「どこへ消えた……?」


 妖狐の足ははやく、特に朱色キツネは人間の目では追えない。特に舞台の上では平伏した人間が障害となり、途中で見失ってしまった。


「さっそく、問題ありました?」


 呑気に階段を上ってきたのはキツネではなく近衛大将だ。


「今、毒の香とやらを消して、内裏のなかを換気させてるからな。ネズミちゃんたちの無事も確認した。元気満々でしたぜ」


 私たちつかわしめは毒の香のもとである薬草を毎日少しずつ、お茶に煎じて飲んできた。香への耐性がついているかはわからず不安ではあったが、そうか。


「よかった」

「トキちゃんには、これな」


 鞘ごと刀を投げる。

 女房姿で受け取ったトキは嬉しそうに刀を抱きしめた。前世で常に帯刀していたトキの愛刀だ。大将へお願いごとってこのことだったのか。


「ああ……っ、ありがとうございます!」


 トキは刀を抜かずにすぐさま腰にさすと、真っ白な手のひらをコンへ差し出した。

 同時に空にいたツクモが急降下し、となりにならぶ。


「小亀に占がおりました。今です」


 舞台を見やる。

 玉藻姫が、頭から水晶のはめこまれたかんざしを抜き、美しいまとめ髪を乱雑にほどいていた。


「承知しました」


 コンが袖のなかで忙しなく指を組む。足もとの魔法陣からイタチ三匹が飛び出すと、ツクモは翼をしまい、イタチたちへ優しく語りかけた。


「ユミガラ、ゲン、ユカゲ。お前たちに命じるのは、これが最後だ。いいね」

「はい」

「ではトキちゃんを弓士とし、神器へとお変わりなさい」

「仰せのとおりに」


 二匹はコンの上背ほどあるおおきな弓に、ユカゲはトキの右手を包みこむように変化した。

 

「方角は南」


 トキが矢を構える、その方角は舞台の中心点──玉藻姫だ。


 小亀の占は、厄災の刻と方角を示す。

 トキは、イタチの弓矢は、厄神を封じるため今ここに在る。

 舞台を見やれば、御髪を乱したまま、玉藻姫が媚びるように話し始めた。


「ごめんなさいねぇ? 私ったら千年生きても頭足らずで」


 帝の足もとで震えていたウサギの首をひっつかむと、


「愚か愚かって、うるっさいわねぇ。圧倒的な力をもつものに、頭なんざいらないんだよ……っ!」


 水晶のかんざしをウサギの腹へとつきたてる。

 それから打毬のときのように腕をふりかざし、高御座の建つ台座の上まで投げこんだ。


「白拓……!」


 前世で主人であったヤバネがウサギのもとへ飛び立つ。

 痛みに耐えながらも起き上がったウサギは紅い瞳をうるおわせ、泣いていた。その瞳に狂気は映らない。


「はやく、逃げて」


 皮肉にもその一瞬、白拓の意識は甦ったようだった。だが腹に刺さったかんざしがひとりでに抜けると、地に落ちた衝撃で破裂した。


 厄災──、桜疱瘡だ。


 玉藻姫は大口を開けて笑った。


「キャ────ハハハハハ! 目に見えぬ厄災には手も足も出まい! その美しい顔を醜いあばたで埋めてやるわ!」

「あら、私のことを美しいと認めてくれたわ」


 となりでコンがうっとりと言う。


「それ以外に表現しようがないからね、ユキは」

「はぁ?」


 玉藻姫は血が滲まんばかりに歯噛みした。

 近時が結界を張っているかぎり、桜疱瘡は誰にもかからないし、内裏の外へ漏れることもない。

 玉藻姫は目をどんぐりにして、滑稽にも訊ねてきた。


「な、どうして……! なぜ倒れない!」

「皇后様のあやつる厄神を、存じ上げておりますゆえ。水晶が依代であり、また水晶に封じられることも」


 コンは悠然としながらも、指を忙しなく動かした。今までもずっと背中に納めていたように、肩から一本の矢を抜く。


「マサル、お願い」

「かしこまりました」


 マサルさんが水晶の矢尻に浄火を灯す。


「ヤバネ」

「はい」

「今まで、ありがとう。楽しかったよ」

「……私もですよ」


 ヤバネが尾に巻きつく。

 矢に吸いこまれるように形をなくしていくヤバネに、涙がこぼれた。

 矢に厄神を封じるため、ヤバネはもう現世へ戻れない。

 謝ろうとする舌を必死に操って、私は叫んだ。


「私も、ありがとう! 栗も、お餅も美味しかった……!」

「うわ、最後の言葉がそれ? 意地汚い」


 ──でも、嬉しい。

 ヤバネは確かにそう呟き、矢羽となった羽を振った。磁石のように、トキの手のなかのユカゲに吸いつく。

 マサルさんもまた、涙声に唱えた。

 

「神器破魔矢、雷解かみときの閃耀を打ち挙げ、畏み畏み申す──」


 雷解きの閃耀──?


