吾輩は緑のたぬきである。

すずみ あきら

吾輩は緑のたぬきである。

 吾輩は緑のたぬきである。

 スーパーマーケットのカップ麺コーナーに陳列されている中の一つだ。

 品出しされてから数時間。二十台後半ほどの男性が、吾輩に手を伸ばしてきた。

「赤いの。先にいかせてもらうぞ」

 赤いきつねに別れを告げ、吾輩はカートに乗せられた買い物カゴの中へと移される。丁寧な扱いだった。生鮮食品や菓子と違って、プラスチックの器で守られている吾輩たちは少々乱暴に扱っても平気だと思われているらしく、カゴに放り込むような輩も少なくない。

 どうやら主となるこの人物はできた人間のようだ。

 カゴの中には先客がいた。同胞が六つ。

「短い付き合いになるか、長い付き合いになるかわからぬが、よろしく頼む」

 挨拶をすると、それぞれに返事が返ってきた。

 カゴの下のほうには冷凍食品――ピザやチャーハン、スパゲッティたちの姿もあった。生鮮食品たちの姿は見えない。

 どうやら主となる人物は自炊をしないらしい。

 一人暮らしなのだろうか?

 吾輩がいうのもなんだが、カップ麺や冷凍食品だけでは人様に必要な栄養は十分に摂取できない。健康状態を心配せずにはいられなかった。


 購入された吾輩たちはビニール袋に詰められ、主の車の助手席に置かれ、移動を開始した。十分ほどで到着したのは、こぢんまりとした一軒家の駐車場であった。

「ただいまー」

「パパおかえりー」

 小学三年生くらいの女の子が主を出迎えたのを見て、主は一人暮らしではなかったと悟る。そして、できた人間であるという主の評価が一瞬にして地に落ちた。

「子供の食事をカップ麺と冷凍食品で済ませるなど言語道断である!」

 憤る吾輩の横で、同胞の麺づくり鶏ガラ醤油殿が言った。

「おいおい緑のたぬきちゃんよー、ちと考え古いんじゃね? 昼飯カップ麺とか、いまどき一分で食べられるカップ麺くらいフツーじゃん」

「何かしらの事情があるのかもしれませんよ。母親が見当たりませんから」

 ごつ盛りコーン味噌ラーメン殿がフォローに回る。

 ぐぬぬっ、たしかに父と娘しかおらぬが……。

「緑のの言うことも一理あるだろうよ。父子家庭だから食を疎かにしていいって理由にはならねーよな」

「ごつ盛りソース焼きそば殿は分かってられる!」

「とはいえ、家庭の事情ってのがあらぁな。うちらが口を挟めることでもなかろうよ」

 ごつ盛りソース焼きそば殿の言葉は、まさに正論。

 使命を全うすれば消えてなくなる定めの吾輩たちが、人様の家庭の事情にとやかく言う筋合いはない。


 名誉ある昼食の座を射止めたのは、ごつ盛りコク豚骨ラーメン殿とQTTAコクしょうゆ殿であった。

 選ばれなかった吾輩たちはキッチンの棚へと移される。

 そこで新たな出会いがあった。

 混合削りぶしお徳用殿だ。

「歓迎するぞ新入り。主君に選ばれる名誉にはあずかれなかったみたいだな。まあそういう拙者もしばらく出番はなさそうなのだが」

「……であるか」

 購入した食品たちを考えるに主は料理をしないようである。であるならば、なぜ棚になぜ混合削りぶし殿がいるのか。

「不思議な顔をするな新入り。主君の奥方は管理栄養士の資格をお持ちなのだ」

「そうであったか。して、奥方はどこにいるのだ?」

「入院しておられる。ゆえに主君と姫君は毎日カップ麺と冷凍食品、それとファーストフードの食生活よ。もっとも、お二人はそれでご満悦されておられるがな」

 吾輩には混合削りぶし殿の言葉が理解できなかった。

 顆粒だしではなく、削りぶしを使うほど拘りをもった奥方の料理ならば、さぞ美味であろう。自らを卑下するわけではないが、手料理に勝る食事はないと思うのだ。

「ふむ。緑のたぬき殿は人様の治世に詳しくないと見える。人様は不思議でな。手料理ばかりでは飽きるのだ。たまに食べるジャンクフードのほうが――」

 吾輩の表情に気づいたようで、混合削りぶし殿は言葉を止めてしばし黙考した。分かりやすい例えを考えているのであろう。

「……そうだな。緑のたぬき殿ばかり食べていると、たまには赤いきつねを食べたくなる……ようなものといえば理解できるか?」

「なるほど。よく分かったのである。ところで奥方がご入院されていると。大丈夫なのであるか?」

「問題なかろう。新たなお子が生まれるそうだ。あと五日もすれば戻ってこられるであろうよ」


「むむむむ……」

 奥方が戻ってこられてから、主の食生活が一変した――というよりは、元に戻ったというべきなのだろう。

 手料理が復活である。

 それすなわちカップ麺や冷凍食品は天命を全うする機会を永久に失ったに等しい。

「達者でな!」

 混合削りぶし殿は、嬉しそうに言ってキッチンへと旅立っていった。

「あかん、これはあかんで!」

 それを見て棚の奥に追いやられた、ふっくら一膳ご飯殿が悲鳴を上げた。

 その横でワンタンしょうゆ味殿が異論を唱える。

「いや待てよく考えるんだ! 王子殿下はまだ新生児! つまり王妃殿下は王子殿下を残して外出はなされない。つまり食料品の補充は不可能! 陛下は平日お忙しくていらっしゃるゆえ買出しに赴かれることはないはずだ! つまり、週末には生鮮食品が枯渇する」

