漆
すでに近時とミカサの遺体は運び出されており、血溜まりの高御座には藁を敷いて弥勒が座っていた。
「あれ? コンは」
「さっそく陰陽生のみんなを指揮しているよ。降伏すれば感電がやむらしいから、今から敵兵へ呼びかけるみたい。それと、つかわしめはそれぞれの家継ぎに従っている」
「そう」
舞台からこちらへ手をふる星明の肩に、マサルさんがのっている。イタチたちはなぜか賀茂乃家の娘と戯れているが、そばに大友家の嫡男が立っているし、陰陽博士のお孫さんだろうか。ちいさな男の子が小亀を頭にのせて笑っている。
ネズミたちも文殿で家継ぎをみつけたようだ、遠慮がちに私の背中をおりた。
「ほんなら、うちらも」
「うん」
手を振る代わりに尻尾を振って送り出す。
するとネズミと入れ違いで朱夏がのぼってきた。
「んもう! 父上ったら、頭がかたいんだから!」
「どうしたの?」
「わざわざ朱夏殿に運びこんであげたのに、治ったら私を連れて南へ帰るって言って聞かないのです!」
え? あの巨躯を朱夏ひとりで運んだの?
女というより人間ばなれしてない?
「帰ったら? 寂しくなるけど弥嵩帝は崩御したし、もう女御でいる必要は──」
「私は! おねえさまがなんと言おうと! 死ぬまで朱夏殿の女御です──!」
あまりの剣幕に、弥勒が腰を上げる。
「朱夏、どうした?」
「この娘ったら。まだ女御で居たいのですって。女御の位を存続するということは、立春になにが待っているのか、わかっているのかしら」
立春で十五になる朱夏はその日に初夜の儀を迎える。皇位が継承された今、相手は弥勒となるのだが。
弥勒を見据えれば、扇を広げて隠れたので朱夏を見やる。あら、庭の椿のように真っ赤だわ。
「わかってますぅ! むしろどれだけ待ち望んだことか──」
「それほんとう?」
弥勒が扇を下へずらす。
現れた目尻のだらしのないこと。
恋路に疎い私でも、さすがに居づらい空気になってしまった。
「お邪魔のようなので、お暇させていただきます」
キツネの私が役に立つことはなさそうだし。礼を尽くし、高御座をおりると東の国の御座へ入った。邸とつないだ魔法陣は行き来できるように開きっぱなしだ。
邸へ戻った私はコンの部屋へと猛進し、疲れたからだを横たえたのだった。
コンは、帰ってこなかった。
庭の魔法陣が消えていることに気づいたのは、明くる日の朝だった。
陽の光に照らされた美しいばかりの庭に胸が騒ぎ、あてなく沼へ向かう。
沼には誰も、美しい
「ちゃんと、呪い言、かけたもの。帰ってこない、はずがないわ」
ひとりごち、悔いる。
ではなにゆえ、頂上を目指すのか。
古びた鳥居をくぐり、御都の町を見下ろす。
「ぅ、ぁあぁ……っ」
美しい少年の首が、御都の正門に吊るされ、朝日に照らされていた。
朱色キツネだ。
私は、かならず復讐に来るとわかっていて、逃した。きっと返り討ちにできると、驕っていた。
私の、せいだ。
「生かしておくんじゃなかった……!」
怒りに毛を奮い立たせ、一気に山をかけおりる。すぐに御都へ、復讐へ向かおうと。邸は素通りするつもりだったが、人間に姿を変えるならば着物がいる。急ぐ足をもたつかせ、床を泥で汚し、私の部屋へ転がりこんだ。どうせ戻るつもりもない。
「寝間着一枚あれば──」
コンが邸を出る直前に整えたのだろう。藁布団に敷かれた敷妙は、シワひとつない。
その上に、桜の花冠が置かれていた。
いつしかコンが私にくれた、神山の桜の枝で編んだ冠だ。その証拠にこの真冬に桜の花が二、三咲いている。
冠を口にとる。
枝のすき間に、ちいさな紙切れが挟まっていた。牙でつまみ出し、黒点の鼻で丁寧に紙をひろげる。
少年らしい、少しクセのある文字がならんでいた。
──ユキへ
どうか悲しまないで
あなたの報復をとげたその日に私の命は尽きる
これは宿命と共に 定められたものだから
その代わりに おおきな力を得られた
聡いユキなら わかるでしょう
どうか忘れないで
心のままに
私はユキを愛しています
「っ、……、桜の、花ことば」
粋なことを。
花冠に頭をくぐらせる。
「ねぇ、コン。私、あなたを忘れられるはずがないのよ」
宿命に流されることなく、
