おきつねさまとつかわしめ

 人間の姿になった私は、衣裳の着付けを終えると、コンと近時が読み解いた陰陽道の書物を片っ端から詰めこんだ。

 人間の指は、紙をめくるために進化したのだろうか。そう思うほどには読みやすい。鶏鳴には、ふたりの大胆な行動に納得がいっていた。

 最後のひと巻きをまるめて、書物の山に積む。


「トキ、トキ居る?」

「仰せごとでございますか」

「厄神についての詳しい話しは、つかわしめのみんなも聞いているの」

「いいえ、まだ。姫様と共にお話しするつもりのようでしたので」

「そう。では、私から先に話そう。トキはツクモを呼んできて」

「仰せのままに」


 トキがネズミにくっつき、ツクモを呼びにいくあいだ、私は土間におりた。コンが居たらぜったいに許してくれないけれど、やらなくちゃ。

 しかし非力なもので、水を汲むにもひと苦労。川をなん往復かして釜と水桶に水を満たしたころにイタチが起きてきた。


「おはようユキ。人間の姿でなにしてんの」

「お芋を洗いたいの」

「なんや、芋粥が食べたいんか。任せとき」


 三匹が一斉に芋を運びだす。私はその芋を水桶につけて洗いはじめた。

 イタチたちが驚いて、運んでいた芋を盛大に転がした。


「もったいない!」

「ユキ、あかんで! 芋洗いはうちらのしごとや」

「でもはやく、できるだけたくさん作りたいの」

「たくさん? なにを」

「御饌飴を」


 イタチたちは丸くした目を互いに合わせた。


「それはぁ」

「……たいへんなことやで」

「煮終わるころには、日が暮れてる」

「わかってる。でも必要なの。朝ごはんの前に、今ある在庫のぶんは蒸してしまいたいから、お願い。手伝ってくれる?」

「わかった」


 一匹がじゃぶじゃぶと芋を洗いだす。


「ありがとう、ユガケ」

「ええよ。ユキのことやから、譯があるんやろ」

「うん」


 御饌飴はおきつねさまのからだと魂の結びつきを強くする。そしてつかわしめのみんなも同じことだ。毎日、全員にふた匙ずつ与える。それが、今私にできることのひとつ。

 さて、そろそろ芋を切るかとナタを手に取る。


「姫様ともあろうおかたが、刃物などお持ちになってはなりません!」


 だがしかし、戻ってきたトキに奪われた。

 お芋切るの楽しみにしてたのに!

 トキはシタターンッと鮮やかな音をさせ、きっちり朝ごはんまでに芋を切り終えたのだった。



 お芋の蒸しあがる匂いに包まれながら茶碗のなかをさらえると、私はさっそく、部屋に備蓄していた御饌飴をみんなの茶碗に入れていった。


「マサルさん、お茶を淹れてくれる?」

「はい。ですが、貴重な御饌飴をいただいてよろしいので」

「もちろんよ」


 マサルさんが、いつものコンのように茶を注いでいく。

 庭で待つツクモには、私が匙で与えてやった。


「なん、これ!」


 ツクモが尖った毛を逆立て、狂喜乱舞する。


「毎朝、ここに来てこれを舐めてほしいの」

「ふぅん? ええけどぉ?」


 足がカクカク震えている。

 とても嬉しいらしい。


「なぜ必要なのか。今から話すから」


 私はツクモの翼のはしっこをつかむと、泥を落とさずそのまま小上がりへあがらせた。手拭いを取りに走ろうとするネズミをつまみあげ、言う。


「ゴギョウ、あなた黄泉神様おかあさまの命でここにいるわね」


 うねっていた細い尻尾の動きがとまる。


「なんで、うちの名を……」


 みんなもまた、茶碗に鼻をつっこみながらも目で私を追っていた。


「背中に星模様があるから。四角はシギョウ。三角はサンギョウ。二本線がニギョウで、丸がイチギョウ。とうぜんでしょう。後宮に仕えるものの名前は、すべて頭に入っている」


 マサルさんが茶碗から顔をあげた。


「では、最初から存じ上げていたのですね」

「隠すような真似をして、ごめんなさいね。でもお茶が美味しくて、みんなの自己紹介を聞いていなかったのはほんとう」

「いえ。聞くに値しない話しは耳に入れない、前世のあなた様そのものですよ」


 私ったら、そんな失礼な振る舞いを常々していたの。無駄な話しでもいいからたくさん語り合って、もっとみんなと向き合っていたら、はやくに名の由来を理解できていたかもしれないのに。


「あなたたちの名は、鬼やらいにちなんでつけられていたのね」


 毎年行われていた鬼やらいの儀式は、大厄災が御都へふりかかる、万一のための予行だったのだ。そして今は、玉藻姫を封じるために要するのではないかと、現世へ残されている。

 

「名付けはそのとおりですが、私はほんとうに、あなた様をおもてなしするためだけに残ったのですよ。黄泉神様もそう仰っておりました」

「そりゃあ、火をあやつるあなたは、囲炉裏には不可欠だけれど。神猿まさるさん、あなたのその火は、厄災を焼き尽くすといわれる魔除けの炎でしょう」


 子猿が一匹で、火をおこせるわけがない。囲炉裏や土間のかまどで今もくすぶる火は、マサルさんがあやつっている。そして神山の陰であるオオカミや熊から護ってくれているのだ。だから、あけっぴろげな邸で小動物が賑やかにしていられる。


