おきつねさまは太り気味

 朝ぼらけ。帰宅早々、湯桶のなかでつきたてのお餅を食べるという厚遇に恵まれ、気をよくしたのは束の間。神託を受けに足を運んだ先で、コンの困り果てた顔を目の当たりにした私は、ただ打ちひしがれた。

 ツクモなんて、すっかり匙を投げたあとのような、清々しい顔をしている。


「また今日も帝の玉顔を拝みに行こうと言いたいとこだけど、あれだけ派手にやらかしたあとで、無駄足は踏めん」

黄泉神おかあさまも、そう仰っているの?」

「騎馬打毬は、見過ごされるおつもりや」

「そんな……!」


 今朝の落雷について、またいいように玉藻姫が言い広めたようだ。滅びゆく御都に新しい馬はいらない、駒牽など許さないと、雷鳴の中宮が怒り狂ったのだと。御霊を鎮めるには、騎馬打毬にて生け贄を捧げなければならない。

 負け組が打ち首とか、そういうことだろうか。

 コンへ鼻先を向ける。コンは心底悔しそうに、言葉を紡いだ。


「近衛隊の御方々は、私が責任をもって供養する」

「やめてよ、まだ亡くなられてもいないのに!」


 私が能力を開花させないから?

 それ以外に、みんなを助ける手立てはないの?

 もっと、ちゃんと考えてよ。

 喉から出かかった不満を飲みこんだ。

 うつむくコンの目は赤く充血し、いたたまれないほどのクマが深く刻まれている。眠らずに考えた策はすべて、黄泉神に峻拒されたのだ。やるせない思いは私と同じだけ、コンも背負っている。

 コンは、昇り始めたばかりのお日さまの位置をみて、やわらかに笑った。


「そうだよね、まだ時間はあるんだ。玉藻姫がユキの能力を落雷だと思いこんだなら、そこにつけ入ることができるはず。私はその線で策を練ってみるから、ユキもどうしたら能力を身につけられるか考えてみて」


 深くうなずく。

 そうしてコンは馬寮の務めへ、私は日向ぼっこへと戻った。

 日向ぼっこ?

 自分でもどうかと思うが、寝食以外に成長をうながす手立ては、日向ぼっこと適度な運動につきる。ツクモの言うとおり、麒麟の能力をかりて夜御殿へ雷を落とすという、勝手をしでかしたぶん、下手に身動きはできないし。

 平穏な生活は漠然とした不安をふくらませるばかりで、あっという間に騎馬打毬の前日へと迫ったのだった。



 霜がたちはじめた土を踏み、沼のほとりにコンとならぶ。ツクモの諦め顔にも慣れてきた。


「呆れとんのや。自分、また太ったんちゃうんか」

「冬毛だよ、失礼な」


 究極のもふもふが目に入らんか。

 コンが脇の下に腕をまわす。

 あっ、そこは!


「ふふ、ほんとうだ。ぷにぷに」


 コンにバレないように、留守を見計らって湯浴みをしていたのに。コンの手のひらが私のおなかを包みこむと、ぷにぷにというか、もはやぽよぽよと弾んだ。


「こ、これは、冬のたくわえで」

「わかってる。少しでもはやく成長しようと、頑張って食べていたからね」


 甘く切ない表情を見せる。

 そうだよ。食べて、寝て遊んで。でも結果的に、毛ヅヤの良いぽっちゃりキツネが仕上がっただけだった。

 これ以上どうしろっていうの?


「クーン」


 ほら、いつものあれがでちゃった。


「そもそも、成長して能力を開花させろだなんて、漠然としすぎよ。もっと詳しい情報を求めます!」

「私もそう思う。そこでひとつ提案があるんだけど、今夜に神殿へ行ってみない?」

「神殿? 黄泉神へ会いに? でも──」


 脳裏に血濡れた大階段が浮かぶ。


「みんな明日のことで頭がいっぱいだから、神殿まで目が行き届かないよ。舎人の私が、餌付けして仲良くなったキツネを追いかけて、遊んでいるうちにやむなく立ち入るふりをする。どうかな」

「うん、いいと思う!」


 うなずき合う私とコンのはざまで、ツクモが実に面白くなさそうな顔をする。

 すかさず、コンはツクモの目をジッと見た。


「だめ?」

「……無駄死にだけは、しないでくださいよ」


 皮肉まじりにも、ツクモに送りださせるのだから、まったく罪なお顔立ちである。

 私はというと明日への焦りはどこへやら、ふたりきりの夜のお散歩に、密やかに心を躍らせた。



 その日は騎馬打毬の準備が長引いたのだろう、空が黄昏れても、コンの迎えがなく。

 その間をもてあました私はイタチといっしょに肉球を掃除したり、マサルさんに毛づくろいをしてもらったりしていた。

 夜半すぎ、椿の櫛で三度目の髪梳きをしながら、マサルさんが出し抜けに言う。


「まるで恋路のようですね」

「こいじ?」


 なにそれ、美味しいの?

