おきつねさまと穴持たず
「玄冬殿に専従する賀茂乃家の陰陽師。そのつかわしめであるウサギの名は
みんな、首をいったり来たりさせる。
「……この、ウサギが? 今も? 真っ白やけど」
小亀は湯桶に場所を移しながらつぶやいた。最近冷えこむものね。
「そう。みんなには白く見えているようなの。でもね、私の目には烏羽色にしか映らない。それは私が黄泉神様の子どもだからだと思う。そうでしょう?」
「やっぱり、ユキの目には色まで誤魔化せんかったか」
ウサギは茶碗から離れると、やおらにうしろ足二本で立った。
胸に添えていた前足はグングンとのびていくかと思えば、艶のよい豊かな羽根をたずさえたツバサとなり、やがて羽織のようにからだに溶け入った。やわらかな耳は鋭利に床を指す。クチバシだ。
「かっ、かっ、からす!?」
みんな同じようにすっ転び、腹ばいになったので思わず笑ってしまった。みんないいおなかしてるわ。
マサルさんがお尻をさすりながら起き上がり、不思議そうに私を見上げる。
「ユキが、笑っていらっしゃる。裏切り者では、ないのですね」
「私もずーっと、内通者ではないかと疑っていたけれどね。なんなら、今朝まで」
「今朝まで!」
カァと嘆く。その姿なりにウサギの面影はない。
「みんなの前でその姿になったということは、コンはすでに知っているのね?」
「うん。コンには話した。コンが帰ってきたらみんなに明かすつもりだったけど、もういいわ」
カラスは深く頭を垂れ、みんなへ詫びた。
「今まで隠して申し訳なかった。私は太陽神のつかわしめだ。白秋殿と朱夏殿のつかわしめが居て、玄冬殿に穴を開けたら縁起が悪い。そう思ってウサギに化けさせてもらった」
ではウサギ──、白拓は天界へ還ったのだろうか。
「本来、御都の厄災を祓うのはウサギよね」
「ああ。だがあのコ、……白拓は、厄災を祓うどころか、ひろめている元凶だ」
「元凶ですって? まさか」
「そのまさか。厄神のつかわしめとして、下界に留まっている」
しん、と静まる。
当然だ。今朝まで仲間だと思っていたウサギが実はカラスで、本物は敵中にあるのだから。
カラスはみんなを諭すように言った。
「月の陰であるウサギの力を抑えこむため、日の烏であるこの私が下界におりたのだ。わかるね」
さすが太陽神のつかわしめと言うべきか。
「でも鬼やらいの儀式にカラスの名はなかった。あなたはどうやって厄災を抑えようとしているの」
「私の名は、ヤバネ。矢と運命を共にし、厄神を打ち砕く」
「矢、って──」
矢は厄神を封じる神器だ。
その一部になるということは、命のかよう生き物ではなくなってしまう。
ヤバネは、目を細めて笑った。
「憐憫と見てくれるな。私はね、すべてを理解したうえでここに居るんだ。憐れむ暇があるなら、厄神祓いに徹しておくれ」
「うん。聞いておいてよかった。決してヤバネの決意を無駄にはしない」
鬼やらいで玉藻姫と決着をつける。
コンと近時もその心づもりで旅に出たのだ。
ならば留守を預かったこの半月で、私はつかわしめの強化に勤しもう。
「みんなの霊力を高めるためには、たくさんの御饌飴がいる。今日はかまどにはりつくとしてマサルさん、芋の調達はどこから?」
「半年に一度、昏明が中里におりて買っておりましたよ」
「中里! 中里ならば、キツネの足でも行けるわね。さっそく明日行きましょう。お話しはこれでおしまい」
「それじゃあ、おいとましま──」
「お待ち、ツクモ」
私は颯爽ととんでいこうとするツクモの翼を引っつかむと、ネズミのもっていた手拭いでしっかり足あとを拭かせた。
翌朝、沼へ神託を聞きにいこうと縁へおりると、ツクモのほうから邸へやってきた。
さっそく飴を舐めにきたな?
匙を差し出せば拒みはしないものの、上下にすり合わせるクチバシがやけに焦燥とした。
「どうしたの。神託になにかあった?」
「中里へおりるならは、はやいほうがいい」
「どうして」
「冬ごもりに失敗した熊が、腹をすかして山をおりている」
私は息をのむと同時に、危険察知能力によりキツネに戻った。
冬眠をしない「穴持たず」の熊は、山里の人間たちにとって玉藻姫より恐ろしい。特に雪に囲われ逃げ場のない山里を餌場にされては、全滅もあり得るだろう。
私は急いでおりるため、マサルさんだけを連れておりた。芋を運ぶのなら手はたくさんあったほうがいいとネズミはごねたが、一匹で二本もてたとして、そう数は増えない。ネズミでは役に立てないとは言えず、言葉を濁して出てきた。
あのこたち、もち米欲しいだけだし。もち米背負ったら、芋をもたないのでは?
