おきつねさまと朱色キツネ

 朱夏殿、北の対。

 近時に念入りな結界を張らせてから、私は弥勒の足もとで、昨夜に整理した内容を話し始めた。


「まず初心にかえって千年前から大陸の歴史を追ってみたの。九尾伝説と毒婦に絞って探せば、時代を超えて散見していた。酒池肉林に炮烙──、名や形を変えているけれど、どちらも大陸のてつ。その足あとと疫病の記録を照らし合わせてみたところ、桜疱瘡に似た病が重なった年は、ここ五十年だけ」

「五十年前というと、ちょうど大陸の王朝が滅んだころだね。それも彼女の所業であったのか」


 弥勒がネズミから年表を受け取り、その裾を読む。華やかな王朝国家を築いていた大陸は滅亡後、戦乱が続いており、未だ分断国家が入り乱れている。以前はこちらから人を派遣していたが、今では亡命者を乗せた船がやってくる。そのなかに紛れこんでいたのだ。九尾の狐──玉藻姫が。


「でも王朝で病が流行っていたなんて話し、聞いたことがないけどね」

「王朝は、流行り病を朝廷に入れさせまいと高い城壁を築いて民を見捨てたの。私たちが知らないはずよ、そのあとすぐに反乱によって滅んだのだから。桜疱瘡の発端については、それぞれの国が押しつけあっていたから特定は難しかったのだけれど──、多分ここ」


 地図に指を指す。

 水晶で名が売れた有名な銅山だ。

 近時が扇子から顔を出した。

 

「ここは……っ、東の国が模範にしていた国ではないですか」

「そう。私たちは彼らから水晶の価値を学んだ」


 川縁の集落がはじまりの東の国は、武力で土地を広げた三大国とは違い、国交貿易で栄えた国だ。川のはじまりにある銅山で採れる水晶は、大陸で高く売れた。


「この国の厄神が玉藻姫と共に海を渡り、似た山をもつ東の国に根を生やしたのだとしたら。……桜疱瘡が東の国の呪いというのは、あながち間違ってはいない」

「東の国の土地神として身を置いたとすればたしかに、その国の亡者をもつかさどることができます。玉藻姫が鬼火にして操るのも納得ができる。しかし厄神のことならば、陰陽寮に詳しい書物があるはずです。再びネズミに行かせましょう」


 近時の言葉に、ネズミたちが揃ってうなずく。


「私たちの御役目だ、コン。ふたりで厄神を鎮めるぞ」

「はい!」


 陰陽師たちが肩を抱き合う。厄神を突き止められたことは、大きな一歩だ。少なからずとも死人は大幅に減らせる。

 後は少しでも外堀を埋められたら──。


 私を膝にのせ、暖をとり始めた朱夏へ訊ねた。


「お父上から御返事は来た?」

「それが、一度も。おねえさまの教えどおりにこちらからは何通か送っておりますし、鳩も帰ってはくるのですが……足に文はなく。読めていないのでしょうか」


 南の国は御都から徒歩かち三月みつきかかるため、朱夏殿では先先代から鳩をつかい、文を通わせている。念のため文に細工はさせたが、わかりやすい目印もつけたはずだ。


「南の国、……城主に、なにかあった?」

「そんな知らせは届いていない。けれど、城主からの贈り物もここ最近、届けられていない」


 弥勒が首を横に振る。

 南の国の城主は末娘へ朱夏の名を背負わせる代わりに、呆れてしまうほど愛を注いでいた。年に一度の祭祀にはかならず駆けつけ、膝にのせて離れなかったし、鳩は毎日行ったり来たり。朱夏の好物や反物などの贈り物もひっきりなしに届いた。

 それが途切れている譯は──、はっきりとわからない。


「朱夏」

「別に、いいの。お父上と共闘することが、いちばんの理想であったけれど」

 

 朱夏は諦めたように、悲しげに目を伏せた。だがすぐに覚悟を決めたのだろう、次にあがった視線は熱く、したたかなものだった。


「私は城主の娘ではない。ずっと前から今も、死するそのときまで、朱夏殿の女御だもの」


 私は思わず膝を離れ、頭を伏せた。

 それほどまでに華々しい覇気を、朱夏は発していた。弥勒もまた感化されたのか、杖にかぶせた手を脈立たせ、立ち上がった。


「では私も、研鑽に努めるとするかな」

「おにいさま……!」


 すかさず朱夏が背中に手をまわし、弥勒のからだをしっかりと支えた。相変わらず力もたのもしい。

 互いを気遣いながら席を離れたふたりの背中はまるで、皇帝と皇后のように尊く見える。

 それは死した中宮が、敵うはずのない境地。

 

「朱夏に対して、敵う敵わない? ……私は、なんてみっともないんだろう」

「姫さまがなんですって?」


 ふたりを見送っていたところに、前触れもなくトキが女房の姿で現れた。玉藻殿から朱夏殿までのはなれた距離、ノミでは到底辿り着けぬため、人間の姿で屋根を渡ってきたのだろう。息苦しそうに、忙しなく語る。


「火急の事態でございます。あの女が、朱夏殿へ向かって来ております」

「知らせもなく、ここへ?」

「馬を、麒麟を中庭に放ち、さも追いかけてきたように、忍びこむようです」

「やはり、噂をたてすぎたか」


 朱夏殿にキツネが住みついたと聞けば、黙ってはいられないだろう。


「最初に取り決めたとおり、自然にしていましょう。近時だけは、決して気付かれぬようにしてもらわねば。──近時?」


 なにごとかと、コンと共に几帳を出た近時が、デクの棒のように突っ立ったまま動かない。


「近時、どうしたの」

「近時……? 陰陽師の藤森どのですか!」


 トキが近時の方角へ肩をむける。

 近時については、病の被害者であり、今は朱夏殿を護っていることを事前にトキへ説明している。トキは女ならばかならず眉をひそめるその容姿にまったく触れず、嬉しそうに笑った。


