おきつねさまは夢のなか

 それはまるで、白昼夢のようだった。

 焔々と炎がほとばしる壺のなかを、人参でもキツネでもない、むき出しの私の魂が一本の羽根のように落ちていく。炮烙の口は息をのむ間に、月のようにちいさくなった。瞳を溶かすほどそばにいた炎が、舞台の幕のようにあがっていく。すると、目の前にはっきりと動く場面がひろがった。

 そのひと幕は、正殿の前庭。

 ところどころ護符は貼られているが、五年前の内裏の様子と変わりなく、仕官たちが行き来している。

 だが前庭でうずくまる男ふたりのまわりにだけ、紅い鬼火がびっしりと円を描き浮かんでいた。まるで、五年前に焼かれた炎のような──。

 男ふたりは、左大臣と右大臣。

 太政官の筆頭であり、執政の中枢だ。

 天子の次に敬うべきふたりへ、玉藻姫は扇を投げつけた。


『せっかく妾が護符でおさえこんでいたというに、貴様らが東の国へ使者を送るなどと身勝手なことをするから、亡者が甦ってしまったではないか』


 亡者とは、紅い鬼火のことを指すらしい。玉藻姫の笑い声とともに数が増えていく。その恐ろしい様子に左大臣は怯むことなく、気丈にも高御座に座す帝へ申し開いた。


『畏くも帝よ、東の国史を辿りましたが、やはり病についての記述はありませぬ。もちろん他の国にもございません。雷鳴の中宮はこの島国にはない、大陸の病に犯されたのではないですか』


 帝の口は開かない。

 玉藻姫は左大臣の視界を遮るように、青筋を立たせた顔を寄せた。


『大陸……? ほう。では、病の源は妾にあると?』

『東の民は中宮への冤罪に憤り、こうして現世にとどまるのではないのですか』

『まさかとは思うが左大臣、すべては妾の謀略であると、言いたいのかえ』


 左大臣は唇を結んだ。無言の肯定だ。

 

 炎にまかれ、場面が炮烙の橋の上へ移りかわった。

 帝と玉藻姫に見送られながら、下衣一枚の左大臣が、炮烙の口に渡された鉄棒の上を裸足で渡る。油が塗られているのか一、二歩で足を滑らせ、あっけなく断末魔を轟かせながら落ちていった。

 

『さて、貴様はどうする』


 玉藻姫が、従えていた右大臣の首に爪を当て訊ねる。すると右大臣は帝へ顎を向けて答えた。


『どうもしませぬ。帝が中宮を怨霊と決め定めるのならば、そうなのでしょう』

『ほぉ? では今後、逆らわぬと誓うか』

『逆らうなど、恐れ多い。私は生まれたその日から、身も心も天子様に捧げております。政も世も、どうぞ帝の思うがままに』

『あらぁ残念。帝のではない。妾の、思うがままよ』


 右大臣は帝を見据えたまま、首を切り離され息絶えた。まるでゴミ屑のように炮烙へ捨てられる右大臣を、帝はただぼんやりとみつめているだけだ。育ての親だとまわりに言い広めるほど親密であった、右大臣の末路を。


『さすが妾、炮烙とはよく名付けたものだねぇ。火葬までできて、まことに手間の省ける処刑場だこと。残るのは白い骨だけ……うふふ! 骨だけ? あら、とってもいいことを思いついたわぁ!』


 再び炎が燃え盛る。

 次の場面は宴の席だ。酒宴だろうか、帝の御座をかこむように側室たちが座し、そのまわりをまた波紋のように、紅い鬼火が取り囲んでいる。帝の左右に咲く女御、白秋殿と玄冬殿は、帝が注いだ酒盃を震えた細指で受け取り、紅のとれた唇につけた。


『最期に呑むお酒を帝にお注ぎいただき、心より感謝を申し上げます』

『涙を誘うほどに、美味しゅうございます』


 干した盃に涙のしずくが落ちる。

 やがて蝶のように華やかな衣裳をひろげ、側室たちは次々と横になった。目にみえるほどの濃い香のなか、彼女らに被さるようにして倒れたのは、各々の専従の陰陽師たち。

 帝を包みこむようにして背後に立っていた玉藻姫は、手を叩いて下仕えを呼んだ。


『たぁいへん! 妾以外の側室たちが急に倒れたわぁ、中宮の呪いよ!』


 几帳の奥から現れた下仕えたちが悲鳴をあげると、玉藻姫はままごとのような呪文を唱え護符を天へ掲げた。その護符にははっきりと、雷鳴殿中宮と書かれているのが見える。護符がお辞儀するように折れると、示し合わせたように鬼火が消えた。


『妾が亡者をやっつけたけどぉ、みんな死んじゃったわねぇ』


 蝶の羽根をむしるように、嬉しそうに女御たちの袿をはぎ取っていく。


『さぁ、遺体はさっさと炮烙で焼いておしまい。いいこと? 今夜焼いていいのは、側室と陰陽師だけよ。貴重な白像の原料なのだから。ふふ、これで目障りな側室も残すは、酒の飲めない淑景殿と朱夏殿──』

