おきつねさまと三色キツネ

 邸へ戻ると、私の部屋になんとふかふかの藁布団が敷かれていた。夏の終わりごろから、中里へおりては麦藁をちまちま運んでいたんだと、イタチが嬉しそうに言う。


「私だけの、ふかふか藁布団……! この御恩は!」

「そろそろシャケが川をのぼってくるから。なぁ?」

「鮭……? とくれば、鮭の腹子たまご! 狩りだー!」


 私はまだ採ってもいない鮭に想いを馳せすぎて、きつねに戻ってしまった。花冠が首をすり抜け、前足でとまる。

 

「しょうがないなぁ、ユキは。朝ごはんに間に合わせたいなら、すぐに行っておいで」


 コンは私の首から冠を抜くと、あっさりと送り出してくれた。さては鮭め、コンの好物か。そう思えばよりいっそう気合いが入り、いきおいでとびだしたその夜は豊漁となった。



 翌朝の神託はコンと足並みを揃えて向かった。おたがいにおなかが重くて、少しでも動きたかったから。


「鮭のお粥、すんごい美味しかったねぇー!」

「うん! すっごく美味しかった!」


 おなかをさするしぐさをしながら、笑う。

 鮭はほんとうにコンの好物でした。めずらしくマサルさんへおかわりをせがんで、しっかり私もあやかった次第である。

 

「ふふふ。夕ごはんには、コンが漬けこんた腹子がでるね」

「今から待ち遠しいなぁ」

「ずいぶんと仲睦まじいことで」


 沼でお待ちかねの、ツクモのちいさな目が紅い顔に埋もれている。


「おはよう、ツクモ。今日は紹介したい虫がいるんだよー」

「虫ィ?」


 長いクチバシからチロリと細い舌をだす。

 あっ、もしかして朝ごはんまだです?

 用意がいいことで、コンは腰の巾着から鮭の切り身を取り出すと、ツクモのクチバシ目がけて放り投げた。


「やだぁ鮭じゃない、美味しい〜!」


 あれ? 訛ってない。


「それに、女っぽい……?」

「ゴホンッ。先に今日の神託を伝えとく。呪い言の発動条件を明確にすることや。やたらめったらに使われたら敵わんからなぁ」

「でも、どうやって? 人間はコンしかいないよ」

「私は別に構わないけど」


 コンが爛漫と華やかに笑う。

 朝からその色香はやめてよ。勝手に人間になってしまうよ。

 ツクモがまた目を細めて言う。


「三色キツネが内裏を出て、西の御用邸で過ごしているから、まやかしてき」

「妖狐が練習相手? 昨日の今日でいきなり難題すぎない?」

「いつかは試さなあかん相手でもある。今日はあの三匹が唯一、玉藻姫から離れる発情期やし、従者もひとりしかつけてない」


 たしかに妖狐に呪い言が効く効かないは明確にしておくべきだけれど。


「発情期ねぇ、もうそんな季節か」

「おきつねさまにはないんか」


 ツクモが下世話に訊ねてくるが、あんまり考えたくないなぁ。コンの居る方角へ視線をやれず、反対側に顔を向ける。すると、音もなくトキが女房姿で立っていた。びっくりした。


「はじめまして。わたくし、紹介されるはずだったノミ虫で、名はトキです」


 また後まわしにされて苛立ったらしい。口の端がひきつっているし、説明も端折っている。トキ説明書を作るべきか悩みつつ口を開くが。


「トキは前世、私のおつきの女房で──」

「トキ、ちゃん」


 トキちゃん?


