おきつねさまとお目付け役

「いやぁああぁ────! おばあさま──!」


 拝殿で悲鳴をあげる御饌巫女へ返り血をひっかけ外へ出る。

 風成かざなしは今日も今日とて風ひとつ吹かず、穏やかだ。


 風成とは、古くは御都と呼ばれたお国の名だ。

 お稲荷様の誕生を機に、名ばかりとなった皇族たちは律令国家を築き上げ城壁のなか、毎日たぬきの皮算用に勤しんでいる。

 小御門家の当主は皇帝の侍従と、神殿の管理で目のまわる忙しさ。


「まあ、私がさせてるんやけどね」


 骨と皮になった手で、ちいさなお社の扉を開ける。

 追いかけてきた次代当主を鼻であしらい、扉を閉め切った。

 キツネ一匹でもせまいこのお社のなかは、いつしかコンと過ごした神山の邸とつながっている。

 真っ直ぐ水屋へ向かった私は軽く手をゆすいだ。人間を殺した匂いは染みついて消えないが、かまわない。嗅がれて困る人間は居ないのだから。


「……鹿の子さんを殺したんや、私の命もここまでかなぁ」


 上がり框で草履を揃え、ひとりごとをこぼす。

 鹿の子とは、朝に亡くなったばかりの当主、小御門月明の正室だ。正室でありながら御饌飴を作らせたら千年にひとりの逸材であり、お稲荷様の初恋相手でもある。婆さんになったとはいえ、一度は恋焦がれた女だ。息子は氏神の力をふるって、この邸を崩しに来るだろう。


「ただいま、コン」


 爛漫と咲く桜を見上げ、ほおずきのような皺くちゃな顔をゆるませた。

 もとは、ひとつふたつしか花の咲かない、ちいさな花冠だったのに。御太刀を支柱にして、玉藻姫の塑像と朱色キツネの骨を肥料に育てたら、立派な大樹へ成長した。塑像を肥料にしたのは致し方なく、監視のためだ。

 桜は決して忘れないし手放さないが、塑像はもっとも目に入れたくない。だから、土に埋めた。

 私は似合わぬ豪奢な衣裳をひろげ、根もとに腰を落とした。美しい桜へ手をのばす。


 ああ、なんと醜いことか。

 手だけでなく、からだじゅうが筋と皮。

 男と交わらずにいたら、十年でひとつ歳をとるようになった。キツネの姿にはもう、五百年戻っていない。今からでも性を満たすことで、玉藻姫のように若返るのだろうけれど。


 心とからだ、そのすべてが至宝の美しさであった彼の面影を忘れられるはずもなく。


 相対するように私は老い、醜く心を腐らせていった。

 御饌飴をねぶり続け、どうにか千年生きたがここまでだ。


「……やっと、終われる」


 その囁きは、キツネの耳をもつ息子に聞かれていた。


「こんの、クソババア……! これ以上好きにさせへんで!」


 拳を叩きつけられ、お社の扉が軋む。


「鹿の子は、鹿の子はまだ寿命が残ってた。それを、なんで……っ!」

「なんで?」


 本人が、そう望んだからだ。

 旦那様の居ないこの世で菓子をつくる意味はない。そう言うから、爪で首を刎ねてやった。

 先代も、先先代も。

 私はずっと、そうしてきた。


 罪のない人間を殺したのは、朱夏がはじめてだった。

 薄命であった弥勒の後を追おうとする朱夏を見ていられず、私から提案した。私なら、苦しまずに殺してあげられるからと。

 私の腕のなかで眠る朱夏は実に安らかで、しあわせそうだった。


 ああ、なんて羨ましい。

 私は心から朱夏を妬んだ。

 最愛のものと添い遂げることの、なんと尊いことか。

 私が決して手に入れられないもの。


 周りからは散々恨まれたが、それでいい。

 私は妖狐の伝説をつむぐ、九尾の狐なのだから。

 扉のむこうの息子へ、至極冷淡に言い放つ。


「齢十五のガキには、永遠わからんわ」


 お稲荷様は、心もからだも十五で成長をとめている。

 たぶん、私のせいだ。

 息子に理想を押しつけた。

 結果、父親コンとは似ても似つかないクソガキに育ってしまった。

 千年経った今もかわらず反抗期のお稲荷様は、お得意の足蹴りで扉に下駄を食いこませる、ことはなかった。


「……もう、いい。クソババアは、永遠そこに居ろ」

「なんや、壊されへんから封印でもするんか」

「そのとおりや」


 入り口のお社は何百回と壊されてきたが、コンの強い結界だけは千年誰にも破られていない。ならば封じてしまえばいいと、ようやく考えに至ったか。いや、次代当主の口添えだな。さすがは月明の子だ。