「甘いで! ワイフはすでにネットで食料品を注文済みや!」

「クソッ、孔明の罠か!?」

 二人の阿呆なやり取りを聞きながら、しばらくはこのままでも良いかもしれない、と吾輩は考えていた。

 食品は人様に食されるのが使命。その上で人様が喜びを感じてくれたならば、これほど幸せなことはない。

 しかし、吾輩は主たちの生活を眺めている日々も悪くないと思っていた。

 主たちが、カップラーメンである吾輩の目から見ても幸せそうであるからであろう。

 お嬢様は、お坊様が泣いても嫌な顔一つせずにあやしているし、おむつ交換も率先しておこなっている。

 主も早く帰宅できたときは、進んでお坊様をお風呂に入れているし、夜のミルクも奥方と日替わりで担当していた。

 奥方は奥方で復職して在宅で仕事をしているようであった。

 棚にしまわれているため見ているわけではないが、声だけでも十分に家庭の様子が把握できた。

「ヤバいな。0歳にしてこのイケメンっぷり。間違いなく魔性の男になるぞ」

「……アホなの?」

「いやママそれ酷くない!?」

「大丈夫だよパパ! 悪い虫が付かないようにあたしが守るから!」

「頼もしいな!」

「任せた! てか、おまえも彼氏ができたらウチに連れて来いよ?」

「は? パパウザいんだけど」

「ぐふっ……」

 奥方もお嬢様も目は笑っている。本気で言っているわけではないのであろう。

 主もそれが分かっていて冗談を言っているのだ。

「よい家族であるな……」

 食料品にとって食されずに破棄されるのは最大の屈辱である。ゆえに迫りくる賞味期限は破滅の足音に他ならない。

 本来ならば食されずに過ごす一日一日は恐怖でしかないはずなのだが、吾輩は賞味期限が許されるギリギリまでともにいたいと思っていた。

 しかし、天命を全うする日がついに訪れたのだ。

 時刻は午後二十二時。深夜である。

 主と奥方の声がする。

 だが、お坊様の甲高い鳴き声に搔き消され、何を言っているか判然としなかった。

 それでも、どのような状況なのかはおおよそ見当がつく。

 夜泣き。

 主曰く、生後六ヵ月から一歳半くらいまでにみられる現象で、原因不明らしい。

 十日前から、その恐るべき現象がお坊様に発現したのだ。

 主と奥方は当然のように寝不足である。

 お嬢様は別室に避難されているのでかろうじて事なきを得ているが、二度ほど眠れない夜を過ごされていた。

「最初は俺が見るよ。三時間経ったら交替してもらっていいか?」

「いいの? 帰り遅かったじゃない?」

「まぁそこはお互い様だろ」

「……ん、ありがと」

 主は隈のある目を細めて奥方を気遣い、奥方は優しい声で返事をしていた。

 奥方が二階にある寝室に上がっていく足音がする。

 戸建てだからこその手段だろう。寝室から一番遠い一階のキッチンで主がお坊様をあやし続ける。十日間の経験から、それが無駄だと分かっていても主はやめようとしなかった。

「はぁ……、カッコつけてみたもののマジで眠いな」

 二時間ほどして遠くから鐘の音が聞こえてきた。

「今更だけど一年って早いな。年取ったからか? この分だとこいつが大きくなるのもあっという間だな。辛いことも嫌なことも楽しいことも嬉しいことも一緒に共有できるのは今のうちだけ……か」

「……なにポエムしてんの? 寝不足でおかしくなった?」

「ちょっ、おま、いつの間に!?」

 吾輩は気づいていたが、睡眠不足で注意散漫になっていた主は気づかなかったらしい。

「でもそーね。中学生にでもなったら親といるより友達と一緒にいるほうが多いんだろうし。鬱陶しがられずに愛情を注げる時間となったらもっと短いかもね」

「……いや、そっちこそ恥ずかしいこと言ってるわけだが、自覚ある?」

「だから、大事な時期を一緒に子育てしてくれてありがとうってこと」

「お、おぅ……」

「ちょっと早いけど変わる……って寝てるみたい。ちょっと布団に運んでみる?」

「だな。おろしたら起きるかもしれないけど」

 二人の足音が遠ざかっていく。

 しばらくしてもお坊様の鳴き声は聞こえてこない。どうやら無事に寝てくれたらしい。だというのに、キッチンに向かってくる足音が二つ。

「小腹が減ったって……この時間でなにか作りたくないんだけど?」

「カップ麺の買い置きがあるからそれを食べようかと」

「なるほどね。それなら私も付き合おうかな」

 キッチンの棚を開け、物色をはじめる。

 そして主は吾輩――ではなく、紺のきつねを手に取った。

 まさかの裏切りである。

「年越しといえば蕎麦だろ」

「やった。じゃあ私は緑のたぬきーっと」

 さすが奥方。分かっておられる。

 主は薬缶に水を入れている。

 奥方は紺のきつねの包装を破いていた。

 蓋を開けられた時点で吾輩の意識は消えてなくなるだろう。

 残されたわずかな時間で、吾輩は祈る。


 願わくは、主の一家にとって本年が幸多き年でありますように、と。。


 





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吾輩は緑のたぬきである。 すずみ あきら @suzumi_akira

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