おきつねさまと餅つきのあと

 間もなく、目がチカチカするほど蛍の舞う庭で、かわりばんこに餅をつく和やかな光景が広がった。つきたての餅がそれぞれの茶碗に大胆に盛られていく。残りはイタチたちが手際よく、のし餅にしていた。それって、明日も食べられるってこと?

 おのずと尻尾が揺れる。


「ユキ、お願いだからのどを詰まらせないでよ?」


 コンが餅の入った茶碗に山菜汁をかけながら言う。

 やだなぁ、おじいさんじゃあるまいし。

 そんな私はいただきますの直後にむせ、そのあとも三回餅を詰まらせた。とっても美味しいけれど、キツネには危険な食べ物だ。

 お茶で流しこみながらしょんぼりしているうちに、茶碗が片付けられていく。土間でなにやら仕込み始めたマサルさんをのぞき、みんなで再び囲炉裏を囲った。

 コンが労いの二番煎じを配る。


「まずはご苦労様でした。みんな、久しぶりの内裏はどうだった?」


 それぞれ明後日を向いて口を閉ざしている。

 無理もない。玉藻姫の塑像を生で見たのだから。

 私は、あの白さを知っている。

 遺骨を固めてつくられる、骨仏だ。

 先帝が崩御した際、皇后と寵妃二名、それから同時期に亡くなった民の遺体を集めると骨になるまで焼き、粉にして固め先帝に象った。

 帝はそれを、骨仏と呼んでいた。

 大葬儀ののち、遺体とともに埋葬されたと聞いているが、その美しさは良くも悪くも、他国でしばらく取り上げられていた。


「玉藻の大殿にあった白像。あれは側室と陰陽師の骨で作られた。間違いない?」

「間違いない」


 イタチが茶碗に鼻を突っこみながら言う。


「うちの主人と、白秋殿の女御は右腕に使われた」

 

 顔をあげたイタチは、他人事のように笑った。


「美しい側室と知性に富んだ陰陽師を支えた骨は、雨風に晒されても白さを保っていると、帝もたいそうお気に召されてるんやて」

「ミカサが……?」


 つい、親しげに名を口ずさんでしまった。

 だってあのひと、先帝の骨仏すら正視できなかったのに。夢のなかの人形のような帝を思い出し、餅ではない感情で胸をつまらせた。

 コンが、遠慮がちに私の背をなでる。


「弥嵩帝に、会いたい?」

「私が? ……わからない」


 感情論で答えるなら、二度と目に入れたくもない。

 だが帝に会うことで得られる情報があるのならば避けるべきではないだろう。言葉を濁していると、コンから話しの矛先をかえてくれた。


「炮烙でなにを見たのかは、マサルにだいたい教えてもらってる。その上で、ユキが聞きたいことはある?」

「そうね。まずは、紅い鬼火の正体を知りたい。亡者とは。玉藻姫が操っているように見えたけれど、まさか」

「正真正銘、東の国の、民の御魂だよ」


 コンはほがらかに言ったものの、次には声音を低くして語りはじめた。


「中宮様が身罷られた夜。東の空から流星群のような光の粒が流れ、御都に降り注いだ。玉藻姫が亡者と呼ぶ、東の国の民の御魂だ」

「妄言ではなくて」

「残念ながら。御魂に触れると、そのものの死に際が見えるんだ。みんな炎に焼かれたから紅色に映るんだろうね。更には中宮と同じ病にかかって死ぬ──、と言われている」

「それこそが偽りか」

「そう、死人に口なし。その場にはいつも玉藻姫がいて、これみよがしに中宮の名を書いた護符を貼っていく」

「護符を貼れば御魂は消える。だから、中宮の怨霊か」 とんだ茶番だ。

「五年経った今も、中宮の怨霊を鎮められるのは自分だけだと豪語している。だが東の国の御魂をあやつれるのも、事実。それは間違いない」

「一体、どうやって」

鎮魂たましずめされないまま、現世にとどまる魂を集める力が、玉藻姫にはあるんだ」


 私はキツネらしく喉を鳴らし、歯噛みした。

 汚名を着せられたことより、未だ民の魂が玉藻姫の手中にあり、利用されていることのほうがずっと、許せない。

 私は隣に座るコンの胸を、前足で小突いた。


「炮烙の処刑によって、滅んだ国はいくつ」


 左大臣右大臣、そして側室虐殺。

 その背後で亡くなった命の数ははかり知れない。

 コンはさらりと言い放った。


「淑景殿の出身国を除いた八カ国が滅亡。総勢二百万人が亡くなっている」


 神々が統べるこの島国に、生きる人の数はおよそ八百万人といわれている。その四分の一を滅したというのか。

 黄泉神おかあさまもお疲れになるわけだ。


「その様子だと、ユキは推測できていたみたいだね。さすがだ」

「……へつらうのは、よして」

 

