鬼やらい

恋せよ

おきつねさまと小豆粥

 神山に雪は降るが、住むに困るほど積もらない。山に生きる生命を尊重し、風神様が雲を遠ざけているのだという。それでも標高の高い沼では、冬のはじまりに薄く氷が張った。その上に足を添える白い鳥を、私は両前足を宙に泳がせ呼び寄せた。


「おはよう! ツクモ、今日の神託は? おやすみ?」


 明け星が瞬くかわたれの空の下。ついでに愛想よく尻尾もふっておく。

 雷鳴殿ではじめて人間の姿へ変わり、二日経とうという今朝のこと。寝覚めにコンの腕をすり抜けると、私はすっかりもとのキツネの姿に戻っていた。

 黄泉神おかあさまのつかわしめであるツクモは、私の凛々しい黒点の鼻を見るなり、おおきなクチバシを開けて吐く仕草をした。


「主人が居らんやないか。いややね」


 ツクモの言うとおり、私のとなりにコンは居ない。コンは、私が部屋の戸を開ける音にも気づかず、目を開けなかった。いつもなら、私が少しみじろぎするだけで起きるのに。それに、置いてきたのはコンだけではない。ノミのトキにも言づてなしで出てきた。あとで叱られるかしら。

 それでも私は、抜けがけしてでもツクモに訊きたかった。


「これだけ聞かせて。おかあさまは、私の異能をどう扱おうとしているの」


 帝に呪い言をかけ、後宮に戻るべきだと、おかあさまも思っているの。

 ツクモからは、意外な言葉が返ってきた。


「ユキの、したいように」

「私の?」

「黄泉神様は現世に関与できん。ぼんやりとした未来を、ただ見上げているだけ。そしてその未来は常に、変わり続ける。騎馬打毬のように」

「騎馬打毬……、私は、おかあさまの神託に逆らったうえに、なにもとめられなかった。近衛中将を亡くしてしまった」

「何を言う。ユキが介入しなければ、近衛隊は全滅していた。ユキは能力を開花せずとも、四〇名余りの命を救った」

「そんなの、たまたまうまくいっただけよ」

「しかしその機転、その知恵こそが、黄泉神様の望むもの。それに、ユキをどう扱おうかなどと考える余裕もない厄災が、近々ふりかかる」


 ツクモは薄氷に爪をたて、小気味良い音を鳴らせた。


「あと五度。月が満ち欠け、年の瀬や」

「鬼やらい」


 ツクモのクチバシがうなずくように上下する。

 鬼やらいは、その年の最後に鬼を祓う行事であり、その祭祀では天子が国々の繁栄と平和を祈り神楽を舞う。


「天子が舞えば、中宮の御魂を喚び醒ます。そう言うて頑なにやらんかった鬼やらいを再開するて、各国へ帝が詔書をだされた」

「帝が直々に? では、大国の城主はかならず来席するのでは。他国に御都の内情が知れたら──」

「それが狙いだとしたら」


 ゾクリ、総毛立つ。


「戦になる」


 空っぽの内裏。数えるほどしかいない近衛兵。人形のような帝と暴虐非道な皇后を前にした南の大国の城主は、娘の朱夏殿の女御を奪還するために刀を抜くだろう。

 西と北の大国の城主もまた、実娘の偽物を前にして立ち上がる。とうに暗殺され、今まで隠蔽されていたと知れば、怒り狂うに違いない。

 

 鬼やらい。

 その幕切れは、どちらかの死。


 あっけなく、城主たちが玉藻姫の手にかかるか。

 城主たちが帝の首をとるか。

 

 城主たちが御都で亡くなったら?

 西も北も、城主を失い黙っている国ではない。間もなく攻めこまれ、御都は滅亡するだろう。

 では帝の首が胴から離れたら?

 神の子、天子を失った御都はただの集落へと落ちぶれる。そして空席となった頂点を、国同士が奪い合う。

 ツクモは昇ったばかりの朝日を背負い、両翼を広げて言った。

 

「黄泉神様の預かりきれん、戦乱の世がはじまる」

「おかあさまはその結末を恐れているのね」


 そして玉藻姫が望んでいるということだ。

 でも、どうして今になって?

 玉藻姫の力をもってすれば、御都の戦力など一日で潰滅できたこと。帝の首を切ることなど、息をするより簡単なことだろう。三色キツネをこき使ってまで、まどろっこしいことをした譯は?

