楽
「いいの? このままでは戦乱の世がはじまってしまう。神の目を逃れた人間たちは互いに慈しむことを忘れ、延々と殺し合うだろう。死人は何百万どころじゃない」
「だって──」
「ひめ、さま」
息継ぎなしで女房姿で闘っていたからか、前触れもなくトキが膝を崩した。
「お気を、たしかに」
その背中に容赦なく、北の城主が刀を斬りこむ。
「いやぁ……っ! トキ……!」
また。まただ。
美しいトキの肌が、また汚されてしまった。
床に溶け入るように女房衣裳が消える。夜目があったところでノミの遺体など探せっこない。
こんな最期、たえられない。
「おきつねさま! しっかりしてください!」
近衛大将の刀が北の城主の腹に食いこむ。峰打ちだ。だがそのひと太刀で後ろにいた兵士が雪崩れ落ち、二〇段もの間合いが空いた。
「トキちゃんが城主ごときにやられるわけないでしょう! ほら、血痕もない!」
「じゃあ、どうして消えたのよ……!」
「ノミの寿命かと!」
やっぱり死んでるじゃない!
コンの腕のなかで茫然とする私へ、弥勒が手を差し伸べた。
「うちひしがれているところ悪いんだけど。ほんとうにしっかりしてよ。あなたがいなくなったら、誰が帝の罪を償うんだい?」
「帝の、罪。……私が、背負うの」
「そうだよ。愛という呪いで兄上をつくりあげたのはあなたでしょう? 閉じこもっていただけの私も同罪さ。さあ、いいかげん私の手をとって」
コンが一歩退き、頭を垂れる。
「私と、弥勒で──」
そうか。
私は過去を償いながら、新しい世を創っていかなければならないのだ。
天子と手を取り合い、天子を産み──。
のばした指先は、弥勒の手に届かなかった。弥勒の手のひらに、矢が貫通したのだ。その矢のもち主は見知らぬ豪傑。舞台で胸をはり、豪快に笑った。
「なに、悩む必要はない! 私があなた様の祖国、東の国を栄えさせてみせようぞ。あとは任せて、楽に死んでくだせぇ……っ!」
もう一本の矢が放たれ、その矢尻はまさに、私に向かって空に弧を描いた。矢の一本容易く避けられるが、コンと弥勒が私を庇おうと、矢に背を向けようとしている。近衛大将は大人数を相手どりながらもこちらに気づいたが、恐らく間に合わない。ふたりに矢が当たらぬようにするには、直前で私が前に出るしかない。おきつねさまの、脚の速さで。
「お気をたしかに? そうね、トキ。しっかりしなくちゃ」
御都の未来を担うコンと弥勒を、今失くすわけにはいかない。
ふたりの背中をすり抜け、矢を迎え入れに一歩前へ出る。
だが私よりもはやく前に立ちふさがるものがいた。
麒麟だ。視界が真っ白に埋めつくされた。
耳もとでくぐもった声がする。
「遅くなっちゃったけど。ちゃぁんと、あんたのこと護ったわよ」
麒麟は矢をひろい胴に受けとめると、最後にひと筋の雷を落とした。
今まで落としてきたささやかな雷とは比べものにならない迅雷が、空で枝分かれをしてあちこちに走る。まるで魚の網のようだ。
目耳をふさぐことを忘れてただ、見惚れた。
気づけば足もとで、矢が刺さったまま焼け焦げた馬の遺体が横たえていたのだった。
「バカ麒麟……」
煙のくすぶる麒麟の奥を見渡せば、私たちや陰陽生以外のすべての人間が感電し、地に伏せはりついていた。ただ意識はあるようだ。
「叛逆者だけを狙ったのね」
拳を握ろうとすると、弥勒の指を絡めとった。知らぬ間に手を握り合っていたらしい。
コンはその場で跪き、笑った。
「ユキ、台本いる?」
「ううん。もう、大丈夫」
私は頭のなかで何度も反芻した言葉を、あざやかに、厳かに紡いだ。
「神の御言のままに今日より、天子弥勒帝の皇位継承、ならびに御都は中立国を撤廃し、国都とする」
「こく、と、らと!?」
南の城主が階段に頬をこすりつけながら、呂律のまわらぬ舌で叫ぶ。
御都は国の仲立ちではなく、国政の中心となるのだ。
弥勒は至極冷淡な顔で言い放った。