 お稲荷様は鼻をならして言った。


「やっと終われる? 民の寿命を削ってでも、クソババアを死なせはせんぞ。永遠を生きる苦しみを味わえ」

「呆れた。それでは風成の民が憐れやないか」


 私とコンの子どもなのに、このコはどうしてこうも頭足らずなのかしら。

 お稲荷様は、すっぱりと言い放った。私が黄泉神を見限ったときのように。


「う、うるさ────い! この、あほんだらぁ!」


 残念ながら、性根は私に似てしまったよう。

 お稲荷様の声が消え、代わりに次代当主の声で詩のような美しい呪が流れはじめた。怒りと悲しみを交えながらも、完璧な詠唱だ。


「いい子守唄だ。実に、おあつらえむきじゃないか」


 私は、大罪人だ。

 そう易々と死んで許される魂じゃない。

 喜んで受け入れようと、桜の木の太い根を枕に眠りこんだ。




 どのくらい眠っていただろうか。花冷えしたからだを縮め、目を開けると一年中明るいはずの邸のなかが暗転していた。

 

「まあいいけど。たしか、水屋に油くらいはあったはず……」


 夜目で皿と油を探しだすと、畳のいぐさを一本引き抜き、九本になった尻尾の火でつけた。いつしかマサルさんがくれた、浄火だ。私はつかわしめの彼らを忘れぬよう、尻尾が増えるたびに能力をもらい受けた。

 ネズミからは、縁探しの能力を。

 小亀からは、先読みの能力を。

 いまや天界でのんびり過ごす彼らに想いを馳せた。


「イタチは鬼やらいでよく会うけど。みんな、元気にしてるかなあ」


 誰も居ない囲炉裏を横切り桜の木のそばに戻ると、こわばった骨と筋をひろげ、コンにそうするように、幹を抱きしめた。


「これからは、ずっといっしょに居られる」

「嬉しいな。ほんとうに千年、忘れないでいてくれたんだね」


 シワで五重になった目をシパシパさせる。

 幻聴がはじまったか。それにしても鈴の音のような、幼い童の可愛いらしい声だった。自分がつけた灯りが邪魔をして、周りがよく見えない。消してしまおうと皿に手をかけると、


「会いたかったよ、ユキ」


 皮と骨の手に、ふっくらとした白い御手手がのった。その手そのままに、火灯し皿をもちあげる。ちいさな灯りのなかで、括り袴を身にまとった稚児が笑っていた。


 なんて美しいのだろう。

 まるで天子のようだ。コンの幼いころも、こんなに美しい顔をしていただろうか。千年より前の話しで、思い出せない。


 待って。

 この子、私のことをユキと呼んだ?

 いまや朱雀も玄武でさえも、その名を忘れてしまったのに。

 それにこの邸は強い結界が敷かれ、コンと私以外立ち入ることができない。お社の入り口が封じられた今、誰にも出入りは敵わないはずなのに──。


「コン……、なの?」


 稚児は珠玉の輝きを放ちながらこくり、うなずいた。


「クラマったら、あろうことか母親を封印するんだもの。このままじゃ、私の願いはいつまで経っても叶えられない。だから、自分で迎えに来ちゃった」

「願いっ、て……?」

「ユキと添い遂げること」


 無邪気に腰巾着から取り出したのは、小刀だ。


「いまいちこの場所が定まらなくて、見つけだすのに五年もかかっちゃったよ。今すぐ殺してあげるから、ジッとしててね」

「ころ!?」


 まだ幼子のコンが!? 九尾の私を?


「殺すの!?」

「うん。だってこの結界と封印、死なない限り出られないもん」


 ケロリと言う。この結界は前世のあなたが張ったものだし、封印はあなたのご子孫の仕業です。


「黄泉へくだったら、すぐに黄泉神様に会いに行って。ユキも願いごと、まだ叶えてもらってないでしょう?」

「そうだけど──、ちょっと、あまりにも急な話しで」

「えー、待てないよ。俺、もう五歳だよ? これ以上歳の差が開いたら、さすがに浮気のひとつやふたつするかもよ」


 では、お願いします。

 私はシワのたるんだ首を、潔くコンへ差し出したのだった。



 終わり





※貴重な時間を削りお読みいただき、ありがとうございます。

明日に短編(?)で後日談をあげます。

千年恋〜なんちゃら〜みたいな題名です。

おつきあいくださり、ほんとうにありがとうございました!

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おきつねさまとお目付け役 紫はなな @m_hanana

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