おきつねさまと飴

 翌朝、目覚めた私はコンの着物のなかにいた。それにも驚いたが、まぶたすら上がらない倦怠感に、私はもっと戸惑った。からだに動きを伝達しても、反応がない。息をする反動で、かろうじて黒点の鼻が上下し、それにコンが気づいた。


「ユキ、起きてるんだね」


 肯定を示して鼻をスンスンさせる。


「思っていたより重症みたいだ。いい? いまから口を開けるよ」


 こじ開けられると思い待ち受けたのだが予想と違い、コンの細指が牙の隙間をぬってきて、首筋がぞくりと波立つ。さらにその指は、なにかねっとりとしたロウのようなものに覆われていた。


 それをあろうことか私は舌で、夢中でねぶったのだった。


「ふっ、ユキ、くすぐったい」


 コンの清らかな声を聞くといけないことをしている気分になるがとまらない。関節の幅から薬指だろうなぁ、と勘づき、確かめたくて目を開けた。


「あ、目が開いた。気分はどう?」

 

 最悪だよ。

 でも、この甘いのは、最高!

 おかわりをせがんで、舌を出す。

 コンがちいさな小瓶から指ですくいあげた液体は、薬とも蜂蜜ともちがう。視覚でとらえるそれは、なんとも官能的な色艶をしていた。

 爪先から舌へ流れ落ちる。

 

 甘い。

 その甘みを口いっぱいにひろげたくて一度閉じると、じんわりとやってくる芳醇な香り。鼻の奥まで満たされて、心が震えた。次には声が出た。


「美味しすぎる、なにこれぇ」


 指に残ったぶんを舌でぬぐう。

 コンはまたくすぐったそうに言った。


「ふふっ、芋からできた、芋飴だよ」

「芋の飴?」

「裏漉した芋を煮詰めると、とれるんだ。こうするとね、土の恵みが凝縮されて、神様の薬になる。その証拠に、さっきまで目も開けられなかったユキが、もう喋れているでしょう」

「神様のおくすり……!」

「御都の陰陽師は、この飴をつかわしめだけでなく、自分の守護神に供饌ぐせんするんだ。だから、御饌飴みけあめって呼ばれてる」


 コンの言葉を頭になじませるように、口のなかを拭う。

 まだ春のころだろうか、大量にふかしていた芋を思い出した。あれは、御饌飴を作るための仕込みだったんだ。

 ぴくり、尻尾が浮く。


「御饌飴、すごい。おくすりなのに美味しいし」

「ほんとう、おきつねさまへの効果は抜群だね。おろすよ」


 いくらもしないうちに床へ転がされ、焦るもきちんと四本足で立てた。目も開けられなかったのが嘘みたいだ。

 コンは噛みしめるように言った。


「ふむ。一度にふた匙ってところかな」

「えっ、もっと舐めたい」

「だーめ。作るの大変なんだから」


 ほんとうに気だるそうに言う。


「あとは朝ごはんで補って」

「はーい。もしかして、私が動けなくなったのって、昨日夕ごはん食べそびれたから?」

「そう。いつか言ったよね、ユキは本能にあらがうと力が弱まるって。特に生まれて一年経たないうちは老いより先に、からだと魂の結びつきが離れてしまうんだって」

「私の魂が、からだに馴染んでないってこと? おきつねさまになりきれていないとか」

「心の問題なのかどうかは、わからないけど。今できることは、一日二回の恵みを受けて、からだと魂の結びを強くすること。一食抜いただけで動けなくなることは、よーくわかったでしょう?」


 コンは意地悪い笑みを浮かべてみせた。

 さては、昨夜わざと食べさせなかったな?

 かわいい顔をして、打算的なんだから。ふらつくからだの軸を探しながら、囲炉裏のある小上がりへ向かう。


 するとつかわしめのみんなが、それぞれにうなだれ、うちひしがれていた。


「おはよう、ユキ。もう歩けるんやね」

「御饌飴が効いたのですね。さあ、ごはんにいたしましょう」


 眠っている間にもコンのお説教があったのだろうか。私へかける言葉も怯えている。

 私はおかゆのお碗を鼻で引き寄せながら、みんなへ明るく言い放った。


「昨日は色々とごめんね? これからは私も気をつけるから」

「ユキは、立派だったよ。機転を利かせ、鞍に化けて馬にのるなんて、さすがだった」


 いつのまにやら隣に座るコンの美貌が朝焼けよりも眩しい。相反し、彼の影となるつかわしめたちの重々しい表情ときたら。

 訊ねたいことがたくさんあるのだが、この空気のなか切り出しにくい。様子をうかがいながらおかゆを流しこんでいると、コンが白い木の実のようなかたまりを差し出してきた。


「これは?」

「ユキがもらってきてくれたニンニク。食べてみたかったのでしょう? お口を開けて」

「あーん」


 口に含むと焼け石のように熱く、しばらく舌の上に転がす。すると歯にあてるまでもなく、やわらかくつぶれた。強烈な香りを放ちつつも、ほっこりとした舌触りと甘みについ、嬌声がこぼれる。


