おきつねさまの皮算用
日が明けると、朱夏殿とコンのつながりがすでに馬寮で噂になっていた。馬房に顔を出すなり、仲の良い舎人がコンを肘でつついてくる。
「皇后様の次は朱夏殿の女御様か。馬にも姫様にも気に入られて、いいなぁ器量良しは」
「たまたまだよ。それに、今回は馬でもないキツネだし」
私の脇をつかみ、ぶらぶらと揺らす。
「それにしたって女御様のお顔、拝めたんだろ? 今は亡き中宮様を彷彿とさせる、すんごい美少女だって、それほんとう?」
コンは青筋立たせて、言い切った。
「中宮様といっしょにしないでほしいね」
「そんなに!?」
「中宮様とは比べられないって言っているんだ! ……まぁ、綺麗なほうじゃない」
逃げるように馬寮を出る。
コンったら、照れちゃって。わかるわ、朱夏は言葉では言い表せないほど美しく成長したもの。私の手前だからって、遠慮しなくていいのに。
「でもいいの? 私のことを大っぴらにして。朱夏殿が標的になったら」
「その心配はいらないよ。鬼やらいに観客を入れるためか、最近は炮烙から煙がのぼらない。それに、帝の目が厳しいから」
「あのひと、朱夏だけは護っているのね」
それほど尊い存在なのだ。朱夏は。
「やだ……、嫉んでしまいそう」
「朱夏に?」
コンは、わかりやすく眉をひそめた。
「そんなの、無駄な感情だ。朱夏は帝にひと触れもさせない」
「そうね」
私が後宮へ入ったら、手始めに朱夏に触れられぬよう、帝へ呪をかけよう。
「天子を産むのは、私の宿命だもの」
心をとろけさせたコンの匂いは、今になって毒のように胸を蝕む。
私は朱夏殿を前に、コンの腕を離れた。
「げ」
いつもの中庭から直接、弥勒の座す北の対へと向かう。上がるなりコンが、らしからぬ一音を吐いた。
「女御様ともあろうおかたが、四皇子様のお足もとでずいぶんとおくつろぎで」
蔑むような目で朱夏を見るが無理もない。弥勒の足を温めている火桶の前で、朱夏が横になって寝ている。
コンは床に咲かせた朝顔を愛でるように衣裳をたぐると、首が絞まるように思いきり引っ張った。
「ぐぇ。あら黄昏ちゃん? と、おねえさま!」
「ぐはっ」
私もまた吐血のように、おなかにためていた空気を吐いた。起き抜けの朱夏に抱きしめられ、油断した。抱きしめるというか、抱きしぼりだ。
後宮内で響いてはならない音が一度だけでなく二度までも。不穏に思ったのか、うたた寝をしていた弥勒がはっ、と目を覚ました。
「闇討ちか」
いえ、茶番です。
申し訳なくなり、コンとともに首を垂れた。
「おや、ユキとコンじゃないか。すまないね、歩行訓練のあと、少し疲れてしまって」
そう言う弥勒の右手には杖が握られている。支えがあれば立ち上がれるということだ。弥勒は兄である帝よりも敢闘精神が強い。昔は帝の支えになろうと影で学問に励んでいたが、今は──。
「弥勒。あなた、天子になる覚悟があるの」
「神が望むならば」
やわらかく笑む。その瞳は火桶の火を映し、メラメラと燃えさかっている。その直線的な視線はすぐに外れ、消炭色に戻った瞳はコンと朱夏に向けられた。
「ちょっ、と、おやめください」
「いいじゃない、少しくらい。ほらやっぱり、眉を整えて髪を飾ればお化粧しなくったって、ねぇ」
コンの目にかかる重い前髪を、朱夏が手のひらですくってもちあげた。
あらわとなったコンの額は端まで真っ赤だ。
眉間にシワを寄せ、朱夏の手をはらった。
「眉って、……もう! いい歳して俺にかまうな!」
「なによ。私に逆らう気?」
「今日は話し合いだ。近時どのを呼んでくる」
後ろ姿でわかるほど肩をそびやかして、几帳の奥へ消えた。たまらず朱夏に訊ねる。
「朱夏とコンは、その、ずいぶんと仲が良いのね」
「まあ、私の遊びについてこられる子どもなんて限られてましたから」
そうね、貴族の姫君にはまず無理ね。
「久しぶりに会ったの?」
「……ご両親が亡くなられる直前に会ったのが最後。その日も久しぶりでした。おねえさまが身罷られたあと、後宮の人の出入りが厳しくなりましたから」
「そう」
恋慕うひとに会えない気持ちは、どれほどの寂しさをおぼえるのだろうか。その間に、両親と恩師を失って。
まるで私の死は、コンの人生にかけられた呪いのようだ。
「……私のこと、恨んでいるかしら」
