おきつねさまの恋路

「トキのウソつき、まったく眠れないではないか」

「眠れる魔法などとは、ひと言も言っておりませんが?」


 ノミに戻ったトキにぶつぶつと文句を言っていると、となりで小亀がぼそりとつぶやいた。


「お散歩びよりですねぇ。眠れないのでしたら、おでかけになられては」

「そうだね。そうするー」


 心の邪念を断つにはきっと、日を遮るより浴びたほうがいい。

 スクッと腰をあげた私に、トキがあからさまに驚いた。


「いったい全体、どういう風の吹きまわしで」

「おきつねさまの私は、前世とひと味ちがうのだよ、ふふん」

「姫様の腰の重さは、七度死んでも変わらないと思っておりました」


 まことに失礼である。


「お散歩は毎日行くし、夜に走りまわったり、変化の練習をしたり、狩りだって自分でするんだよ」

「狩り、とは」

「ネズミとかウサギとか、つかまえるんだよ」

「つかまえて、どうするのですか。まさか」

「食べるんだよ」


 遠まきにこちらの様子をうかがっていたネズミとウサギが、震えおののいている。


「信じてないでしょう。みてよ、みんなのあの表情」

「いえ、信じますよ。前世より姫様はお肉に目がありませんでしたし、ご自身での狩猟はよい経験になられるかと」


 そうだけども、そこはもう少し驚いてよ。


「では、今から狩りに出られるので?」

「ううん。せっかくだから、今日のうちに人間の姿の運動能力と持久力を体感しておこうかなー」


 邸のなかが一瞬、刻をとめたようだった。

 小亀が半弧を描くように首を傾げる。


「昨日の今日で人間に、化けられると?」

「できると思うけど」

「そんな易々と──」


 視界が陰る。コンだ。崩れるように腰を落とすと、ガッチリ肩をつかまれた。


「できるの」

「う、うん」 コンの真顔好きすぎるから、やめて。

「二股の朱色のキツネは百年生きている。それでも未だに制御できていないんだ。黄色も青色も、半日もてばよいほうだ」

「キツネのからだに慣れすぎたのでは? 獣に二足歩行は酷というもの」


 私はコンの手から離れると、白妙の裾をくわえ、ぐるぐるとからだにまきつけた。


「私はおきつねさまよ。そこいらの妖狐といっしょにしないで」


 妖狐はなにゆえ人間に化けるのか。たぶらかすため? 人間を脅かすことで己の強さを誇示するのか。

 ──そんな無益な。

 答えは必然だ。長い年月を生きながらえるためには、人間社会に溶けこむ必要がある。長く生きれば生きるほど、痛感するのだ。人間になれなければ、強くあれないと。

 その必然が、頭の足らないキツネたちをおびやかし、なりきれないのだろう。


 人間に強さを求めていてはいけない。憧れてはならない。けれど見下して化ければ、世界の広さに打ちのめされる。三色ギツネのように。

 

 心のままに人間に寄り添えば、姿を変えられるのに。


「コン、もう少し頭を下げてくれる?」

「こう? ──えっ」

 

 前足を浮かせ、コンの唇に鼻先を落とした。


「な、……え、えっ、え!?」

 

 巻きつけた白妙がきつくしまっていく。隠していた生足があらわになって、縁につき出た。コンが慌てて背を向ける。


「ウサギ! 中宮様の衣裳! 御衣裳を!」

「干したばかりで、乾いてないよ」

「そうだ! ならば私の部屋に小袖と袴が──、トキどの、よろしければ着付けをお願いできますか!」

「御意に」


 トキもまた人間になると、私の手をひいてコンの部屋へと直進していった。戸を閉めきり、振り返ったトキの顔は呆れている。


「愛する男への口づけで、人間に姿をかえられると」

「試してみただけ。次はコンのいないところでできるかやってみる」

「愛する男というのは、否定されないので」


 否定したら、このお話し終わる?

