おきつねさまと藁布団

 コンに抱えられたまま庭から縁へ上がると、つかわしめのみんなが一列に並んで待っていた。

 マサルさんが自慢の脚力で飛び込んできたが、


「ああ……! 中宮様、よくぞご無事で! グェ」


 手前でコンに首根っこをつかまれ、床におろされた。


「君たちとは、明日ゆっくり話そう」


 私は首をかしげた。

 足もとに座るみんなが、肩を震わせ慄然としている。特にネズミたちはちいさい身体をさらに縮こませ、五匹で一匹のようになっていた。

 断りなく山里へおりたことを、こっぴどく叱ったりしたのだろうか。いつも優しいコンが?

 奥の部屋へ向かうさなか、どう切り出すか迷う。


「コン? あの、私……」


 ちいさく丸まった私の尻尾をみて、コンはすぐさま心づいた。


「ユキは悪くないよ。黄泉神様のお告げのとおり、お使いを果たしたのだから」

「でも、いつもと違う計画をたててしまったし」

「マサルがね。そしてネズミたちも。本来ならば、夜にイタチたちと行くべきだった」

「でもイタチはみんな疲れていたし」

「それでもユキには従うべきだ」


 声色は変わらないのに、少しずつ強くなる口調。やっぱり少しこわい。


「クーン」


 この鳴き声は、やるせないときにも出るようだ。コンもまた、鬱々とした表情をみせた。


「……そうだね。今日はユキが心配で、精神的に疲れたな」

「ごめんなさい」

「罪悪感が拭えないのなら、今日は私の部屋で過ごして」

「コンの部屋?」 そういえば、入ったことないなあ。


「朝まで離さないから」



 ふいをつかれ、今日いちばんに心の臓がうるさく鳴った。




 コンの部屋といっても、私の部屋と同じ四畳の広さに布団を敷き詰め、角っこに書物やら巻物を積み上げているだけだ。それでも恥ずかしいのか、顔を赤らめ、丁寧に敷妙のしわをのばしてから私をおろした。

 なんてことだ。


「おふとん! ふかふか!」

「なかは藁だよ。秋になれば、ユキのぶんも作れると思う」

「いらない。私、これから毎日ここで寝る!」


 むしろなぜ今まで入れてくれなかったのか。

 じとと見据えると、コンは耳まで真っ赤にした。


「それは、ユキが寝たらここへ移して欲しいってことでいい?」

「そんなわずらわしいことお願いしないよ」

「でも、昨日は干物をかじりながら囲炉裏で丸まっていたし、おとといは縁で日向ぼっこしながら足を広げて寝てたよ」


 そう、そして起きたらコンの着物でぐるぐる巻にされているの。好きなときに好きなだけ寝たあとの最高の目覚めよ。


「明日からは眠くなったら、自分で来るー」

「うん、わかった」


 コンは仰向けに寝そべると、脇に私を引き寄せ、撫でてくれた。


「今日あったことを、話せる?」

「うん」


 振り返ってみれば、そんなに長くはならない。山里までは迷わず着けたし、ニンニクももらえた。山里の御社に魔法陣が現れ、雷鳴殿に連れて行かれると、そのあとはほとんど近時の腕のなかで眠っていたし。

 それを言葉にして伝えると、なんだか少し後ろめたくなった。


「コンはどうして私が内裏にいるとわかったの?」

「マサルに言われて山里へ転移したら、ネズミたちが泣いてすがりついてきてね。ユキが白馬を連れた男にさらわれたって。焦りはしたけど、魔法陣を読めば行き先くらいわかるから。難しかったのは、内裏に足を踏み入れる言い訳くらいかな」


 撫でていた手で私を胸の上へあげると、包み込むようにして抱きしめた。


「寝汚くてごめんなさい」

「ほんとう。ほかの男に抱かれて寝ていたなんて、許せないよ」


 言葉の選びかた!


