プライド

oxygendes

第1話 群れ《プライド》


 群れプライド


 いらっしゃいませ。何を差し上げましょうか? かしこまりました。


 どうぞ、ウオッカマティーニでございます。シェイカーできりりと冷やさせていただきました。

 お客様はラスヴェガスは初めてございますか? やはりこれからカジノへお出かけに……、どうか、幸運の女神がお客様へ微笑まれるように。


 はい、カジノへ向かわれる前にここに立ち寄られ、カクテルを所望されるお客様は大勢いらっしゃいます。勝負の前のゲン担ぎでございましょうか。凄腕の潜入工作員にして一流のカードプレイヤーであるあの方と同じカクテルを飲んで、その強運にあやかろうと言うのですね。

 25セント硬貨クォーター一枚を持ってやって来た流れ者が一晩でそれを百万ドルに変えたというのは、ラスヴェガスで昔から語られている伝説でございます。今もそうした大当たりは起こっているようですね。さすがに全ての方に、とはまいりませんけど。

 かく言う私も大当たりを求めてラスヴェガスにやって来た一人でした。いろいろございまして今はこの店でバーテンを務めさせていただいております。


 お客様のお得意はダイスでございますか、それとも……。ブラックジャックでございますか、それはお目が高い。多くのマシンやゲームがある中で、ハウスとプレイヤーの勝ち目がほぼ同等、状況によってはプレイヤーの方が有利になるのはブラックジャックだけです。お客様もラスヴェガスへ来られる前にいわゆる必勝法、最適戦術をマスターして来られたのでは……。おお、それは素晴らしい。


 ですが、実際のところ、ラスヴェガスにおいでになる方の多くが同じ必勝法を習得しておられるのです。カジノを打ち負かし、大金をお持ち帰りになるおつもりでね。

 それでもカジノが破産することは無く、ネオンは煌々と輝き続けております。勝利には、ほかにも何かが必要なのかもしれませんですね。


 お代わりですか、かしこまりました。


 最適戦術は確率論によるものです。手持ちのカードごとにステイ(そのまま勝負)とヒット(カードをもう一枚引く)のどちらが勝つ確率が高いかを明確にしたもの。あくまで確率ですので裏目が出ることもございます。それは仕方のないことです。


 はい、どうぞ。こちらはレモンピールで香り付けいたしました。


 後ろの棚のメガネでございますか? あれは私にとって記念の品でございます。ここに勤める発端になりましたものですので、飾らせていただいております。ええ、フレームの右上に付いているのは本物のダイヤモンドです。0.5カラットありますが、薄い色を帯びていますのでそれほど高価なものではございません。どうぞご覧ください。

 ええ、度は入っておりません。いわゆる伊達メガネです。このデザインはビジネスシーンには似合いません。お金持ちの方が遊びの場でかけるものですね。


 よろしければ、そのメガネに関わる話をお話しさせていただきましょう。

 話は先ほどの必勝法に戻ります。最適戦術は自分の二枚のカードとディーラーのオープンカードの数字ごとに、最も勝率の高い選択を表にしたものです。そのまま勝負するスタンド、さらにカードを引くヒット、掛け金を倍にしてカードを一枚引くダブルダウン、二枚のカードを分けて二つの賭けにするスプリットのどれがいいか。これに従ってプレイすればハウスとプレイヤーの有利不利はほぼなくなります。

 さらにカードカウンティングを使うことで、プレイヤーはハウスよりも有利になるのです。カジノでは四組から六組のカードをよくシャッフルしたうえでカードシューに入れて、一枚ずつ取り出して使用します。出てきたカードをカウントしていけば残っているカードの構成が分かります。プレイヤーが勝ちやすい構成になった時に大きな金額を賭けて勝負に出るのです。