「ツクモは、おかあさまからトキのことを聞いているの?」

「いえ。……いや、はい。合点がいきました。トキちゃんが居れば百人力……」


 また言葉遣いが丁寧になっている。

 

「でも、ノミって!?」


 説明はいらなかったが、ノミ虫なトキを受け入れられないツクモにしつこく引き止められ、結局日暮れてから御用邸へ向かうこととなった。



 西の御用邸は私の死んだあばら屋とは違い、大陸の建築様式を取り入れた色鮮やかな邸であった。ただその色彩も、灯りすらも見えない山奥に、隠れるように建っている。

 人間になった私はというと、衣裳を汚せないので平服で、コンの乗馬でやってきた。改めて言わせてもらう。コンが馬寮からかりてきた馬に乗って、揃いの平服を着て、御用邸まで景色を楽しんだ。ちなみにトキはツクモと話があると言って沼に残った。つまりふたりきりだ。

 前世だって危ないので当然、帝と二人乗りなんてしたことがない。初めての体験にご満悦の私は、お務めを忘れてしまいそうです。

 先に馬をおりたコンは私に手を差し伸べながら言った。


「この山道、乗っているだけでも疲れたでしょう。帰りはすぐに転移できるよう、魔法陣を描いておくから」


 えー、いいのに。

 けれど逃げ道は多いほうがよいので渋々待つ。すると水汲みだろうか、近侍がひとり、おおきなタライをもってこちらへ向かってやってきた。忙しなく腕を動かすコンは気づいていない。


「ふむ。呪い言とやらを試してみるか」


 私は深く息を吸いこんだ。

 乗馬より気を張らないのは、すでにコンで試しているからだろう。理性を失ってからのことだが、それでも自信があった。

 大切なことはふたつ。

 目を合わせること。それから、声音を変えることだ。

 人間の姿になると気づくのだが、新しい喉仏のようなものが、首の奥に存在する。使い分けは実に容易だ。前世では出せなかった低い音程をとると、力の抜ける感覚を覚える。きっと、この声音ならば──。


「もし」


 私は軽く近侍の肩を叩いた。目をしっかりとふたつ、合わせる。


 ──平服を着た人間の存在を、可視できない。


「えっ、ユキ? ……んっ」


 コンの口を袖でふさぐ。


「おかしいなぁ、確かに今、声がしたし肩を叩かれたのに」


 近侍はタライを抱えたまま身震いをした。

 失敗した。どうせなら声も聞こえないように命じるべきだった。やはり言葉選びは重要だ。近侍に聞こえぬよう、コンの耳に唇を添えて囁く。

 

「描き終わっているなら、ついて行こう」

「──はい」

「はい?」


 あれ? 行こう、も呪い言になってしまっただろうか。ちゃんと音程はあげたのに。コンは傀儡のようにからだをぎくしゃくさせながら、近侍の後を追った。



 ツクモの言うとおり、動ける近侍は呪い言をかけた者しかおらず、御用邸のなかへあっさりと入りこめた。日も暮れきり、情事の最中ではと身構えていたが、母家に女御らしき人の動きはない。すでに精を搾り取ったあとのようで、奥の几帳からのびきった男たちの影が見えた。その手前で酒を煽るのは三色キツネだ。尻尾をクタクタにして横たわる二匹のそばで、朱色キツネだけが背筋をのばして座っていた。


「お姉様〜、今年は実りはありそう〜?」

「……どうかしら。あちらが先にのびてしまったからね」

「私はちっとも満たされないわー! こんなことなら、ニンニクでも食べさせておけばよかった!」


 私は物陰で首をひねった。おかあさまはコンに必要だからと言って私を山里までお使いに出したけれど。ニンニクって、滋養に富む薬ではないの。そういう食べ物なの?

 となりで跪くコンの顔を覗きこむ。なぜか必死に首を振った。

 緑キツネが、朱色キツネを思いやる。


「……しかし、お前はよかったのか? 好い男をみつけたのではなかったの」

「それがぁ〜、打毬のあとから、みつからないのよ〜、玉藻様も、探してくださっているのだけれど〜」


 青菜に塩をふったように二本の尻尾をしょげさせる。反して黄色キツネは尻尾を振った。


「あらぁ! 初めてじゃないー!? ひとりの男に固執するなんて!」

「……うふふ、愛しいこと。協力してあげるわ」


 まさにその標的であるコンが、振動になってこちらへ伝わるほどからだを震わせた。

 しばらくこのまま様子をみようかと思ったが、そこは妖狐である。コンのたてた細やかな音に、黄色キツネの耳がピクリとはねた。


「今、聞き覚えのない衣擦れの音がしたわ! 男のものよ!」


 三匹とも、警戒し耳をピンと立てる。

 別々に動かれたらおしまいだ。私はコンへ目配せを一度、小細工なしに、一気に前へ躍り出た。キツネの夜目は暗闇に光る。自然とこちらを見つめるだろう。あとは呪い言を囁くだけ。


