おきつねさまは謝りたい

 戸を閉じるとまた昨夜のように、隙間に光が走った。


「結局、なんだろうこれ」

「中宮様と私だけに開閉がかなうしゅですよ」

「しゅ……?」

じょうのようなものです」


 少年が藁布団の上でちいさく跪く。

 首を深く垂れているが、声も衣裳も間違いなく、コンだ。私は、肌を突き破ってでてくるのではないかと思うほど、心の臓をはねさせた。

 訊ねたいことが山ほどあるのに、唇が上下にくっついて離れない。これも呪というやつか。

 だが次に放たれたコンのひと言で、私もにわかに起動した。


「中宮様に多大なるご心配をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」

「こちらこそだよ!」


 ズサァ、コンと膝をつきあわせる。ちょっとスッてしまったよ、耳のなかでトキが「ご衣裳があ!」と叫んでいるが気にしない。


「昨日の粗忽な振る舞い、謹んでお詫び申し上げますー!」

「なっ、ち、中宮様! お顔をあげてください!」

「やだ! むりー! コンが許してくれるまでこうしてるー!」


 コンの美しい顔で白眼視されたら生きていけない。丸一日避けられていたのだ。もう取り返しがつかないほど嫌われているかもしれないけれど。うっ。泣きそう。


「姫様……」


 失望とも取れるトキの声が頭に響く。

 構うものか。私は朝までだって、この姿勢をつらぬくよ。


「ユキ。許すもなにも、私は怒ってないよ」


 やわらかい声色に、さっそく顔をあげる。


「ほんとう?」

「ほんとう。むしろ、謝らなければならないのは私のほうだよ。騎馬打毬があれほどの修羅場になることを先読みできなかった。ユキに恐ろしい思いをさせてしまってごめん」


 コンは今一度深く頭を下げると、やおらに首をおこした。疲れきっていると思われたその紅顔は、血色のよい肌で、困ったような笑みを浮かべていた。


「私、おかあさまの言い付けを破って、球場へ行ったんだよ? それに、中将の歯に化けた。気持ち悪くないの?」

「気持ち悪い? どうして。あらためて敬服させられたよ。ユキは、泣きたくなるくらいにかっこよかったし、ただ見ていることしかできない自分は、情けなくて自分で自分を殴りたかった」


 えー。そうなのー。そんなふうに思ってくれてたのー、ふぅん?

 調子のよいキツネが頭上で踊る。

 いけない。

 まだ大問題があるんだから。


「──そうだ! みかど、帝は? 粉々になってない?」

「帝、ですか」 少し声音が下がる。

「ご無事であらせられるよ」

「ほんとう!? ……よかったあ!」


 思いきり柳眉とやらを開いた。

 コンに嫌われてなくて、帝が存命ならば、急くことはない。細かい話しは今からゆっくりと訊けばいい。

 コンはまた首を垂れ、美しい顔を隠すと、袖のなかで指を忙しなく動かし、ぼそりとつぶやいた。


「……やはり帝と触れたことで、中宮様は」

「コン?」

「昨夜あったことはすべて、ツクモから聞いた。そのことについて黄泉神様と直接話し合いたくて、今日も神殿かんどのへ行ったんだ。玉藻姫の警戒心が帝の介抱でゆるんでいたから。これを見て」


 手のひらほどの鏡を袖から差し出す。

 鏡のなかには、夜御殿の御帳台が映っていた。

 うなされる帝のそばで、玉藻姫が唇を噛んでいる。


「黄泉神様がみせてくれた、昨日の帝の様子だよ。丸一日、君の名を呼び続けていたらしい」


 うわぁ、寒気がする。


「玉藻姫は悔しそうね」

「雷の痕跡から、君の仕業だと思いこんだみたいだ。実際にそうだったしね」

「やっぱり私の能力は雷なのね」

「ううん、違うよ。ユキの能力は、呪」

「コンが、戸にかけた?」

「それよりずっと強い。言霊の力──呪いごとだ」


 ──呪い言?


「でも帝が雷に打たれるのをこの目で見たし、石化したよ」 

「その直前に動くなって、叫んだのでしょう。その言葉に帝は雷と、おそらくは石像を連想させ、自ら変化したんだ。ユキ、あとで治るからみたいなことを付け足さなかった?」

「つけたした! しばらくしたら動けるからって」

「それこそが呪い言のあかしなんだって。まぁ、長く雨に打たれた帝は鏡のなかのように、寝こんでしまわれたけど」


 帝は生きてさえいたら、あとはどうでもいいよ!


