第2話 悪魔の森
悪魔の森。
かつて
だが、悪魔はおよそ百年前に邪王討伐の旅の途中にあった勇者によって、その殆どが倒されたといわれている。
それでも森の奥地にはまだ悪魔が数匹残っているという噂もある。
その悪魔の森は奥に行けば行くほど深い霧が立ち込めている。その霧によって、森に足を踏み入れた生物は徐々に森の奥に誘導されていく。
そして、最後には悪魔に捕らわれる。
そんな悪魔の森を一人の少年が歩いていた。名前をエリックという。
「こ、怖くない怖くない。大丈夫だ。家に帰るだけ、真っすぐ歩けば家に着くんだ……」
森の中には霧が立ち込めていて、昼間にも関わらず太陽が地平線に沈んでいくときの様に暗かった。
背筋を丸め、辺りを絶えず見回しながら歩くエリックの手には一輪の花がある。
悪魔の森にしか咲かないと言われているリリスという花だ。綺麗なパープルの花びらを持つその花は、その美しさと希少性から女性に喜ばれるプレゼントとして有名だった。
今年で十五になるエリックは同じく十五歳の誕生日を迎え、成人となる幼馴染の女の子、マリアへの誕生日プレゼントとしてリリスを送ると決めた。
エリックにとってマリアは片思いの相手だ。そして、エリックはマリアが「私にも大人の女性みたいな色気があればなぁ」と呟いていたことを知っていた。
だからこそ、リリスは何よりもマリアが喜ぶプレゼントだと考えたのだ。
そして、エリックは悪魔の森に足を踏み入れ、見事にリリスを見つけた。
だが、リリスが咲く場所は悪魔の森の中でもかなり深部に位置している。結果、エリックが帰ろうと振り返った時には、既にエリックの身の回りには霧が立ち込めていた。
「だ、大丈夫。悪魔はもういないんだから、無事に帰れるはずだ……」
自分に言い聞かせながらエリックは一歩ずつ足を踏み入れる。
森の中は驚くほど静かで、エリックには自身の足音がやけに大きく聞こえた。
暫く歩くと霧が少し晴れて来た。霧が晴れるということは森の外に近づいているということ。
そう思ったエリックはリリスを抱きかかえ、霧の少ない方へ足を早める。そして、霧を抜け出した。
だが、そこでエリックを待っていたのは一匹のモンスターだった。
「……あ、ああ」
エリックの三倍はあろうかという黒い体躯に、深紅の眼。そして、頭からは鋭く先端が尖った角が二本生えていた。
その特徴は悪魔が持つ特徴と同じだ。
だが、このモンスターの背中からは、まるで翼の様に触手が十本生えていた。
そして、この世界では触手を有するモンスターとは特別な位置づけがされている。
邪王の子孫。テンタクルモンスター。
このモンスターもその内の一体。名前は、
「GAAAAA!!」
「うわああああ!!」
エリック目掛けて咆哮と同時に触手を放つデーモン・テンタクル。腰をぬかして動けないエリックに、その触手を防ぐ手段などない。
(ああ……さようなら、お母さん、お父さん……マリア)
エリックの脳内を走馬灯が駆け巡る。そして、エリックが己の死を悟った時、閃光がエリックとデーモン・テンタクルを間を走る。
それと共に、触手の先が全て斬り落とされた。
「邪悪な気配がしたから急いで来たけど、間にあって良かった。もう大丈夫」
その声はエリックの耳によく響いた。
少年の様にも、少女の様にも聞こえる穏やかながら、力強い声。
風に靡く白いマントと薄暗い森の中にも関わらず輝く金色の剣。肩までは届かない程度の短めの金髪。
男にしてはやや細く見えるその背中が、エリックにはこの上なく頼もしく見えた。
「後はボクに任せて」
その者の名はアリエス。百年の封印から解き放たれる邪王を倒すべく立ち上がった今代の勇者である。
「GUU……」
アリエスの姿を前にして、デーモン・テンタクルは僅かに後ずさる。
自身の先祖、悪魔にとっても触手にとっても宿敵と言える存在である勇者と、その証の輝く金色の剣――聖剣を忌々しく睨みつける。
遺伝子レベルで刻まれた憎しみがデーモン・テンタクルの胸中にふつふつと沸き上がった。
「GAAAAA!!」
咆哮を上げると同時に十の触手が一斉にアリエスを襲う。
アリエスは深呼吸を一つしてから、跳んだ。
宙を舞い、襲い掛かる触手を軽やかな動きで躱し、斬り落としていく。
「き、綺麗……」
命を賭けたやり取りを目の当たりにしているにも関わらず、気付けばエリックはアリエスの舞に魅了されていた。
先ほどのまでの恐怖は既にない。まるで物語に出てくる英雄の戦いを見ているかのような興奮がエリックの胸の中を支配していた。
「これで終わりだよ!」
アリエスの持つ聖剣が一際大きな輝きを放つと共にアリエスの身体がデーモン・テンタクル目掛けて跳んだ。
デーモン・テンタクルは咄嗟に全ての触手を防御にまわす。しかし、アリエスの聖剣はその防御をいともたやすく突破した。
「ホーリー・フラッシュ!!」
「GYAAAAA!!!」
閃光がデーモン・テンタクルの身体を貫く。
そして、アリエスが地面に着地した直後にデーモン・テンタクルはゆっくりと地に伏した。
「す、凄い……」
