近時が亡くなった。

 それは同時に内裏が厄災の危機に晒されることを意味していた。

 空を仰ぐばかりのコンの肩を揺する。


「コン……っ! コン! 今すぐに結界を張りなおさないと!」

「陰陽生のなかに結界師の血筋のものがいるはずだ。ツクモ、すぐに探して」

「コン……?」


 コンは天を見上げたまま目をとじ、深く息吹いた。


「主人、陰陽博士のお孫さんがいらっしゃいました」

「ではこれを唱えさせて」


 唱え言だろう、文字の詰まった紙きれをツクモに託すと、先ほどと同じ型の指を組んだ。

 妙に胸が騒ぎ、コンの袖をにぎる。

 その刹那に、見上げていることに気づいた。同じ上背であったはずなのに。たったふた月ほどで成長したのだ、コンは──。

 ミカサが槍を床に突き立てる。

 槍に化けても腹の傷が痛むのか、ウサギのうめき声がもれた。


「雷花よ。年端も行かない舎人と、なにを親しげにしている」

「……私の、お目付け役よ」

「キツネの? 朕は、知っているぞ。化けキツネは、男の精から霊力を得ることを……!」


 おたくの玉藻姫といっしょにしないでほしいんだけど。まぁ同じことか。


「その童とも寝たのか。そんなに、陰陽師がよいか」

「寝たわよ」

「ではやはり、陰陽師家はすべて滅ぼそう」

「まさか、そのために陰陽生を集めたの……? 馬鹿らしい! 私が愛しているのはお目付け役のコンだけよ。近時とは一度だってない。前世でもいっさいね!」


 耳の弱いミカサへ届くように、まるでつたない夫婦の痴話喧嘩のようにまくしたてた。


「ミカサ、あなた玉藻姫に騙されていたのよ。三色キツネたちが、私と近時の声を真似て不義を働いているとまやかしたの。知ってた? あなた、私に化けた黄色キツネを抱いているのよ。毎晩、側室をひっかえとっかえのあなたは忘れているでしょうけど!」

「雷花に化けた、キツネだと? そんな、馬鹿な」

「ほんっと、馬鹿よねぇ。ニセモノに気づかないなんて、あなた本当に私を愛していたの?」

「愛している。雷花との逢瀬は、ひとつとて忘れなど──」


 思い当たったのか、ミカサはひどく狼狽し始めた。


「そ、んな。雷花は、近時を愛していたのではないのか」

「私が近時を愛していた? そんなわけないでしょう、天子の母となる宿命をもつ私が、あなた以外を愛することなんて……! 万にひとつだって、なかったのよ……」


 前世でも、こうして言い合うことができたらよかったのに。でも、もう──。


「私はもう、あなたを愛していない。罪のない仲間を殺し、諸国を滅ぼし、御都を滅ぼそうとする、あなたのことなんて」


 そこで、私は言葉を詰まらせた。

 ミカサが、槍から手を離したのだ。

 ──カラン。

 虚しい音を奏でて、転がる。


 ミカサは、私よりずっと頭のよいひとだった。


 叡智を知ると、讃えられる私を微笑ましく眺めていられるほどに、聡い。

 刹那に、すべてを氷解した。

 ミカサはそんな絶望的な表情を浮かべ、瞳を濁した。

 涙はない。


「……ミカサ、あなた自身が、厄神を封じる方法はないの?」

「ない」


 答えたのは、となりに立つコンだった。


 コンは鞘に手をかけ、ゆっくりと刀を抜いた。乳白色だったはずの刃身が、向こうがわを見とおせるほどに透明に変わっている。

 その刃身にマサルさんが、もはや言葉を交わすことなく浄火を灯した。


「それは──」

「ユキに、教えたよね。私の宿命を」

「コンの宿命……?」


 私の、報復。

 陰陽生のもとから戻ったツクモはコンへ跪く代わりに、両翼を地に広げた。その姿はまるで羽織りを広げる姫君のようでいて、日の出のように明るい。

 私はこのとき初めて、ツクモが美しいと思った。


「まさか、ツクモが……、ヤバネの、ように」


 コンは優しく、悲しげに頷いた。


「ツクモ……、いいね」

「とうに覚悟はできていますが──、ひとつだけ」


 ツクモはなにを思ったか、クチバシが当たらぬように私の耳へ顔をそわせ、囁いた。

 ツクモから私への、お願いごとだ。


「このままでは滅びゆくだけ。大友家の、陰陽師家の千年の繁栄を約束してください」

「陰陽師家の家筋を……? 絶やさぬようにすればいいの」

「はい。恩は百倍にして返してくださるのでしょう? 約束ですよ」

「バカツクモ、……っそれでは、一千倍じゃないの」


 私の涙が頬に伝いきるまでの短い刻のなかで、ツクモはコンの手のなかの刀に添い寝をするようにまとわりついていった。ものすごい速さで羽根ひとつひとつが柄に溶けこんでいく。ついにはひとつとなり、鍔が、ツクモの顔のように真っ赤に染まった。