「おねえさま?」
私をおもんぱかり首を傾げる朱夏は、触れるのをためらうほどに清純で愛らしい。
コンの想いびとはきっと、朱夏だ。
幼くして
自分のことを俺だなんて、くだけた口調も今日、はじめて聞いた。彼の心のよりどころは、朱夏に違いないのだ。それなのに私や弥勒の手前、わざと突き放したりして。
「胸が、いたい……」
「おなかがすいたのね!」
朱夏に干し杏子を口の端から詰めこまれる。もぐもぐ。
「甘酸っぱくて美味しい。ではなくて」
「おやつではないの?」
「朱夏は、今もお父上と文を通わせている?」
「もちろんよ。おねえさまから、なにかお伝えすることがあるの?」
「そうね、朱夏のお父上にも伝えておくべきね。今から話すことを」
近時を連れて戻ったコンと弥勒にも呼びかける。
「年末の鬼やらいで、おそらく騎馬打毬以上の惨事が起きる。御都の未来を揺るがすほどの」
「御都全体の? いったい何をお考えなのかしら、たま──」
咄嗟に弥勒が朱夏の口をふさぐ。玉藻姫の名を呼んではいけないことは周知のことだ。弥勒の手のなかで気づいたのか、朱夏は顔を紅くして黙りこんだ。
「私も彼女の考えを知りたい。騎馬打毬のときのように振りまわされぬよう、彼女の行動を読みたいの」
それに未だ、玉藻姫の背後に潜む厄神の存在が明らかになっていない。近時を味方につけたところで桜疱瘡をばらまかれては、一貫のおしまいだ。
「そのために大陸での過去を調べたいのだけれど、弥勒。なにか手立てはないかしら」
「それならば、左大臣の蔵書を調べてみては。生前、大陸に使者を遣わし探っていたと聞いているよ」
「ネズミ、行ってくれるね」
近時の提案にネズミたちはうなずいたが、コンは首を傾げた。
「なぜネズミに?」
「ネズミは道しるべですよ。知を行き先に結べば、おのずと結び着くでしょう」
「なるほど……! さすが近時どの!」
後輩のまっすぐな敬意に、表情のないはずの近時の顔がゆるむ。つかわしめの力を最大限に引きだせる近時の才能は、非常に心強いけれど。こんなにわかりやすい男だったっけ?
「つかわしめと言えば、麒麟は? 離れ離れでも思いは通じるもの?」
「意志疎通は図れますが、あの図体ではしばらくお役に立てないかと」
ごもっともである。
コンが傾げていた首を誰よりものばす。
「つかわしめと意思疎通が? 私はできませんし、ツクモだってひと言も!」
「つかわしめの舌は神の御言。基本的に、命じられたこと以外は話しません。そして私たち陰陽師もまた、神使としてのみ扱いがちだ。彼らを知るには友としてよく語り合い、心を通わせることが大切なのですよ」
「正直、小言ばかりだから話しを短くすることばかり努めていました。ツクモに申し訳ない……、近時どの、あの、ありがとうございます!」
ただでさえ愛らしい目を爛々と輝かせる。
ずっとひとりだったから、教わることひとつひとつが身に染みて、嬉しいんだろうなぁ。気づけば弥勒と朱夏が生温い顔でコンを見ている。
私もそんな顔をしていただろうか。
次の話題に意識を向けさせるため、「コン」と咳払いをした。
「御都の滅国が彼女の目的だとしたら、帝ひとりではなく弥勒の生命も狙われる。朱夏殿の番兵だけでは心許ないわ。そこで、近衛兵を味方につけようと思うの」
味方は多いほうがいい。
それなら、守衛ごとこちらについてもらおうと思ったのだ。大胆すぎるだろうか、弥勒と近時が顔を見合わせた。
「近衛は大将を筆頭に全員、帝につきっきりだ。懐柔工作は難しいよ」
「あら、近衛大将なら間もなく暇ができるわよ」
毎年、
「新嘗祭の前夜にご婚姻されたらしくって。奥方のご実家にお米を運びこんで毎年、お祝いしているんですって」
「なんと、夫婦の祝いごとですか。今年も休みますかねぇ」
「きっと休むわ」
崖上に立たされているのなら尚更。
話し合いが終わると、コンは近時にベッタリ貼りつき、しまいには約束の夕刻まで几帳の奥へこもってしまった。
心強いのは確かなのだが。
「クーン」
素直な鳴き声が鼻を抜けていく。
私はというと、胸に空いた穴を埋めるように、神山では見ないめずらしい果物や菓子で贅を尽くした。
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