鬼やらい

 御都の民にとって鬼やらいは年内最後の大祭だ。昼日中から少しずつ鳴り始めた祭囃子は、黄昏の刻には神山の邸のなかまで聞こえた。今ごろ町屋では、陰陽師に扮した男衆が矛と盾の代わりに花火をもち、行脚しているだろう。コンとふたり、手を繋いでその様子を眺める妄想にふけり、縁で最後の日暮れを楽しんだ。

 庭ではマサルさんが呑気に蛍を手づかみしようと戯れている。


「暇ならもう一杯、お茶を淹れてよ。緑茶がいいな」

「残念ながら私はもう、邸にあがることができません」

「入れない……?」


 マサルさんの真っ白な毛が人影で暗くなる。


「結界を張ったんだ。ユキと私以外、入ることのできない永遠の鳥籠」

「永遠……?」


 振り返れば、コンは真っ白な狩衣を身にまとい、扇を携え立っていた。


「陰陽師だ!」

「まだ見習いだよ」

「馬鹿を言わないで。今のあなたは、この世の誰よりも陰陽師らしい陰陽師よ」

「つまるところ?」

「いと、さまよし!」


 私は惜しみなくコンの胸へとびこみ。コンは私を両手で強く抱きとめた。頬擦りをしたら、コンもまた擦り寄ってくる。

 見上げれば、昏れに浮かぶ眩い笑い顔。

 大好きよ。あなたのことは、私がかならず護るんだから。

 マサルさんの目が生温い。


「仲のよろしいことで」


 ほかに私たちを冷やかすものはいない。マサルさん以外のつかわしめは、すでに内裏のなかへ転移し、配置についている。特に結界を司るネズミはそれぞれ孤立するため、みつかりそうもない殿舎の屋根裏や軒下を吟味させ、午前中から隠れてもらっていた。


「さあ、まずは大国の御三方へのご挨拶から始めるけど──、どこから攻めようか」

「もちろん、南! いちばんに朱夏のお父上、それからコンの兄上にご挨拶しなくちゃ!」


 小御門家の嫡男、小御門星明は帝の勅令に従い、南の国の城主に付き従っている。

 コンは、嬉しそうに笑った。

 

「仰せのままに」



 鬼やらいの主役は正殿ではなく、前庭に建てられた、一夜限りの舞台にある。そのため主賓が正殿へ上がり、そのうちの四大国はそれぞれの象徴色の几帳で仕切り、最前列の広縁に並んで座す。

 とうに滅亡した東の国の御座はもちろん、ただのお飾りだ。これ見よがしに護符の貼られた几帳のなかは、雷鳴殿の要領で我々の転移場所として利用させてもらった。

 南の国の朱色の几帳は、西を挟んだ向こう側。コンは悪びれる様子もなく、背筋を伸ばして回廊を渡った。

 几帳ごしに名乗る。


「恐れ入ります。わたくし、今は亡き陰陽頭の二男、小御門昏明と申します。そちらに我が兄、小御門星明はいらっしゃいますでしょうか」


 几帳のなかが騒然とする。コンの兄上を除き、従者は角に座る四名といったところか。ほかの兵士は内裏の外で控えているにちがいない。しばらくして、南の国の城主の野太い声が、妙越しに突き抜けてきた。


「入りなさい」

「失礼を。──わぁ!」


 うやうやしく几帳のなかへ入るなり、コンと同年ほどの少年に襲いかかられた。


「昏明……っ! よくぞ無事であった!」

「兄上、その……」

「ぜったいに、謝るなよ。お前ひとりを置いて逃げたのは私たちだ」


 コンの右肩が濡れそぼつ。


「ああ、ほんとうに。生きていてくれて、ありがとう」


 コンの兄上──星明は、一度疑った自分を戒めたいほど真っ直ぐで快活な青年だった。コンの狩衣についた涙の染みに気づき、自身の袖で慌てて拭く様を見て、まわりの従者の口もとが緩む。

 なるほど、星明もまたコンに負けじと派手な顔立ちをしている。南の国ではさぞ、もてはやされたに違いない。恐るべし小御門家!

