第18話 勇者 アリエス・ルミエール

 アリエス・ルミエールにとって、オクトは変態だ。セクハラ魔だ。欲望に忠実な男だ。おまけに、アリエスのことを可愛いと連呼し、アリエスに一時とはいえ女の子としての楽しみを教えてくれた、最低で最悪な男だ。


 宿屋のベッドの上で、アリエスはポツンと座り込んでいた。昨日まで二人で使っていた部屋に一人のせいか、やけに部屋を広く感じる。

 服装はオクトと別れた時から一つも変わっていない。

 オクトに買ってもらった黒のスカートを撫でる。


 王族であり、勇者のアリエスは幼いころから勇者として鍛える毎日を送って来た。だからこそ、彼女は学園生活に憧れを抱いていた。

 アリエスの知り合いの同年代の少女たちは皆美人で綺麗だった。長くて絹のような髪、ヒラリと揺れるミニスカート、胸元のリボン。

 制服姿の彼女たちはいつも輝いているように見えた。それとは対照的に、自分はズボンをはき、手には剣を持ち、地を這いながら鍛錬する日々。

 何度羨ましいと思ったか分からない。

 妹たちが学園に入学し、制服姿を披露してくれた時も素直に祝福できない自分がいた。

 そんな自分に嫌気がさし、また女としての自分をより強く押し殺した。


 だからこそだろう、王立学校の制服によく似たミニスカートを見つけた時、アリエスは足を止めた。

 そして、そのままオクトの勢いに流されてアリエスはその服を着た。初めて来たスカートは中がスースーして、やけに緊張した。

 姿鏡に映る自分の姿を見て、アリエスは少しだけ落ち込んだ。

 短めの髪に化粧もしていない顔。

 王城で暮らしている頃に見た、姉妹たちに比べるとやはり自分は見劣りする。

 ミニスカートから伸びる足も、筋肉がついている分、彼女たちに比べれば少し太い。

 勿論、街の男性陣からすればアリエスの足も十分スラッとしていて綺麗なのだが、アリエスにはそうは見えなかった。


 それでも、オクトは「アリエスを可愛い」と言った。

 アリエスは王族で勇者だ。その経歴から、アリエスに取り入ろうと媚びをうる欲にまみれた人を大勢見てきた。

 だからこそ、分かる。オクトの言葉に嘘偽りはない、と。

 その時ばかりは下心さえなく、純粋に自分に見惚れていたことを理解できた。

 そして、それはアリエスの女心を大きく揺さぶった。

 そのせいか、オクトからの唐突な愛の告白をアリエスははっきりと拒絶することが出来なかった。

 幸い、店員がオクトを止めてくれたおかげで、その場はやり過ごせた。


 それから、アリエスはひと時の安らかな時間を過ごした。

 王城での食事ほど豪華ではない。だが、勇者としての責務を一切忘れてオクトにエスコートされての食事は今までにない満足感を感じた。

 男たちからのむず痒くなるような好意的な視線に晒されて街を歩くと、不思議な高揚感があった。

 オクトと並んで小高い丘から夕焼けに染まる空と街を眺めると、いつまでもこうしていたいと思った。

 苦しい戦いから逃げ出して、与えられた使命を投げ捨てて、身分も役割も関係ない。

 アリエスを心の底から愛してくれる人と過ごす。そんな淡い希望を抱いた。

 だが、アリエスは物語のヒロインではない。


 アリエスは知っている。

 テンタクルモンスターに苦しむ人々がいることも、人間が立ち向かうには邪王とその手先は余りに強大な存在であることも。

 力があるものはその力を使う責務がある。

 代わりがいないなら猶更そうだ。勇者とはそういう存在なのだ。


 だから、アリエスはオクトを拒絶した。

 アリエスにとって魅力的に映るその男は、勇者としてのアリエスの覚悟を揺るがしかねない、恐ろしい脅威でしかない。

 

「これで、よかったよね」


 一人の部屋で、天井を見上げポツリと呟く。

 アリエスの言葉に返事を返すものはいない。少しだけ胸が痛んだ。


 静寂が広がる部屋の中で、不意にノックの音が響いた。

 アリエスの頭に一人の男が思い浮かび、それと供にアリエスの胸に淡い期待が浮かぶ。

 だが、その期待は一瞬で裏切られた。


「勇者様! 緊急事態です! テンタクルモンスターが出現しました!!」


 扉の外から聞こえた声は一人の男性の声、言葉の合間に荒い呼吸音が聞こえてきており、相当に焦っていることが扉越しでも分かる。

 そして、その報告を聞き、アリエスは飛び起きた。


「分かった。すぐ行く!」


 男に返事を返し、アリエスは直ぐに着替えを済ます。

 鎧を身に纏い、腰に聖剣を下げる。そして、ベッドの上に丁寧に置かれた服を見る。

 白のブラウスに黒のミニスカート。もう着ることはないだろうが、その服を、今日の出来事を脳裏に焼き受けるために。

 そして、勇者アリエスは部屋を出る。

 その目は既に前だけを見据えていた。


*********


 