 多くのプレイヤーがカードカウンティングでカジノから大金を巻き上げました。カジノは当然、対策を取ります。カジノでのカードカウンティングを禁止し、発見された場合は勝ち金を没収するとしたのです。機械や道具を使ったカードカウンティングは駆逐されました。そして、カードカウンティングの使い手たちは、自らの頭脳のみを使ったカウンティングに移行したのです。

 道具も何もない場合、カウンティングを証明するのは困難です。そこでカジノはカウンティングの使い手たちを排除する方法を取りました。賭け方や勝ち方でカウンティングと判断したお客を出入り禁止にしたのです。これは有効でした。頭脳のみでカウンティングできる人間は数が限られていたからです。使い手側は、変装をしたり、外国のカジノに行ったりして対抗しましたが、電子機器を使った顔認識システムや世界的なカジノ情報ネットワークにより、カジノ側は使い手のシャットアウトに成功しました。


 さて、使い手たちはどうしたとお考えですか?

 彼らは顔の知られていない新たな打ち手の育成を始めたのです。素質のある人間を見つけ、カウンティング技術を仕込んで、カジノに送り込む。これまで稼いだ金を賭けの元手として持たせてね。そしてその儲けの三分の二を自らの取り分としたのです。


 はい、私は新たな打ち手としてスカウトされたのです。どこでどうスカウトされたかは申し上げられませんけれど。


 使い手たちのグループは自らを群れプライドと呼んでいました。prideプライドには誇りの他にライオンなど動物の群れと言う意味があります。自らを集団で狩りをする動物に例えたのですね。集団で強者をも倒すと言う意味ではライオンというよりハイエナの群れかもしれません。カジノの経営者たちにとっては存続を脅かす毒蛇のような存在です。


 私をスカウトし、指導したのはスラッグと名乗る男でした。もちろん偽名でしょう。slugスラッグとはナメクジのことです。SFに出てくる、背中に取り付いて人間を操るナメクジ型宇宙人から取った名前かもしれません。彼は四十歳ぐらい、言葉の端々に教養と思慮深さを感じさせました。見た目なら大学教授と言っても通ったでしょう。


 私は集中的なトレーニングを受けました。まず、彼らの創った最適戦術表の暗記、残っているカードの状況によって何段階かに別れた、より複雑なものです。


 彼らはカードを数字によっていくつかのグループに分け、点数化してカウントする方法を使っていました。カードテーブルにさらされたカードの数字を素早く読み取り、計算してカウントしていきます。状況はカウントした数値によって、レベルでマイナス5からプラス5まで十一段階に分類されます。全てのカードがカードシューにある時がレベル0、場に出たカードによってプラスあるいはマイナスに変わります。レベルごとにカードの数字に応じて取る戦術が変わってきます。

 また、レベルによってプレイヤーの勝率も変わります。プラス5なら、プレイヤーの勝率は九割以上、持ち金全てを賭けにつぎ込むべきところです。


 最適戦術表とカウンティングルールを覚えた後、実戦に移りました。スラッグがディーラーとなり、何時間もぶっ通しにブラックジャックを行います。プレイしながらスラッグはひっきりなしに私に話しかけました。酒の好みやひいきのスポーツチームなど、まあ世間話です。話題に的確に応じながら、頭の片隅で最適戦術表を適用して正確なプレイを行わなければなりません。選択を間違えるとスラッグがテーブルを叩いてダメ出しをします。

 打ち手には、お気楽にプレイしているように見せながら、カウンティングと最善の選択を続けることが求められました。


 トレーニングはカジノで使われているゲームチップで行われました。百ドルのブラックチップと一万ドルのプレート状のチップです。これは高額のチップに慣れ、執着や逡巡なしにプレイできるようにするためでした。


 あわせてカジノでの行動について指示を受けました。カジノからコンプ、上客向けの宿泊や航空券を提供されても使わないこと。カジノの支配下の場所に身を置くことは危険につながるのです。また、できるだけ他のお客の人目のある範囲内で行動するよう言われました。


