すでに近時とミカサの遺体は運び出されており、血溜まりの高御座には藁を敷いて弥勒が座っていた。


「あれ? コンは」

「さっそく陰陽生のみんなを指揮しているよ。降伏すれば感電がやむらしいから、今から敵兵へ呼びかけるみたい。それと、つかわしめはそれぞれの家継ぎに従っている」

「そう」


 舞台からこちらへ手をふる星明の肩に、マサルさんがのっている。イタチたちはなぜか賀茂乃家の娘と戯れているが、そばに大友家の嫡男が立っているし、陰陽博士のお孫さんだろうか。ちいさな男の子が小亀を頭にのせて笑っている。

 ネズミたちも文殿で家継ぎをみつけたようだ、遠慮がちに私の背中をおりた。


「ほんなら、うちらも」

「うん」


 手を振る代わりに尻尾を振って送り出す。

 するとネズミと入れ違いで朱夏がのぼってきた。


「んもう! 父上ったら、頭がかたいんだから!」

「どうしたの?」

「わざわざ朱夏殿に運びこんであげたのに、治ったら私を連れて南へ帰るって言って聞かないのです!」


 え? あの巨躯を朱夏ひとりで運んだの?

 女というより人間ばなれしてない?


「帰ったら? 寂しくなるけど弥嵩帝は崩御したし、もう女御でいる必要は──」

「私は! おねえさまがなんと言おうと! 死ぬまで朱夏殿の女御です──!」


 あまりの剣幕に、弥勒が腰を上げる。


「朱夏、どうした?」

「この娘ったら。まだ女御で居たいのですって。女御の位を存続するということは、立春になにが待っているのか、わかっているのかしら」


 立春で十五になる朱夏はその日に初夜の儀を迎える。皇位が継承された今、相手は弥勒となるのだが。

 弥勒を見据えれば、扇を広げて隠れたので朱夏を見やる。あら、庭の椿のように真っ赤だわ。


「わかってますぅ! むしろどれだけ待ち望んだことか──」

「それほんとう?」


 弥勒が扇を下へずらす。

 現れた目尻のだらしのないこと。

 恋路に疎い私でも、さすがに居づらい空気になってしまった。


「お邪魔のようなので、お暇させていただきます」


 キツネの私が役に立つことはなさそうだし。礼を尽くし、高御座をおりると東の国の御座へ入った。邸とつないだ魔法陣は行き来できるように開きっぱなしだ。

 邸へ戻った私はコンの部屋へと猛進し、疲れたからだを横たえたのだった。



 コンは、帰ってこなかった。


 庭の魔法陣が消えていることに気づいたのは、明くる日の朝だった。

 陽の光に照らされた美しいばかりの庭に胸が騒ぎ、あてなく沼へ向かう。

 沼には誰も、美しい白鳥しらとりの影もなく。後ずさったキツネの足が次に向かったのは、神山の頂上だった。

 

「ちゃんと、呪い言、かけたもの。帰ってこない、はずがないわ」


 ひとりごち、悔いる。

 ではなにゆえ、頂上を目指すのか。

 古びた鳥居をくぐり、御都の町を見下ろす。


「ぅ、ぁあぁ……っ」


 美しい少年の首が、御都の正門に吊るされ、朝日に照らされていた。





 朱色キツネだ。

 私は、かならず復讐に来るとわかっていて、逃した。きっと返り討ちにできると、驕っていた。

 私の、せいだ。

 

「生かしておくんじゃなかった……!」


 怒りに毛を奮い立たせ、一気に山をかけおりる。すぐに御都へ、復讐へ向かおうと。邸は素通りするつもりだったが、人間に姿を変えるならば着物がいる。急ぐ足をもたつかせ、床を泥で汚し、私の部屋へ転がりこんだ。どうせ戻るつもりもない。


「寝間着一枚あれば──」


 コンが邸を出る直前に整えたのだろう。藁布団に敷かれた敷妙は、シワひとつない。


 その上に、桜の花冠が置かれていた。


 いつしかコンが私にくれた、神山の桜の枝で編んだ冠だ。その証拠にこの真冬に桜の花が二、三咲いている。

 冠を口にとる。

 枝のすき間に、ちいさな紙切れが挟まっていた。牙でつまみ出し、黒点の鼻で丁寧に紙をひろげる。

 少年らしい、少しクセのある文字がならんでいた。



 ──ユキへ

 

 どうか悲しまないで

 あなたの報復をとげたその日に私の命は尽きる

 これは宿命と共に 定められたものだから

 その代わりに おおきな力を得られた

 聡いユキなら わかるでしょう


 どうか忘れないで

 心のままに 

 私はユキを愛しています

 