 トキは息継ぎを我慢して言葉を続けた。


「姫様は千年の宿命を背負うおきつねさまですよ。コンどのの寿命はおよそ五〇年。その短い人生を添い遂げるとでも言うのですか」

「まさか」


 コンは、身命を賭して務めると私に誓った。玉藻姫への復讐のために、すべてを私に捧げているのだ。私はその誓いに応えるだけ。


「御都に平穏が戻るとき、コンのお目付け役としての務めは終わる。彼が中心となり他国へ散った陰陽生を集め、陰陽寮をたてなおさねばならない」


 父を継ぎ、陰陽頭として寮の未来を担うだろう。その才能も技量も申し分ないコンへ私にできることといえば、支えとなる姫君を探すことぐらいだ。コンには、笑いのたえない明るい家庭を築いてほしい。父の陽明がそうであったように。


「いいね。目指せ、小御門家のお目付け役!」

「……では、姫様ご自身は」

「私は宿命に流されよう」


 トキが耳のなかへと消える。

 いつのまに着付けられたのか。私は天子の象徴色である青磁色の小袖と小袴に身をつつんでいた。


「わあ! 私、いちどでいいから着てみたかったんだー!」

「しかし姫様へわざわざ平服をあつらえるとは、まったくどんな了見で」


 大内裏の外に住む御都の民は、この色の平服を着る決まりがある。罰則はないが、色柄の異なるものを身につけていると旅人ではと目をつけられ、おもてなしという、聞こえのよい押し売りにあうらしい。

 部屋を出ると、なぜかコンも同じ色の平服に着替えており、先ほどと同じ方角を向いたまま、待っていた。


「どうかな? 似合う?」


 首だけをこちらへ向けたコンは、ごくりと生唾をのんだ。


「うん。とてもよく似合ってる」

「コンも、素敵よ」

「そうかな」


 すぐさま顔を外へやる。

 もう少しよく見て欲しかったのだけれど。

 コンは背中を向けたまま縁からおりると、草履をふたつならべた。い草で編まれた草履のひとつはコンがいつも履いている鼻緒が藍色のもので、もうひとつは桜色だ。


「私が履くの?」

「うん。どうせなら、町屋を歩いてみよう」

「町屋? お店に、行くの!?」

「お茶碗。ユキが割ったのだから、選んでくれるのでしょう?」


 なにそのご褒美!

 大内裏を波紋のように囲う貴族たちの居住区の外側には、町屋と呼ばれる店を営む家が立ち並ぶ。町屋には、油や炭などの必需品だけでなく、旬の野菜や果物、御都ならではの民芸品が売られているらしい。そのすべてを噂でしか聞いたことがなかった私は、町屋を歩けるだけで夢のようだ。縁に足をおろし、草履に足を入れた。


「ぴったり!」


 途端に首まわりが涼しくなる。トキだ。


「姫様、少々お待ちを。町屋においでになるなら御髪が長すぎます。コンどの、なにか結ぶものございます?」

「ではこれを」

「まあ、こちらも桜色。備えのよいことで」


 トキは私の髪を手際よくひとつにまとめると、コンから受け取った組紐を自身のように編みこんだ。中宮時代、町屋のひと文字でも口に出そうものなら機嫌を悪くしたのだ、てっきり文句をこぼすと思っていたのに。トキは何も言わずに、大人しくノミへ戻った。


「さあ行こうか」


 当然のように現れた魔法陣の前で、コンが手を差し出してくる。みんなの生温い視線を浴びながら、私はコンの指先をにぎった。




 魔法陣の先はひと気のない袋小路であった。ただの小路でさえ珍しい私は、その場で一周足踏みをした。


「道がせまくて、ながーい!」

「お願いだから、私から離れないでよ。あと、疲れたらすぐに言うこと」

「コン、みて! 帯がたくさん!」

「聞いてる?」


 小路とつながる大通りに、組紐がならんだ店家がみえた。みんな揃いの色の平服のため、町屋では腰を飾りたて個性を出す風習があると聞いている。店先に吊るされる組紐は、水晶や鉛玉を縫い付けられており、陽の反射できらきらと煌めいた。


「こんなに細かい模様や細工、私はじめてみた」

「そうかい? 気に入ったんなら、つけてみい」

 

 適当に声をかけたのだろう、なんの気なしに私たちを見上げた売り子の娘が、身を乗り出した。


「こりゃあ、またずいぶんと可愛らしい夫婦やねぇ! 敢えてなんもつけてないってことは……、お揃いでお探しで?」


 返事を待たずに、店の奥から帯を抱えて持ってきた。どれも模様が揃いのものばかりだ。


「今年はねぇ、厄除けの紋様が人気やねんけど、若い夫婦にはやっぱり、子宝の麻葉模様がええかな」

 