「コンは、恋人ができたら溺愛しそうね」

「あはは、毎日馬糞まみれの私に、そんなひと現れないよ」

「それ本気で言ってる?」


 馬糞まみれだろうが、着物がつぎはぎであろうが、その紅顔で微笑まれたら男女問わず卒倒すると思うのだけれど。

 話しのなかで掘り下げられたのは、私と雷鳴殿のみんなを皆殺しにした、五年前の宴ことだ。


「ユキも知っていると思うけれど、宴でのことは玉藻姫のいいように脚色されて広まっている」

「私が病の種を撒いたと?」

「そう。玉藻姫に高座をとられ、気を狂わせた雷鳴の中宮は、宴の貴賓を道連れにと、自身の御座に病を撒いた。実は、その被害を護符で最小限に食い止めたのが、藤森近時とされているんだ」

「そんな……! だって近時が詠唱したあとに、護符が赤くなって、病がひろがったんだよ?」

「私も、彼が玉藻姫に寝返ったのかと疑ったよ。でもね、御座に貼られた護符は、陰陽頭が調べても不審な点はみつからなかった。私も直に見たのだけれど、赤く染まったのは病を弾いたり、封じたときに表れるしるしだ」

「では、なぜ近時はみんなを置いてひとり逃げたの」


 恨むなら自分を恨めとでも言うように。


「これは憶測でしかないのだけれど、麒麟が主人の命に背いたのではないかな。たとえば、中宮様だけでもどうにか助けたいと、麒麟に救助を命じたとする。けれど麒麟は主人を救うことを選んだ」

「でもつかわしめが、主人の命に背いたら」

「二度と天界へ還れない。……こればっかりは、麒麟に聞いてみないとわからないけれど」


 だがコンの推測が正しければ、近時が言い残していった言葉に矛盾が生じる。


 ──共に逝き、来世で結ばれましょう。


 今際の際に、片われを逃がそうとする人間の発する言葉ではない。

 もしかして、私に対してではない……? 私のそばにいた女房に、伝えたのだとしたら。私だけを逃し、残った自身は愛する女房と最期を過ごそうと。

 だとしたら辻褄が合う。

 そもそも天子の妻である中宮を、陰陽師が恋慕うはずがない。実直な近時なら、尚更のことだ。

 結果的に近時はひとり生き残ることとなり、どんな想いでこの五年を過ごしてきたのだろうか。見るに絶えない傷痕を残して。


「どうしよう。私、近時にひどいことを言ってしまった」

「味方か敵かで言えば、まだわからない。どちらにしても雷鳴殿は昨夜、玉藻姫に狐疑されているからしばらく行かないほうがいい。その間に彼とは少しずつ距離を縮めよう」

「コンは、近時を信じているのね」

「話しをしたいんだ。未だに薬のない桜疱瘡をどう克服したのか。今までどこに潜んでいたのか。恥ずかしい話し、とうに亡くなったと思い込んでいたから」

「桜疱瘡……?」

「桜の花びらのような湿疹があらわれるから、桜疱瘡。悪趣味な病名だよね。私はユキに汚名を着せた玉藻姫を許さない。病を撒いた人間が他に居るというのなら絶対に、この命に変えてでも、見つけ出してみせる」


 言葉とは裏腹に、声音が弱くなる。ひどく疲れていたのだろう。顎をあげて顔をのぞくと、コンはすでに瞼を閉じていた。片端から涙がひと筋、流れている。


「コン……、いつか、私に話してね?」


 あなたの過去を。涙を流す理由を。

 邸を譲り受けたという両親は、今どこにいるの。

 陰陽頭も護符を調べたと、さらりと言ったけれどその方は、陰陽頭は、あなたのお父上なのでしょう?

 

 わずか一〇歳で黄泉神にこうべをたれた、その決意は並々ではない。

 コンは知っているのだろうか。

 死を司る黄泉の主宰神──、彼女が人間にもたらす、たったひとつの希望を。


 現世と関われない彼女の代わりに未来を変えた人間は、その対価にひとつ、願いを叶えられる。

 ただし、黄泉へと下ってから。願いは死して叶うのだ。


 どんな理由があるにせよ、私はコンに命なんてかけて欲しくないよ。


 コンの胸をおりて、左脇におさまる。

 馬糞まみれだなんて、まるで悪い冗談みたいだ。コンの着物からは相変わらずいい香りがする。

 散々寝汚くしていたはずの私は、耳に心地のよい鼓動と香りに包まれる、至福の眠りへと誘われていった。

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