おきつねさまはお目付け役

「トキ以外の、神獣は?」

「神殿のなかで黄泉神様とお待ちです。参りましょう」

「参りましょう?」


 さすがに火の鳥は殿内へ入れない。ツンとクチバシを外へやるトキをなぐさめ大階段を駆け上がった。開け放たれた御扉へとびこめば、新嘗祭さながら狩衣姿の陰陽師がずらりと並んでいる。その足もとで、つかわしめたちがちぎれんばかりに前足を振った。


「ユキ……!」

「わっ」


 真っ先に顔面へととびついてきたのは、マサルさんだ。引きはがせば、マサルさんの背中に小亀もひっついていた。せっかくはがしたのに、またおしこむようにしてイタチやネズミが詰め寄る。

 互いに言葉を紡げず、涙ばかりが溢れでた。


「まるで、つかわしめの詰め合わせねぇ、ぶふ」


 嫌味な女口調に顔をあげる。

 神々の描かれた壁画を前にして、麒麟と白拓、それから玄武と呼ばれるものだろうか。大人ふたりぶんはあるぶち模様の犬が、目をきらきらさせて伏せていた。

 感動の再会を無粋にとめたのだ。とりあえずは、麒麟へ悪態を吐く。


「あなた、黄泉へくだったのではなかったの」

「やあねぇ、あんたを庇ったことで下界落ちどころか昇格よ!」

「まあ、陰陽師家に仕えることに変わりはないけどな」


 罰が悪そうに頭をかく白拓のとなりで、犬が「ウォフ」と相槌をうつ。


「それで、あなたは──」


 白黒の毛に埋まる目をみつめる。

 眼窩に落ちくぼんでも尚、浄らかな瞳をした人間が当てはまった。


「……近時?」


 竹箒のような尻尾が揺れる。

 太い四肢に豊かな毛をまとわせ、亀のように動かないその体躯。前世の面影のなさに思わず笑ってしまった。


「そうよね。あなたもトキと同じく、人間に納まる魂ではなかった」


 ではコンはと、考えそうになり頭を振った。

 涙を飛び散らせ、壁のなかの黄泉神を見上げる。そのそばに描かれていた白鳥の絵は消え、ただ闇に塗りつぶされていた。

 クチナシで塗られた艶やかな唇が動く。


「そう、ねめつけてくれるな。つかわしめとしての使役を終えたツクモとヤバネは、ふたたび人間への転生を望み、その刻を待っている」

「……コンは」

「すまないが、黄泉での願いごとは本人にしか語れぬ」


 黄泉神に仕えし人間は、その宿命を果たしたのち、黄泉でひとつだけ願いを叶えられる。

 

「そう。コンは、願ったのね」


 でも、ここには居ない。

 トキも、近時も居るのに。

 あなただけが、どうしていないの。


「……ユキ、そなたは玉藻姫の身代わりとなって千年、妖狐の伝説をつむがねばならん。その役目は前世とは比べものにならんほど、途方もない苦難を伴うだろう。だが」


 壁から女神の細腕がのび、私の腹をすくうように撫でた。


「愛した男の血は、この国と共に生き続ける」

「は……?」

「おきつねさまとお目付け役の、御子じゃ」

 

 たてがみよりずっと奥の腹をみつめる。お粥でも御饌飴でもない、なにかがそこに、芽吹いているというの。


「コンと、私の……? でも」


 私の宿命は、天子の母となること。

 陰陽師とのあいだに出来た御子に、その資格はない。


「コンは毎日きちんと、神山の恵みを口にしていたようだな」

「それって、ニンニクのこと?」

「ああ。栗や餅米、川鮭もそうじゃ。この土地の恵みをからだに取りこみ続け、精を養った。恵みに、恵まれたのだ。その腹の子はな」


 黄泉神は壁から抜け出し、私へ膝をついた。いや、私の腹のなかへ敬意を払ったのだ。


「御都の天子──、氏神様よ」

「氏神様……?」


 この御都には産土神や、氏神と呼ばれる神がいない。神山で様々な土地の神が生まれ、そのものたちが護っていたから。だから民は神ではなく天子を崇め奉り、その恩恵を受けていたのではないのか。


「神生みの山はとうにその役を終えている。神力を失った御都はいずれ滅びゆく運命にあった。我々もその運命を受け入れるつもりだったのだ。そなたとコンが、巡り合うまでは」

