もコスプレとかしてみようかなって思う事あるもん」


「……え、本当に」


「うん、でもああいうの高いしね。それに一人じゃあとてもとても」


 苦笑しながら目を細める良心に対して、じゃあ今度僕と一緒に……みたいな言葉が出て来るような雰囲気だったのだが。けれども佐治は何も言わずにただ頬を赤らめただけで、冷たく汗をかいたアイスコーヒーのグラスを手に取り、無言のまま口へと運ぶ。


「(何で誘わないんすか……)」


 瑠香が小声で呟くも、二人に聞こえたのかどうかは不明だ。


「あー、でもカメラ貰うなんて悪いから、せめて何かお返ししたいなぁ。…………あ、そうだ、佐治さん、ちょっと手を出して貰えますか?」


 カメラを物珍しそうにいじっていた良心だったのだが、突如佐治の手を取ってむにむにとマッサージを始めた。そしてポーチからコスメグッズを取り出すと、おもむろに佐治の爪のやすり掛けを始める。


「……これは?」


「ネイルケアです、さっき瑠香ちゃんとも会話してたんですよね。男の人でもネイルケアした方が良いよねって。こんな高級なカメラとは不釣り合いかもですが、せめてもの恩返しが出来ればなって」


「若林さん、そんな事も出来るんですか」


「良心でいいですよ、私なんて最初から佐治さんって下の名前で呼んじゃってますし。かじった程度ですけどね、一応女の子なんで出来ますよ。ちょっと熱めのおしぼり貰ってきますね」


 佐治の人差し指の爪をやすりで軽く磨いた後、良心は店員さんにお願いしてアツアツのおしぼりを一枚頂戴してきた。そのおしぼりで指をくるむと、ぎゅーっと握り締める。


「……これは?」


「温めて、甘皮を剝きやすくするんです。爪の根本にある赤ちゃん爪を傷つけない様にするために、本当ならお湯が良いんですけどね。それで、キューティクルリムーバーを付けた後には、これを使います」


 コスメグッズの中から小さなスプーンの様な器具を取り出すと「プッシャー当てますね~」と、良心は佐治の爪を優しく根本へと押し当てる。人差し指を浮かせた状態で握った良心の指には軽くしか力が入っていないはずだが、それでも爪の甘皮が剥がれプッシャーの上に集まっていった。


「次に爪の根本の甘皮をネイルニッパーでカットします。その後にネイルオイルを塗れば完成です」


 甘皮処理を終えた佐治の人差し指は、数分の時間を要したが他の指とは見違えるよう綺麗に、光沢のある爪をしていて。他の未処理の指と見比べると、その差は一目瞭然だった。


「……凄い、僕の指じゃないみたいだ」


「これを残り九本全部にやるんです。女の子のネイルに時間が掛かる理由、分かりました?」


「……うん、凄いね、女の子って」


「そこの上にさらにネイルしたりジェル塗ったりするんすから、まぁ時間はかかるっすよね」


 キラッキラに輝いた爪を佐治が手に入れたのは、それから約三十分後の事だった。周囲の人達も男がネイルケアしてると僅かに注目を集めたりもしていたが、特に変な目で見る人はいなく。


「じゃあお兄ちゃん、カメラは家で活用させてもらうっすからね。もし必要になったら返すっすから、その時は連絡して欲しいっす」


「……あ、ああ、うん」


「良心さんもお兄ちゃんに連絡先渡したらどうっすか? お付き合いあった方が色々と便利だと思うっすよ?」


「便利って……そうじゃなくても交換するし。佐治さん、これ私のSNSのQRコードなんですけど、良かったら交換して頂けませんか?」


 良心が差し出したQRコードを、佐治は即座に認識、登録させた。ピコンと音がしたスマートフォンには、早速良心からの「ありがとうございます♡」との一言が送られていて。

 

「じゃあ私達帰りますね、また何かあったら、今度は外じゃなくてお家で構わないですからね」


「……うん、分かった」


「じゃ、お兄ちゃん、まったねー」


 良心と瑠香の二人は席を立ち、二人でお店を後にしたのだが。

 佐治は自分の生まれ変わった爪を見て「……いいな、これ」と、にやけるのであった。


――

次話「これ、服が透けます」

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