おきつねさまと炮烙

 私が気を失っていたのは一瞬のことだった。なにごともなければ、荷籠に揺られたまま厩舎へ戻るまで、いつものごとく眠っていたのだろう。

 だが私は稲妻のような殺気と、急激な落下速度を感じながらの覚醒を強いられた。


 腰を地に打ちつけ、現実を受け止める。

 どうやら荷籠が馬の背から落ちたようだ。反対側のカゴからリンゴが転がった。反対側──?


 荷としてリンゴに化けた、イタチだ。

 私もなにかに変化しなければ。りんごに似た食べ物を思い浮かべ、とっさに人参に化けた。改めて辺りを見渡せば、すぐそばで私を隠すように、コンが跪いている。着物の裾で血をせき止めているようで、今まさに染め上げていた。その根源を探せば視界のすみに、不自然に倒れた馬の首をみつける。

 どうやら私の入った荷籠の馬の首を、玉藻姫が分断したらしい。


「私の愛馬に、駄馬を近づけるんじゃないよ」


 さっそく卑しい声が前方から聞こえた。


「りんごを運ぶ程度で息を切らす馬なんてぇ、この内裏に必要ないわぁ。今年の騎馬打毬きばだきゅうは盛大に催すのだから、ちゃんと名馬を連れてきてよねぇ」


 リンゴじゃないよ。イタチ三匹と、まるまる太ったキツネだよ。馬にも、みんなにも悪いことをしてしまった。私が重かったばっかりに。

 騎馬打毬とは紅白の二組にわかれ、自分の組色の毬門きゅうもんへ毬を入れ点数を競う競技だ。御都でもっとも盛り上がる競技で、内裏でも気候のよい春と秋に催される。特に秋には近衛隊の勇姿が見られるため、人気が高い。

 大将が血濡れた砂利に平伏す。


「畏くも皇后様、打毬の際には馬に対して人の数が足りないかと」


 玉藻姫はささやかに、けれど指先まで凍るような怖しい声で笑った。


「人間は増やさないよ? 減らしたいのだから」


 打毬で近衛を率いる大将中将への、死刑宣告だ。

 ふたりに衣裳の裾を向けた玉藻姫へ、大将が尚も果敢に食らいつく。


「近衛隊を潰し、御都を誰が護るのです」

「驕るなよ? 中宮と東の国の民は、近衛隊をひどく怨んでいる。その譯は……、わかるな?」


 同じく平伏す中将へ、玉藻姫が扇を振る。

 中将は開きかけた口をつぐみ、血が滲むほど強く歯噛みした。


「すべては中宮の御魂を鎮めるため。潔く死んでくれたまえよ」


 その豪奢な後ろ姿が殿内へと消えるまで、ふたりは頭を垂れたまま動けなかった。





 馬の行列をすべて西門の外へ出しきると、大将と中将は二手に分かれた。大将は馬を厩舎へ戻し、中将は馬の遺体を炮烙へ運ぶと言う。


「明日もあるんだ。そのあとは解散でいい」

「しかし、家臣たちに伝えねば」

「俺から言っておく。──騎馬打毬のことも」


 ワシワシと頭をかきむしる。


「はぁ、トキちゃんさえ生きてくれていたらなぁ」


 そういえば秋の騎馬打毬には毎年、女房のトキが参加していた。騎馬と槍に長けていれば官位だけでなく老楽男女問わず入れるのだ。トキの組がかならず勝つため、いつも最後にクジを引いていたのを憶えている。

 

「トキ殿は、お慕いしていた中宮様と共に身罷られたのです。少なくとも打毬で死ぬよりかは、幸せであったと思いますよ」

「それもそうか」


 中将は大将に頭を垂れると荷車を取りに、近くの中務省へ足の矛先を向けた。

 するとコンは私の入った荷籠を背負い、中将のそばについた。


「荷車といえど、馬一頭を運ぶのです。炮烙までおひとりでは重労働というもの。近衛中将様のお手伝いをいたします」


 中将が大将へ向き直る。

 大将は無気力にうなずいた。気性の荒い麒麟は玉藻姫に引き取られたため、身軽なものだ。


「それでは頼もうとするか。だがせめてその荷を下ろして行ってはどうかな」

「そう仰らず、死んだ馬の好物ですので最後まで運ばせてください」


 荷籠のなかを見せる。


「リンゴと人参か。君からは、馬への深い愛を感じ入る」


 かくして大将と別れた中将とコンは荷車に馬の遺体をのせ、内裏に背を向け歩きはじめた。


「実のところ君がいてくれて助かったよ。ほら、駒牽の一日目に馬の遺体を運んで欲しいなんて、下手に宮仕えに頼めないからね」

「お気持ちお察しします」

「君もさ、ほんとうは貴族の出だろう。着物は舎人とねりに支給されるものだが、所作と言葉遣いがきれいだ。いや、それ以上の詮索はしないが」

「……はい」

「そうか、つらかったね。舎人は本来の務めではないだろうに、真摯で驚かされるよ」


 片手をあけ、コンの頭をなでる。

 中将は目の下のものにはずいぶんと親身になって接するようだ。この五年で、似たような境遇のこどもを何人も見てきたのだろう。

 でも私がしたかったこと、ぜんぶ奪われた

気分で悲しい。私もコンをヨシヨシしたい!