「私と、……コンが?」

「必然の奇跡、と言うべきか。天子を産む宿命にある黄泉神の御子と、土地の恵みを宿した陰陽師が、心のままに愛し合った。深い愛は奇跡を、新しい神を授けたのだよ」


 黄泉神がふたたび腹に手を差しのべる。

 私はその手の甲をペシンッと引っ叩いてやった。


「イタイッ、なにをするのじゃ!」


 キツネの爪ものびていたらしい。黄泉神の繊手からめちゃくちゃ血がでた。


「ふん。黄泉の神にも、血があったか」

「ユ、ユキ……?」

「貴様、こうなることをわかっていて、コンに宿命を与えたな」


 奇跡に必然などあるものか。

 玉藻姫の襲来は予期せぬ事態であったものの、おきつねさまの生誕に合わせてみつけたお目付け役が、多大なる可能性を秘めていた。ゆえに、利用したのだ。コンの浄らかな心もからだも、ぜんぶ。


「きさま!? だがこうしてコンの血は残せたし、産まれてくる御子は氏神だぞ? ユキはこれから千年共に我が子と暮らせるのだ」

「子どもと千年? 私は、一瞬でも長くコンと居たかった……!」


 気持ちを伝えたあとは、そばで見守るだけでよかった。コンの人生を支えたかった。

 誰よりも、コンの幸せを願っていたのに。


「お使いなどとほざいて、私にわざわざニンニクを取りに行かせた。コンが拒めないのをわかってて。許せない……!」

「お、落ち着いて、ほら! そなたの願いごとは? 玉藻姫を封じたのだ、なんでもひとつ叶えてやるぞ」

「じゃあ、コンを生き返らせて」

「願いごとには順序がある」

「つまりは?」

「それはできない」

「この役立たず! おかあさまの、あほんだら──!」


 私はその罵倒を最後に黄泉神に背を向け、神殿を出た。以来、黄泉神とは一方的に訣別し、会っていない。



 それからどうしたって?


 やさぐれたさ。


 私は、私を失った程度で国を蔑ろにしたミカサを責めたが、同じようなものだった。痛いほどその気持ちがわかった。コンの居ない世界なんて、どうなってもいい。御都への興味を、恐ろしいほどなくしてしまった。

 故郷の東の国には一面桜──ではなく、栗の木を植えさせた。みんなイガグリで足を痛めればいい。それくらいひねくれた。

 朱色キツネは、わざわざ海を渡ろうとする瞬間を狙って、八つ裂きにしてやった。海猫の餌にして、骨だけ拾った。一生憎むために必要だったからだ。

 

 産まれてきた子どもはそりゃあ可愛いかったし可愛がったが、私にもコンにも似ちゃあいなかった。まるで神様たちが腹のなかをいじくりまわしたよう。人間のからだにキツネの耳と尻尾をもち、御都の氏神と貼り紙をつけたような顔立ちをしていた。

 息子は民からお稲荷様と呼ばれ、崇められた。ちゃんとクラマという名前をつけたのにさ。


 弥勒は私を形だけの皇后ではなく、夫として共にお稲荷様を育てたいと願ったが、断固拒否した。その代わりに私は、玉藻姫の塑像と厄神を封じた御太刀の管理を理由に銭をせびって、神山のふもとに神殿を建てた。

 その数五つ。

 一神四神獣を祀るお社だ。

 コンの兄である星明を当主にした小御門神社ではお稲荷様を祀らせ、神殿の巫女には御饌飴を作らせた。封印と、国の繁栄のため。──ではない。

 かといって朱雀や玄武のため、でもない。

 コンへ想いを伝えることを急がせたトキへの不信感が拭えず、私は四神獣との接触すら避けた。


 すべては、陰陽師家の栄華栄養のために。


 ツクモとの約束があるからなんならついでにと大友家以外の家の見張りを始めたのだが、これが大変なことだった。


 賀茂乃家は女にしか恵まれないから血眼になって婿を探さなくてはならなかったし、藤森家は厳しすぎて今度は嫁が来ないときた。おかげで諸国を隅々とまわって、千里眼という無駄な能力を手に入れた。

 嫁婿探しだけをしているなら楽なもんだが問題は小御門家だ。


 この家の人間はみな無欲恬淡で、せっかく築き上げた富と財力を民のためにと平気で捨てる。ならばと当主には銭を稼がせ、嫁に財布を握らせたのだが、そうすると喧嘩ばかりして世継ぎづくりがうまくいかない。夫婦仲を取りもつためだけに、側室を入れたりもした。


 そうして私は小御門家のお目付け役として、千年居座り続けたのだった。



※次で完結します。

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