 城主は顔も姿勢も崩さず、目端だけを寄せて言った。


「それで、そちらは」


 私のことだ。

 前足を揃え、はっきりと申し出た。


「申し遅れました。私は黄泉神の御子、ユキと申します。御都を護るため、この現世に馳せ参じました」

「ほう? ようやく御都という枷をはずし、国同士が強弱だけでやり合えるというのに、そなたは邪魔をすると?」


 なるほど。南の国は喜んで戦乱に迎え立つと、はっきりと願うか。

 私は沸き始めた湯のように、クスクスと笑った。


「まさか、人間の分際で神々に抗えるとお思いで?」

「なに?」

「雄々しき南の国の城主よ。八カ国を滅国させた諸悪の根源をご存知か?」

「雷鳴の中宮の呪い。……と、吹聴されているだけの、流行り病であろう。薬のない病ほど、恐ろしいものはないわ」 

「その流行り病が、厄神の祟りだとしたら」

「厄神、……だと?」


 私の耳が、生唾を飲む音をひろう。


「今、この国を破滅に導くのは神の力。そして救うのもまた神の力でございます。是非その目でしかと、お見届けくださいますよう」


 コンは前に進むと、昨夜に書き記した護符を長の膝もとに置いた。


「これは?」

「毒香や厄病を退ける護符でございます。決して几帳の外へお出にならないでください」

「約束はできんな。だが星明の手前、ありがたくいただいておこう」


 城主へ礼を尽くし、退がる。

 このあと少し兄上と言葉を交わすのだと思っていたが、そうもいかないようだ。空で監視していたツクモから知らせがあったのだろう。コンの紅顔から笑みが消えた。


「ユキ、急ごう。皇后様は今日も今日とて、気みじかなようだから」

「わっ、昏明……っ」


 コンは自ら兄の胸にとびこむと、


「いってまいります」


 すぐに離れ、振り返らずに座敷を出た。



 コンと私は西と北の御座へ同じように簡潔にまわると、舞台の側面に位置する文殿へ渡った。文殿の長い吹き放しには太政官たちの御座が敷かれている。もちろん、ほぼ空席だ。


 コンは惑うことなく、真ん中の御座を選んで入った。そのさらに正中部に近時が、小亀のチョクを手にのせて座っている。端っこで火鉢を囲っているのはカラスとイタチだ。

 近時は和やかにコンを向かい入れた。


「狩衣か! いいねぇ、よく似合っているよ」

「近時どのの衣裳も調えられたらよかったのですが」

「私はよいよ。そんな身分でもないし、着替えている暇もなさそうだ」

「はじまりますか」


 本来、鬼やらいの祭祀は、舞台の中心点に置かれたかがり火の真上に、月が昇ってはじめて太鼓が鳴る。腹にしずむ太鼓の音で酔いを覚ました客が舞台を見やれば、帝が神楽を舞っている。その情景は、まるで天界を覗き見ているような不確かな世界で、みんな息をのんで眺めたものだ。


「ああ。帝のおでましだ」


 月はまだ宵の明星のそばで白々と浮かんでいるのに、派手に太鼓が鳴った。

 水桶をひっくり返したように、かがり火の火が消える。


 浮かび上がったのは、無数の紅い鬼火──。


「ユキ、おさえて」

「わかってる」


 コンに言われなくても、無闇に出ていったりしない。それでもおきつねさまの尻尾は、怒りで打ち震えた。

 東の国の民の御魂。その無念の炎は板張りの床に映り、舞台を紅く染め上げた。


 いつからそこに立っていたのか。

 かがり火の奥から現れたのは、墨のように黒い人影。

 帝だ。

 四つ目の鬼の面をかぶり、それぞれの手に槍と盾を持っている。

 コンは私に真っ直ぐと訊ねた。


「どう? ほんもの?」

「……うん。間違いない。帝本人だよ」


 腹にくすぶる嫌悪感が、太鼓で弾む。

 その音で真向かいの御簾があがった。

 ひときわ明るいその御座には皇后──、玉藻姫が片膝をたてて、ひとり座している。

 玉藻姫の唇がやおらに動いた。


 ──はじまり、はじまり。


 太鼓の音がふたたび腹にうずもれる。

 なかのお粥がはねそうだ。


 紅い鬼火だけに照らされ、舞いはじめた帝はまるで血濡れの鬼神のよう。その足もとでウサギもまた白い毛を紅く染め上げ、踊った。

 ウサギ──? 近時の袂の裾で毛づくろいをするウサギを見やる。

 一年近く共に過ごしたウサギは今ではすっかり黒光りしたカラス。別物だ。


「白拓……、ほんとうに玉藻姫へ寝返ったのね」


 ウサギはまるで五年前に時を戻したように踊っている。

 近時の手のなかでチョクは、見てわかるほど歯噛みした。


「寝返ったんちゃう。無理矢理、厄神にかしずかされとるんや」

「本意ではないというの」


 夜目に映るウサギはただ楽しそうに舞い踊っている。強い力にあやつられているようには見えない。


「主人である賀茂乃どのは、間違いなく炮烙に落とされたのよね?」

「うん」 不安そうにくっつき合うイタチたちが揃ってうなずく。


「ツクモのように転生して、あちらに寝返った可能性も──」

「中宮様といえど、それ以上の誤った詮索は許せませんわよ」


 同じ目線で声がする。

 イタチも小亀もキョロキョロとあたりを見渡し、やがて一羽に焦点がまとまった。

 カラスだ。


「ヤバネ……?」

「面倒だから黙っていたのに。ずっと疑って、まだ疑うの? 悲しくなっちゃうわ」

「まさか」


 ヤバネが賀茂乃家の陰陽師だとでも言うのか。

 気落ちして首をもたげるその角度が、生前の彼女と重なった。


「ほんとうに? あの物静かな賀茂乃家の──、まるで別人じゃない」

「それは中宮、ユキもでしょう?」

 

 鋭い爪を私の前足にそっと重ねる。

 はじめて囲炉裏を囲ったあの日、栗を差し出してきたウサギを思いだした。動物の姿で生きていく術を、やんわりと、教えてくれたんだ。

 涙で思い出がぼやけていく。


「ご、めんなさ、……わたし」

「そういうの、面倒や言うてんねん。うちはユキに懐かれたくて転生したんちゃう」

 

 訛り口調に戻る。


「すべては、あの牝狐を滅するために」


 正殿の内部が騒がしい。玄冬殿の几帳が激しく揺れた。


「悪いけど、少し抜けるわ」

「どうして」

「娘を助けるだけよ」


 カラスが御簾をひるがえし飛び立つ。

 その先で一〇歳にもならない姫君が舞台を上ろうとしていた。

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