おきつねさまの御成り
「なんですって。姫様がこの
「そこまで言ってない」
外が明るくなり、巻き戻すように寝間着から姫衣裳へ着付けなおされたので、どうせ出られないのにとゴチたらこれだ。
「まだ確かめてないからわからないけど、コンが戸に呪術をかけていたから」
「コン? とは。姫様を殿舎から連れ出したあの少年の名前ですか」
「私のお目付け役よ。そうだっ、トキ、お化粧道具をもってない?」
「もっておりませんよ、ノミですよ?」
「やだぁ、どうしよう。私、素顔のままで表に出るの?」
「中宮じゃあるまいし」
吐き捨てるように言う。
ああ、トキよ。すごくトキだわ。じゅうぶんわかったからそろそろ優しくして。
「それに、見るからに姫様のお歳は入内前の十四、五に戻られております。お化粧などほどこさなくとも、じゅうぶんにお美しいですよ」
「ほんとう? こんなものかって、コンに幻滅されないかな……」
「おや? 姫様?」
ないものはどうにもできないし、すでに恨まれているだろうから、容姿を気にしても仕方がない。
心を決めて、戸に手をかける。
「まさか姫様、天子の母となる御分際で」
「あれ、ふつうに開いた」
「姫様」
「みんなもう起きてるみたい。ネズミやイタチになら、トキのこと見えると思うんだ。紹介するね!」
「……はい」
つかわしめのみんなは初見、私の姿なりに驚きはしたものの、コンから話しをとおされていたようだった。
次のとおりである。
「おはようございます。中宮様、御座はこちらでございます」
総礼にはじまりマサルさんが挨拶すると、ネズミたちが一斉に衣裳の裾をもった。イタチが袖の袂をかかえ、ウサギが前足を差し伸べてくる。手をのせないといっこうに進んでくれなさそうなのでウサギに右手を託すと、初日に通された畳場でひとりで座らされた。
小亀が機嫌を伺う。
「本日は日差しが強く、暖かい一日となります。風を送りましょうか」
袂をおろしたイタチが、すぐさまウチワを掲げる。
もう冬だけど?
「けっこうよ」
言うなり、膝もとにみんなが勢ぞろい。頭を垂れた。
げんなりとする光景だが、このほうが話しを聞いてくれそうなので、もとに正すのはあとにしよう。
「みなのもの、おもてを上げ、しかと聞き入れよ」
プー、クスクス。
耳のなかから笑い声が聞こえる。
そうよ、前世でも聞き入れよ、だなんて言ったことないわ!
みんな律儀に
「あれ、コンは?」
「からだを清めに沼へと行っております」
「えー、私も水浴びしたかったなー」
昨夜、からだは雨に打たれたまま。キツネならまだしも、女体の肌についた泥はねは少し気になる。コンにまた顔を近づけられたら? 昨日みたいに──。
「クンクン、髪匂わない? どう?」
ウサギの鼻へ毛先をおしつける。
その背後でマサルさんとイタチが円をかき、くるくるとまわった。
「い、いますぐ、お湯を整えますので……!」
「待っ」
あれよあれよと言う間に寝かされ、湯桶がもち運ばれる。芋洗い
「この日のために鍛錬してまいりました。失礼つかまつりそうろう」
私の髪は芋か。
「はっ、な、なんとっ、あろうことか中宮様のお耳のなかに、我らがにっくきノミが」
「ノミですって? やだ、卵うみつけられてない?」
ぴょ──────────────ん。
ノミが右耳から左耳へ移動する。
「姫様、またたく間にこのトキを忘れないでくださいませ」
「ごめん。ほんとうにすっかりと忘れていたよ」
「まったく、これだから姫様は。息をとめますので、そのあいだに説明してくださいよ」
そう言うと、トキはイタチとイタチのはざまで人間の姿へと変えた。イタチが綺麗に左右に倒れる。
それをみたウサギが仰天して湯桶をひっくり返し、その湯を全身に浴びながら茫然とするネズミたちと、縁まで流されていく小亀とマサルさん。
混沌としておりますが、今話します?
