おきつねさまと夜御殿

 転移に慣れてきた私たちは馬寮へ着くとすぐに出入り口へと直進したのだが、別格に整えられた馬房からのぞく馬のふてぶてしい顔をみて、思わず立ち止まってしまった。


「おはよう、麒麟。例の大殿に引き取られたのではなかったの?」

「あんなところにずっと居たくないわよ! ひととおり暴れてやったけど、まったく生きた心地がしなかったわ」

「あら、賢い麒麟のことだから殿内の様子を探ってくれるのだと思っていたのに。残念」

「そっかぁ、その考えがあったわ……て、あんった、ねぇ……!」


 麒麟が前足をあげて暴れだしたので、こちらも俊足を駆使して逃げた。

 それにしても、あの玉藻姫の前でよく我を貫けたものだ。現世への執着心が強く、死に怯えがちであるのに、ずいぶんと無鉄砲な振る舞いをする。神使から本来の馬の魂へ移ろいつつあるのだろうか。

 気になって振り返れば、ウサギにぶつかった。


「いててて」

「ごめん。ちょっとだけ待ってて」


 麒麟の馬房へと戻る。

 今にも柵をとびこえてきそうなので、遠まきに訊ねた。


「麒麟、あなたまだ異能は使えるの?」

「当たり前でしょう! 私を、誰だと思って──」


 語気が弱まる。やはり天界から遠ざかっている自覚があるようだ。


「まだ使えるのなら、半刻後に内裏へ落として」

「そんなことをしたら、さすがの帝も起きるんじゃない?」

「それでいいの」


 眠っている帝を眺めるだけでなにか変わるとは思えない。起きて動き、話す彼を見定めるためには夜御殿から引きずり出さなくては。一夜ですべてを知り得たいと思う私は、欲張りだろうか。


「それに、今日はあの女も寝ているわよ」

「夜御殿に? 今は大殿があるのに、よほど気に入っているのね」


 前世へ思い馳せる。

 日が昇っても帝が正殿に姿を現さない。そう大臣たちに泣きつかれ、一度だけ帝を起こしに、夜御殿へ上がったことがある。玉藻姫の嬌声が響き渡る御帳台のなか、耳の弱い帝へいくら声をかけても無駄なことだった。


「……あの日を、繰り返すのよ」

「ふんっ」


 麒麟が気を鎮めたので承知したとみて、こんどこそ振り返らずに厩舎をでた。

 外では怯えた様子のウサギが一匹。お尻とまあるい尻尾を震わせている。


「どうしたの? もよおしたの?」


 近ごろ、冷えこむものね。


「ちがう! ウサギとキツネが仲良う歩いてたらおかしいでしょう!」


 なるほど。外では狩るものと、狩られるものを演じなくてはならないのか。


「なるほど、理解した」

「ほんとうに? 追いかけるだけやからね? 食べないでよ?」

「食べないよ。私、キツネとして成熟してるし」


 たぶん。最後に自分を見失ったのはたしか先月、いや半月、ううん三日前だっけ。

 うーん。深くはうなずけない。


「イタチは?」

「茂みを選んで進むから、少し遅れるって」


 後ろを気にするなということだ。上空にはツクモか旋回しているし、つくづく護られてるなあ。たとえ我を忘れても、まわりがとめてくれるだろう。


「では、行きますか」

 

 私は舌なめずりをしながら、後ろ足を蹴った。



「いやぁあああああああああ!」


 泣き叫ぶウサギを全速力で追いかける。その走りっぷりは鬼気迫るもので、まさに獲物を追う肉食動物だ。追いつかれぬよう暗闇を選んだが最後、闘争心に火をつけられた私は、内裏の大垣を軽くとびこえたあたりで自分を忘れ、ただただ夢中にウサギを追った。