木々の隙間から太陽光が差し込む。
その光を一身に浴びて、聖剣を鞘に納めるアリエスの姿にエリックの胸が熱くなる。
(僕も、いつかこんな人になりたい)
戦闘を終えたアリエスはエリックの下に歩いてくる。
「あ、あの助けてくれてありがとうございま――いたっ」
突然アリエスにデコピンされ、額を抑えるエリック。勇者の力は想像以上に強く、エリックの目には少しだけ涙が浮かんでいた。
「こら。こんなところに一人で入るなんて危ないじゃないか。ボクが間に合ったから良かったけど、あと少しで君はあいつに殺されていたかもしれないんだよ」
アリエスは眉間にしわを寄せ、エリックを咎める。
幼いころから勇者として育てられたアリエスは、その身体を狙われることもあれば、数多くのモンスターたちと戦うこともあった。
その果てに救えた命もあれば、救えなかった命もある。幼いアリエスを庇って死んでいった人もいる。だからこそ、アリエスは命を大事にしない人が嫌いだった。
「ご、ごめんなさい……」
アリエスの言葉にさっきまで浮かれていたエリックはシュンとして、自らの安直な行為を反省した。
リリスを取りに行くにしても、冒険者に依頼するなど手段を考えるべきだった、と。
反省するエリックの様子を見て、アリエスはしゃがみこんで、エリックと視線を合わせる。
そして、エリックの頭を優しく撫でた。
「でも、無事でよかった。さあ、帰ろうか」
「う、うん! あ、そうだ花……」
アリエスについて森の出口へ向かおうとしたエリックが足を止める。エリックが尻もちをついた時に花を落としていたらしく、花は動かなくなったデーモン・テンタクルの身体の傍に落ちていた。
急いで、花を拾いにデーモン・テンタクルに近寄るエリック。
「良かった。折れてないみたい」
花が折れていないことに安堵のため息をつくエリックは花を拾うべくしゃがむ。
その時、花の隣に地面を這いずる黒く小さな物体がエリックの目に入る。
「なんだろう? これ……」
花の蜜に蝶が誘われるかのように、エリックはその物体から目が離せなかった。そして、そのまま彼はその物体に手を伸ばす。
「なっ! そいつに触れちゃダメだよ!!」
「え?」
アリエスが叫んだ時には、既にエリックはその物体に触れていた。
瞬間、その物体はエリックの指先から身体の中に入り込んできた。
「ぎゃあああああ!!」
「くっ! まだ触手が生き残ってたなんて……!」
叫び声を上げるエリック。彼の体内を黒い物体――触手が支配していく。
それと共に、エリックの身体が変わっていく。
頭から角が生え、肌の色は黒く、目の色は血の様に赤い。その姿は、まるで先ほどアリエスが倒したデーモン・テンタクルのようだった。
「タス……ケ……テ……」
アリエスの方に手を伸ばし、その目から涙をこぼすエリック、否、デーモン・テンタクル。
その姿を見たアリエスは直ぐに聖剣を抜き、走り出す。
(デーモン・テンタクルの本体は恐らくあの触手。なら、あの子の背中から伸びる触手を斬り落とせば、あの子を傷つけずに助けられるはず……!)
「はああああ!!」
まだ完全に触手に支配されていないのだろう。デーモン・テンタクルは頭を抱えて泣き叫ぶばかりで、アリエスを攻撃する気配はない。
その隙をつき、アリエスは聖剣でデーモン・テンタクルの背中に生えている触手を斬り落とそうとする。
だが、そんなアリエスの動きを読んでいたのか、デーモン・テンタクルはその聖剣を触手ではなく、本体の腕で止めようとした。
「っ!!」
エリックの腕に聖剣の刃が当たりそうになったところでアリエスは無理矢理聖剣を止める。
そして、それは致命的な隙になる。
「きゃあああ!!」
触手がアリエスの身体を縛り上げ、宙に持ちあげる。
「く、苦しい……」
「ひゃは……ひゃはははは!!」
苦悶の表情を浮かべるアリエス。
憎き勇者の無様な姿を見てデーモン・テンタクルは高笑いする。その笑いが静かな森の中に響き渡る。
「ああっ!」
(ま、まずい……意識が、どんどん遠く……)
デーモン・テンタクルは勇者の首と全身を縛る触手の力をより一層強める。
勇者も必死に抵抗するが、デーモン・テンタクルの力は凄まじく、勇者の意識は朦朧とし、目も虚ろなものへと変わっていく。
(だ、だめ……勇者がこんなところで負けるわけには……)
助けを求めるようにアリエスは手を宙に伸ばす。
されど、悪魔の森の奥地へ足を踏み入れるものなど滅多にいない。勇者アリエスの旅はこのまま終わるかに思われた。
「ギャアアアア!!」
突如、燃えるような赤い触手がデーモン・テンタクルの触手を引きちぎった。それと同時にアリエスの身体が宙に投げ出される。
そして、木の影から一人の男が現れ、アリエスの身体を優しく抱き留めた。
「待たせたな」
「き、君は……?」
おぼろげな意識の中、アリエスは問いかける。そんなアリエスに、男は優しく微笑みかけた。
「俺はオクト。お前のヒーローになる男だ」
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