「彼女は私のおつきの女房で、名をトキというの」
隣に座るイタチが目をまるくする。
「トキ!? あの、性格の悪いつかわしめの? 雌やったんか!」
「あの腐ったトキではないよ、ノミのトキだよ」
「ノミ? どうみても、人間やで!?」
ええい、ややこしい。
「トキは私がまだ幼いときから、ずっとそばにいてくれた女官よ。共に死んだのだけれど、私を助けにこうしてまた生まれてきてくれたの。ふだんはノミでも、息をとめている間は人間の姿になれるんだ」
と、話している間に忽然と消えた。
ぴょ──────────────ん。
「ぜい、はあ」
「難儀だねぇ」
「しかし、トキは、しっかり、調べてまいりました」
「なにを」
「洗髪に使用する椿油、洗顔の小豆粉、米ぬか、白粉、香油にいたるまで、すべて姫様御愛用のものでございました」
調べものに愛があふれている。
トキにも、みんなにも、気を遣わせてしまい申し訳ない。
私がからだの隅々まで洗われているあいだ、トキは
「さっぱりしたー。みんな、ありがとうね」
ずいぶんと手慣れていたが、鍛錬の賜物なのだろうか。
雑巾がけ競争で通りすぎながらネズミが言う。
「すっかり、もとのユキやな」
「みんなが仰々しくするからでしょう?」
「んでも、昏明に予定どおりもてなすよう言われてたからなぁ」
「気持ちよかったけど、もうそんな身分でもないんだし、自分でできるよう努めるよ」
「そうですよ。中宮でもおきつねさまでもない姫様なんて、ひとりではなにもできないただの小娘ではないですか」
「なんて?」
「反芻すると私の胸が痛む、ひどい言われようだよ」
やはりノミのトキの声は、みんなにも聞きとれぬようだ。コンへまた説明するのかと思うと、面倒でならないが。
「マサルさん。コン、おそいねえ」
「神託を受けているやもしれませんね」
「私も聞きたかった」
昨夜のあとだ。
だがコンは、待てど暮らせど帰ってこなかった。
「やっぱり怒ってるんだよ。私の顔もみたくないんだ……」
夕ごはんの席で、ちっとも匙が動かぬ私へウサギが口を出す。
「ユキ、お粥減ってないで。栗だけでも食べな」
「うん。ありがとう」
顔をあげれば、みんな心配して私を見上げていた。食指が動くとよく言うが、今日の私は手が動かないのだ。なによりも楽しみだった二度の食が、喉をとおらない。大好きな蒸し栗も、砂を噛んでいるようだ。
「朝も食べてないのに、力が弱ってしまうで。それに一睡もしてない」
「だって、眠れないんだもん」
まふだは重いのに、心が反発する。日向ぼっこをしたら眠れるだろうと日中ずっと縁にいたが、暑いばかり。そんなに日に当たっては火傷すると、トキに怒られただけだった。動けば疲れて眠れると、夕ごはんの後片付けを手伝ったら、あろうことかコンの茶碗を割ってしまった。
お気に入りだったのに……っ、というイタチのひと言でさらに目が覚める始末。
その後もコンが帰らず、つかわしめのみんなも心がかりなようで、庭をみつめながらそれぞれの務めをこなしていた。
とんでいた蝶々がいなくなる。
みんなの寝る時間だ。
それでもまだ眠れない私が、小亀の水桶に足を投げだしていると、一匹のネズミがそばへとやってきた。
「これでは占えんかな」
掃除でひろったのだろう、コンの短い毛を一本、遠慮がちに差し出す。小亀はゆっくりと首を横に振った。
「主人がいたならまだしも、抜けた毛だけでは占えないよ」
「あかんか。気になって眠られへん」
「昨日の後始末に追われているだけなら、ええんやけど」
「……昨日の、私の?」
「まあ、うん。馬寮に仕える舎人は暇をだされてるから、務め以外となると」
「そう」
唇をキュッと、かみしめる。
内裏においてコンの命は儚いものだ。雷鳴殿に出入りするところをみられるだけで、近侍につかまってしまう。相手が悪く玉藻姫であったならばその場で毒牙にかかるだろう。
コンを気に入っている朱色キツネにみつかり、囚われの身となった可能性も充分にある。
「そもそも帝はどうなったのかしら。固まったままだったり、亡くなっていたりしたら……御都は無秩序に」
「帝が崩御されたかもしれないと? そんなばかな。昨夜、なにがあったのですか!」
トキが耳のなかでキャンキャンと吠える。
そうだね。御都は決して帝を失うべきではない。それなのに私は、彼と運命を共にする未来を拒絶してしまった。
失望したコンの顔が思い浮かぶ。
「……ごめん、トキ。食べてないからかな、思考が追いつかないよ」
「ユキ、おからだに障りますのでそろそろおやすみになられては」
マサルさんに就寝をうながされ、不安に押しつぶされそうになりながらも、コンの部屋へと入った。
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