「コン! コン!」

「ユキに、食べられるぅ────!」

「コン!」


 本能で死を感じ取ったのだろう。混乱したウサギは夜御殿のある清涼殿へ行き着くと、イタチの目の行き届かない殿内へと入りこんだ。もちろん、私は獲物を追うだけだ。気づけば清涼殿の最奥、鬼の間までウサギを追いつめていた。

 鬼の間は、御都のすべての災厄を集めると言われている。鬼の間に誘われた災いは、このひと間に描かれた絵に噛み殺されるのだ。

 その名も、白拓図はくたくず

 闇に白々と浮き、今にも襲いかかってきそうな獣を前に、私は自分を取り戻した。


 北の玄冬殿の女御に代々仕える賀茂乃家は、厄祓いの神の加護があり、鬼の間の管理を任されていた。その神使であるウサギは、毎日のようにこの局へ来ていたことだろう。


「絵のなかの白拓は、真っ白ね」

「ようやく我に返ったか」


 ほっと胸を撫で下ろした墨色ウサギと肩をすれ違わせ、私は帷を潜った。


「となりの台盤所だいばんどころを抜けていけば、夜御殿に忍びこめる。行こう」


 台盤所には本来、朝餉の支度をする近侍の女官が寝ているはずなのだが、思っていたとおり誰もいない。帝の身のまわりの世話は、玉藻姫の気に入ったものだけに任せているのだろう。奥にひと気がないのは好都合だ。あっさりと夜御殿へ入りこめた。

 豪奢な御帳台のなか、几帳一枚を隔てた向こうがわに、帝がいる。


「ユキ、どうや。帝は居ったか」

 

 几帳をくぐった私の背後で、ウサギが囁く。私の前足の一寸先で玉藻姫が、ひと糸まとわぬ姿で眠っているが、ウサギの声に反応しない。ほんとうに深く眠っているようだ。私は几帳の外へ出て、まずはひと息ついた。


「なんか感じた?」

「特に、なにも」


 なにも感じない。

 かつて愛したひとが、玉藻姫と折り重なるようにして眠っていたが、胸の鼓動ひとつも乱れなかった。

 以前は彼女の声を聞いただけで、三日三晩眠れなかったのに。


「すぐにここから離れよう。イタチと合流できるような茂みへ」

「やっぱり、ツラいんとちがうか」

「ちがう。起きている帝に会いたいだけ」


 もうすぐ半刻だ。明けの空が分厚い雨雲に覆われていく。私は清涼殿の庭を望める渡殿の下へと身を移した。そのころには月明かりも消え、夜へ戻したように暗くなった。

 麒麟の能力は、


 落雷だ。


「──くる。耳をふさいで」


 私は近くにあったこぶしほどの石に化けると、目をつむった。

 それでもまぶた裏は夏の日差しが破裂したように明るくなった。次には、爆撃音が腹に沈む。遅れて爆風が吹きこんできたが、からだが温まる程度の熱だ。恐る恐る目を開け庭をのぞくと、飾られていた竹が真っ二つに裂けて燃えていた。

 ──雷鳴の中宮の名に箔をつけた、あの日とまったく、同じよう。

 いやでも思い出す。私は、政務を怠り戯れにふける帝への制裁に、近時へ雷を庭へ落とすように命じた。つかわしめの麒麟は殿舎への被害を最小限にとどめるため、器用に庭の竹一本へ落としていた。そして今日も。言葉どおり、力は衰えていないようだ。

 このまま待っていれば、広縁で待機している女官が慌てて、帝をとなりの殿舎へと避難させるだろう。その際、私の隠れる渡殿の上を渡る。

 さあ弥嵩帝、出ていらっしゃい。


「帝様、どうぞこちらへ……!」


 推測どおり、ひとりの女官が悲鳴まじりの声で帝を渡殿へうながした。腰を抜かしながらも一心不乱になって渡殿の蔀戸を開ける。その間に、帝はなにを思ったか羽織一枚を肩にかけただけで、庭へおりた。


