おきつねさまと特別な夜

 内裏を囲う大内裏。その門のなかは各官庁や詰所が建てられている。馬寮と雅楽寮は手前の角っこどうし。つまり大内裏の一辺を沿って歩いてから神殿へ向かうことになる。キツネを抱いた少年が、長い距離を歩いて目立たないか心配だったが、コンの言っていたとおりみんなそれどころではない。

 歩いてちょうど半ばの大内裏の正門では、まるで今生の別れのような悲壮な面持ちの家族や夫婦でごった返していた。

 胸を躍らせ、なかを覗いた雅楽寮では、手合わせの半数が涙を流しながら、それぞれの楽器を奏でている。宴のたびに雅楽寮の人間が殺されているのだろう。その悲しい調べに、うんと気落ちした。

 馬寮で祭囃子に聞こえた笛の音が、今では痛々しい。

 コンはわかりやすくうろたえた。


「現状を理解してほしくて来たわけじゃないんだ。ただ、雅楽を間近でユキに聞かせられたらと思って」

「わかってるよ」


 前世で毎日のように聞いていた音楽を耳に入れたら、なにかしら感情が芽生えるかもしれない。私だってその期待はしていた。


「あっ、ユキ、待って!」


 私はコンの腕からおりると、内裏のある中心地へ向かわず、塀に沿って走った。西門のそばに近衛府がある。

 近衛府はまるで宴会のように戸を開け放ち、目を細めたくなるほど火を焚いていた。縁の下からのぞけば、門や内裏の宿衛にまじり、明日に備え近衛兵が詰め寄っている。みんな笑って酒をのんでいるようで、目線は虚空にあり、居た堪れない。

 上座に座る近衛大将は盃を天へ掲げ、ひとりごちていた。


「よくもまぁ、こんなに。のんきに残ってくれたなぁ。おかげで怪しまれるこたぁないな」


 その手のうちで揺れる木簡に視点を合わせる。亡命を許可する知らせのようだ。どうやら、玉藻姫に気づかれぬていどに兵を他国へ逃したらしい。なまけものだと思っていたのに、意外と手際も要領も良く、驚いた。

 近衛のひとりが、大将へすがりつく。


「今からでも遅くありません。中将様だけでなくあなた様もどうか、御遁逃を」

「阿保か。俺がいなくなったら、すぐバレるだろうがよ」


 大将は自分の酒をその者に注ぎながら、豪快に笑った。


「それによぉ、ただでは死なねぇよ。一矢報いてみせるから、お前らも死なずによぉくみてろよ?」

 

 追いついたコンと顔を見合わせる。

 

「そうか……。中将様は、御都の外へお逃げになったのだな」

 

 心底ホッとした表情をみせた。

 そうだね。玉藻姫から命を護りたいと思っているのは、私たちだけじゃない。


「行こう。おかあさまのところへ」


 私はまたコンを置き去りにして、内裏の東門へと直進した。神殿は門をくぐれば目の前だ。逃げるキツネを演じながら、いつしか転げ落ちた階段を一気に駆けのぼり、御扉の前に立った。待っていたかのように少し空いている。


「ユキ……! 待って!」


 待ってるよう。一歩手前までは。

 息を切らしてのぼってきたコンをあざけるように尻尾であおぎ、先に敷居を跨いだ。

 ふに。

 見覚えのある、煌びやかな羽衣を踏む。

 

「真正面から入ってきおって。まったく、このコは」

「おかあさま……!」


 ずいぶんと気が昂っていたようです。またやってしまいました。

 ドシーン。

 成長した私を抱きとめたおかあさまは、神殿のかたい床にお尻を打ちつけた。


「ごめんなさいー!」

「よ、よいよ、神に、痛みなど、ないようなもの」


 おかあさま涙目だよ、ほんとうは痛いのでしょう?

 背後にある壁画のなかで、ツクモが呆れてこちらを見ている。


「久しぶりじゃのう、ユキよ」

「はい、おかあさま」


 おかあさま、おかあさまー!