 八カ国。

 大臣たちは、それぞれが切り開いた領地を国として所有していた。それから側室の出身国、六カ国。すべて滅ぼされたというわけだ。

 二百万という人の数を一度に滅ぼす手段は、ただひとつ。


 ──桜疱瘡。


「雷鳴の中宮の怨霊が、大臣や側室たちを呪い、病をうつした。そして側室の魂は故郷へ帰り、また病をふらす。そうやって流行り病に見せかけ、一掃したのね」

「桜疱瘡はその地に根づく呪術師や薬師をも殲滅させた。どうか陰陽師の手を借りられないかと、御都へ上がった人間にはこう伝え、絶望させたんだ。──陰陽寮は雷鳴の中宮を祓えず、潰えた。もはや病を鎮める術はない。って」

「私を未曾有の怨霊として名を広めさせる一方で、病のうつらない帝と玉藻姫をより神格化させた」

「そのとおり。中宮の宿敵でありながら、病に犯されることのない玉藻姫は奇跡の皇后、次代天子の母として、讃えられている」


 御都の執政がどれほど立ち行かなくなろうと、帝が咎められることはない。

 すべては今は亡き中宮の、怨霊の祟りなのだから。

 それに八つも国が滅んでは、現存する国も明日が我が身。自衛策で手一杯だろう。

 今になって、山里の親子の言葉が胸に刺さる。私自身、誰になにを思われても構わない。だが私を信じた民を、嘘偽りで裏切っていることだけは、許せない。

 偽りといえば──。


「白秋殿と玄冬殿の女御は、今も妖狐が化けて身代わりとなっているのでしょう」

「うん。中宮の怨霊を恐れて、殿舎にこもりきりだと言われている」

「あの様子では、すれ違うだけで偽物だと暴かれてしまうものね」

「でもね、彼女たちにも厄介な異能がある。声だ」

「声?」


 そういえば、ふたりの佇まいは后妃とは程遠いものだったが、声音だけは似ていた。いや、まるでそのもののよう。大将や中将にも、怪しまれていないようだった。


「一度聞いた声なら男女関係なく、声真似ができる。単純だからこそ、使いようによっては神をも騙せる、恐ろしい能力だ」

「肝に銘じておくわ」

 

 きっと過去にもその能力で、何人もの人間を貶めているのだろう。

 私は右前足を内側へ折ると、爪をだした。首の動脈をかっ切るには、到底足りない。

 コンがサラサラの髪を垂れさせ、覗きこんできた。


「案外、のびるものだね。樹皮や漆喰の壁なら引っかけてのぼれそうだ」


 ああ、そういう用途もあるのか。爪を血で汚すことばかり考えていた。

 コンを見上げる。

 黒点の鼻が、思いがけずコンのくちびるに当たってしまいそうになり、一歩ならず二歩退いた。


「ユキ」


 なあに、コン。真顔が良すぎて鼻頭が熱いわ。


「……側室たちのこと、たくさんの国が滅んだこと。私が今まで黙ってたこと、怒ってる?」


 私は今度は肩を怒らせ、言ってやった。


「それこそが杞憂で、腹立たしいわ。コンは、私が事実を受け止められるように、少しずつ手づるを出してくれたのでしょう。それくらい、わかってる」


 出不精な私だって初日に聞かされていたら、邸を飛び出していた。膝の曲がらない私は一刻もたたずに川に落ちて凍え死んでいたことだろう。

 今はただ、軟弱な自身がもどかしい。

 木登りできるから、なに?

 鞍に、人参に化けた私はえらい? ただ恐怖を胸にしまいこんで、馬にまたがっていただけだ。側室たちの骨でできた白像を見上げ、何もできずに、ただ気を失った。


 ──名ばかりのおきつねさま。


「強く、なりたい」


 涙があふれるその一瞬に、抱きしめてくれたのは、つかわしめのみんなだ。みんなにぎゅうぎゅう、抱きしめ尽くされる私を、コンは愛おしそうに見ていた。

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