 スラッグによると、カジノがつぶそうとしているのは、打ち手よりもその背後の群れプライドだそうです。一回限りの打ち手であれば、疑われてもカウンティングを否定すれば手出しはされないとのことでした。

 群れのメンバーについてはその限りではありません。彼らの活動をやめさせるため、カジノ側はあらゆる手段を辞さない。『蛇を殺すにはその頭をつぶせ』だそうです。


 私はトレーニングを順調にこなし、採用テストを受けることになりました。テストはこれまでと同じカードテーブルで行われました。違ったのは賭け手が十人ほど参加したことでした。彼らが群れのメンバーだったのか、雇われただけだったのかはわかりません。ただ彼らはブラックジャックを心から楽しんでいるように見えました。


 私は愛想よく振舞いながら、冷静にゲームを進めて行きました。少額の賭けを続けながら、カウンティングしカードの状況を把握します。何度かカード交換が行われ、三時間が過ぎた頃、

カードの偏りが発生し、残ったカードはレベルがプラス5になりました。攻めるべき局面です。

 私は手持ちのチップ全て、十万ドルを賭けました。私のカードは3と9、ディーラーのオープンカードは7です。スタンドで勝負しました。ディーラーの伏せカードは7、もう一枚引いたカードはJでパンクして私の勝ちです。

 次のゲームは勝ち分を含め二十万ドルを賭け、AとQのブラックジャックで勝ちました。三十万ドルの儲けです。

 その次のゲームでは五十万ドルを賭けました。私のカードは6と9、ディーラーのオープンカードは8です。ヒットして5が来たのでそこで勝負です。ディーラーの伏せカードは8、もう一枚引いたカードは5でした。合計21なので私の負けです。


 その後、ゲームを続けましたが、カードの偏りは巡って来ませんでした。トータルでは約二十万ドルのマイナスです。落ち込んでいた私にスラッグが告げた結果は、『合格』でした。


 群れが求めていたのは、状況に応じて的確にゲームできる打ち手でした。勝率の高いプラス5なら躊躇なく賭け金をつぎ込む。確率なので負けることもありますが、資金をもとに回数をこなせばトータルとしては勝ちになるのです。


 採用された私に、スラッグがお祝いにくれたのがそのダイヤモンド付きのメガネです。

「最新の顔認識システムに対してはメガネで変装なんて無意味だ。それでも印象はずいぶん変わる。カジノの連中と別の場所でばったり出くわすなんてこともあるから、できることはやっておいた方がいい。メガネには目の動きを見えにくくする効果もある。目の動きで考えが読まれてしまうからな。透明なレンズでもうまく使えば照明の反射で相手から見えにくくなる。それにこのダイヤモンドだ。いかにも金持ちであることを見せびらかすようなデザインだからな」

と、言われました。


 そして、カジノに乗り込む日が来ました。スラッグから渡されたのは、利用限度額無制限のクレジットカードでした。


「このカードで十一万ドルまで支払える。一万ドルは大当たりを掴むまでの間、テーブルに張り付いて、こつこつとゲームを続けていくための分だ。ここで負けた分はお前持ちになる。そして、残りカードのレベルがプラス5になったら、十万ドルをつぎ込んで勝負しろ。それで勝てば三分の一がお前の取り分だ。負けた場合は負け分は群れが負担する」


 スラッグの説明は、明瞭で断定的なものでした。


「もしカードがレベルプラス5まで達しなかったら、勝負はせずに帰って来い。不利な条件で無理することはない。次の機会がある」


 改めて私はこれがビジネスであることを実感しました。カジノに乗り込みきっちりとプレイをして、大金を持って帰って来るのです。正しく行動し、いくらかの幸運に恵まれれば、十分実現が可能と思われました。


 私の服装はオーダーメイドのスーツとシャツ、ブランド物の靴、そしてスラッグに貰ったメガネというものでした。商談の途中でラスヴェガスに立ち寄った大金持ちに見えないこともない格好です。

