おきつねさまは眠れない

 庭でも眺めて頭のなかを整理しようか。

 戸の方角へ膝をにじらせると、衣裳の裾がひっぱられた。


「眠れないの?」

「うん」

「では、私に呪い言をかけてみてよ」

「コンに?」

「命じれば呪いが発動するのかまだよくわからないし、陰陽師に呪い言が効くか、実証が必要だ」


 陰陽師に? 必要かなぁ。 


「なにかない? して欲しいこと」


 コンにして欲しいことと言われ、指先が唇へ向かう。私はその手をもう片方の手でおさえこんだ。


「聞きたいことはたくさんあるけれど、無理矢理聞き出したくはない」

「私に聞きたいこと? なあに。気になるなぁ」


 嬉しそうに笑うけれど、私が聞きたいことは寝かしつけに語るような生温いお話しではないよ。

 手で手繰るしぐさをしながら、コンは言った。


「わかった。私の両親のことでしょう」


 的を得すぎていて、口をパクパクさせてしまった。


「私がひとりでいることを、ずっと気にかけてくれていたもの。ごめんね、話すのが遅くなってしまって」

「ううん。でも、今でいいの……?」

「今が、いい」


 コンは上半身を起こすと、眠気を覚ますためか片膝を立て膝で目をこすった。その動作で、ぶわりとコンの香りが鼻をくすぐる。枕をすぅはぁしたときよりずっと濃く、目がまわりそうだ。

 ゆらゆら肩を揺らしているとほんの一瞬、コンの生乾きの髪が指先に触れ、ドキリとした。


「ん……? コン、また水浴びしたの? 朝のは、みそぎ?」

「え!? うん、その、帰りに馬寮へ寄ったから、匂うかなって、思って」


 声が裏返り、咳払いで喉を落ち着かせる。今度は羞恥にたえるように両手で抱えた膝に頬を預け、視線を下へ泳がせた。

 まつ毛ふさふさー。そのまつ毛に扇がれたいって、呪い言をかけていい?


「私からは伝えていないけれど、陰陽頭、小御門陽明が私の実父であることは、すでに知っているよね」


 話しが始まり、よこしまな感情を消しとばしながら居住まいを正す。


「うん。コンの口からは聞いてないけど。なんとなく」

「ごめんね。最初にきちんと話すべきだったのに」

「責めたりしないよ。誰だって、父親の死を軽々しく口にできるものではないわ」

「……ありがとう」


 コンは唇をくくり笑うと、堰を切ったように語った。


「あれは側室たちが炮烙へ落とされてすぐのことだ。宴の翌朝、雷鳴の中宮の祟りで亡くなったと、正殿の中庭に彼女たちの骨が並べられた。目の当たりにして恐れを成したのか、やはり骨を母国へ帰すべきだと、まくしたてたのは帝だ。玉藻姫は、骨を国に帰すくらいなら、その国を滅ぼすと喚いた」


 チィッと耳のなかで舌打ちの音がする。気持ちはわかるけど元女官が舌打ちはやめなさい、気持ちはわかるけども。


「その夜には、桜疱瘡で国がひとつ滅んだ。日が明ければ、また中宮の呪いだと国じゅうに公布されてしまう。それだけは防がなければと、夜中に玉藻殿へ直訴しに行った」

「陰陽頭が? それは──」


 どんなに高位の太政官であっても皇族への直訴は厳重な罪に問われる。そもそも夜の玉藻殿へなど足を踏み入れるだけで、命はないだろう。

 コンは、笑った。


「私がね」

「コン、が……?」

「一〇歳から君のお目付け役としての修行を重ねていたんだよ? 数年後に、中宮様はおきつねさまに転生を果たされるというのに、何百万人も呪い殺した怨霊などと言い広められるなんて……っ、許せなかったんだ」


 語尾の震えとともに、膝で目をこする。

 じわじわと、袴の紺色を濃くしていく。


「夜中に気づかれぬよう忍びこんだはずが、玉藻姫に、父にも先読みされていた。玉藻殿の扉を開く私の手を押しのけ、先に入ったのは父だった。父は扉を開くなり、帝に刀で斬りつけられたんだ」

「帝が、陽明、を……?」


 刀をふりおろしたと。そう言ったの?