「はぅ、う、おいしいっ」


 これがニンニク。

 感謝とおかわりの意を瞳に込めてコンを見据えるが、首を横に振ってくる。

 

「ニンニクは刺激が強いんだ。今日だけだよ」


 私は声も発せず、隣に座るイタチと同じようにうちひしがれた。こんなに美味しいものを食べさせておいて、最初で最後だなんて。

 この世には知らないほうがしあわせなことがあると、改めて噛みしめながら、お茶で匂いを流した。


「ぷはぁ、ごちそうさまー」

「では私とユキは沼へ神託を受けに行く。みんなは片付けが終わったら、また囲炉裏に集まって。今後のことを話し合うから」


 有無を言わせぬ口調だ。

 みかんの皮を剥きかけたマサルさんの手がとまる。食後の果物はおあずけだそうです。

 私は涙をのんで縁をとびおりた。



 ツクモに昨日のことを、それはもうねちねちと言われ、心を疲弊させ帰路に着くと、みんなは私よりずっと背中を丸めていた。

 コンが軒先で溜め息を吐く。


「いいかげんに立ち直ったら? ユキの尻尾をみてよ。みんながそんなだから、ずっとしょぼくれてるよ」


 あれ? コンからそんなことを言い出すなんて。みんな、あなたのお説教を引きずっているのではないの。

 

「コン、尻尾はほとんどツクモのせいだよ」


 あの口の悪い鳥をどうにかしてよ。トキというより九官鳥だよ。もうひと匙、御饌飴なめないと、やってられないよ!


「でもユキだって、ずっとこんな空気いやでしょう?」

「まあ、そうだけど」

「マサル、お湯を沸かして。話し終わったら、みんないつもの調子に戻ってよ、いい?」


 一斉にうなずく。

 コンは全員ぶんのお茶を淹れると、「今日は特別だからね」と言って、ひと匙ずつ御饌飴を入れた。

 コンは私の心を読んだの?

 ああもう、薬草と交わるお芋の香りだけで癒されちゃう!

 みんなも目をとろん、とさせながら、茶碗を受け取った。茶碗が全員にまわったところで、コンが頭を下げる。


「昨日は高圧的な態度をとってごめんなさい」

 

 みんな、小上がりから転げ落ちるほどお尻を退かせた。


「なんで!? 悪いのは、うちらやのに!」

「そうですよ、それを叱りもしないで」

「いや、君たちは賢しいから、わざわざ叱らなくても顧慮するかなと思って。まさかそんなに落ち込むとは」


 私は茶碗の底に沈んだ飴を舌ですくいながら、心でうなずいた。

 コンの言うとおり、利発で思いやりのあるものに、言葉はいらない。姿勢を高くするだけでいい。特にネズミやイタチのようなお調子者には、もっとも効果がある。それも普段、にこにこと愛想の良いコンがその笑みをしまったのだ、それほど怖しいことはない。

 御饌飴をふるまうところ、コンのほうこそ後ろめたくなったのだろう。今も居心地が悪そうに頭をかいている。

 

 そういうとこ、ほんとうに愛しい!


「ユキ、聞いてる?」

「ごめん、なんの話ししてた?」

 

 ネズミがもち米に目がくらんだことを謝罪していたようだ。やっぱりこの話しはやめようと、コンが笑って打ち切った。


「では今日の神託を伝えておくよ。しっかりとからだを休めること。これは、つかわしめのみんなに対しても言えることだ。掃除も洗濯もなし。そのかわり明日は全員、私と務めに出てもらうから」


 ウサギが恐る恐る訊ねる。


「お務めってまさか、昼日中から御都へおりるんか」

「いいや。大内裏のさらに奥。内裏のなかだ」


 みんな一斉に息をひく。

 私は昨夜に入ったばかりであるし、もと住処であるが、今や内裏は玉藻姫の縄張り。腰がひけるのも無理はない。

 コンは子を諭すように、あたたかな声音で話した。


「偶然にも、明日から大々的な駒牽こまひきが行われる。新しく貢進された馬をひいて内裏のなかを歩くから、荷物に紛れてしまえば安全に見てまわれるよ」

「なるほど。だから昨夜もたいして怪しまれなかったのね」


 駒牽は、様々な国の牧場から献上された馬を内裏にひき入れ、お披露目する儀式だ。ちょうど今のような夏の終わりに、八日に分けて行われる。本来ならば牧場から内裏へ直接、貢進するのだが、今年は違うようだ。

