第7話 真っ暗で見えない
あらすじ:引っ越しの作業が終わった
――
ヘブンズガーデン栄久戸104号室、そこに住まう新婚さん、
良心たちと同じ造りのこの部屋は、入って目の前にあるキッチンスペースに大きな机を設置し、南側の部屋との境に暖簾を設け、完全に一つの部屋として活用していた。その机を囲う様に席についている良心と瑠香なのだが。
「だって知らなかったんだもん。私前の引っ越しの時もお蕎麦茹でてから回ったんだよ?」
「そんな人いねぇですよ! あははっ、なんなんすか引っ越し蕎麦を茹でてから渡すって!」
お腹を押さえながら「ひー! アホがいる!」と笑い転げる瑠香を、床に座る三歳の流斗が満面の笑みで拍手する。時刻は二十時過ぎ、まだあの若者達が車を走らせている時間だ。
「引っ越しの挨拶行こうって伝えてから何してんのかと思ったら……くふふ」
「もう、そんなに言わなくてもいいじゃんか。でもでも、前の時もこうしてご近所さんと一緒にお蕎麦食べて、それで仲良くなったんだよ?」
「そりゃ蕎麦持ってきて引っ越ししました言われたら、食べるしかねぇですよ。何なんですかその強制蕎麦パーティは、蕎麦ハラっすか? 新しいハラスメント生まないで下さいよ、ふふっ」
「あーもうまた笑った。お蕎麦美味しいからいいよね~、ね、流斗君」
「あいあい」
「かーわいいなぁ」と三歳の流斗を抱き上げた良心は、そのまま膝の上に乗せて流斗の手を取ってあやし始める。それを眺める瀬田円は、テーブルに盛られた蕎麦をツユに付けて一口。
「うん、美味しい。良心ちゃんいいお嫁さんになれそうね」
「そ、そうですかね……えへへ」
「お蕎麦も美味しいし、良心ちゃんみたいな可愛い子が来たのなら、誰だって一緒に食べると思うわよ? 聞いたと思うけど、隣って引っ越しが多かったり物好きな人が住んだりしてさ、こんなに改まって挨拶に来るのだって本当に久しぶりなの。挨拶に来ないか、来てもそれっきりとかね。だから良心ちゃんがお蕎麦持ってきた時は、本当に嬉しかったんだから……あ、一人で食べ始めちゃってごめんね」
テーブルに山盛りに乗せられた蕎麦は、円一人で食すには多すぎる分量だった。ツユと割り箸を用意して貰った二人は、席について「頂きます」と少々遅い夕食へと箸を進める。
「……お、本当っすね、美味しい」
「ん~、我ながら美味い。あ、そう言えば旦那さんはいらっしゃらないんですね。私てっきり旦那さんもいるかと持って多めに持ってきたんですけど……」
「ウチの主人、夜の仕事してるのよ。今日は夜勤だから、帰ってくるのは明日のお昼前かな。それよりもさ、さっき少しだけ伝えたけど……大丈夫なの? 女の子二人で隣に住むって。知ってるでしょ? あそこで何があったのか」
和やかな雰囲気から一転、
壁一枚挟んだ隣は殺人現場であり、自殺現場なのだ。
円の親身な言葉に対して、瑠香がおずおずと挙手をしながら質問する。
「……実際、どうなんですか? 隣に住むって結構何か聞こえてきたりとか、瀬田さん家にも影響ありそうっすけど……」
「影響は無いわね。旦那が
ああ、この人が勝手に開く扉の被害者だったのかと、良心が手をぽんっと叩いた。
「ただね、前に住んでた学生さん……男の子だったんだけどね、彼は夜中に部屋を飛び出して逃げていったのよ。呪われるとか、声が聞こえるとか、何かずっと騒いでてねぇ……。結局、夜逃げするみたいに家財全部残して逃げていっちゃったの」
「え、その人って」
「ああ、その子は多分生きてるわよ? 引っ越した後の事は知らないけど、死んだとは聞いてないからね。その前の人は亡くなっちゃったけど。何があったのか知らないけどねぇ。トイレの中で首を括るとか……ウチに逃げてくれば良かったのに」
「……え、トイレ? トイレって、玄関入ってすぐ右の? えぇ!? トイレでも人が死んでるんすかあの家!? え、だってじゃああの家って、全部の場所で誰かが死んでるって事じゃないですか! トイレだけは大丈夫だって思ってたのにぃ!」
