参 孵らぬサナギ

おきつねさまは強くなりたい

 翌朝のこと。

 肉球にひっついたモチが取れぬまま、沼へ訪れた私は前足を交互にこすりながら、ツクモの話しを半分に聞いていた。

 朝ごはんのお餅、美味しかったなぁ。

 イタチが切ったのし餅に挟んだのは、なんとマサルさんが昨夜仕込んでいたクルミダレだった。


 どこまでものびる餅を噛みちぎると、牙にしがみついたハチミツの甘味が心をとろけさせる。いつまでも味わっていたいが、クルミの小気味良い食感が咀嚼をとめさせない。夢中になって飲みこめば、口のなかに残るのは、うすっぺらい名残惜しさ。悔しくてまた足がのびるのだ。ああ、おモチさん。君はなんて罪な食べ物なのだろう。

 ツクモのクチバシが落ちてくる。


「もう、許さん……! この阿保ギツネが!」


 運動神経五倍が板についた私は息を乱すことなく、颯と避けた。反応できなくても、コンがクチバシをつかんで止めてくれるのだが。


「こらツクモ。乱暴はいけないよ」

「主人は黙っといてください! もう堪えられへん、今日の神託、反芻してみい!」

 

 ごめん、罪なモチに心を奪われていたよ。


「帝の玉顔を拝んでくること。でしょう? 断固拒否いたします」

「はぁあ!?」


 ツクモはクチバシを天地に割いて驚いた。その一方でコンは「ユキ、お話し聞いてたんだ」と、違う意味で感嘆としている。


「黄泉神様の神託を拒否することなど許されるか、この馬鹿ものが」

「馬鹿でも阿保でも構わない。私は朱夏に会うことを最優先にする」

「なっ、主人……!」


 クチバシを向けられたコンも、困った顔をした。


「ユキ、神託はぜったいだ。それに、今は朱夏殿より優先すべきことがあるでしょう」

「騎馬打毬のこと?」

「そう。今回の騎馬打毬は、馬のお披露目会として、駒牽の最終日の翌日に行われる。恐らくこの日、近衛隊のほとんどが死に絶えるだろうね」


 玉藻姫が近衛大将に直接言い放っていたのを、私も耳にしている。言葉にしたからには、本気で殺しにかかってくるだろう。


「ユキ、昨日言っていたでしょう。強くなりたいって。彼らを救う力を、異能を手に入れたくはない?」

「帝に会えば、身につくとでも」

「それこそが神の思し召しだよ」


 コンは私と目線を合わせるためにしゃがみこんだ。お目付け役必殺、真顔の説得だ。


「玉藻姫は、朱夏殿の女御様のご成熟を前に、わざわざ危害を与えることはないと思う。女御様の身代わりになるキツネもいないしね」

「朱色のキツネは?」

「まだ人間に化けることすら難しいようだから」

「そう」 ならば、生まれて間もない私はほど遠いのでは。人間に変化する以上の異能を、帝に会うだけでひらめくだろうか。


「力は欲しい。でも、ほんとうに帝に会う必要があるの?」

「黄泉神様がおっしゃるんだ。きっと、口火になる」

「それに、そう簡単に会えるかしら。帝は駒牽の初日にも姿を現さなかった」

「私に言わせれば、朱夏殿こそ難しいと思うけどな。あの強い結界、陰陽博士のものだ」


 南の朱夏殿には代々、陰陽博士が守護をする。


「でも陰陽博士は──」 コンがこくり、うなずく。

「陰陽博士が直々に誰かに、朱夏殿の守護を託したのだろうね。博士に認められたんだ、朱夏殿を護っている陰陽師はなかなかのつわものだよ。安心していい」

「……うん。わかった」


 そう言わざるを得ないのだ。コンのゆえなき紅顔を前にしては。

 まったく、よくできたお目付け役である。

 夕ごはんには栗を包んだ餅が食べられると聞いて、私はすっかり気をよくしたのだった。




 鶏鳴の刻。

 帝と玉藻姫の眠りがもっとも深い刻、ツクモが知らせにくると言ってはいたが、それはもう汚い鳴き声が邸の真上に轟いた。こんな寝覚めの悪い鶏鳴は聞いたことがない。うたた寝をしていた私はそのおぞましさにたえきれず、でんぐりがえりで起きた。