「諸国がこの有り様では、上に立つものが必要でしょう?」
主要国が集まるならば、いっそのこと牛耳ってはいかがかと、黄泉神へ立案したのは弥勒だ。この腹黒さ、キツネというかタヌキだと私は思う。
「そしてここに、鬼やらいの儀を執り行った雷鳴殿を、皇后とする」
次には私へ華やかな笑みをかたむけ、声を弾ませてみんなを集めた。
「さあ、客人たちを介抱しなければ。近衛大将は近衛隊を指揮してくれるかい? 陰陽生の君たちも手伝って。手が足りないんだ」
陰陽生たちが立ち上がりこちらへ進むなかを、割って入るようにしてコンの兄、星明が跪いた。
「畏くも申し上げます、舞台から皇后──いえ、玉藻姫が、消えておりまする」
「玉藻姫が? まずい、ユキ!」
コンは焦燥とするが、私は冷静だった。
「うん。大丈夫、私が行く」
麒麟の迅雷のあとに一度、その姿を目にとどめている。雷を二度もうけては、そう遠くへは逃げられないだろう。私は弥勒の手を離すと、キツネに戻った。
私の呪い言は、玉藻姫を名指した。おそらくは、玉藻姫は名のない九尾の狐へと姿を変えて逃れている。
コンが不安そうに訊ねる。
「その姿で行くの?」
「心配しないで。これは、私の宿命。それより約束は守ってよ? かならず邸へ戻って」
コンの笑い顔に見送られ、私は正殿の屋根へととびあがった。
内裏の地図はすべて頭に入っている。
人間の目から死角となるキツネの隠れ場所も。
「……雷鳴殿から、獣の匂いがする」
だが匂いは当てにしないほうがいい。わざと反対の方角へ印をつけているかもしれない。だとしたら──。
「やっぱり、ここか」
内裏の西門。門に備え付けられた矢倉のなかで、黒こげになったキツネが二匹横たえていた。九尾の毛なみはさぞ美しいものであっただろうに、今はその覇気も面影もない。朱色キツネが顔をあげるが、目は開けられないようだ。恨めしげに皺を寄せるだけだった。
「惨めなものね。人間を愛さなければ、こんな結末にならなかったかもしれないのに」
九尾の耳がかすかに動く。
「あなたの過去は調べさせてもらったわ。あなたは千年前からずっと、人間を弄び裏切り奪うことだけが生きがいだった。冷酷無情、残虐非道。美しい土地は血塗れに、栄えた国は滅ぼした。それなのに……、ここにきて人間を、ミカサを、愛してしまったのね」
玉藻姫は私の転生を待っていたわけじゃない。ミカサを死なせたくなくて、御都を滅ぼせなかっただけだ。鬼やらいは、ミカサの力を他国へ見せつけるための宴だった。公の場で再び私を殺させ、諦めさせようとしたのだ。
愛してもらいたくて。
「千年生きて、はじめて愛した人間は、ほかの女を愛していた。だから騙してまでその女を殺させたのに、まだ未練を断ち切れない。どうあがいてもあなたが、愛されることはなかった」
九尾の瞳に、私が映った。怒りの炎をたぎらせたその瞳には、たしかに美しいキツネが一匹映りこんでいる。そのキツネは、白い毛を絹肌へと変え、烏羽色の髪をしだれさせた。
──塑像のなかでお眠り。永遠に。
西門の矢倉からは、玉藻の大殿の中庭にある、塑像を見下ろせる。九尾はきっと、最後に眺めていたかったのだ。
白く美しいままの自身──、ではなく。
ミカサが玉藻姫のためだけに賜った、玉藻の大殿と塑像を。
呪い言のとおり、九尾の狐の御魂は塑像へと移り、足もとのキツネの目から、命の灯火が消えた。
「──────ッ! ──────ッ!」
朱色キツネの慟哭は虚しくも、キツネの耳でさえ拾えない。目も見えぬなら、呪い言も意味をなさないだろう。爪でひとかきすれば首を切り離せるが、私は血の匂いをつけたくなかった。
「……同じ男を愛した仲だわ。命だけは助けてあげる」
私はキツネに戻り、内裏を護っていたネズミたちを回収しながら正殿へと戻った。
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