 選んだのは、ラスヴェガスでも五本の指に入るカジノです。ブラックジャックのカードテーブルの数は五十を超えていました。


 私はミニマムの賭け金が百ドルのテーブルに着きました。賭け金の上限額は十万ドル、ただし勝ち続けている間は、勝った金額をそのまま賭け続けられるルールです。

 一万ドルを一枚百ドルのブラックチップに換えてゲームを始めました。一回に三枚から五枚の範囲で枚数を変えて賭け続けます。


 ディーラーはエミーと言うブロンドの女性でした。テーブルの周りの客たちに笑顔を振りまきながら、てきぱきとゲームを進めていきます。カードを配りながら、テーブルのあちこちにすっと動く彼女の視線を眺めていて、彼女も私と同じように複数のことを同時に行う訓練を積んできたのだと感じました。テーブルで不自然な動きがあれば、彼女がそれを見逃すことは無さそうでした。


 私はゲームを続けました。数回負けが続くこともありましたが、熱くなって金額を増やすなんてしません。逆に勝ち続けた場合は少しだけ金額を増やしますが、すぐに元に戻します。トータルでは五十パーセント近い勝率で、手持ちのチップの量はあまり変わりませんでした。


 続けていくうちに、カードシューのカードがなくなり、シャッフルして再セットすることが何回か行われました。ディーラーも一時間ほどで交代します。


 そうしたゲームの合い間に、フロアを管理するピットボスが私のところへやって来ました。にこやかな表情で歓迎の言葉を述べます。

「ようこそいらっしゃいました。当カジノをお選びいただきありがとうございます」

 そして、誘いの言葉を続けます。

「お客様のような優雅なプレイをされる方には最大限の歓待をさせていただきます。お食事、お飲み物、またそのほかのお楽しみでも、ご要望がありましたら何でもお声をおかけください」

 長時間、高額の賭けを続ける客は、彼らの目には金の卵を産むガチョウに見えるのでしょう。

 私は、

「そいつはうれしいな。じゃあ、何かあったらよろしく」

と受け流しました。


 ゲームを始めて五時間ほど過ぎた頃、待ち望んでいたカードの偏りが現れました。カウンティングしていた数値がレベルプラス5になったのです。


 ディーラーはエミーに戻っていました。私はスラッグから渡されたクレジットカードを取り出し、エミーに語りかけます。

「そろそろ切り上げ時かな。最後に一勝負行こう、十万ドルを一万ドルチップで頼む」

 エミーが口元の笑みを残したまま、目をすっと細めました。

「かしこまりました」

 金色の一万ドルチップのプレートを十枚重ね、私の手元に差し出します。

「どうぞ」

 私は受け取ったチップをそのまま自分のベッティングスポットに置きました。十万ドルの賭けです。突然の大勝負にテーブルの他の客は目を剝いてこちらを見つめます。背後で見物していた客たちがざわめきはじめました。

