おきつねさまと筋子
しっかりと漬けこまれた鮭の腹子は、ぷりぷりの皮を歯で破れると濃厚な出汁となって溢れ出てくる。舌にひろがる、なんともいえない旨みに顔全体がとろけそうだ。
「マサルさん、おかわりー!」
マサルさんが困った顔をしてお釜のなかを見る。
「昏明、よろしいですか?」
「うん」
となりの茶碗を覗く。ほとんど手つかずで、底のひょうたんの絵がまったく見えない。
「コン、腹子は好きじゃないの?」
腹子を食すには、なんどもお湯をかえて筋子をほぐす、面倒な仕込みがいる。それでも自ら水屋におりて、イタチたちと嬉しそうに下拵えしていたのに。
「私が食べてあげようか?」 舌なめずりをする。
「ユキったら、何杯目?」
「三杯目!」
「……食欲も増すよね。帝の愛の深さを思い知ったのだから」
そう言って匙を置く。
つかわしめのみんなが顔を見合わせたので、私から御用邸でのことを説明させてもらった。
三色キツネの声真似の能力で、帝がまやかされていたことも。
マサルさんが残った腹子を皿に集めながら言う。
「つまり玉藻姫は、三色キツネたちの声真似を利用し、中宮様の裏切りを偽装したのですね。それも、専従陰陽師との不義とは。元凶は玉藻姫ですが……、帝は信じてしまわれたのか」
「そう、そこよ!」
米つぶをとばしながら叫ぶ。あ、三杯目です。コンから譲り受けました。
「声真似がなに? あーんな頭の足らなそうなキツネを、あろうことか中宮本人だと思いこむだなんて、天子失格よ。それに、疑わしいなら私に直接聞けばよかったじゃない。それなのに、逃げるように玉藻姫の胸に飛びこんで。悪いけど、私はちっとも帝を憐れんでやれないわ」
みんなが深くうなずくなかでコンひとり、キョトンと目をまるくしている。
あろうことか、だなんて、本人が言う台詞ではなかったか。
それでも許せないわ。
言いきったところで少し気がおさまって、茶碗に鼻をつっこむが虚空を突いた。
「あれ? お茶碗がない」
「いただきまーす」
茶碗はコンの手のなかだ。
それ、私の! じゃなかった。
「コン、腹子苦手なんじゃないの!」
「大好物だよ。マサル、おかわり置いておいてね」
「かしこまりました、ぐふ」
マサルさんの肩がふるえている。
ふきだすのを我慢しているのだ。
なにがそんなにおかしいのか。
「コンに食欲が出たなら、まあいいか。トキ、お茶ー」
ターン!
みんなの足もとに、あつあつのお茶碗が華麗に置かれていく。
「トキ、目を三角にしてどうしたの」
「怒りもしますよ! 姫様はあり得ない濡れ衣を着せられ、殺されたのですよ!?」
「それはトキもいっしょだよ」
みんなを道連れにしたことに関しては、私も帝と同罪だ。私自身が、帝と向き合う機会を作るべきだった。私もまた帝に見限られることを恐れて、逃げていたのだ。宿命のほうから勝手に動きだすのを、ただ待っていた。
天から雷が落ちるように。
そんな都合の良い話し、あるはずないのに。
「ユキ、聞いてる?」
「ごめん、聞いてなかったよ」
「昨日、私が邸を離れてから三色キツネになにを命じたの? 落雷だけ?」
「ううん。落雷は、印のようなもの」
二度も呪い言を吐いたのは決して無謀ではなく、きちんと理由があってのことだ。呪いは間隔を空けて同じ者に効くのか調べたかった。ついでに声真似の能力を奪ってしまおうと考えたが、そちらはすぐに判別が難しい。ゆえに、落雷を付け足した。落雷が私の異能だと印象づけることもできるから。
「結果、呪い言は間隔を空けてしまうと、古い呪いのほうから解けてしまうことわかった。落雷と同時に私の姿が暴かれてしまったから。コンを先に行かせてよかった」
落雷で庭の木々に火が燃えうつったことで、なんとか三色キツネを足どめできたが、人間の足では追いつかれていただろう。あの三匹、恐ろしいほど足がはやかった。
「ただ朱色キツネに、コンの香りを嗅ぎとられてしまったことが、痛い置き土産になってしまったけれど……」
「すごい! ユキ、すごすぎるよ!」
「え!?」
コンが両手をふるって抱きついてきた。
「異能を試すばかりか、三色キツネの能力を奪ってしまうなんて……っ、感動して、涙が出てしまいそうだよ」
見上げれば、言葉どおりに目尻に涙をためている。その涙を舌ですくい取りたい衝動にかられ、視線を下へ戻した。そこには、床に置かれた茶碗がひとつ。残念、コンったらおかわりもしっかり綺麗にさらえている。
キツネでいる理由が思いつかず、私はコンの腕のなかで人間になってしまった。
「え、えへへ。コンが、急に抱きつくから」
「……ウサギ、中宮様のご衣裳は」
「洗ってユキの部屋においてある」
トキが女房姿となり私へ手をのばすが。
「着付けは、明朝お願いできますか」
「明朝? あした?」
「キツネに戻っているとは思いますが、念のため」
コンは私を横抱きにすると、ぽかん顔のトキの前を素通りして、私の部屋へ直進した。閉められた戸の隙間が青光りする。用意がいいなぁ。
翌朝、イタチたちに新しい藁布団の寝心地を問われる私を垣間見て、
マサルさんのまあるい背中は震えに震えていたのだった。
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