「あなたがご存命で、トキは嬉しく思います。これほど心強いことはありませんね」


 近時の表情はかわらず読み取れない。

 だが表面のただれた皮膚が、血を噴き出すのではないかというくらい、赤くなった。

 私の下世話な視線に気づき、蚊の鳴くような声でぼそりとつぶやき、踵を返す。

 キツネの私にははっきりと聞きとれた。


「愛しのトキどののお姿と声がはっきりと。白昼夢にちがいない」


 私は近時を引き止めなかった。

 面倒だから、ソッとしておこう。

 玉藻姫との対峙に備え、朱夏と共に母屋へと向かった。



 

「このキツネは……、神殿にいた野良キツネねぇ? 成長しているけれど、この桜色の足、違いない」


 玉藻姫の癪に触る声にハッ、とする。

 おなかをフンワフンワされ、まさか玉藻姫に撫でられているのではと、頭をあげれば朱夏の細指だった。あー、よかった。


「可愛くてつい、果物かしを与えておりましたら、すっかり居着いてしまいましたの」


 朱夏が心から愛おしそうに見下ろしてくるが、内心ヒヤヒヤしていることだろう。夜なべなんてするんじゃなかった、うっかり眠りこんでしまってごめんなさいー!


「皇后様がご存知であったとは」

「まぁねぇ? 妾の知らぬことなどないわ。ほぉら、これも」


 ぼとり。

 遠慮のない重みと、液体のはねる音に総毛立つ。薄目を開けると、朱夏の膝もとに絶命した鳩が寝かされていた。


「狩猟に出れば、鳩が狩れたの。あなたのではなくて?」

「……はい」

「それは申し訳ないことをしたわねぇ? どれどれ、最愛なるお父上へ。会える日を心待ちにしております? ──またか、チィッ」


 玉藻姫は断りもなく文を広げたが、なんでもない内容に舌打ちをした。細工をさせてよかった。

 実につまらなそうに扇をあおぎながら、探るように言う。


「それで──、舎人の少年はどこに」


 私の背を撫でる朱夏の手がとまる。


「舎人、ですか」

「そうよぉ? あなたのキツネといっしょ。私の愛馬は困ったことに、同じ舎人に懐いているの。私のこの可愛いキツネちゃんもね」


 爪で胴をつつかれ、目を白黒させる麒麟のその背に、朱色キツネが乗っている。


「少年の匂いを嗅ぎつけ、ここまで駆けてきたのだから、この朱夏殿にかならずや居るはずだけどぉ?」


 朱夏の答えを待つ玉藻姫の顔色がどんどん曇っていく。


「困ったわねぇ、このままでは帰れないわぁ」


 おおきな目玉を目端に寄せ、従える近侍を呼び寄せる。

 まずいことになった。殿舎へ上られては、弥勒ばかりか近時の存在に気づかれてしまう。


「なかを、調べさせてもらっても? 見られて困るものなんて、なにもないでしょう?」

「それは──」


 朱夏が口を開きかけたそのときだ。

 草陰からネズミが一匹、とびだしてきた。


「──それっ! やっとつかまえたー!」


 膝を落とし、ネズミを両手でつかみとったのはコンだ。


 そこで私は、つなぎ忘れていたコンのひとかけらの過去を引き出した。両親が殺された残酷な過去のため、頭の隅へ片付けてしまっていたのだ。

 だが引き出せばすぐにわかる。

 コンは三年前に、玉藻姫と真正面から対峙している。母の下敷きになったとはいえ、玉藻姫に顔を見られているのだ。それもあの紅顔、成長したとはいえ気づかないわけがない。

 だが玉藻姫は苦虫を噛み潰したような顔をするだけで、思い出す様子をまったくみせなかった。


「貴様、そこでなにをしている」

「これはこれは皇后様のお目を汚してしまい、誠に申し訳ございません。キツネの餌を逃してしまい、追いかけてきた次第でございます」

「キツネの餌、ねぇ」


 コンの手のなかで、ネズミが脂汗を浮かせる。

 

「生きたネズミが好物だなんて、ほんとうに汚らわしいキツネだこと。よく愛でられたものだわ」


 玉藻姫は吐き捨てるように言うと、麒麟の手綱をコンへ差し出した。


「ゆくぞ。お前がひけ」

「かしこまりました。その前に恐れ入りますが、失礼を」


 コンは麒麟の尻へまわると、おもむろに肛門あたりをまさぐった。ちいさな草の実をみつけ、つまんでみせる。棘のあるオナモミだ。


「よしよし、痛かったね。暴れていたのは、これが原因でしょう。少しすれば落ち着くと思われます。では、参りましょう!」

 

 改めて手綱を受け取ろうと手をのばすが、玉藻姫がその手を避けた。


「汚い手で触らせるか……っ!」

「玉藻様、でもっ、私」


 ふと、朱色キツネと目が合う。

 その一瞬、彼女の瞳はゾッとするほど悋気の炎を燃やしていた。


「もうよいわ!」


 玉藻姫は近侍の手をかりず自ら鞍へのりあがると、庭の砂利に派手な足あとをつけ、行ってしまった。

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