 マサルさんが遠慮がちに言う。


「駒牽は内裏のなかに入るだけでなく、後宮をまわるのですよ。中宮様にすべてを明らかにするおつもりですか」

「ユキには昨夜、すでに淑景殿の様子を知られているし、私はそろそろ話す頃合いだと思う。君たちの気持ちを引き締めるためにも、全員で目におさめるべきだ」


 みんな一様に、深妙な面持ちになる。後ろめたさとはちがう、誰かを思いやるような顔だ。私か。

 ネズミに鼻先を向けて言う。


「そうだ。淑景殿であったこと、話せる?」


 彼らは淑景殿専従の陰陽師に使役されていたから、庭園でなにがあったのか話せるはずだ。

 雷鳴殿に隣接された、淑景殿しげいでんの庭園は、後宮でもっとも美しいと言われていた。ところどころ立つ桐の木は、大きな葉に一日中、朝つゆをきらめかせ、春の終わりには紫色の花を爛漫に咲かせる。その宝珠のような輝きと彩りは、庇の下で眺めているだけで、心が洗われたものだ。

 だが昨夜見た桐の木は、葉も花もなく。

 吊るされていたのは、焼きただれた人肉だった。

 

「昨夜、淑景殿で遺体を見たの。それも、たくさん。内裏での殺戮行為は禁じられているのではないの? 膳にのせる魚すらも、門の外でさばくと聞いていたのに」

「そんな習わし、今では大昔のように聞こえるわ」


 そう言い捨てたネズミが、ぼろぼろと涙をこぼし床に突っ伏した。ほかのネズミがその背中をさすりながらコンを見やる。だがコンは、君たちが話すべきだというように、舌を唇の奥へおさめた。

 やむなく、一匹のネズミが話し始めた。


「一年前、帝と房事ぼうじのない側室は、帝の快楽のためひと肌脱ぐべきだと、庭園で酒池肉林しゅちにくりんの宴が催された。聞いたことある?」

「うん。大陸で流行っていたって」


 贅沢の限りを尽くし、酒と色欲におぼれる宴だと、いつか帝が軽蔑した様子で話していた。だが玉藻姫の嗜む酒池肉林はもっと凄惨なものだった。


「淑景殿とその女房たちは、酒をひたした池へひと糸まとわぬ姿で沈められた。処刑前の近侍たちといっしょにな。淑景殿が男たちと酒に溺れる様子はまるで凌辱されているようだと、帝と玉藻姫は笑って観ていたらしい。溺れ死んだ遺体は次々と木に吊るされた。酒浸しの遺体は、よう燃えた」


 人ごとのように言うが、語尾が怒りで震えている。続きは、また別のネズミが話した。


「うちらと主人が駆けつけたときには、もう遅かった。一面、火の海や。火を消しとめてたら、興が削がれたと、玉藻姫の逆鱗に触れてなぁ。そんなにそばにいたいのならと、主人は淑景殿の遺体と抱き合う形で縛られ、最後は炮烙ほうらくに落とされた」

「炮烙……?」


 聞いたことのない言葉だ。

 コンが言う。


「玉藻姫が作った処刑場だよ。明日、晴れていたら見えると思う」

「──処刑場」


 お飾りの牢屋しかない、平穏な御都に?

 コンが私の顔色をうかがうように言う。


「どうする。駒牽は八日間あるから、心の準備が必要なら日にちをずらせるけど」

「行く。ほんとうなら、今すぐ行きたいくらいよ」

「そう言うと思った」


 コンは、やわらかく笑った。春より前髪が重くなり見えないが、彼の凛々しい眉はきっと、切なげに下がっている。


「今日は私もそばにいるから。……みんなで、ゆっくりしようね」


 ええ。そうね。

 私が勝手にとびだしていかないか、見張っていなくてはならないもの。 

 でも大丈夫、どこにもいかないよ。

 私は、どんなに神に願おうと、刻だけは戻らないことを知っている。桐のように輝く淑景殿と、彼女を慕い寄り添う陰陽師は、もう居ない。二度と戻らない。


 胸が苦しくて、息を殺すことも難しい。

 足はすくんで床に貼りついたまま。もう動けるはずなのに。

 コンは私のそのすべてを汲んで、袖のなかへ隠してくれた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る