瑠香は気付いていたのだろう、それまで咲子が述べていた死体の場所の中に、トイレが含まれていなかった事を。その証拠に、二人の住まう103号室のトイレには漫画本が大量に置かれている。ある意味一番の憩いの場、それが瑠香の中でのトイレという存在だったのに。
「うわぁぁぁ、トイレもかぁ、夜行きたくなっちゃったらどうしようかなぁ」
「大丈夫だよ瑠香ちゃん、怖かったら私も一緒にトイレ行ってあげるから。それに何か出てきたらシャッターチャンスでもあるしね、むしろ教えてくれてもいいんだよ?」
「シャッターチャンス?」
頭にクエスチョンマークを浮かべた円を見て、良心がポケットからスマホを取り出し「これ見てもらえます?」と円へと差し出した。表示された画面は動画サイト、み~ちゅーぶだ。
「私達が隣に住むって決めたのも、事故物件だからなんです。心霊現象を撮影して、それを動画投稿して一躍有名人になろうって目論んでまして……野望、かな? とにかく、大丈夫か大丈夫じゃないかって言われたら、大丈夫って感じです」
「え、心霊現象を撮影して投稿? そんなのでお金になるの?」
「勿論それだけじゃなりませんけど……再生回数とか登録者が増えればって感じですね。動画にコマーシャルとか流せるようになって、そこから広告料が貰える様になるんです。毎日一本、十分程度の動画投稿で年間四百万だって夢じゃないとか。結構凄くありません?」
無論、投稿した動画が伸びればの話だが。
心霊動画自体は不謹慎だが、娯楽としては最適である。
「四百万かぁ……それだけあったら引っ越し資金に充てられるなぁ」
「あ、ダメですよ? あの部屋の心霊現象は全部私に権利がありますからね」
まるで特許申請したかの様な物言いだが、良心は事故物件に住んでいるだけの苦学生である。そんな苦学生と一緒に住んでいる瑠香がちゅるっと自分の分の蕎麦を平らげると、お喋りばかりで手が動いていない良心の手をつんつんと。
「そんな権利欲しいって思う人いねぇですよ。ほら良心さん、他にも行かないといけないんですから、お蕎麦食べちゃいましょ」
「あ、ふふふっ、そうよね、瑠香ちゃんには行かないといけない場所があるもんね」
「……なんすか」
「203号室、でしょ?」
「はいはい、そうっすよ。だから早く行きましょ」
「え? 203号室って神名君でしょ? 彼のこと狙ってるの?」
恋話はいくつになっても話の種だ、主婦になったからと言ってその手の話題に疎くなるはずがない。円の口から神名の名前が出て、瑠香は「何か知ってるんすか!?」と前のめりで質問した、その時。
「――――ッ! おい! ヒロ! ダメだ! 上!」
外から聞こえてきた男性の声に、三人は全員顔を強張らせた。蕎麦を食べる手を止めて、硬直したまま耳を澄ます。聞こえてくるのは悲鳴だったり、叫び声だったり。最終的に聞こえてきたのは「ぎゃ」という声と、何かがぶつかる音。
走り去る音を耳にするも、良心と瑠香の二人はその場を動かなかった。
しばらくして円が音を立てない様に窓へと近づき、周囲を確認して「いないよ」と一言。
「たまにいるのよね、ほら、103号室って事故物件サイトにも載っちゃってるじゃない? だから肝試しか何か分からないけどさ、たまにこうやって覗きにきたりするの。管理会社の人が外から見えない様にって大きい厚紙にしてたんだけど、今は良心ちゃん達が住んでるから外しちゃってるもんね」
「……え、じゃあ今のって、私達が住む家で肝試ししようとしたって事なんすか……」
瑠香が不安げな声で円に問うと、彼女は首を静かに縦に振った。
「そ、今に始まったことじゃないわ。だから前の前の住人さんがね、あそこの部屋の窓を強化ガラスに変えたの。何でもガラスを割って入ろうとした人が居たとか? だから、今は鍵を開けない限りは侵入される事はないけど……でも、あまり気分の良い物ではないわよね」