はじめて、心のままに愛した人。
大好きなの。
戻ってきたらもう一度、言葉できちんと、伝えたかったのに──。
飲まず食わずで何日、何晩泣き続けただろうか。
どんなに泣いても邸へ訪れるものはなく。
気づけば庭の小川が雪解け水でふとく流れ、腹は小太りなままだった。
「おかしいなぁ、胃は空っぽのはずなのに」
一度肥えたら戻らない仕様なのだろうか、それにしても腹が重い。
久しぶりに立った感想がそれに尽きた。
一、二歩歩みを進めれば、まあ汚しいこと。なにもしていないのに邸には埃がたまっているし、足あとは消えるどころか干からびて目立ってきている。いいかげん、縁を小うるさくする鳩の往来にも苛立ち始めた。
「うるさいわっ!」
足に噛みつき、文をむしり取る。
朱夏からの手紙だ。
「なになに? 神山の邸には結界が張られ、今はつかわしめたちも立ち入ることができません。私も、みんなもおねえさまに会いたがってる。どうか沼で神託をお受けください? ふーん」
そういえば、出しなにコンがそんな結界を張っていた。私とコンだけが立ち入ることができる、永遠の鳥籠だと──。
「沼、か」
コンを探しに訪れたときには、誰も居なかったが。一度立ち上がってしまうと、そう易々と足はとめられない。キツネだもの。私は沼へ足を進めながら、頭を悩ませた。
腹は重いが、からだは軽いのだ。
「おっかしいなぁ、おきつねさまのからだは、一食抜けば動かなかったのに」
「母は強し、ですよ」
淡々と話しかけられ、頭をあげる。
そこにはツクモより大きな鳥が、足を揃えて立っていた。やけに眩しくて何色かわからないが、とにかく大きな鳥だ。
「あなた、だあれ?」
「これだから姫様は。このトキが、わかりませんか?」
蔑むように言うが、私を見下ろす目は優しい。
「トキ?」 私の女房だった、トキ?
「鳥としてはトキではなく、朱雀という伝説の」
「またややこしいわね」
私は大きく足をのばしとびあがると、トキの背中にのり、抱きしめるように四肢をいっぱいにのばした。
「姫様、翼は火をまとっておりますのでお気をつけください」
「またとんでもないものに生まれ変わったのね」
「わたくしの魂は人間の器に納まらないようで。では、行きますよ!」
トキは体躯の五倍はある翼をひろげると、一気に空へ飛びあがった。
トキは空の上で自身のことを話してくれた。
本来ならば、黄泉神の神使として仕える運命だったが、大友百が先にツクモとなった。その間ノミで過ごしたトキは徳を積みすぎたらしい。神獣朱雀として転生し、黄泉神から独立して御都の土地を護るという。
「土地神様になるってこと?」
「いいえ。我々は四方を司り、御都の氏神様を護るために下界へおりました」
「我々?」
「わたくしは西を」
「火にまつわるのに、南ではないの」
「南は麒麟が司りますので。北は玄武。東は白拓が」
「みんな生きているの?」
「白拓は罪の償いに。麒麟と玄武は──、会ったほうがはやいかと」
「そう、楽しみだわ」
寂しかったのかもしれない。
私はトキに甘えてあっさりと、邸を離れたのだった。
トキが辺りの樹々に火を移らせながら降りたったのは、内裏のなかの
「水! 水を!」
「トキちゃん、この火なんとかなんない!?」
当の本人は悪びれもせず、はいはいと翼をしまった。私にしか聞こえぬ声で「わたくしがおりるより先に木を伐採しておくべきだと思いません?」と、愚痴る。こういうところ、まさにトキである。
張っていた肩の力が抜けて、スルスルとトキの背から降りた。
「おねえさま……っ!」
「朱夏、手紙ありが──ぐぇ」
抱きつぶされはしなかったが、牙と牙のあいだに指をねじこまれ、えずいた。もっと優しくして。
「御饌飴だあ〜」
思わず頬がゆるむ。
朱夏は一日ふた匙までの御饌飴を、瓶ごと口に入れてくれた。限度ってものを知らないの?
「飲まず食わずと聞いて、ほんとうに心配したのですからね! 邸を出る力もないのかと……っ」
今度こそ強く抱きしめられたが私は逃げずに、その痛みを受けとめた。
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