第17話 泣いている女と一人の男
あの後、オクトは宿屋に戻ったが、宿屋の主からオクトの荷物だけが渡された。
それは、アリエスのオクトにはもう会わないという意思表示であった。
夕陽が沈み、暗くなっていく街の中をオクトは歩く。その足取りは重い。
オクトが向かう先はシーナの家だ。借りていた服を返さなくてはならない。
だが、シーナの家へ向かう途中、冒険者ギルドの前でオクトは足を止めた。
「勇者はどこよ! 勇者と、それとあの触手野郎を出しなさい!!」
冒険者ギルドの前で、土汚れが目立つ一人の女冒険者が叫んでいた。その女は昨夜、オクトに絡んできた二人の男たちのパーティーメンバーの一人だった。
女の表情に余裕はなく、その目には涙が浮かんでいた。
その女の周りには何人か冒険者や受付嬢たちが集まっており、何があったのか話を聞いている状態だった。
そんな中、中心にいた女とオクトの目が合う。その瞬間、女は目を見開き、オクトを指差して叫んだ。
「あんた……! 何してたのよ! 勇者と一緒に森の調査をしてたんじゃないの!? あんたのせいで、あんたのせいで私たちはテンタクルモンスターに襲われたのよ!」
女の言葉に周りの冒険者や受付嬢たちはざわめき始める。それと供に、視線がオクトに集まる。
「何してたのか言いなさいよ!!」
女が叫ぶ。その目からはボロボロと涙が零れ落ちており、オクトへの敵意が満ち溢れていた。
「遊んでいた」
オクトは悪びれもせずにそう言った。
その一言でその場の雰囲気が変わり、周りの人間たちがオクトに懐疑的な視線を向ける。
知っての通り、テンタクルモンスターは邪王の手先であり、勇者の敵だ。そして、勇者とオクトが悪魔の森を調査していることはこの街の多くの冒険者は既にしている。
「ふざけないで! あんたと勇者は、この街を守るために動いているんじゃなかったの!?」
「俺が休みたかったから、勇者に無理言って休みを作った」
冒険者たちを敵に回しかけていると言う状況にも関わらず、オクトはあっさりとそう言った。
「なっ……! じゃあ、あんたのせいじゃない! そういえば、森であった気持ち悪い触手を使う真っ白な男があんたの知り合いだって言ってたわ! あんた、まさかこうなることが分かって勇者を休ませたんじゃないでしょうね!!」
女の言葉に周りの冒険者たちが「どういうことだ?」と言葉を漏らす。その言葉に女はすぐさま反応する。
「大体、触手が使える時点で怪しかったのよ……! あんたもあいつらと同じテンタクルモンスターなんでしょ! スキルだとか言って、ずっと私たちを騙してたのよ! あんたの異常な強さもモンスターなら納得いくわ!」
根拠の欠片もない説明。
だが、元々オクトの評判はこの街では悪い。オクト自身のこれまでの行動も重なり、オクトを悪とする想像はどんどん膨らんでいく。
気付けば、その場にいる冒険者の殆どは女性陣を筆頭にオクトを敵意のこもった眼で睨みつけていた。
彼女たちを一度見回してから、オクトは深く息を吐く。
そして、何も言わずに冒険者ギルドの前を素通りした。
「な!? あんた、逃げるつもり!」
「待ちなさい!!」
背後から聞こえる声を全て無視して、オクトは歩く。
暫くすると声は聞こえなくなった。そして、オクトはシーナの家に辿り着いた。
ノックをすると、シーナは直ぐに姿を現した。
「よ」
「オクトさん。丁度良かった。実は、先ほどある冒険者から悪魔の森でテンタクルモンスターに遭遇したという話がありました。私も今から冒険者ギルドに向かうところですので、オクトさんもついてきて――」
「なあ、シーナ」
シーナの言葉をオクトは途中で遮る。
「泣いている女に、俺はどれだけのことが出来る?」
顔を上げ、オクトの顔を見たシーナは言葉を失った。
三年の付き合いのシーナでさえ、見たことが無いほどオクトが表情から怒りを滲ませていたからだ。
「これ、助かった。ありがとな」
オクトはシーナに借りていた服と靴を渡すと、そのまま背を向ける。