「あなたは必要よ。この暮らしにも、鬼やらいに射る破魔矢にも。破魔矢には毎年、あなたの魔除けの火をつけた。コンと近時はまさにその矢の先につける矢尻の原料を、東の国まで探しに行ってる」

「破魔矢は御都の平穏を願うものです。一体なにを射るために、矢を放つのです」

「愚問はよして。玉藻姫よ」


 私は茶碗を横にずらし、みんなに頭を垂れた。


「今年も盛大な鬼やらい、よろしくお願い申し上げます」


 あ、茶碗をずらしたのはおかわりです。

 マサルさんに手を合わせる。

 みんなも飲み終わったのか、鼻をテカテカにさせて顔をあげた。苦虫を噛み潰したような顔だ。あれ、ご不満で?


「鬼やらいには主人がおらんと、無理や」


 小亀も、頭をべしょべしょにさせて言う。


「うちの占い、ユキもみたやろ? 陰陽師が居ってこそ、発揮できるんよ」

「近時がいるじゃない」

「では、あとは?」

「私も、考えたわ。でも儀式の流れを読んだら、すぐにわかった」


 私は腰をあげると、ネズミたちを羽織の袂ですくい、コンの描いた魔法陣の跡に点々と下ろした。


「まず、ネズミはそれぞれ陰陽五行の柱となり、内裏の敷地に立ち、結界を張る。その中心には、小亀のチョク。自らが占いの基盤となる式盤となる。ここまでは、結界師であり陰陽博士の教示を受けた、近時が役を担える」


 小亀を中心点にのせ、今度はイタチを呼んだ。


「チョクの占いに出た方角へ矢を放つ、その道具はイタチ。ユミガラとゲンは弓に。ユガケは、ゲンをひく手袋に。あなたはいつも、大友どのの右手にのっていたわね」


 唐突に呼びかけられ、ユガケがポタポタと涙を落とした。


「そうや。主人は、もう居らん。肝心の、矢を射る陰陽師が、居らんのや」

「居るよ。トキが」

「トキ……? ノミでは、あかん。ゲンをひけるのは、うちらを使役する主人だけや」

「それなら、ツクモが居る」


 みんながみんな、屋根裏へ首をのばす。

 梁にとまり話しを聞いていたツクモもまた、「私?」と、首を下げてきた。

 小亀が首を傾げる。


「ツクモが、どうしたって?」

「ゲンはひけなくても、主人なら命じることができる。そうでしょう、大友百おおとものもも。……モモ!」

「はい!? 女御様!?」


 モモと呼ばれたツクモは、足を滑らせ頭から落ち、床でつぶれながら呻いた。


「おのれぇ、ユキ! はかったな!」

「下手ななまり口調はおしまい? カエルを生で食べたりして、すっかり沼の主になりきっていたけど、私の目はごまかせないのよ。白秋殿専従の女陰陽師、大友百」


 気づいたのは、トキの訓練につきあう姿を見たときだ。膝を折って数を数える癖のある動きにピンときた。前世でも女御殿のど真ん中、よくふたりでそうして鍛錬していたからだ。思い返せば、初対面で私が放った皮肉に唖然としたあの表情。女陰陽師でありながら、弓の名手として名高い大友百、彼女そのものだった。コンの顎クイに顔を紅くするのも、雌だからとうなずける。


「悔しい〜!」

「あなた、私のことむかしっから憎んでいたものね」 

「だって白秋殿の女御様のほうが圧倒的にお美しいのに、帝は引きこもりのあんたばっかり! おまけに大好きなトキちゃんまで独占して、憎たらしいったらありゃしない」

「……あの高慢なかんじ、主人や」 

「ほんまや」

「ウソやろ。ツクモが、でも」


 イタチたちが、嬉しいような悲しいような複雑な表情をみせる。ほら、自分のつかわしめにまで冷たくしてたから。認めてよいものか、ためらっているよ。

 ツクモはあろうことか、クチバシを横に振った。


「ちょっと! どうしてまだそんな態度をとるの? 前世から性悪だったけど、今ほどじゃあなかったわ!」


 私の暴言にクチバシを向けかけたが、すぐに下ろした。イタチに聞こえぬ声でつぶやく。


「……あのこたちを、もう二度と道具にしたくない」

「みんなを道具にしたくないんだって! 思いやりが空ぶっていただけだったよ!」

「おのれぇ、ユキィ!」


 今度こそクチバシを振り下ろしてくる。

 颯と避けたところに、イタチが入りこんだ。


「主人……っ、主人!」

「わぁーんっ」

「会いたかったよう」


 細い首に三匹もろともしがみつく。

 ツクモは苦しそうに、されど嬉しそうに笑った。

 そのやわらかな視線を差し向かいへ流すと、やがて鋭く変わった。


「私の正体が暴けたのなら、ウサギの所在理由も当然、わかっているのでしょうね」


 ウサギは毎年、帝とともに鬼祓いの神楽を舞った。その舞台に餓鬼が触れると、煙のように消滅したと言われていたが。


「さあ? 私が今までみんなの名を呼ばなかったのはウサギ。あなたの素性が知れなかったからだもの」


 しつこく茶碗の底をねぶっていたウサギの耳がピンとたった。

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