「まさか、雷鳴の中宮とかけたとか言わない?」


 ボソリと、コンに囁く。


「たまたまだよ。鬼やらいは麒麟の落雷で閉幕させていた。憶えてない?」

「側室たちは帝の神楽が終わると同時に退がっていたから。……待って、そういえば」


 神楽のあとに息を切らしていた帝を気遣い、宴の席へ戻ったあのとき──。帝に見初められたあの日、雷が落ち、動けなかったのは立春前の、鬼やらいではなかったか。

 奇しくも、雷ではじまった帝との宿縁が、雷で終わろうとしているとは。


「では、麒麟に伝わっているのね」 

「玉藻姫に勘づかれぬよう、直前になってしまったけれど、ほら」


 玉藻の大殿の方角から馬具を取り払った真っ白な白馬が、颯爽と姿を現した。


「雷は厄神に落ちる」

 

 トキの細腕がユカゲに導かれるように矢をつがわせ、ゲンをひいた。


 白夜のような空が暗闇に戻ったかと思うと、ひと筋の閃光が舞台へ走った。


「キュャァアアア──────ッ」


 女の呻き声ではない、キツネの断末魔が雷鳴と共に耳をつん裂く。

 なんとも呆気のない最後だ。

 コンとマサルさんは両手を拳にして喜んだが、


「やった! 成功だ」

「待って。まだ安心できない」


 落雷は玉藻姫へ直撃した?

 さすがに直視はできなかったが、雷電はからだではなく、つま先へ少しそれていなかっただろうか。それに、破魔矢の落雷に爆風は起きなかったのに、玉藻姫に近い兵士たちが側撃を受けたのか意識を失っている。

 なにより、玉藻姫が立ったまま床に崩れていない。肩から蒸気を排出するも、その瞳は濁っておらず、怒りの炎をたぎらせ私を見据えている。次には、煙を吐いて言葉を紡いだ。


「ふ、……ははっ、妾に、雷は通じぬと言ったはずだ」


 玉藻姫に致命傷を与えられなかったということだ。これでは果たしてほんとうに厄神を封じられたのかわからない。確かな手ごたえがなく、一抹の不安が胸にくすぶる。

 電撃により、すぐには動けないだろうが念には念を、呪い言を吐いた。


 ──玉藻姫は、その場から一歩も動けない。


 雷の後遺症もあるのだ、これでしばらくは目を離せるだろう。私は突っ立ったままの玉藻姫へ背を向け、高御座を見上げた。

 台座ではツクモがウサギを安心させるように、やわらかく語りかけていた。


「今、私の主人が傷を癒やしてくれるからね」

「でも、厄病は……?」

「大丈夫。近時どのの結界がある限り、厄病はひろがらない」

「近時──? 中宮の専従であった、藤森近時どののこと?」

「そう。それに、厄神は破魔矢で封じた。白拓、お前はもう自由だよ」

「じ、ゆう?」


 ウサギは首をフクロウのように反転させ、ニタリと笑った。


「どこが」


 ふたたび涙をこぼした瞳の色が、毛にうずもれ白い。


「ご丁寧に、教えてくれてありがとう」

「白拓、お前──」


 白拓はからだを直線にして高御座のなかへと入っていった。御簾をすり抜ける際に、金属のような質感に変わっていたように思う。まるで、帝のもつ槍のような──。


「まずい! ……近時が危ない!」

「近時どのが?」


 トキがいちはやく階段を駆けのぼり、正面の御簾をバッサリと斬り落とした。せきとめるものを失い、鮮血が階段へ滴り落ちる。


 近時の腹には槍が貫通し、外から見える肌は桜模様の湿疹が花咲いていた。


 近時のからだを足蹴にして槍を引き抜いたのは、


 舞台に立っていたはずの、弥嵩帝だ。


「ミ、カサ……」


 見通しの良くなった高御座で、ミカサは顔を隠すことなく立っていた。人間とは思えぬほど深く怒りに皺を刻んでいるが、紛うことないミカサ本人だ。

 背後の舞台を見下ろす。

 舞台に立つ鬼面のものは、尻から生えた二本の尻尾を、嘲笑うかのように振った。

 朱色キツネは姿をくらませるふりをして、すぐそばの帝と入れ替わっていたのだ。帝そのままに化けずとも、鬼面と羽織りさえあればごまかせる。朱色キツネはやおらに鬼面をはずすと、朱夏の顔で卑しく笑った。


「私の策だよ」


 ミカサの平坦な声に、再び高御座を見上げる。


「あの紅いキツネが向こう見ずに真正面から攻めこもうとするから、面を授けて私の身代わりにさせた。木偶の朕を視界に入れている人間など、あの場に居なかったからね。舞台下を通り抜ければ幸い、雷も避けられた。目耳にうるさい落雷のおかげで容易く入りこめたよ。入りこめた? ここは、朕の玉座だ……!」   


 容赦なく、近時の腹に二度、三度と繰り返し槍を突き通す。膝から落ちた小亀がキュウキュウと、か細い鳴き声をあげた。


「近時……! 貴様だけは決して、決して踏み入れてはならなかった……っ!」

「ミカサ……、お願いよ、もうやめてっ!」

「朕の槍を受け、未だ生きていたとは……、これほどまでに醜くなってもまだ、雷花と通じあっていたとは……!」

 

 槍……?

 つかわしめが変化したその槍は、厄神の力を宿したもの。

 ミカサは厄災の槍を、自身のものだと、そう言ったの?


「そ、んな……、ミカサが、厄神の契約者」


 前世で、私の御座に厄病を振りまいたのは、ミカサだった──。私や近時だけでなく、罪のない女房たちまでも。

 玉藻姫ではなかった。彼女では。


「つまりは、厄神は封じられなかった?」


 破魔矢が放たれ雷が落ちるとき、ミカサは舞台下にいた。雷は帝を狙ったが、玉藻姫のからだと床が邪魔をして、届かなかったのだ。


「コン、……矢は、矢は、もうないの!?」

「ない」  


 コンは空を仰ぎ、涙を溢れ出させていた。


「近時どのが張っていた結界が、解けていく」


 白夜の空が闇に染まっていく。夜のはじまりだ。それは近時の絶命を意味していた。

 

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