「では、近衛大将このえのたいしょうを殺させないでと、中将の遺体は奥方のもとへっていうのも有効?」

「うん。帝は倒れる直前に、近衛大将様を護衛として付き従わせるように命じたらしい。もし殺したら自分も死ぬと息巻いてね。それに大将様が呼ばれて最初の務めが、中将様の骨を集めることだったから。首尾よくいったみたいだよ」

「そう。よかった」


 付け焼き刃の言葉が、肝心かなめなものに変わろうとは。言わなかったときのことを考えると血の気が引いた。おきつねさまの本能がそうさせたのだろうか。前世の自分ではあり得ないことばかりだ。

 

「それで、神託はここから」

「今日の?」

「今日だけではなくて。休息をとりながら、またしばらくは化け術と異能の鍛錬に集中するようにって。失敗はできないから」

「そうだね。それは私も思う」


 うごくな。

 たった四文字で雷と石像を連想させた。いや四文字だからこそ、呪い言にかかった本人の想像力がふくらんでしまったのだろう。正殿から飛び降りろと言えば、階段の二、三段降りるだけかもしれないが、単純に燃えろと言えば、自身だけでなく邸ごと燃やし尽くす可能性があるということだ。

 次は言葉を慎重に選ばなくてはならない。

 難しい顔をしていただろうか。コンはやわらかい笑みを浮かべて、私を見据えた。


「とてもいい能力に恵まれたね」

「そうかなあ」

「この異能があれば、ユキはまたすぐに後宮へ戻れる」

「後宮……?」

「鍛錬を終えたら、また帝に呪い言をかけるだけだ。ユキが中宮の座へ返り咲き、天子の御子を産めば御都は安泰。これ以上望むものはないよ」


 今度は、私が目をそらす番だった。

 まただ。次代天子の母。天子の母となる分際。天子の御子を産むことを、コンも望んでいるというの。


「……玉藻姫は」

「それこそ呪い言で永遠に石にしてしまえばいい」


 目をつむっても、耳にはりつくコンの無垢な笑い声。

 

「そう、だね。そうすれば御都は、誰の手も汚さず平穏を取り戻せる」


 汚れるのは、私の心だけ──。

 違う。


「でも、それはできない」

「どうして」


 コンの顔色が一瞬で曇った。当然だ、誰しもが最善策だとうなずく。


「ユキ。ユキが人間の姿になったのは、からだが成熟した証しなんだ。ユキが帝と接し、それが誘い水となった。ちがう?」

「帝と、会ったから……?」 そうだっけ?


 たしか私はあのとき──。


 ボッと、火がついたように顔が熱くなった。

 コンがわかったように目を細めたが、誤解だよ。帝じゃないよ、だなんて否定したら、じゃあ誰? ってなるから言わないけど。

 私はなるべく冷淡に、語気を強めた。


「私の容姿をみて。この島の国を幾多も滅ぼした怨霊、雷鳴の中宮よ」

「そんな噂、壮美な君が世に姿を現すだけで、消し飛ぶよ」


 うっとりと言う。

 やめて、もうひと言も褒めないで。つけあがるから!


「白秋と玄冬の女御の存在を忘れているわ。女御たちになりかわったあの頭の足らないキツネどもを生かし続け、他国をあざむき偽り続けるなんて、私はしたくない」

 

 白秋と玄冬の女御──。そして、朱夏の女御。

 三人は、敵対し合う三国から天下泰平のために召し上げられた姫君だ。特に西と北は、何十万と兵を抱える大国。城主が愛娘の末路を知れば、戦は避けられない。ちいさな中立国である御都など、ひとひねりだろう。後になって知られる前に、こちらから誠意をもって知らせるべきだ。朱夏のお父上にも。

 コンにとっては予想外に、話しが逸れただろうか。

 すべてを投げ出すように膝を崩し、頭をかいた。


「……うん。うん。ユキの言い分は、わかった。明日改めて、黄泉神様に相談してみよう」


 考え疲れたのだろう、藁布団へ無邪気に倒れこむ。

 でも私はまだ眠たくない。どうしても眠れないの。

 トキの羽音が、耳のなかを離れる。

 その音を追うように屋根裏をただ、みつめた。

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