第5話 事故物件へのお引越し

あらすじ:友達想いの実家がお寺の菜豆奈なずなの登場により、瑠香るかは僅かながらに期待しお祓いをお願いしたのだが。菜豆奈が残したものは「自分にはお祓いは無理」という実に無責任かつ重厚なお言葉だった。実家がお寺でなければ、彼女の言葉はここまで重くはなかったのだろう。単なる茶化しとは思えぬままに安堵の日は経過していき、そして――


――


 六月の日曜日、この日は六曜で言うところの友引に当たる日だ。友人を引き込む日とされており、結婚をするには最適な日とも言われている。午前午後ともに吉と言われる日だが、お昼時である十一時から十三時は『凶』へと変わる日でもある。


 そんな友引の天気の良い朝九時、一台のトラックがヘブンズガーデン栄久戸の前に停車すると、助手席から背の小さい黒い髪をまとめた女の子が下りてきた。言わずとしれた事故物件へと住まう勇気と無謀を兼ね揃えた二十歳の女の子、若林良心よいこ、その人だ。


 この日は契約も無事結ばれ、鍵の引き渡しの日でもある。アパートの駐車場には『スマイリーハート』と書かれた白の乗用車が既に駐車されており、トラックが来たのと同時に運転席から一人の女性と、助手席から年配の男性が下りてきた。


「あ、咲子さん、おはようございます!」


 スマイリーハート従業員、小岩井咲子へと良心が頭を下げると、横にいた男性も頭を下げる。既に初老を迎えているのか、禿げあがった頭に残る髪は白と黒のコントラストを描いており、額の皺もかなり深い。けれども目じりに蓄えられたものは、笑顔になると恵比寿の様に波打ち、人柄がそのまま表れている様な印象を与えてくれた。


「良心さんおはようございます、改めまして、ご契約のほど本当にありがとうございました。こちらはヘブンズガーデン栄久戸のオーナー、沢田さわだ敏郎としろう様になります。良心さんが本日からご入居なされると聞いて、是非ともご挨拶がしたいとおっしゃいまして」


 咲子の紹介が終わる間もなく、沢田は良心の手を握り締めて深く頭を垂れた。


「若林様、この度のご入居、本当にありがとうございます。既にお聞きしているかと存じますが、103号室は不幸が重なり、今や界隈では有名な物件となってしまっているのです。貴女の様な若く美しい女性が住む事で、そういったイメージが少しでも払拭出来ればと、よこしまながらに思ってしまっております」


「う、美しいって……そんな」


 照れ笑いしている良心であったが、沢田の目には既に涙が。


 アパート経営に於いて空き部屋は、金食い虫以外の何者でもない。誰も住んでいなくとも維持費は掛かるし、税金は支払わないといけないのだ。事故物件になってしまい有名になってしまった103号室、隣102号室が空き部屋になっているのも、少なからず103号室の影響なのであろう。


 隣に住まう104号室の新婚さんも、いつ一戸建てを購入して退居してしまうか。

 アパート経営視点からすると、事故物件は金儲けでもなんでもない、貧乏神でしかない。


「……ですが、103号室の呪いは既に笑えないレベルにまで成長してしまっているのです。お化けが出た、視線を感じる、何でも構いません。貴女の身に危険が及ぶ前に、私に連絡し即時退居してしまっても一向に構いません。違約金等々もあの部屋に関しては結構でございます……命だけはお大事になさって下さい」


 重すぎる挨拶を受けて、良心は何とも言えない表情を浮かべる。


 背後にそそり立つアパートはまがりなりにも天国を冠したアパートなのだが、きっと沢田の目には地獄の一丁目の様に映っているのだろう。そして聞こえるのだ、単なる風の音なのに、針の山で串刺しにされ、血の池で煮えたぎっている愚者の断末魔の様な叫び声が。