 それでもふたりの優しい口調とやわらかな笑い声は耳に心地よく、心穏やかに人参でいられた。目を閉じようとするたびに、玉藻姫の塑像がまぶたの裏に浮かび、眠れなかったが。

 荷車の揺れがとまり、外を覗き見る。

 場所は内裏から東の方角に位置する浄土庭園だ。内裏の代替地として空けられていた敷地だが、景観にこだわるうちに立派な庭園となった。特に弥嵩帝の代には、先帝の愛した松の木を植樹するだけでなく、死後私とふたり共に渡るのだと、水路を拡大し黄泉の川をつくった。壮観な池にはちいさな孤島があり、帝に長めの暇ができると、かならずと言っていいほど訪れた。孤島へ渡るための舟は、黄泉へ渡るときも共にのろうと、私のために作られたものだ。従者をつけずに、ふたりきりで舟で渡り、その度に叱られた。

 孤島の上には、足がやっとのばせるほどの小屋がひとつ。


 ふたりだけの、思い出の場所。


「炮烙に着いた。荷車では橋を渡れないから、上まで運ぼう。君は首をもてるか」

「はい」


 ──橋?

 庭園の池に橋などなかった。

 舟などわずらわしいと、玉藻姫が橋を渡したのだろうか。

 秋は紅葉が池に浮かび、この世のものとは思えぬ美しさとなる。その情景を思い出しながら、眺めた私は息を忘れた。


「ユキ、どうか上まで我慢して」


 コンのちいさな声と、ネズミたちが頭上から降ってきた。反対側では、コンの袂からマサルさんと小亀がカゴへ移っている。コンはつかわしめを、カゴにひとまとめにしたようだ。

 ネズミに釘を刺された。


「今キツネに戻ったら、昏明がきっついで」

「冷静に冷静に」


 その忠告がなければ、キツネに戻っていたことだろう。それほど衝撃的な景色が目の前に広がっていた。


 紅葉の水面に浮かぶ孤島に、正門より高くおおきな赤土色の壺が日を逆光にして建っているのだ。


 ──これが、炮烙。


 まるで地獄の窯。黄泉にふさわしいと言えばそうかもしれないが、これほど美しくない建造物がこの世にあるだろうか。

 炮烙の両端にかけられた橋は、つなげると半円になるほど湾曲しており、実際にコンが登りはじめると牛車の通る幅があった。牛車が渡るとなると、急な坂に耐えきれず後退してしまうだろう。

 中将の背を追う、コンの息づかいが荒くなる。橋の頂きに近づくにつれ、中将の袂が陽炎で揺れた。

 ネズミが毛を湿らせ、ごちる。


「あついな……、ここだけ真夏みたいや」


 黒点の鼻から汗つぶを垂らしながら、ネズミのひとりごとにうなずく。

 橋を湾曲させて建てた理由がわかった。炮烙へ直接はしごをかけたとしても誰ひとりたどり着けないだろう。貼り付くだけで、皮が削げるほどの熱をもっている。

 そんな拷問もあったのではないかと見下ろせば、炮烙を支える鉄柱に焼きついた人型をみつけて、グンと気落ちした。

 これより酷い拷問はないだろうと、たかを括り橋の頂きを望めば、そこはまるで黄泉への入り口。血の染みついた赤黒い炮烙の壺の口は、馬二頭ぶんほどの広さがあった。向こう側の橋へ直線に一本、鉄棒が渡っているが、両側の隙間から余裕をもって投げこめる。中将は馬の胴体を炮烙の口へ放りこむと、曲がっていた腰をのばし、額の汗を拭った。


「ふぅ、やれやれ。ひと苦労だな」


 大人五人分の重さはある馬の遺体を橋の上までひとりで運んだのだ、人並外れた剛力のもち主である。馬の首と荷籠を背負うコンは汗を滝のように滴らせ、喘鳴をおこしているというのに。


「よく頑張ったね。あとは私がやろう」

「はい、よろしく、お願いします」


 コンは細切れに言うと、馬の首を中将へ渡した。


「ほら、荷籠も」

「はい」


 つかわしめの詰め合わせのような荷籠もまた、コンはあっさりと中将に引き渡した。中将は中身も見ずに、カゴごと炮烙へ投げこむ。


「ご苦労であったな。長居は無用だ、帰ろう」


 達成感が滲み出たその言葉を最後に、私は烈火の炎に巻き込まれていった。

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