「世界が滅ぶの!?」

「ツクモだよ」


 隣で眠っていたコンも、両手で耳をおさえながら上半身をあげた。


「おはようユキ。ひどい目覚ましだね」

「ほんとう、なにごとかと思った」


 トキってこんなにひどい鳴き声だっただろうか。おかげでからだの隅々まで目覚めたので、感謝すべきなのかもしれない。

 これから内裏のなか、それも帝の眠る夜御殿よるのおとどへ忍びこむ。気を引き締めねば。

 

「さあ、みんなも今ので起きたかな」

「部屋を出て確認するまでもないよ」


 ツクモに追いかけられ悲鳴をあげるネズミの声がする。


「それじゃあ行こうか」

「あっ、今開けたら」


 戸を開けた瞬間、ツクモの片翼がコンの顔面に突きささり、トキがとまった。ツクモはちいさな目をまんまるにしてかたまっている。トキだけに。

 笑いごとではない。コンの美しい顔に傷ができたらどうしてくれる!


「コン、だいじょうぶ? 目に入ってない? こらツクモ! 主人になにか言うことないの! それにネズミは獲物じゃないんだからね!」


 たまに間違えて甘噛みしていいのは、私だけなんだからね!


「ツクモ……」


 おや? コンの声色が低い。


「床を見て? 君の足あとだらけだ。誰が毎日掃除してると思ってるの。君が追いかけまわしていたネズミだよ。仲良くできないなら、もう来ないで」


 えっ、顔の痛みより床の汚れに怒っていたの?

 山里でのことでさえ、声に出して叱らなかったのに。コンはものすごい綺麗好きなのかもしれない。どうしよう、私なんて毎日のようにおかゆを毛で引きずって、ネズミに怒られてるのに!

 おずおずと足の裏を確認していると、コンは人の耳ではひろえぬ音で、ごちた。

 

「中宮様の御御足おみあしが穢れていたらと思うと、吐き気がする……」


 うん? 元中宮なら毛むくじゃらになって、ここにいるよ? ちなみに、私の足の裏は汚れてるなんてもんじゃないよ。肉球にちいさなどんぐりはさまってたよ。ないしょにしなくちゃ。


「土足であがったこと、誠に申し訳ございません」


 ツクモはコンへ申し訳なさそうに首を倒すと、私に舌打ちをして去っていった。それに、謝罪は主人に向けたものであって、ネズミたちへはまったく謝っていない。

 どちらに非があったのか気になり、ネズミたちに問う。


「来て早々、なにゆえ追いかけられてたの?」

「ネズミごときが畳で寝るなって」

「ネズミらしく、屋根裏で寝ていろって」

「さもなくば食らうって」


 あまりの心なさに返す言葉がない。少しツクモに同情しかけた自分を責めたい。

 ツクモはどうしてわざと嫌われるようなことをするのだろうか。自分も畳で寝たいのなら、そう願い出ればいいのに。えらそうだし、鳴き声は汚いし、売り言葉しか言わない。真意を測りかねるが、性根が腐ってないことだけを祈る。

 ツクモに気勢を削がれてしまったが鶏鳴の刻は有限だ。私はぶつぶつとひとりごとを言い続けるコンの足にすりついた。


「コン、そろそろ行きたいよ」

「ああ、うん。そうだね、今開けるね」


 東馬寮へとつながる魔法陣が、青白く庭に浮かぶ。縁へ出ると、今夜の付き添い役であるウサギとイタチが並んだ。

 コンが向かいでしゃがみこむ。


「ユキにはこれを」


 颯と両腕を首にまわされ、ドキリとする。じっ、としていると、首に細い組紐が結ばれた。冬毛に埋もれてみえないが、コンが手ですくうと、朱色の紐に通されたちいさな瓶が現れた。


「御饌飴が入ってるんだ」

「わぁ! 嬉しい、ありがとう!」

「万が一、邸へ戻れなくなったときのために。ふた匙ぶんしか入ってないから、気をつけて」


 おやつかと思ったら、護身用でした。

 肝に銘じておきます。

 帰ってきたら、またみんなでお餅を搗こうねと、ネズミたちと約束を交わし、私は魔法陣へ足を踏み入れた。

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