 ──平服の人間の存在を、決して認めるな。


 三匹の前で立ったまま様子を見る。


「……気のせいでしょう。そんなに物足りなかったの?」


 緑キツネが虚空を見据えるように私をまっすぐに見る。呪い言は妖狐に効いたようだ。私は息を整え、コンを手招きした。三匹の視界に平服がある限り、我々は存在しない。嬉しそうに歩み寄るコンの衣擦れもまったく気にしなくなった。

 黄色キツネが干した盃へ溜め息をこぼす。次には、耳を疑いたくなるような言葉を吐いた。


「はぁ、また中宮に化けて、帝のお相手できないかしらぁ!」


 うっとりと言うが、中宮──?

 黄色キツネが中宮に、私に化けて帝と帳台を共にしたというの。

 コンと顔を見合わせる。瞠目した瞳のなかに、すっとんきょうな私の顔が映った。効き目はわかったのだ、合流したらすぐに立ち去るつもりだったが、足が重くなってしまった。

 緑キツネが忠言する。


「……あれは帝を騙しこむための、玉藻様の策略の一部。今では帝と目を合わせることすらお許しにならない」

「あぁ、羨ましいわぁ! 玉藻様との房事もあんなに情熱的なのかしらぁ! まぁ、陰陽師の名を口ずさんだときの帝の顔は、実に情けのないものだったけどぉ!」

「……雷鳴の中宮は専従の陰陽師と密やかに通じていた。復讐心を駆り立てるには安い芝居だったけどね」

「あらぁ、お姉様の迫真の演技、素晴らしかったわよぉ! ……共に逝き、来世で結ばれましょう」


 三匹のかん高い笑い声がひろい邸のなかに轟く。

 近時のあの、最後の言葉──。

 あれは、緑キツネのものだったのか。

 私は邸にたつ柱のように、真っ直ぐ立ったまま動けなくなってしまった。


 帝は玉藻姫を愛し、彼女のために私を殺したのではないの。愛が冷め、邪魔になった私を。

 夜御殿での帝の言葉がよみがえる。

 

 ──今なら、許せるから。


 帝は、私と近時が不義の関係にあると思いこんだ。自身がほかの後宮をまわっているあいだ、私と近時が愛し合っていると。私と近時が帝を見送る際、名残惜しそうな顔をしながら心のなかでは笑っていたのだと。そう思っていたんだ。

 帝は、ミカサはきっと深く傷ついた。許せなかった。私も近時も、まわりの側仕えたちも。だから雷鳴殿の女官も巻きこんだ。

 私を、愛していたから。

 そして私の心を取り戻せるなら、怨霊でもいいと、本気で思っている。


「ぜんぶ、ぜんぶ玉藻姫のせいだったのね」

「ユキ、さすがに声は」


 コンが怒りをなだめように私の背中を撫でたが、ちがうの。


「ひとつ試したいことがある。コンは先に魔法陣で馬に乗って待っていて」

「でも──、……うん、わかった」


 コンは私の冷淡な目をみて、すぐに退いた。

 私の心は、驚くほど静かだった。

 帝もまた玉藻姫の犠牲者なのだと、はっきりとわかったのに。愛ゆえの過ちだったと知っても尚。


 私の心は、帝に戻らない。


 深く、息を吸う。


 ──落雷ののち、声真似の能力を失え。


「誰だ貴様!」

「……雷鳴の、中宮!?」


 雷光を背負い立つ私を、三匹はしっかりと紅い目玉のなかにおさめた。朱色キツネが鼻を震わせる。


「この匂い、あの少年の」


 私から香ったのだろう。唖然とした顔が一瞬で憤怒に塗り変わる。

 私はその少年の笑い顔──ではなく、ほかほか粥にたっぷりのせられた鮭の腹子を思い浮かべ、遅れてやってきた雷鳴と共にキツネへ戻り、消えた。

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