 マサルさんは壮年の頼もしい笑みを浮かべた。


「おや。中宮様は叡智を知ると言えども、おのれに必要のないものは学びませんでしたか」

「では、食べ物ではないのね」

「はい。恋路とは、男女が互いに想い慕い心を通わすことを、道にたとえた言葉でございます」

「男女?」 私はキツネだから、どちらかというと牝だし。男の立ち位置にはどなたが?

 コンの顔が思い浮かび、首を横にふった。


「おきつねさまと、お目付け役が?」 まさか。


「主人であった陽明様も奥方とご婚姻前は、そうして落ち着きのないものでしたよ。いつも凛としていらっしゃるのに待ち合わせの刻が近づくと、足が浮いたようで」

「陽明に、そんな無邪気な一面があったの。彼も人の子だったのね」

「ちゅうぐ──。いいえ、ユキ。あなただって、もとは人の子」

「人の子? そんな扱い、前世だって一度も受けたことはなかった」


 東の国の城主である父と母のあいだに生まれた私は、腹から取り上げられてすぐ、呪術師に『天子の母』と呼ばれ、崇められた。なぜみんな、ちいさな私より目線が下なのか。理由を知るころには、人間らしさなど爪の先にも残っていなかった。

 天子に愛され、天子の子を宿し、母となる宿命が私のすべて。

 その人生はただ重くて、ひどく、疲れたものだった。それでも私なりに精いっぱい頑張ったのに、まっとうすることができなかった。黄泉へなど下れるものか。理由も知らずに私に跪いた、民にあわせる顔がない。


「おきつねさまに転生したのだもの、私は今度こそ宿命を──」

「宿命を背負えど、あなたの心は自由ですよ」

「私の、心……?」

「はい。ユキの心は、今なにを想いますか」


 私の心は、今なにを。

 ぼんやりとコンの笑い顔が浮かぶ。

 ちがう。コンはお目付け役だ。私は清く美しいものを愛でているだけ。それだけなんだから。


「おや。魔法陣が表れましたよ」


 コンが器用に腕だけを出して、ヒラヒラさせている。

 可愛いなあ。

 紅顔は見えないのに、愛しいと感じる自分に気づき、ひどく動揺した。その表情を隠すように派手に縁をとびおりる。


「それじゃあ、行ってきます」

「どうぞお気をつけて」


 私は勢いよくコンの腕のなかに突撃していった。




 お分かりいただけるだろうか。

 生まれたてのあの頃とは比でない、私の重さを。

 コンは受け止めてはくれたけれど、馬寮の土に尻もちをついてしまった。


「ごめんなさいー!」

「あははっ、まさか突進してくれるなんて。待ちくたびれたんだね? こちらが謝らなくては」


 コンは頭を一度下げると、とびきりの笑顔でこう言ってくれた。

 

「せっかくだから、遠まわりをして行こう。雅楽寮ががくりょうで、まだ明日の手合わせをしているみたいなんだ」


 耳をすませば、コンの声のような龍笛の澄んだ音が聞こえる。


「ほんとうだぁ」

「さあ、おいで」


 コンは腰に力を入れると、私を改めて抱き上げてくれた。


「重いからいいのに」 甘んじるけれども。

「あっ、もしかして、におう? 一日馬をひいていたからなぁ」


 袖をクンクン嗅ぐしぐさをする。


「コン、馬の匂いはしないよ。気にしないで」

「馬の? ほかの匂いはするの?」


 嘘はつけずにちいさくうなずく。今日も今日とて、コンのからだからは、とてもいい香りがする。

 コンが照れくさそうに言う。


「いやだったら、すぐおりてよ?」

「コンこそ、重くなったらすぐおろして」

「いやだよ」


 月あかりしかない夜道で、コンはしあわせそうに笑った。


「ユキを抱っこでひとりじめできるの、久しぶりだから」

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