「帝様!? どうかお戻りください!」


 雨に降られず、轟々と燃え続ける竹に近づく。砂利に地熱が残っているのか、足裏に痛みを感じる素振りをみせるも、その場にとどまった。


「あぁ、まるで、まるであの日のようだ。ついに、朕を迎えに来てくれたのだな」


 虚空を見据え、不気味に笑む。

 ちっとも癒されない、その毒のような笑い顔を目の当たりにした私は心を総毛立たせた。

 誰に向かって言葉を放っているのだろう。考えたくもない。

 しばらくすると、全裸の玉藻姫が女官の首を引きずり、帝の背後に立った。首を火にくべ、帝の腰へ血濡れた手をまわす。


「雷鳴の中宮が、冷やかしにきたのねぇ?」


 胸の鼓動が早まるのを感じた。

 数少ない女官を殺してしまったのだ、今ここで玉藻姫が猿芝居を打つ必要はない。

 つまりは、私が転生したことを知っている──?


「妾も帝も、あなたのことをずーっと、待っていたのよぉ? それなのに、側室を殺そうが国を滅ぼそうが、ちっとも現れないのだもの。ここの神さまはずいぶんと腰が重いのねぇ?」


 ちがう、知っていたのではない。

 神の怒りを買うため。私を生まれ変わらせるために側室を、国を滅したのだ。

 動かぬ石であるべきからだが、わずかにカタカタと震えた。


「それにしても、これがあなたの授かった能力? どんなものかと思えば、前世と同じことを繰り返すだけなんて。なんて、つまらない女なの。このちいさな陸地と同等に、ちっぽけだこと」


 かがり火となった竹を背景に言い放つ。


「悪いけれど、雷ごとき脅しにもならないわ。朱夏殿も、この国さえも護れずに、また死に絶えるだけ。悪名だけが延々と今世に遺るのさ。未曾有の怨霊、雷鳴の中宮よ……!」

雷花らいか……、いるの?」


 やにわに帝に愛称で呼ばれ、危うく心が乱れそうになる。帝だけに呼ばれていた名──、今はその一音一音、すべてがおぞましい。

 玉藻姫はすべてを見透かしたように嘲笑った。


「よいか? 次の望日に行われる騎馬打毬で、妾は近衛隊を殲滅するぞ。せいぜい、陰で指を咥えて眺めておるがよい!」


 そう言うと、帝の腰を抱いて何事もなかったかのように夜御殿へ戻っていった。まるで私が退くことを許すように。

 茫然としていると、闇に紛れていたウサギがピョコンと耳を立てた。ずっとそこにいたのか。まるでカラスのように暗くて、夜目にもわからなかった。

 イタチとも、合流しなければ。

 そう思い、顔を上げると見渡すまでもなく、鼻先にあった石がイタチになった。私が真似た石だ。そばにいただけでなく、わざわざそのものを選んで化けたなんて。おかしくなって、クスリと笑い声をひとつ、あげてしまった。

 もうひとつの石がイタチに戻り、私の口をふさぐ。またもうひとつの石はうん、うん頷きながら、涙をひとつぶこぼした。

 そうだね、帰ろう。


 東馬寮へ着くと、山の端が明るくなっていた。日も月も移ろうのに、私はなにも変わらない。


「このまま私は、誰も救えないの……?」


 溜め息が、白い。

 実らないまま、冬がやってきたのだ。

 

「麒麟、ありがとうね。あんまり意味なかったけど」

「意味なかった!? それよりねぇ、口先だけのお礼だけ? もっとなにかないの、人参とか」

「ないよ。帰ったらね。帰ったら? ちょうど、もち米が蒸し上がってるねー!」

「ちょっと!? 」


 焦る気持ちを、もち米の湯気にしまい込む。

 私は黒点の鼻をすすると、麒麟の背後に浮きあがる朝陽へ尻尾を向けた。

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