おきつねさまは心のままに

 鬼やらいの作戦会議が終わった夕刻、庭の蛍を眺めながら栗を口のなかで遊ばせていると、耳のなかでトキがささやいた。


「姫さまのお部屋で、少しお話しをよろしいですか」

「うん」


 文机に向かうコンの後ろ姿を一瞥し、部屋へと入る。黒点の鼻でぴっちりと戸を閉じ、青白い光が走るのを確認した。


「これで、よし。わっ!」


 人間となったトキに、唐突に抱きしめられた。たてがみに顔をうずめて、利き手で尻尾をすく。ふむ、おきつねさまの愛でが、なかなか板についてきましたね。


「ああっ、冬毛ふかふかの姫さまー」

「抱きおさめとか、やめてよね」

「お分かりでした?」

「むしろノミにしては長生きだなぁと思っていたよ」

「まあ、いちおう神霊の類のようですから」


 なにを言っても離れずトキは、頬ずりと尻尾もふもふを息が続くまでひたすら続けた。


「はあ、はあ、姫さま……」

「なぁに、トキ」 虫の息とは、このことか。


「明日の作戦は、ほんとうにあれでよかったのでしょうか」

「どうして? どこか欠陥があった?」

「いえ……、しかしながら、近時どのも難しいというか、苦渋の決断といったお顔をされていたので」

「あら、近時をおもんぱかっているの」


 彼は内裏に結界を張り続けるという、非常に重大な役を担っている。トキの言葉を聞いたら喜ぶだろう。


「わたくしは、姫様が……っ」


 トキはそこで言葉を詰め、またしばらくしてから先を紡いだ。


「姫様に、一生のお願いがあります」

「やだ、遺言?」

「遺言と申しますか、トキの戯言にございます」


 トキはすでに耳のなか。誰にも聞こえないというのに、ヒソヒソと耳打ちをする。真っ白な私は耳のなかを紅く染めた。

 

「えー!? 今から? 明日帰ってからでは駄目なの?」

「駄目です。かならず今夜じゅうに、コンどのへお伝えください。トキの、一生のお願いです」

「戯言って言ったくせに! ……わかった。一生ぶんならしょうがない、約束する」

「屋根裏で見張っておりますからね? もし破ったら、次は怨霊になってでてきますよ?」


 ノミの怨霊?

 恐るるに足りないが、約束は約束だ。トキの思慮深さに、私は心から感謝した。


「それから、近衛大将様より伝言でございます。南の国にて、小御門星明こみかどせいめいは無病息災。地元の呪術師と共に陰陽道の修行を続けているそうです」

「──そう。陰陽生の調査は、南の国で最後ね」

「はい」

「裏切り者はいなかったか」


 陰陽寮の習得生である陰陽生。御都の陰陽師が全滅した今、他国へ散り散りになった彼らについて調べていた。

 強力な厄神とそのつかわしめをあやつるのなら当然そこに、陰陽師の存在があると考えていたからだ。

 それに大国へ下した帝の勅令には、亡命した陰陽生を内裏に上げるよう、つけ加えられている。そのなかに裏切り者がいるのか。単純に陰陽師の血筋を滅したいだけなのか。

 コンには内密にして調べるため、早いうちから近衛大将に命じていた。彼には、鳩の行き来も許されぬなか、近衛兵を他国へ亡命させた実績がある。実際は御都の商人を雇い、他国と密通していたようだ。最遠である南の国の調査には時間がかかったが、そうか。

 小御門星明。

 正直なところ、コンの実兄である彼は最も疑い深い存在だった。彼の目線で考えれば、自分より先に神の守護を受け、両親を死なせたコンを恨んでも不思議はないのだけれど。


「さすがに南の国から転移は難しいだろうし、陽明の子だ。疑うのはもうやめよう」

「そうだよ、兄上は明け星のようにまっすぐで明るいひとなんだから、疑うなんてやめてよ」


 コンだ。いつの間に!

 耳のなかでトキが、「コンどのに内緒だなんて、最初から無理な話しですよ」と開き直った。裏切り者はすぐそばにいた!