オクトが何処へ向かうつもりか、シーナは何となく予想がついていた。
「待ってください!」
慌てて、オクトを呼び止める。
いくらオクトでも、一人では無茶があると思ったからだ。
だが、オクトは足を止めない。
「おっさんに伝えてくれ。子供が我儘も言えず、世界の命運背負って一人で戦わなきゃならない世界なんてくそくらえだってな」
そして、オクトは振り返りもせずに薄暗い森へと歩いて行く。
その背中をシーナは不安そうに見つめていた。
夕陽は殆ど沈みかけていて、夜の世界が来る。その時間はモンスターたちが蔓延る時間だ。
「……どうかご無事で」
シーナは瞳を閉じて、空に見え始めた星に願いを込める。
そして、冒険者ギルドへと急いだ。オクトが一人の女の子のために戦いへ向かう用い、シーナもまた戦いへと向かう。
街を守るための戦いへと。
*********
悪魔の森の目の前で俺は森を睨みつける。
日は完全に沈み、辺りは真っ暗だ。俺のスキルはかなり有能だが、夜目がきくわけではない。
目の前の木々が少し見えるだけで、奥は何も言えない。
ただ不気味に風で木々がざわめく音がそこに響いていた。
「ん? オクトか? こんな時間に何してんだ?」
突然、背後から声をかけられる。振り向くとそこにはザックがいた。
「お前こそ何してんだよ」
「俺は今から依頼だよ。ツクヨ草って花の採取だ」
言葉の通り、ザックは軽装に身を包みランタンと弓、短剣を身に付けていた。
ツクヨ草、月の光で育つと言われている珍しい植物だ。魔力を通すと青白い光を放つため、貴族界隈では観賞用やインテリアとして重用されているらしい。
「そうか。なら、今日は止めといたほうがいいぞ」
「はあ? なんでだよ」
「テンタクルモンスターが出たらしい」
「な!?」
俺の言葉にザックが驚きを露わにする。
「だから、止めとけ」
「ちっ。仕方ないか……」
つい最近テンタクルモンスターに襲われたザックだからこそテンタクルモンスターの脅威は分かっているのだろう。
舌打ちをしつつも、大人しく背を向けて街の方へ足を向ける。だが、何かを思い出したのか、足を止めて振り返った。
「あれ? じゃあ、何でお前はこんなところにいるんだ?」
大人しく帰ればいいものを、中々に勘のいい男だ。
「テンタクルモンスターをぶっ倒しにいくんだよ」
「は? お前、バカか? 夜は夜行性のモンスターたちの時間だ。テンタクルモンスターが夜行性かどうかは知らないが、もしあいつらが夜でも問題なく活動できるモンスターだったら死ぬぞ?」
「朝まで待ってたら、救えないかもしれねーんだよ」
「……女か?」
「我儘も言えないガキ一人だな」
俺の返事を聞いたザックは呆れたようなため息をつく。そして、バカを見るような目で俺を見つめて来た。
「一人で行くつもりか?」
「他に誰かいるように見えるか?」
「はぁぁぁ……。しゃーねえな、俺も行ってやるよ」
「は? お前、バカなんじゃないか?」
「お前には言われたくないな」
ザックが頭をガシガシとかきながら、俺の隣に並ぶ。そして、ランタンを掲げた。
「夜の森で灯りを持ち込むことは相手に自分の居場所を伝えることになる。だが、戦闘において灯りは必要だ。一人行かせて、死なれると目覚めが悪い。ついていってやるよ。代わりに、俺のことを守れよ」
「おっさんのツンデレなんざ需要ねえぞ。あと、守られたかったら美少女になってから出直してこい」
「うぜぇ……。まあいい、行くぞ。あの勇者様とお前には恩があるんだ」
「仕方ねえな。足引っ張んなよ」
「言っとくが、お前より俺の方が冒険者歴は長いからな」
「でも、冒険者ランクは?」
「……くそっ」
軽口を叩きながら俺とザックは森の中へと足を踏み入れる。
俺たちを歓迎するかのように木々のざわめきは大きくなっていく。そして、俺たちは森の中の闇へと消えていった。
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