「っ、……、桜の、花ことば」


 粋なことを。

 花冠に頭をくぐらせる。


「ねぇ、コン。私、あなたを忘れられるはずがないのよ」


 宿命に流されることなく、

 はじめて、心のままに愛した人。

 大好きなの。

 戻ってきたらもう一度、言葉できちんと、伝えたかったのに──。


 飲まず食わずで何日、何晩泣き続けただろうか。

 どんなに泣いても邸へ訪れるものはなく。

 気づけば庭の小川が雪解け水でふとく流れ、腹は小太りなままだった。



「おかしいなぁ、胃は空っぽのはずなのに」


 一度肥えたら戻らない仕様なのだろうか、それにしても腹が重い。

 久しぶりに立った感想がそれに尽きた。

 一、二歩歩みを進めれば、まあ汚しいこと。なにもしていないのに邸には埃がたまっているし、足あとは消えるどころか干からびて目立ってきている。いいかげん、縁を小うるさくする鳩の往来にも苛立ち始めた。


「うるさいわっ!」


 足に噛みつき、文をむしり取る。

 朱夏からの手紙だ。

 

「なになに? 神山の邸には結界が張られ、今はつかわしめたちも立ち入ることができません。私も、みんなもおねえさまに会いたがってる。どうか沼で神託をお受けください? ふーん」


 そういえば、出しなにコンがそんな結界を張っていた。私とコンだけが立ち入ることができる、永遠の鳥籠だと──。


「沼、か」


 コンを探しに訪れたときには、誰も居なかったが。一度立ち上がってしまうと、そう易々と足はとめられない。キツネだもの。私は沼へ足を進めながら、頭を悩ませた。

 腹は重いが、からだは軽いのだ。

 

「おっかしいなぁ、おきつねさまのからだは、一食抜けば動かなかったのに」

「母は強し、ですよ」


 淡々と話しかけられ、頭をあげる。

 そこにはツクモより大きな鳥が、足を揃えて立っていた。やけに眩しくて何色かわからないが、とにかく大きな鳥だ。


「あなた、だあれ?」

「これだから姫様は。このトキが、わかりませんか?」


 蔑むように言うが、私を見下ろす目は優しい。


「トキ?」 私の女房だった、トキ?

「鳥としてはトキではなく、朱雀という伝説の」

「またややこしいわね」


 私は大きく足をのばしとびあがると、トキの背中にのり、抱きしめるように四肢をいっぱいにのばした。


「姫様、翼は火をまとっておりますのでお気をつけください」

「またとんでもないものに生まれ変わったのね」

「わたくしの魂は人間の器に納まらないようで。では、行きますよ!」


 トキは体躯の五倍はある翼をひろげると、一気に空へ飛びあがった。

 トキは空の上で自身のことを話してくれた。

 本来ならば、黄泉神の神使として仕える運命だったが、大友百が先にツクモとなった。その間ノミで過ごしたトキは徳を積みすぎたらしい。神獣朱雀として転生し、黄泉神から独立して御都の土地を護るという。


「土地神様になるってこと?」

「いいえ。我々は四方を司り、御都の氏神様を護るために下界へおりました」

「我々?」

「わたくしは西を」

「火にまつわるのに、南ではないの」

「南は麒麟が司りますので。北は玄武。東は白拓が」

「みんな生きているの?」

「白拓は罪の償いに。麒麟と玄武は──、会ったほうがはやいかと」

「そう、楽しみだわ」


 寂しかったのかもしれない。

 私はトキに甘えてあっさりと、邸を離れたのだった。


 トキが辺りの樹々に火を移らせながら降りたったのは、内裏のなかの神殿かんどのだ。弥勒や近衛大将が、悲鳴をあげながら歓迎してくれた。


「水! 水を!」

「トキちゃん、この火なんとかなんない!?」

 

 当の本人は悪びれもせず、はいはいと翼をしまった。私にしか聞こえぬ声で「わたくしがおりるより先に木を伐採しておくべきだと思いません?」と、愚痴る。こういうところ、まさにトキである。

 張っていた肩の力が抜けて、スルスルとトキの背から降りた。


「おねえさま……っ!」

「朱夏、手紙ありが──ぐぇ」


 抱きつぶされはしなかったが、牙と牙のあいだに指をねじこまれ、えずいた。もっと優しくして。


「御饌飴だあ〜」


 思わず頬がゆるむ。

 朱夏は一日ふた匙までの御饌飴を、瓶ごと口に入れてくれた。限度ってものを知らないの?


「飲まず食わずと聞いて、ほんとうに心配したのですからね! 邸を出る力もないのかと……っ」


 今度こそ強く抱きしめられたが私は逃げずに、その痛みを受けとめた。

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