 日が沈み、空の端が僅かに明るいだけで、街は随分と暗くなっていた。

 気温も昼間に比べ大分下がっており、肌を撫でる風で身体が微かに震える。アリエスが冒険者ギルドに着くと、ギルド内には数人の冒険者が集まっており、その中心にギルドマスターが一人いた。


「すいません! 遅くなりました!」


 アリエスが声を上げると、一気に視線がアリエスに集中する。


「休んでる時に悪いな」

「いえ、テンタクルモンスターが出たと聞いたんですけど、悪魔の森ですか?」

「そうだ。今日の昼過ぎ、悪魔の森で依頼をこなしていたAランク冒険者のパーティーが白い怪しげな男に遭遇したらしい。男は十本の触手を操っていたそうだ。交戦したものの、圧倒的な実力差にパーティーは撤退を選択したらしいが、撤退途中で大型のデーモン・テンタクルと遭遇、挟み撃ちにあったパーティーは半壊。かろうじてその中の一人が逃げ切れたらしい」

「そ、そんな……」


 その報告を聞き、アリエスは唇を噛み締めた。

 アリエスがオクトの申し出を断り、悪魔の森で調査を続けていればこうはならなかっただろう。


「すいません……。ボクが休んでいたせいで……」

「それは関係ない」


 アリエスの言葉をゴルドーはあっさりと切り捨てる。


「冒険者は皆命がけだ。冒険者にデーモン・テンタクルが出るかもしれないということは通達していた。それでも、悪魔の森に足を踏み入れたのは奴ら自身だ。お前の責任じゃない」

「で、でも……!」

「自惚れるな。勇者一人におんぶにだっこで頼らなくちゃならないほど、俺たちは落ちぶれていない」


 ゴルドーの言葉にアリエスが顔を上げる。

 アリエスはそこでその場にいる冒険者たちの顔を見た。不安げな表情を浮かべるものは誰もいない。

 アリエスを非難するような人も誰もいない。よく見れば、その場にいる全員が武器を構えていた。


「オクトが言っていた。子供が我儘も言えず、世界の命運を全部背負って一人で戦わなくちゃならない世界なんざくそくらえだってな」

「え? オ、オクトが?」

「俺たちは心のどこかで勇者って存在を特別扱いしてる。自分たちとは違う存在だって線引きして、その強大な力に寄りかかってる。そのことに、あいつに気付かされた」


 そう告げると、ゴルドーは頭を下げる。


「すまなかった。知らぬ間にあんたの負担をでかくしていた。元々、調査も俺たちがやるべき業務だった」

「そ、そんな……ボクは勇者だし、皆さんのために戦うことは普通ですよ……」


 頭を下げるゴルドーにアリエスが慌てて、声をかける。

 アリエス自身、おかしいと一つも思っていなかった。勇者とは、自然と負担がでかくなる存在だと思い込んでいた。


「アリエスさん」


 そんなアリエスに受付嬢のシーナが声をかける。


「皆さんのために戦うという言葉、感謝します。でしたら、この街のために夜明けまでこのギルド内で待機していただいてもよろしいでしょうか」

「……え?」


 その言葉はアリエスにとって予想外のモノだった。

 被害が出ているなら、今すぐにでも戦いに出るのが普通だとアリエスは考えていたからだ。


「現在、オクトさんが悪魔の森へ一人で向かいました。それと、ザックさんという冒険者の方も悪魔の森に入っています」

「な、なら、その二人を助けるために直ぐにでも行かないと!」

「私たちは彼らを囮にします」

「……な!?」


 シーナは坦々と告げる。

 その目はどこまでも冷静に現実を見ていた。


「夜の戦闘をすればどれだけの被害が出るか分かりません。私たちにとっての最低目標はデーモン・テンタクルの討伐、並びに街の守護です。そのためには、夜に戦闘することは得策ではありません。幸い、オクトさんは相当な実力者。デーモン・テンタクルの討伐まではいかずとも十分な時間は稼いでくれるでしょう。後は、朝までここのいる冒険者の方々に何とか時間を稼いでもらいます」