「黙っていてごめんなさい」

「いいよ。また私を思ってのことでしょう。まったくおきつねさまは、お目付け役に優しいなぁ」

「でも、コンの仲間を、兄上を疑ってしまったし」

「それは私も考えていたことだ。トキどの、ほんとうに陰陽生のなかにひとりも、怪しいものはいないのですね?」


 耳のなかでトキがうなずく。かゆい。


「陰陽生は全員調べたけど、みんな実直そのものだったよ。トキの話しでは玉藻の大殿にそういった人間も居なかったようだし、大陸から渡ってきた痕跡もない」

「ではやはり、玉藻姫が厄神を使役しているのか。桜疱瘡をひろめるほどの厄神、陰陽師でないとあやつるのは難しいと思っていたのだけれど──」


 コンはまだなにか思うことがあるようだ。たしかに妖狐が神を使役できるのか、疑念は残るが、的はひとつでいい。


 元凶は玉藻姫、ただひとり。

 

 コンは顔を向かい合わせにして、私を膝にのせた。なあに、相談ごと? 無茶はよして、コンのお願いは断れないんだから。


「ユキは、黄泉神様から私の宿命を聞いてる?」

「コンの宿命? 私のお目付け役でしょう?」

「お目付け役は、宿命に伴うお役目なだけであって、その本質は別にあるんだ」


 ちがうの?

 コンは、お目付け役より重い宿命を背負っているというの。

 私はあからさまに耳をしおれさせた。


「そんなに気落ちしないで。大したことじゃない」

「では、なんなの」

「──報復、だよ」

「報復? 誰の」

「ユキの」


 反射的に開けかけた口を、コンの手がふさぐ。


「雷鳴の中宮はね、歴史史上最強の天子を産む運命にあったんだ。それを潰した人間の罪は重く、天界で裁きを受けなければならない」


 人間──。私の死の床に火の矢を放ったのは近衛中将だが、彼の命を奪ったのは玉藻姫だ。では私の死因に、ほかにも関わっていた人間がいたことになる。

 私はコンの手を前足ではらった。


「待って。宿命がくだされたのはいつ? まさかコンが産まれてすぐとか言わないよね」

「うん。すべては玉藻姫の上陸からはじまったことだ。もちろん、阻止するために御都の陰陽寮は尽力した。でも防ぐどころか返り討ちさ。御都が失うのは、中宮様だけではなかった」

「背負うものが、ずいぶんと増えてしまったのね」


 コンは深く頷いた。その煌びやかな目に涙は浮かんでいない。


「だからね、ユキ。玉藻姫以外の人間が、近時どののように隠れて厄神をあやつっていたとしたら──、私は、確実にその人間を殺めなければならない。わかるね」

「うん」

「この手で人を、殺すんだ。きっと、明日には」


 右手のひらをひろげ、みつめる。

 私は前触れもなく人間の姿に変わると、コンの膝にのったままその手をはらい、鼻に唇を落とした。


「……っ、ユキ!?」

「コン、私は人間より大きなクマを殺しているけれど、あなたはそんな私に失望した?」

「……ううん。誇らしいと思った」

「私もよ、コン。どんなに血塗れても、あなたを抱きしめたいと思うよ」


 背中に手をまわし、言葉のとおりにきつく抱きよせる。それから思いきり、コンの香りを吸いこんだ。なんなら千年分、補給するように。


 鬼やらいの作戦が成功すれば、私は内裏へ上がり、神山の暮らしから離れる。自分たちで決めたことだ。もう後戻りはできない。

 

 おきつねさまとお目付け役の関係は、明日で最後──。


 私は、しっかりとコンの目を見据えながら言った。


「コン、好きよ。あなたが、大好き」

「ユキ……?」

「大好きなの。コンは、宿命に流されることなく心のままに、私がはじめて愛したひと」


 ごめんね、押しつけがましくて。

 今夜にあなたへ想いを伝えると、トキと約束してしまったの。

 その先のことをまったく考えておらず目を泳がせていると、強く、深く、口づけを返された。

 指先で触れた頬が温かい涙で濡れている。

 唇を離すと、コンは笑った。


「私も、ユキが大好きだよ。雷鳴の中宮ではなくて、寝汚くて食いしん坊のユキが、大好きだ」


 夢みたいだと、ぎゅぅと抱き包んでくれる。その腕のなかで私は、ほんとうに夢ではないのかと訝しんだ。

 コンが私を、好きだと言った?

 憧れではなく、大好きだと。

 雷鳴の中宮ではなく、ありのままの私を好きだと、そう言ったの。


「うれしい。私、この日のことを、千年忘れないわ」

「千年忘れない? では、ユキがおきつねさまの宿命を終えたあと、次の人生は私と添い遂げてくれる?」

「千年後、また生まれ変わったらってこと? 素敵……! もちろん、約束するわ」


 ほんとうに願いが叶うのなら。

 ううん。今、その約束を交わしたという記憶だけで、私は千年生きていける。

 しあわせが心をあふれでて、やがて純粋な恐怖となって押し寄せてきた。

 たまらず、膝をのばし顔を突き合わせる。


「コン、私からのお願いよ。鬼やらいのあと、かならずここへ帰ってきて」


 コンは私の呪い言を、唇でふさいだ。

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