「他にいらっしゃいませんか……。では、ベットを締め切ります」

 ベットとしたのは私だけでした。大勝負に気圧されたのでしょう。


 エミーがカードを配ります

「ディーラーのオープンカードは8、プレイヤーは6とJです」

 私はメガネに指をかけ、考えるふりをしました。本当は答えは一瞬で出ています。 

「スタンド」

 2枚のカードで勝負です。

「ディーラーのもう一枚は7、合計15なのでもう一枚引きます……。Kでしたのでバースト、プレイヤーの勝ちです」

 背後でどよめきが起こりました。エミーが一万ドルチップを十枚、チップトレイから取り出して私の前に置きます。


「全額をベット」

 私の声に、エミーは唇を一文字に引き結びました。私が普通の客ではないと確信したのでしょう。

「他には……。では、締め切ります」

 しゃべりながら、エミーは自分の右のピアスに触れました。天井に仕込まれた監視カメラで見ているスタッフに異常事態を伝える合図なのでしょう。


 カードが配られます。

「ディーラーのオープンカードは7、プレイヤーは5と6です」

「ダブルダウン(倍賭け)」

 私は即座に答えました。戦術どおりのプレイです。

「追加の賭け金はこれで。ルール上OKだよね」

 クレジットカードをベッティングスポットに置きます。エミーはカードシューから一枚取り、私の前にすべらせます。

「追加カードはJ、合計21です。ディーラーのもう一枚はQ、合計17で確定、プレイヤーの勝ちです」

 どよめきの中、エミーは四十枚の一万ドルチップを私の前に置きました。


 私を見据えるエミーは、ゆっくりと笑みを作りました。私が排除すべき敵であると認識したのです。

「カードが少なくなりました。次のゲームの後でシャッフルいたします。では、ベットをお願いします」

 カウンティングされたカードを入れ替えするのです。次のゲームが最後の勝負になりました。


 私は、六十枚の一万ドルチップ全てをベットします。ピットボスがやって来て、エミーの後ろに立ちました。先ほどとはうってかわって、不機嫌そうな表情です。


 エミーがカードを配ります

「ディーラーのオープンカードは8、プレイヤーは5と10です」 

「ヒット」

 私は追加のカードを要求しました。

 次に配られたカードは5で合計は20になりました。奇しくも採用テストの最終ゲームと同じ数です。あの時はディーラーが21を出して負けました。

 今度こそ……、などとは考えません。20で勝負です。

「ステイ」

「プレイヤーは20です。ディーラーの伏せカードは8、もう一枚引きます」

 エミーはカードシューから一枚取りました。ゆっくりとひっくり返します。そのカードはハートの9、テーブルを取り囲む見物人にどよめきが広がりました。

「9でしたのでバースト、プレイヤーの勝ちです」

 エミーはチップトレイから六十枚の一万ドルチップを取り出し、きれいに揃えてから私の前に差し出しました。


「今日はここまでにしとくよ」

 私は百ドルチップ一枚だけを手の中に握り、残りのチップをエミーに向けて押し出しました。「換金を頼む」

 そして、手に持った百ドルチップをエミーに手渡します。

「今日は楽しかったよ、ありがとう」

 彼女へのチップです。


 エミーは受け取ったチップに目を落とし、唇を噛みしめました。そしてすっと顔をあげ、チップをコンコンとトレイに打ち付けた後、それを自分の胸ポケットではなく、私の胸ポケットに差し入れます。

「お客様、これはどうぞお持ちください。何しろ……」

 その笑顔は凄みを感じさせるものでした。

「あなたは今後全てのカジノに出入り禁止になるのですから。アメリカだけではなくすべての国のカジノにおいて。一生涯と思っていただいて結構です。ですから、カジノの記念としてお持ちください」

 低い声でささやいた言葉は、他のお客の耳には届いていないようでした。彼女の横ではピットボスが、毒蛇を見るような顔で私を睨んでいました。


 私は受け取った札束をバッグに押し込み、足早にカジノを離れました。たくさんの観光客がたむろしている場所を選びながら数百メートル歩き、並んでいたタクシーから一台を選んで乗り込みました。そのタクシーで空港へ行き、一番早く飛び立つ便でラスヴェガスから脱出したのです。


 そして、私にはもう一つ仕事が残っていました。群れプライドへの取り分の引き渡しです。百二十万ドルの三分の二ですから、八十万ドルになります。

 え……? 持ち逃げなんて考えませんでした。彼らは私の身元を知っていました。いつ来るかもしれない襲撃を恐れ、毎晩不安な夜を過ごすなんてごめんですから。


 スラッグとの約束は、カジノで勝った十日後に待ち合わせの場所に金を持って行くというものでした。場所は近くの町から二十マイルほど離れた小さな丘、そばをハイウェイが走るだけの人気が無い場所です。