強化ガラスに電子錠、103号室だけ設備面で見れば、最強要塞の物件なのだ。
月々三千円、共益費無しの最強物件、ただし同居人多数。
「それにしてもさ、さっきの人達って何を見て逃げたんだろうね。ね、瑠香ちゃん、一回家に帰ってカメラ見てみない? 早速なにか映ってるかも!」
「え、マジで言ってるんですか? 声しか聞こえなかったですけど、多分さっきのって男の人ですよ? 男が逃げる程の部屋に、私達って戻るんすか!?」
「当然だよ! だって私たちの家なんだから! あ、瀬田さんありがとうございました! 今後とも宜しくお願い致します! ほら瑠香ちゃんも行こ!」
「え、ヤダ! 行きたくない! 怖いの苦手なんすよ! 手、手を掴むなぁ!」
慌ただしく104号室を後にした良心と瑠香に対して「円でいいわよ、宜しくね」と円が声を掛けたものの。二人に聞こえているか怪しいものである。
瀬田家と若林家は距離にして一メートルも離れていない。
なんなら壁一枚挟んだだけのお隣さんだ。
「なのに何でこんなに雰囲気が違うんすかぁ……なんかもう、玄関からしておどろおどろしい感じがするんすけど、本当に私達ってここに住むんすよねぇ?」
「当然でしょ、もう契約したし、ある意味既に実証された訳だし。何か映ってたら私達も出演しなきゃだよね、ふふふっ、ちょっと楽しみ♪」
心霊現象が映ってないかを確認する、それを楽しみという良心を見て、瑠香は「マジっすかぁ」と落胆するのだが。
電子錠はカチャリとも音がしない。良心が鍵を少しだけ回すと扉は開き、暗くなった室内が顔を覗かせた。玄関に入ってスイッチを入れると、LEDの明かりが短い廊下とキッチンを明るく照らし出し、そのまま奥の南側の部屋も煌々とした光に包まれる。
良心に続き瑠香も帰宅するも、特に異変は感じられず。首吊りがあったというトイレもおっかなびっくり開けてみたが、室内に異常は感じられない。山の様に積まれた漫画本が崩れ去るとか、そういった事も無かった。
「ふふん、何か映ってるのかなぁ~」
良心が仕掛けたのは、キッチンから南側の部屋へと向けた一台のタブレット。百円均一で購入したスタンドに立てかけて、カメラを起動してそれを掃き出し窓へと向けて撮影していたのだが。
『ほら、瑠香ちゃん行くよ~』
『ちょ、ちょっと待って下さい! 蕎麦ってそうやって持っていくんですか!? えぇ!?』
家を出る時の二人の声がばっちりと録音されてはいるものの、照明を切った後の画面は肉眼で見るそれと何ら変わらず。
「あら、真っ暗だね」
「何も見えないっすねぇ」
その後も二倍速、三倍速、最終的には十倍速にして食い入る様に画面を見るも、結局何も映っていなかった。ただ、二十一時少しの所で先程の男性の声は聞こえてきたので、録画は間違いなく成功しているらしい。
「なんか、上! とか言ってるけど、何も見えないね」
「見えなくていいんじゃないですかね……初日から見えてたら正直キツイっすよ。あ、もうこんな時間か、お風呂にでも入ろうかな……ねぇ、良心さん」
「あ、いいよ、先に入ってて」
「……いや、一緒に入りませんか……と、思ってるんですが」
「え? なに、もう怖いの?」
「えぇ、まぁ、そんな感じっすけど……」
ちょんと良心の服を摘まむ瑠香を見て、良心はにまぁ~と笑顔に。
「くふふ、お子ちゃまだなぁ瑠香ちゃんは。それじゃ他の部屋の挨拶は明日以降にして、一緒にお風呂に入りますか! 全自動のお風呂に! きゃー何て素敵な響き! 全自動だよ全自動! らんららんらら~ん!」
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次話「よるちゃんねる、開設」
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