「そ、それじゃ、オクトは……」

「死ぬかもしれませんね」

「そ、それはダメです! ボクが行けば解決するんですから、それでいいじゃないですか」

「それは勇者としての発言ですか?」

「そうです」

「なら、大人しくしておいてください」

「な、何故ですか!?」

「勇者は死んではなりません。ならば、アリエスさんの死ぬリスクが高まる夜の戦闘は避けるべきです。私たちが勇者のあなたに何よりも望むことは、ここで死なないことです。危険なことが明らかに分かっていながら、夜中に悪魔の森へ向かう馬鹿二人のために、あなたが死ぬようなことはあってはならない。彼らは見捨てます。あなたが皆の勇者だというなら、大人しくしていてください」


 アリエスは口を閉じ、手を握りしめる。

 シーナは正しいことを言っている。

 そもそも、他でもないアリエスが「街のために戦う」と口にしたのだ。オクトが悪魔の森へ向かったのは、オクトのエゴである。

 街の為に戦うならば、アリエスは冒険者ギルドに従うべきだ。


「……ただし」


 俯き、唇を噛み締めて葛藤するアリエスにシーナから更に言葉が投げかけられる。


「他でもないあなた自身が、あなた自身のエゴでオクトさんたちを救いたいというならば、私にそれを止める権利はありません。そもそも、既に一人、ある女性のために森に突っ込んでいった馬鹿がいますからね」


 シーナはそう言うと、アリエスの目を真っすぐ見つめる。

 その目は確かに問いかけていた。

 アリエスはどうするのか? と。


 アリエス・ルミエールは勇者だ。

 だが、その前にアリエスは一人の人間だ。感情がある。大切なものがある。全ての人を、同じものとしては見れない。


 不意に、アリエスの脳裏にオクトの言葉が響いた。


『アリエスが勇者だからこそ、救える命がある』


 勇者がアリエスという名を名乗るわけではない。

 アリエスという一人の人間が勇者を名乗ることになっただけだ。

 勇者としての責任は付きまとう。

 だが、それがアリエスという人間の意思を殺すことには繋がらない。


「改めて問いかけます」


 シーナは再度アリエスに問いかける。

 必死に我慢して、人のために生きようとする優しい良い子に話しかけるように、柔らかな笑みを浮かべながら。


「アリエスさんはどうしたいですか?」


 瞳を閉じれば、アリエスの脳裏にオクトの顔が思い浮かぶ。

 セクハラ魔で、変態で、女の敵と言われている。

 いやらしい目つきで人を見てくる上に、唐突に告白してくる。空気も読めない。

 お世辞にも、王子様とは言い難い。アリエスの思う勇者とも違うだろう。

 どこまでも己の欲望に忠実で、誰よりもやりたいように生きている。


 そんな傲慢不遜で傍若無人なオクトだが、アリエスにとってかけがえのない大切な人だ。


 答えなど、とうに出ていた。


「オクトたちを助けに行きます。だって、ボクはアリエスだから。目の前で困ってる人がいたら見捨てられない。ボクの仲間が戦ってるなら、それを見て見ぬふりなんて出来ない」


 アリエスの言葉を聞いたシーナは微笑みを浮かべると、サッと身を翻し冒険者たちに目を向ける。


「アリエスさんの無茶ぶりは聞きましたね。これから、オクトさんにザックさん、そして、被害に合ったというAランク冒険者三名の救出並びに、デーモン・テンタクルの討伐作戦を始めます!」

「ちっ。しゃーねーなぁ。まあ、オクトには妹を助けてもらった恩があるからな」

「まあ、勇者様にお願いされたなら答えるとしますか」

「クズに関わるのはごめんなんだけど……。まあ、あのオクトに恩を売っとくのもありかもしれないわね」


 シーナの言葉にやれやれと言った様子で冒険者たちが立ち上がり、ギルドの出口へと歩き出す。

 そして、アリエスはその先頭を進む。

 その目に迷いはない。


(簡単なことだったんだ。勇者のボクと、女の子としての本来のボク。お父さんに言われたから、どちらかしか選べないと思ってた。でも、違う。両方でいいんだ)


 もう迷わない。

 勇者として、アリエス・ルミエールとして、一人の少女は一歩踏み出す。


 そして、アリエスとタコルの街の冒険者たちは悪魔の森に足を踏み入れる。街を守るため、仲間の冒険者を救うために。


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