「お葬式でもお通夜でも、勇者が魔王を倒しに行くのでもねぇんですよ。引っ越しの挨拶なのになんでそんなに仰々しいんですか。私達が住むのは長くても一年と九か月、専門学校を卒業して実家に戻る間だけなんすからね」


 大きな麦わら帽子に白のワンピース、青のジーンズを穿いた関口瑠香が姿を現した。

 毒舌に近い内容を発した瑠香を、良心はじぃぃぃ……っと見つめる。


「……なんすか良心さん、そんなにジロジロと見られると恥ずかしいんっすけど」


「え? あ、いや、私、無地のTシャツにショートパンツなのに、瑠香ちゃんは随分とお洒落だなって。引越しだよ? 動きやすい恰好とかの方が良くない?」


 瑠香の恰好は、そのままどこかの涼やかな高原にでも行くような服装だ。暑苦しい六月に汗だくになりながらする引っ越しのスタイルではない。


 二つに分けた金髪をしゃらんと指で梳くと、瑠香は乗って来たトラックへと視線をやった。


「重たい荷物はお父さんやお兄ちゃんが持ってくれますから、アタシは冷房の効いた部屋で小物の片付けに専念するつもりなんです。だからこの服装でいいんっすよ、ね、武三たけぞうお父さん、佐治さじお兄ちゃん」

 

 ひょこっとトラックから現れたのは、なるほど瑠香のお父さんだ。目鼻口と言ったパーツの一つ一つが似ていて、父と娘と言われれば「あーそーね、そんな感じがする」という雰囲気。


 兄の方はあまり……いや、かなり似ていないが、十八歳の瑠香の兄なのだがら、成人はしているのだろう。整髪料も何もついていないぼさっとした髪型に、たゆんたゆんとしたお腹。身長はありそうだが、体重もありそう。そんな瑠香のお兄さんは良心を見て、ぺこりと頭を下げた。


「……瑠香、これ全部運べばいいのか」


「あ、ちょっと待ってお兄ちゃん。お父さんがね、先に良心さん紹介しろってうるせぇんですよ。お父さん、男と住むんじゃないのかってずっと疑ってきやがるんですよ? 心外じゃありません?」


「そんな心配、親ならするのが当然だろう。君が良心さんかな? 私は関口武三、瑠香と仲良くして頂いているみたいで……本当にありがとう。うるさい娘だが、これからも宜しく頼むよ」


 年の頃四十後半といった感じの、壮年ちょい過ぎの武三が瑠香の側に来ると、良心へと手を差し出してきた。実家が床屋と言っている瑠香なのだから、きっとお父さんの職業は床屋さんなのだろう。


 大きいけれど肉付きが少ない指、ハサミやパーマ用のロッドを巻いたり、アイロンをし続けた手。その手ははたすると、良心の親父さんの手にも見えなくもない。僅かな時間見惚れていた良心だが、差し出された手を握り締めて「若林良心です」と挨拶を返した。


「では、こちらがお部屋の鍵になります。今日は友引ですからね、お昼前には終わらせてしまった方が宜しいかと存じ上げます。最後に良心さん、沢田様の言っていた通り、無理だと思ったらすぐにご連絡下さいね。スマイリーハート従業員一同、いつでもご対応させて頂きますから」


 人は、後ろめたいことがあればあるほど懇切丁寧になるものだ。良心の引っ越しだけで付いてきた沢田の存在、それは当人も口にしていた事だが、103号室という魔の巣窟へと向かう二人への、せめてもの手向けの様なものであったのだろう。


 玄関先までは見送るも、決して中には入ろうとしない。

 沢田の決意が込められている様な動作に気付いたのは、きっと咲子一人だ。


「……それじゃ荷物運ぶから。103号室だよな」


 上にも横にも体の大きいお兄ちゃん、彼は瑠香の私物が入っているであろう段ボールを三段積み重ねると、ひょいと持ち上げてしまった。どうやら筋肉も相当にあるようだ、ずしんずしんと歩きながら部屋へと向かうと、良心が鍵を開けるのを何も言わずに待っていて。