 クンクン、鼻を忙しなくしながらふくよかな胸もとにうずまる。ここ一番に興奮したので、なにか目覚めるかと期待したが、残念ながらなにも起こらなかった。シュンとしたところにコンが追いつく。

 コンは尻もちをついたままのおかあさまより、もっと頭を低くして跪いた。


「黄泉神様、御息災のようでなによりでございます」


 息災ではないよ。たった今お尻を痛めたよ。

 おかあさまは腰をさすりながら立ち上がると、私とコンの頭を交互になでた。


「よし、よし。ふたりとも顔をおあげなさい。そんなにゆっくりはしていられないからね」


 私がとびきり凛とした様子で黒点の鼻を突き上げれば、コンはそれに対抗するように清らかな真顔を晒した。


「んフゥ」


 おかあさまは、咳払いとともに両手で口を覆った。

 さては私たちのこと大好きですね?


「はぁ、可愛いし美しい。満足した」

「おひとりで満足しないでください。私はどうしたら異能を、みんなを救えるほどの力を手に入れられますか」


 コンの膝と同じ位置に前足を並べ、答えを待つ。おかあさまはなにを思ったか、私たちへ頭をたれた。


「すまない。お前たちに背負わせた宿命は、あまりにも重すぎた」


 コンと再び、顔を見合わせる。


「おかあさま?」

「黄泉神様。それは、どういう」

「息を吸って!」

「はい!?」

「吐いてー!」


 スゥ、ハァ。

 命じられたとおりに深く息をする。おかあさまは子を慈しむように、私たちを腕のなかへと招き入れた。


「さあ目を閉じて」

「はい」


 コンが目を閉じた。わぁ、まつ毛長ーい。

 おかあさまからの視線が痛く鋭く、やむなく私も閉じる。


「今、なにを思う」

「なにっ、て……?」


 視界が閉ざされたまぶたの裏には、最後にみたコンのまつ毛が浮かんだ。


「お前たちから、宿命という言葉にかかる重みを少しだけ取り除いた。明日が騎馬打毬じゃ、気楽にとまでは言わないが、せめて今夜は心のままに過ごしてみよ」

「心の、ままに?」

「心のままに」


 おかあさまは腕に力を入れて、私たちをきつく抱きしめると、立ち上がり壁画へ直進した。

 壁に入る間際に、言いつけ加える。


「ユキの能力が明朝までに開花しないようならば、決して騎馬打毬に関わるでないぞ。人々が球場へ集まるあいだ、ユキは雷鳴殿へ向かいなさい。いいね」

「雷鳴殿へ……?」

「心の拠りどころがみつかるだろう」


 着物の裾が壁に溶けきる瞬間に、静寂が頬をなでる。

 雅楽寮の手合わせが、終わったようだ。

 となりでコンが、腑抜けたような声をだす。


「帰ろうか」


 顔も心なしか、こわばっていた筋肉がほどけている。おかあさまの言葉に納得できたのだろうか。でも私には、到底難しいことだ。

 

「ねぇ、コン」

「なぁに?」

「心のままって、どういう意味なのかな」


 コンは、私のお目付け役でしょう。教えて、お願いよ。

 おかあさまも、マサルさんも心のままにと言う。でも私は、おきつねさまに生まれ変わってからずっと自由に、心のままに生きてきたわ。これ以上、どうしろっていうの。おかあさまは私とコンに呪いをかけたようだけれど、私にはちっともわからない。なにも変わらない。

 このままでは、明日を迎えられないよ。

 近衛大将は、仲間を逃し一矢報いると宣言した。私はそんな彼を、どうしたら助けることができるの。

 

「クーン」


 こんな情けのない鳴き声いらない。

 それでもコンは愛おしげに笑うと、私の鼻に口付けた。


「へ?」


 思い詰めていた心が弾けたように真っ白に、茫然とする。


「え? あ、いや、これは、ただ、心のままに、したくなっ、ちが」


 コンの紅顔が、紅というか血が滲み出そうなくらい紅くなっていく。次には鈍い音をさせて、床に額を打ちつけた。


「ご無礼をお許しくだ、お許さなくていいです……!」


 次にはキョロキョロとまわりに助けを求めるが、当然みんなは居ない。ただ壁画からツクモが物憂そうにひょっこりクチバシだけ突き出すと、あけすけに言った。

 

「鼻に接吻て。今どき童でもちゃんとチュウすんで」


 あまりにひどいことを言うので、私はおおきな声をあげて笑ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る