 帯刀すら許されない後宮で、帝自らが。弥嵩帝、あなたが誰よりも彼を慕っていたのではなかったのか。

 帝に殺意をふるわれるなど、おそらく陽明も想定していなかったことだろう。


「ヘッタクソでさぁ、浅く、何度も、何度も。その背後で私を隠すように立っていた母は、玉藻姫に首をかっ切られた」


 まるで他人事のように話すが、膝を抱く手が震えで落ちた。


「コンは、そのなかを、どうやって逃げきったの」

「陰陽博士が、母の遺体の下で動けずにいた私を、転移で逃してくれたんだ。どうせ自分ももう内裏には戻れないからと、陰陽博士はそのまま寮へ陰陽生を集め、他国へ逃した。私とは神山で落ち合おうと約束したけれど、博士は日が昇っても現れなかった。不安になって頂上から御都を見下ろせば、正門に吊るされた博士の首が、朝日の影となって、みえたんだ」


 コンは膝をも崩すと、とめどなくこぼれる大粒の涙を隠しもせず、言った。


「軽率だった。私が殺したんだ。みんな、父も母も、博士も……っ、それなのに、ひとり生きてる」


 それでも笑った。

 まるで自分を嘲笑うかのように。

 私はというと、また悪い癖がでていた。話しのなかの違和感をつかみ、線と線を組み替えていく。


「陽明が先読み。少し、違うのでは? 占いを得意としていたのは陰陽博士だった。先読みしていたのは博士で、その夜に起こることを三人とも知っていたとしたら? 出て行こうとするあなたを引き止めればよいだけ。でも、それをしなかったのは」


 息が詰まった。

 みんな私のために、立ち上がってくれたんだ。コンが正しいと。私の名を汚さぬよう、国をこれ以上滅ぼさぬよう、帝に意を尽くそうと誓った。


 そして帝はそれを許さなかった。


 はらわたが煮えくりかえる。

 死して尚、悲劇を生む自身が、憎くてたまらない。


「コン……、ごめんね?」


 ほんとうに、ごめんなさい。

 私はあなたから、親愛なる両親と師を奪った。

 この邸でただひとり、次々と国が滅んでいく様子を見下ろすことしかできず、さぞ無念だったことだろう。

 コンの顔を自分の胸へ引き寄せる。トキも、衣裳が涙に濡れるなんて野暮なこと、言わなかった。

 とまどう声が、胸もとに熱く響く。


「どうして、ユキがあやまるの」

「許可なく、こうしてるから」


 私の存在が、あなたの心を掻き立てたから。

 そんなおこがましいことは言えない。

 遠慮がちに頭だけを預けていたコンは、抱擁を許すように両手で強く、私をひきよせた。

 詰まっていた言葉を吐き出す。


「三人は、三人の意志で、あなたの前に立った。だから、あなたはこれっぽっちも、悔いることなんてないわ」


 耳のなかでトキが「姫さまもね! 悪いのはぜんぶ玉藻姫ですからー!」と怒鳴り散らす。

 それでも私の名は五年経った今も、人々を苦しめ続けている。

 コンもまた、同じように自戒でいっぱいだった。


「そんなの、ぜったいに、許されないことだ。マサルだって、ずっとそばで見張ってる。小亀も。務めを果たすまで、逃げ出さぬようにと」


 私は思わず息をひいてしまった。

 共に寄り添いあう、つかわしめの目を恐れるほどに、心に深い爪痕を残していたなんて。

 荒ぶる声を落ち着かせるように、コンの肩に唇をおしつける。


「あなたを許していないのは、あなたの心だけよ。明日マサルさんに聞いてみたらいいわ。きっと杓子を落として、泣きついてくるんだから」


 ごめんね。今まで、気づいてあげられなくてごめん。コンの湿った髪をゆっくりとなでる。

 やわらかくて、あたたかい。


「ねぇ、笑ってみせて。いつものように」


 お願い。今あなたの笑い顔を見ないと、自分の心に押しつぶされてしまいそうよ。

 コンは顔をあげると、真っ赤な目を恨めし気にあげて、言った。


「私が笑うのは……しゅ、だよ」

「呪?」

「あの日、父が私に命じたんだ。昏明はその名のとおり、明るいのか暗いのか、楽しいのかつまらないのか、いつもどっちつかずでわからない。自分でもわからないのなら、笑っていたらいい。そのなんでもない笑みに、きっと救われる人が現れる。だから、いつも笑っていなさいっ、て」


 私の目からこぼれた涙が、コンの頬を濡らした。


 父の遺言だった。だからずっと、笑っていたのだ。どんなに怒っていても、焦っていても。悲しくても。


 陽明に、感謝しなくては。


「私だよ、コン。私は、あなたの笑みに、救われているの」


 私はコンの頬へ指を落とすと、自分のこぼした涙をぬぐいとった。その指先に唇が触れる。

 コンは、心から破顔した。


「その言葉に、私がたった今、救われた」


 私はこの時にはもう、理性のたがが外れていたのだと思う。


「ユキ、お願い。私に呪い言をかけて。このままでは眠れない」

「コンが、眠れるように……?」

「考えて。心のままに」


 心のまま。

 私はこのとき、コンの耳もとでなにをささやいたのか。


 思い出せず、翌日にトキに聞かされるまで、知り得ずにいた。

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