 今年の鬼やらいでなくてはならなかった理由。その機に、起こりうる変化とは。


「クーン」


 力なく、鼻が鳴った。

 私だ。

 玉藻姫は五年間、この私を待っていたのだ。

 鬼やらいの再開をわざわざ帝の大御言にして広めたのは、私へ知らしめるため。


 次は果たしてとめられるのか、と。

 

 ツクモはうんざりと翼をはためかせると、


「どうせ悔やむんやったら、ぜんぶ終わってからにしい。時間の無駄や」


 慰めにもならない言葉を吐き捨て、曙の空を羽ばたいていった。




 とぼとぼと帰路に着くと、邸のなかで忙しなく一日が始まっていた。ネズミは掃除、イタチは水汲みに何度も川と水屋を行ったり来たりしている。囲炉裏からは、とても香ばしい煙がもくもくと。


「この匂いは……!」


 縁で足の汚れを落とし、小上がりへまっしぐら。囲炉裏の前で尻尾を振っていると、となりにコンが並び、ドキリとした。


「お、おはよう、コン」

「おはよう。ユキったら、起こしてよ。食時まえまでに行かないと、ツクモがヘソを曲げてしまうよ」


 歩きながら着物の紐を結ぶほど焦燥としているわりには、なぜか私と膝を揃えた。その視線は私より下を見据えている。

 手際よく鍋をかきまぜる、小猿のマサルさんだ。


「マサル、おはよう」

「おはようございます。邸へ来てはじめてではないですか? こんなによく眠られたのは」

「自分でも驚いてる」

「ユキのおかげですね」


 やわらかに笑むマサルさんへ指先を向け、コンは床に頭をついた。


「今さらこんなこと、言っても許してもらえないのはわかってる。でも、謝らせて。父を、君の主人を、死なせたのは私だ。ほんとうに、ごめんなさい」


 いつも小うるさい邸のなかがシン、と静まり返る。パチパチと炭の爆ぜる音だけが寸刻の間を支配した。だが次には、


「こんめ、バ────────────カ!」


 今まで聞いたことのないマサルさんの金切り声が耳を突き抜ける。

 マサルさんは、私の推測よりずっと狂乱し杓子を放り投げると、(ちなみに、その杓子は小亀の甲羅に落ちた)人間に負けないくらいワンワン泣いた。


「バカ昏明! 許さん! 謝ることを、許さんからな!」

「こんのサル、お前こそ許さへんで!」


 そこへ小亀が甲羅を紅くしてやってきて。


「陰陽博士を置き去りにして、私だけが生き残ってしまった。小亀、ほんとうにごめんなさい」

「はぁ!?」


 コンが謝って、また炭の爆ぜる音がした。


「バ────カ! バカ!」

「昏明のバ──カ!」


 それからしばらく、コンはマサルさんと小亀にポカポカ殴られていた。遠目に見守っていたみんなも面白がってコンにのっては、覆いかぶさり。

 最後はみんないっしょに、嬉しそうに笑った。



「それでは、行ってきます」

「行ってらっしゃーい」


 懐にマサルさんと小亀を入れて、神託を受けに沼へ出たコンを見送った私は、囲炉裏へ戻ると呪文のようにその名を唱えた。


「トキー、私のトキやー」

「仰せごとでございますか」

「うむ」


 名を呼ぶだけで姿を現すとは、さすが私の女房である。配膳役が留守になった今、私は遠慮なく、トキに粥をよそわせた。


「キツネに戻ったとたんに、このわたくしを下女あつかいするとは」

「だって見てよ、この小豆粥!」


 お粥に小豆が入ってるんだよ。なんて贅沢な。よく蒸された小豆と、その紅色に染まる粥のなんと艶やかなことか。

 

「あれ? トキ、人間の姿なのにお喋りできてる」

「昨夜、屋根裏をとびまわりひたすら肺を鍛えておりましたので、ひと言ふた言でしたらお話しできますよ」

「へぇ」

 

 コンの部屋の戸は、私とコン以外に開けられない。つまりは、ノミのちいささをもってしても部屋から出られず、トキはひと晩じゅう真上に居たのだろうか。

 今さら考えたところで後の祭り。細かいことは、気にしないでおこう。


「ぷはぁっ、ほのかな塩味がからだにしみわたるー」


 キツネに戻っても食欲がなかったらどうしようかと思い悩んでいたが、誠に杞憂であった。

 ああ、お米はおかゆなのにモチモチしていて、ほろほろと崩れる小豆の芳醇な香りがたまらない。おかわりがとまらないのが、今の悩みだ。


「昨夜、姫様にしてはよく動かれましたからね」


 ブ─────ッ。おかゆをふきとばし、トキが消えた。

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