転がるようにして山をおりれば、危惧していたとおりの情景がひろがっていた。
「畑が、掘り返されてる」
美しく区画化された田畑の一部が、作物と泥をかき混ぜたようにぐしゃぐしゃだ。そのまわりにつけられた足あとが藁葺き屋根の小屋へ点々と続いている。いつしか世話になった親子の家だ。
探りを入れる暇もなく小屋のなかから女の悲鳴が轟いた。
「マサルさん、私が石になったら火をつけて熊にぶつけて」
「それでは、ユキが火傷を負ってしまいます」
「石だから大丈夫。はやく!」
私は小屋の前まで走りきると、屋根の藁をおさえる手ごろな石に化けた。神山の
マサルさんは私を手にとり火をまとわせると、母親であろう女に覆いかぶさる熊の背中にゴツンッとぶつけた。
「グワァ──────ッ!」
当たった瞬間、ジジっと毛の焼ける振動が伝わる。なかなかよいうめき声をあげているから、効いたのだろう。そう思い、石が地につく手前でキツネに戻り、着地した。
「ふふん、どんなもんだい。だいじょうぶ──」
女をおもんぱかっている場合ではない。
熊はおおきな体躯を倒すことなく、こちらへ肩を向けた。
魔除けの火をまとった石はそれなりに効いたのだろう。熊の目の色が自然のものではなくなった。完全に、狂っている。
「穴持たずってこと忘れてた」
「ユキ、次の手は!」
「逃げながら考える!」
せめて小屋から引き離そうと、かまどの小窓から外へ出た。とりあえず山のなかへ逃げるかと来た道へ戻るが、
──ドドゥ。
土砂崩れのような鈍い破壊音がお尻に伝った。
端に目を寄せ背後を見やると、前足をひろげて立つ熊のうしろで、ついさっきまであった小屋が全壊している。
「ひぇえ」
あの怪力で前足を振り下ろされたら、ひとたまりもない。ましてや爪で引っかかれたら、キツネの首など真っ二つだろう。
「爪、……そうだ、爪!」
今一度背後を見やる。
引き離していたはずの熊はすでに、尻尾に触れる距離まで詰めていた。
「いちかばちか、やってみるしかない」
ところで宿命を果たさず、現世で熊に食い殺された場合、私の魂の行き場はどうなるのだろうか。おきつねさまは不死であるなんて話し、聞いていない。
浮かぶのは死への恐怖ではなく、コンの笑い顔──。
「……私ったら心底、コンのことが」
好きだなぁ。
しみじみと思い入る。
人間の姿へ変化した私の爪は、たった一本で太い木の幹ほどある熊の首を、あっさりと狩りとった。
追いかけて来たマサルさんがちいさく、息をひく。
「こんな姿、コンが見たら失望するよね」
私は今、雪山のなかをひと糸纏わぬ姿で、熊の返り血を全身に染めている。
「……昏明のことです。きっと、頭をなでて褒めてくれますよ」
それだけ言うと、マサルさんは中里へと走っていった。返り血を拭うあいだ、人避けしてくれるのだろう。
「トキ、待ってね。ひとりでやってみるから」
耳のなかがゴソゴソと悶える。
人差し指つっこんでいい?
その前に首に巻いてきた布をほどくと雪をしみこませ、からだを拭いた。凍りそうなほど冷たいが、耐えなければ。続いて布に包んでいた着物に腕をとおすが、紐が結べない。
「おっかしいなあ、こう?」
腰で行ったり来たりさせていた手に、トキの手が重なった。
「待てって言ったのに」
「こんなに指を真っ赤にかじかませて、なにを仰る。まるで、キツネの足のようですよ」
「そう? ふふっ」
トキの手のぬくもりに緊張の糸がほどけ、笑い声とともに涙が二、三粒こぼれた。
結局、トキに着付けてもらった私は、裸足でサクサクと雪を踏みながら、中里の集落へ戻った。
トキが目角を立てる。
「まったく姫様は。着物は持って、なにゆえ草履をお忘れに?」
「中宮様が裸足で山を歩いていたらみんな卒倒するって、コンが言ってたから。試してみたくて」
「そんな、まっさか。姫様ごときに」
トキのなかの私の評価、どうなってるの?
まあ、いいけど。
「ジャーン!」
マサルさんが里の人間を集めてくれたのだろう。ざわざわと耳に心地よい雑踏の前へと、私は無邪気にとびだした。
「雷鳴の、ちゅう、ぐう、さま──」
山里の人間たちは、まるで熊に襲われたように、きれいに仰向けに倒れたのだった。
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