「……あ、ごめんなさい、いま開けますね」


 どこかよそよそしい良心は、ぱたぱたと佐治の前へと向かい、咲子から預かった鍵をあの日見た様に四分の一だけ回し、解錠する。


「お、本当に電気錠なんだな、これは確かに防犯上素晴らしい造りだ。家賃とか高かったんだろう? 良いのかい? 全額良心さんに甘えてしまって。良ければ私の方から半額支払わさせて頂くが――」


 武三の言葉を聞いて、良心の目が即座に瑠香へと向けられた。

 アイコンタクトだ、一流のスポーツ選手なら誰でも出来る眼での会話。


『瑠香ちゃん! お父さんに何も言ってないの!?』


『だって言える訳ねぇじゃねぇですか! 事故物件なんて言ったら絶対にウチの親父反対しますから! さっきだって変な挨拶してたから必死に足止めしてたんすからね!? 適当に口裏合わせて下さい! 神名君の為に!』


 ぎらつく瑠香の瞳、こくり頷いた良心は、瑠香のお父さんへと視線をやってにっこりと。


「本当に大丈夫なんです、お父さんが思っている以上にここお安い物件なんですよ?」


「……そうかい? でも、無理はしなくていいからね。ああ、そうだ、せめて食費ぐらいは二人分を仕送りするから、それで相殺する様にして構わないからね」


「わぁ、ありがとうございます、お父さん♪」


 良心の余所行き精一杯のスマイルを見て、武三は少し頬を赤らめたのだが。

 瑠香はぞぞぞっと立ってしまった鳥肌を両手で摩る様に隠していた。 


「……あの、扉」


「あ! すいません! いま開けます!」


 良心が再度電子錠を解錠し玄関を開けると、そこには咲子と一緒に内見した時とは違い、既に明るいフローリング状の廊下が視界に優しく入り込んできた。


 どうやら窓の厚紙が既に取り払われているらしく、南側の窓から一直線に入り込んできた日の光が、室内を伝い、そのままキッチン、廊下を明るく照らし出していて。窓は施錠されているはずなのに、良心の頬を優しく撫でる風が吹き抜けていく。ここが事故物件なんて嘘じゃないか? と思わせる程に爽やかな風に、良心は思わずその目を閉じた。


「おぉ、良い家じゃないか。お隣さんも空き室の様だし、多少ならうるさくしても平気やもしれんな」


「……そうですね、本当に、心からそう思います」


「良心ちゃん、妹の荷物とか適当で構わないの?」


「あ、はい! 特に境界線とかは設けないつもりなので、奥の部屋に詰めて貰えればそれで!」


 と言ってもキッチンの他には南側の一間しか存在しない。

 1DKは本来二人で住むには狭すぎる間取りだ。


 瑠香の荷物やベッドを持ち込むと、それだけで部屋の半分近くが埋まってしまった。


「私の荷物はそんなに多くないから、部屋の東側を瑠香ちゃんにして、西側を私のにすればベランダも使えるよね。キッチンの方にも物が置けるスペースあるし、お風呂の方にも洋服箪笥とか置けるから」


「……そうっすね。テレビとかはどうします? 配線口が良心さんの方にありますけど、部屋の北側に配置しておけばいいですか? 中央部分にはテーブルも置きたいですし……あ、でも良心さん、エアコン直風ですよ? 大丈夫です?」


「あはは、私結構暑がりだから、平気平気。寒かったら毛布でもかぶるし」


 仲の良さが何もしていなくとも伝わってくる、そんな明るい二人の会話を耳にしながら、佐治と武三は黙々と作業を続け、引っ越し作業自体は凶の時間帯である十一時時を前にしてひと段落が付いてしまっていた。


――

次話「始まる」


※あらすじにヘブンズガーデン栄久戸103号室の間取りが掲載されております。エクセルの拙い画像ですが、良かったらご参照まで。

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