 コンが無邪気に太刀を天へ抱げ、腰を入れる。


朱鷺しゅろ御太刀おんたちの完成ー! よし!」


 コンは笑った。


「千年呪っていいから。だから、私を忘れないで」


 それはもう、爛漫な桜のように華やかに──、太刀を振りかざし、高御座へとのぼりつめる。

 帝は待ち望んだように、その場に座した。

 

「かけまくも畏き黄泉神よ、大陸の厄神、玻璃疱瘡神はりのほうそうのかみを御太刀に封じたまへ──」


 コンは細い小川のような平坦な声でそう唱えながら、


 帝の心の臓に狙い定め、深く貫いた。



 帝の死に誰も動じない。

 高御座の階下では陰陽博士の実孫である陰陽生が詠唱をはじめ、やがて輪唱のように周りへ広めていった。

 ふたたび結界が敷かれ空に白夜が戻る。


「コン……」


 柄を握ったまま立ちつくすコンのもとへ駆け寄ろうとするが。


「姫様、まだ終わってはおりません。むしろここから始まるのです」

「──うん」


 大国の城主とその兵士が、几帳を出てすぐそばまでのぼってきている。

 刀を構える近衛大将とトキを下がらせ、私は弥勒の手をとった。

 南の城主が片頬を吊り上げ言う。


「雷鳴の中宮、──いや、おきつねさまとやらよ。神の手腕と聞いていたわりに、どうも私の目には謀叛にしか見えぬのだが。一体全体どういうことか、説明を乞おうではないか」


 朱夏を手まねきするが、当の本人は弥勒の袖にしがみついて離れない。その所作で城主の顔を潰してしまったか、それを期にあっさりと刀を抜いた。


「おのれぇ……っ、私の可愛い娘を噛ませ犬のように扱いおって!」


 金属音が重なる。

 ああ、なんて耳に障ることだろう。

 私はなるべく冷淡に、ゆっくりと話した。


「まだひと言も発しておりませんのに、早急ですこと」


 階段下には、内裏じゅうの御簾や戸を開けてまわっていた近衛兵たちが集まっていた。だがざっと見ても、他国の兵士の半数にも満たない。


「ではなにゆえ陰陽師が帝を殺めた。天子を殺すとは、神への冒涜ではないか。それも刀で」

「厄神を封じる御太刀です。なぜわからない? 神々の采配であるがゆえ、陰陽師の手を汚さなければならなかったことを……!」


 コンを想い、涙がこぼれた。

 破魔矢とは別に彼はひとり、御太刀を整えていた。使う機会がないようにと、きっと願ったことだろう。


「弥嵩帝と皇后玉藻姫はこの五年で、病をふりまく厄神の力を利用し、御都の民だけでなく何百万という人間を殺めてきた。ゆえに神々は、帝を見限ったのだ」


 私は弥勒の手から杖を奪った。


「生まれつき脚の弱い四皇子は今、こうして自身の力で立ち、歩くことができる。そして金色に輝く髪がなによりの証拠。神々は、天子の代替えをご所望なのだぞ……!」

「神、神、神神神神神……っ! 聞き飽きたわ!」


 西と北の城主が前へ突き出る。


「黙って見ていれば、なんだ? 私の娘はキツネであったぞ。それも、そこの陰陽師に殺された……!」

「私の娘は? 緑色のキツネになったと思ったら、肉をばらまき破裂した。神だ、帝だ? 知ったことか! 娘はどうした!」


 私はおそらく生まれてはじめて、言い淀んだ。

 だって、わかるもの。

 実の愛娘をないがしろにされた彼らにとって、とらえようのない神の存在など悪に等しい。

 そして、強者でありながら涙をそぼふらせる彼らに、私は呪い言などかけたくないの。

 蚊の鳴くような声で、答えた。


「玉藻姫に、殺された」


 両者の刃先が弥勒と私、それぞれにあてがわれる。


「いや、ちがうな。御都に、殺されたんだ。皇后ひとりに抗えぬ、この国にな」

「命を軽んじた罪、神ともども死して償えよ……!」


 純粋な殺意をもって向かってきた刃は、近衛大将とトキに防がれた。


「おきつねさま! 呪い言を!」

「姫様! お願いします!」


 刀を跳ね返された城主たちは、それぞれの兵士たちへ揃って同じ命をくだした。


「腰紐で視界を遮れ! 中宮の言葉に、決して耳をかたむけるな!」


 そう言うなり腰紐で目を覆い隠し結んだ。まわりの兵士たちもならって結んでいく。

 悪い流れは勢いを増し。

 毒気が抜けた貴賓たちが正殿から、舞台では平伏していた兵士たちが動き始めた。

 呪いが解けたのだ。

 私が、解けたらいいのにと、思ったから。

 そして窮地といえるこの状況に、ホッとしている自分がいた。


 だって、彼らが正しいもの。

 今の御都には弥勒と、数えられるほどの近衛兵だけ。何百万という命を奪った帝と皇后を五年野放しにした、この国など滅んだほうがいい。

 この現世のすべてを、人間の手に委ねるべきなのだ。命を重んじる彼らに──。


「ユキ、め!」

「ふぇ?」


 ふさがっていた耳が、コンの叱咤を皮切りにして、暴虐な金属音で騒がしくなる。斬る斬られるの大乱闘がはじまるなか、私はコンにほっぺをむぎゅぅされていた。

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