 足もとを覗きこみながら、藍色と桜色の帯を差し出してくる。この娘やり手である。ください。


「買おうか」

「え!? いいの! お茶碗買いにきたのに」

「なんのためにお務めしていたと思ってるの」


 このためと言わんばかりに巾着の紐をほどく。


「にいちゃん、女たらしやなぁ。うち一瞬、ドキッとしたわ」


 銭を受け取りながら、私の心の声を娘さんが口に出した。その場で帯を結んでもらい、店を離れる。互いの腰の両端にしずく型の水晶玉が垂れ、同じように揺れた。


「可愛い……」


 ひとりごとのようにつぶやいたのは、コンだ。


「そう? ちゃんと町屋に馴染めてる?」

「馴染めては、ないかな。町屋を歩く娘さんにしては、美しすぎる」


 目を伏せたまま、地に笑みをこぼす。

 コンだって、平服を着ていても、スッと背筋をのばした佇まいは貴族そのものだよ。


「では私たち、邸を抜け出して町屋を遊びに来た夫婦にみえるかな」

「そうだね。……それでいこう!」


 コンは私の手をひっぱると、わざと物珍しそうに店を見て渡った。少し興味を示しただけで巾着の紐を解くから、たいへんだ。私は見ているだけでじゅうぶん、楽しいのに。それでも途中みんなのために、もち米や薬草を買い足しながら、うつわ屋さんを目指す。よせばいいのに、私がコンに選んだお茶碗と、揃いで私のぶんまで買ってくれた。


「コンはとことん、女を甘やかす男ね」

「ユキだって。お茶碗、私のために真剣に選んでくれたでしょう。嬉しかった」


 コンに選んだお茶碗は翡翠色で、なかに神山の沼のようなひょうたんが描かれている。ちなみに私の茶碗のなかは駒だ。

 ひょうたんから駒。まるで私たちの関係のようだと、心のなかで笑った。

 本来ならばこうして足並みを揃えて歩くことすら、ありえないのに。


「町は平穏。内裏のなかを、忘れてしまいそうになるほどに」

「みんな忘れたいんだよ。だから平穏を求め、争わずにいられる」


 だが赤焼けはじめた空を見上げれば、炮烙の煙が今日もモクモクとのぼっている。


「ユキ」

「……ん?」

「最後に、これだけ贈らせて」


 そう言うと、コンは両手を私の鼻先へとつきだした。その手におさまっているのは、枝を編んだ、まあるい冠だ。ところどころに季節はずれの桜が咲いている。


「これは?」

「神山に咲く桜の枝で作った花冠なんだ。これだけでは味気ないでしょう。だからほら、あそこで好きな花を飾ろう」


 コンが肩を向けた道端で、色とりどりの草花が桶に入れられ、売られている。人気のようで娘さんが何人も冠をもって並んで、花を選んでいるようだった。

 足を踏み出せずにいるも、目が輝いていただろうか。悪魔のささやきが聞こえた。


「ちなみに、花売りさん帰る時間だから、安くしてくれるみたい」

「ほんとう!?」


 大声で喜んでしまった。気を遣って隙間をつくってくれた娘さんたちといっしょに、冠へ花を挿していく。気づいたら冠は枝が見えないほど、ごちゃ混ぜの花で埋まった。


「やってしまいました」

「ほんとう! でも楽しそうでよかった。見ているこっちが嬉しくなるくらい」


 遠まきに見守っていたコンは冠を受けとると、そのまま頭にのせてくれた。


「でもあと一本だけ、いい?」


 桶から一輪、遅咲きの桔梗を引き抜く。もう挿すところなんてないのに、左耳近くの目立つところに無理矢理押しこんだ。

 その行為に、あたりが感嘆とざわめく。

 陰陽生のコンは知っているのだろうか。桔梗の花言葉を。


「うん、とても綺麗だ」


 永遠の愛。

 黄昏の空の下で、コンの紅顔は、描いたような微笑みを浮かべていた。

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