『朱夏は、だめだ』


 終始人形のようだった帝が差し出口をはさむ。

 玉藻姫は口の端をひきつらせながら笑った。


『わかってるわよぅ、ふんっ。二殿六舎、十六人の骨があれは、じゅうぶんでしょう。焼き終わったら教えて? 御都でいちばんの彫刻家を呼んでおくから。それと、あなたたち』


 外へ引きずられていく側室たちとすれ違い、玉藻姫のそばで膝を立てたのは三色ギツネだ。


『今はまだ、大国を敵にまわしたくないわ。あなたたちが西と北の女御に化けて、しばらく過ごしなさい』

『……私たちが女御に?』

『でもぉ〜、 私は』


 朱色キツネがすまなそうに尻尾を垂れる。


『今日のような宴の席だけでいいのよ。そうねぇ、三年もてばいいからぁ』


 玉藻姫は朱色のキツネの頭をなでると、ウットリと明後日をみた。


『楽しみだわぁ……! 高貴な人間の骨を集めて作られた妾は、どれほど美しいのかしらぁ』


 しあわせそうな笑い声が炮烙の炎に溶けていく。

 すべての幕が下りたようだ。

 ひたすら落ちていた私のからだは炮烙の壺の底ではなく──、


 コンの部屋の藁布団で目を覚ました。


 頭を起こすと、つかわしめのみんなも散らかした荷物のように、あちこちで寝転んでいる。同じように起きあがった一匹のイタチは、ぱたぱたと涙をこぼした。


「みんなも、見ていたの……?」


 炮烙に遺った無念の欠片を。

 おそらくコンは逃げ道として、最初から荷籠の底に、邸へ戻る魔法陣を描いていたのだろう。ただ転移の場所がよくなかった。炮烙に蓄積した死に際の強い念が、転移の際に私たちの意識へ流れこんだのだ。百聞は一見にしかずとは言うが。

 

「コンったら、わざとね?」

「ごめんね。黄泉神様のお考えなんだ。辛い思いをさせてしまった」


 すまなそうに覗きこんでくる。

 やめてよ。その紅顔で謝られたらなんでも許してしまうんだから。水も滴るというが、コンは水浴びをしてきたのか、前髪を濡らしている。その背後の空は夕暮れ色、ずいぶんと寝入っていたようだ。

 ぐぅ。


「おなかすいた」

「今、ウサギに餅をつかせてるから。みんなが起きたら夕ごはんにしよう」


 そう言って、コンは水屋に消えた。

 庭を見やれば、留守番をしていたウサギが躍起になって餅をつく姿がみえた。

 起き抜けのイタチが言う。


「……差し水、してくるわ」

「待って、ユガケ」


 庭へ出て行こうとするイタチ──、いつも左端に立つユガケの名を呼んでとめた。


「なんでうちの名前を? 自己紹介のとき、聞いてなかったんちゃうんか」

「聞いてないよ。憶えていただけ。辛いのはわかるんだけど、みんなと話す前に教えてほしいの。大友どのはどうして亡くなったの。ユガケはあの宴のとき、どこにいたの」

 

 ユガケは少し迷ったが、浮かしていた腰を再び布団へ落とした。

 イタチたちの主人である陰陽師は、御都が建国された年から代々、白秋殿に仕える大友家の当主だ。弓の名手として名を馳せており、弦に触れるだけであたりの災いを祓った。矢を射れば百発百中。トキと彼女・・が並べば近衛が退くほどだった。

 そんな彼女が、まさかあっさりと倒れるなんて。

 ユガケは罰が悪そうに語った。


「女御は酒に毒を盛られて身罷られたけど、うちらは違う。ユキにも見えたやろ? 大陸の、毒の香の煙を。あの香を嗅ぐと、痺れて指先まで動けんようになる。弦をひくどころか足掻くこともできず、意識だけがはっきりとしたまま、主人は炮烙へ落とされた。うちらは……、ただ、取り残された。玉藻姫はつかわしめを殺さへん」

「つかわしめは殺さない? では、ほかのつかわしめは」

「うちら以外・・は、とうに神の御許へ還った」

「そう、わかった。話してくれてありがとう」


 マサルさんが赤い目をこすらせながら言う。


「なにか気付かれましたかな」

「ううん。改めて、ひどい五年間だったんだなって」

「あれは炮烙の記憶。話しはまだ続きますよ。我が主人、陰陽頭や陰陽博士のことも。よかったら、今お話ししますが」


 寝起きの小亀がうなずく。小亀の主人は、陰陽博士だ。


「……ごめんね。私はコンの口から、聞きたい」


 実父であろう陰陽頭とコンの恩師である陰陽博士。どんな無惨な死に様であろうと間違えた解釈はできない。マサルさんは納得したようにうなずいた。


「左様でございますか」

「それに、今は炮烙の処刑について、たくさん聞きたいことがある。はやく手伝って、はやく食べて、お話ししよ!」

「承知いたしました」

「それから」


 部屋をとびだそうとするユガケを再び引き止める。


「私があなたの名を呼んだこと、庭に出たら忘れて」


 ユガケは不可解そうに首を傾げたが、


「わかった。んじゃ、ウサギみたいに真っ白なモチついてくるわ!」


 元気に庭を駆け出していった。

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