 私は約束の時間の三十分前に丘の上の展望台に到着していました。不測の事態が起こっても対応できるようにです。

 そして三十分が経ち、一時間が過ぎても、スラッグは現れませんでした。時間に正確な彼にはありそうもないことです。


 不安を感じた私は、展望台から周囲を見渡しました。そして不審なものを発見します。ハイウェイからこの丘に通じる道の途中に一台の白い車が止まっていました。そのそばに二台の警察車両も止まっています。警察車両から降りたらしい数名の警官が白い車の周りを取り囲んでいます。警官たちは白い車のドアを開け、中をのぞき込んだりしていましたが、白い車には人の動きがありませんでした。

 私は戦慄とともに、スラッグの言葉を思い出しました。蛇を殺すにはその頭をつぶせ、カジノ側が本当に狙っているのは黒幕である群れプライドだと。あの車はスラッグの車で、ここに来る途中で何者かに襲われたのでないか……。

 でも、どうしてこの場所が? ラスヴェガスを出た後は、何回も居場所を変え、尾行されてないことを念入りに確認しました。受け取った札束も一枚一枚チェックして変なものが仕掛けられてないか調べました。他には……、


 その時、あるものに思いが及び背筋が凍りつきました。ゆっくりとポケットに手を入れ、それを取り出します。そう、記念にと言われて持って帰った百ドルチップです。


 改めてチップを眺めてみます。表裏をひっくり返していて、外側の縁に細い線が入っているのに気付きました。厚みの真ん中あたり、円周上にずっと線が入っています。もしかしたら……、

 私は表と裏の刻み目に爪をかけ、回すように力を入れました。手ごたえとともに表面が回転し、チップは表と裏の二枚に別れました。そしてその内側には小さな電子素子と迷路のように折り曲がった金属線が……、発信器です。彼らはこれでこの場所を知り、スラッグを、そして……、


 私は恐怖を抑え、ゆっくりと背後を見回しました。丘の上には、私以外には一台の車も一人の人も見当たりませんでした。少なくともその瞬間は……。

 私は生唾を飲み込み、チップを展望台の柵の下にゆっくりと置きました。そして、車に飛び乗り、来た時とは別の道をたどって丘を下り、ハイウェイを飛ばしました。州境を越えるまで一度も止まりませんでした。


 家に逃げ戻った後、私は群れプライドからの連絡を待ちました。しかし、ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎても何の連絡もありませんでした。カジノの手先によって壊滅させられたのか、そのとも他に理由があるのか、いずれにしても、百二十万ドル全てが私のものになったのです。


 百二十万ドルをどうしたかですか? そこが考えどころです。使ってしまえばそれで終わりですが、これを何倍にも増やす方法があるじゃないですか。

 そう、今度は私が群れに成り代わって打ち手を育て、カジノに送り込んでこの金を元に大金を稼ぐのです。

 私はまずスカウトのチームを作りました。彼らは候補を探します。これまでカジノに来たことが無く、数学的素質があり、冷静沈着な判断と行動ができる人材。そうした候補が見つかったら、さりげなく近づいて友人になり、ラスヴェガスのカジノに行ってみたらと焚きつけます。そして、うまいカクテルを飲ませる店があるから寄って行けと。


 どうしました、急にそんな顔をされて。そう、お気づきのとおり、この話はどなたにでもお話しするものではありません。私たちが、適格者として選び、ラスヴェガスにおいでになられた方だけにお話しするものです。あなたのようにね。


 おや、お飲みにならないからグラスがじっとりと汗をかいていますよ。お取替えしましょう……。はい、どうぞ。 


 そんなにきょろきょろされなくても大丈夫です。今、この店の中にいるのは、お客役も含めて全て私の仕込んだサクラですから。扉の外には貸し切りとの札がかけてありますので、部外者が入ってくることはありません。


 どうぞじっくりお考え下さい。打ち手となり、大金を稼ぐチャンスに挑むか、それとも……。

全てはあなた次第です。



 さあ……、どうなされますか? 


          終わり




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