弍 内裏

おきつねさまは山をおりた

 それから驚くほど穏やかな日々が続き、ついに私がキツネに転生してから半年が経った。キツネというよりは、すっかり飼い猫。本能のままにという言葉に甘んじて、自由気ままなコギツネ生活を楽しんでいるが。

 実際には、コギツネの成長は凄まじいものがあった。

 オオカミにいちど襲われてからというもの危険察知能力が働くようになり、日常でも五感を研ぎすますようになった。マサルさんと果物狩りに出かけた日にはもう、ムササビみたいに木々をとび移ることができる。ウサギのようにとび、猿のように木登りをするのだ。すでにキツネの運動能力は軽く超えていると自負している。

 ただキツネになりきりすぎると、自分を見失ってしまう。そこに解決策はなく、また決まって山で走り回っているときになる。そうすると夜の修行につきあう、イタチたちの疲労が蓄積する。

 ついには今日、お手上げの悲鳴をあげた。


「もう、足あがらへん」

「腰がふるえる」

「そんなわけで、今日はお休みな」

「でもおかあさまは、今日から山里までおりていいって」


 神山の中腹にある山里では、ニンニクという薬効になる葉菜を育てている。おかあさまの言うことには、小屋の軒先に吊るしてあるニンニクの下で私が走り回れば、分けてもらえるようだ。ニンニクは滋養があるから、コンに食べさせるべきだとも、しきりに言っていた。まあコンはたしかにいとまなしに出仕しているし、年頃のわりにひょろっこいもんなあ。

 イタチは山里と聞いて、さらに口を歪めた。


「山里まで、半刻いちじかんかかるで。帰りは二刻よじかん。三日は暇もらわな」

「三日も?」


 待てない。私だって、ニンニクを食べてみたい。

 仰向けになって足をバタつかせ駄々をこねていると、ネズミたちが床掃除の手をとめて言った。


「うちらが行こうか」


 イタチがぶんぶん、首を横に振る。


「どうせ、山里でもち米もらいたくて言うてるんやろうけど、やめとき。夜のユキはえげつないで」

「おなかすいたら、獲物にされる」

「骨だけになったネズミが目に浮かぶわ」

「そうだね、ネズミは小骨が多いよね」


 うんうん、うなずく。

 ネズミたちは私から逃げるようにおしくらまんじゅうを始めた。この真夏にさむいの?

 しかしネズミってほんとうにモチを食べるんだ。おとぎ話のなかだけだと思っていた。


「じゃあさ、今すぐ行こうよ。今出たら、日暮れまでに帰ってこれるよ」


 誰よりも寝汚く、暇さえあればうつらうつらと寝入ってしまう私であるが、今日に限ってはまだ眠っていない。

 ネズミたちはおしくらまんじゅうをほぐすと、上目遣いで訊ねてきた。


「ぜったいに、食べない?」

「やだなぁ、食べないよ。つかわしめの君たちはね」


 じゅるり、よだれをすする。

 ネズミたちはまたおしくらまんじゅうを始めた。そうだね、我慢できる自信はないから、行くなら急ごう。

 コンはすでにお務めに出ているため、マサルさんに許しを乞いに行く。なぜか小亀までもが呼び出された。


「どうして小亀が?」

「小亀は吉凶を占います。山里まで距離がありますし、天候も気になりますので」

「私、知ってる! 亀甲占いでしょう?」


 丸一日微動だにしない小亀のお役目が、頭のはしっこでずっと気になっていた。なるほど、やはり占いか。


「甲羅に焼けた棒を刺すんだっけ?」

「そんな無慈悲な!」


 朝ごはんから動かなかった小亀が嘘みたいに颯と頭を引っこめた。


「甲羅を火に炙るんだっけ」

「つかわしめにだって、痛みはあります!」


 マサルさんが必死に庇う。やだなぁ、冗談だよ。本音を言うと少し見てみたかったけれど。

 マサルさんは柄杓をもって恐る恐るその場を離れると、庭の小川から水を汲んできた。


「山を占うときは、その山の水を甲羅に濡らせばよいだけですよ」

「ふぅん。それはそれで便利だね」 

「小亀、どうですか?」

 

 引っこめたままだった頭をにょきりと出す。

 小亀の占いは実にこざっぱりとしていた。

 

「行きはよいよい、帰りはこわい」


 おっと。これは吉と凶どちら?

 あとどこかで聞いたことがあるような。


「それに、行きは山くだり。よいよいなのは、わかりきったことでは」

「帰りはこわい……、か。念のためやめておきましょうか」

「えー」 うしろでネズミもブウブウ言っている。


「こわいだけやろ。危険ではないってことやろ」

「もしかして、夜になるんか?」

「ちょっとくらいやったら、なあ」

「天気は? 大雨だったらあきらめるよ」

「快晴」

「うわあ、より行きたくなっちゃったよ」


 もうお口のなかがニンニクだよ。

 食べたことないけど。

 ネズミも同じなのか、ほうきでモチをつく真似を始めた。

 マサルさんが言う。


「帰りが心配でしたら、山里までコンを迎えに行かせましょうか」

「ううん。ただでさえ疲れてるのに、コンに申し訳ないよ」

「山里の御社みやしろに魔法陣がございますので、転移できますよ」

「それ、ほんとう?」 


 行きはよいよい、帰りもよいよいではないか。

 私はもう誰の返事も待たずに、縁を飛び出していた。


「コンに、よろしくねー!」


 神山のなかは、だいたい頭に入っている。邸より下にくだることは許されなかったが、どの方角にどのような集落があるのかくらいは、景色でわかる。中腹の山里は沼に出て、右手にまっすぐ降りるだけだ。人の作った道をみつけたらもう迷わない。

 くだりに一刻かかると言われたら、その刻を縮めたくなる。私はネズミを背にのせ一気に、息ひとつ乱さず走り抜けた。標高の高い獣道を毎日のように駆けまわり、肺が鍛えられた証拠だと思うと、少しだけ自信がついた。

 山里へ着いたのはちょうど昼ざかりのことだ。

 苗植えの季節のためか、畑に人が集まっている。久しぶりにみる人間とその賑やかな様子に心が踊り、私は無警戒でそちらへ向かった。

 ネズミはすでにもち米を探しに散っている。

 はじめに私に気づいたのは、ちいさな男童おのわらわだ。


「みて! いぬがおる!」

「犬ちがう、キツネやろ。なんや、盗みに来るならもっとコソコソしい」


 父親らしい男の腕をひっぱり、こちらに指を差した。尻尾を振ってもよかったのだが、私は先に畑の水路へと足をつっこんだ。

 山をくだるのに半刻もかからなかったが、川べりを走ったから足が泥だらけ。人様の胸に飛び込む前に、汚れを落とさねば。

 抱っこされる前提である。

 パシャパシャと水飛沫をあげていると、男童のほうが近づいてきた。


「お父ちゃん、みて! このキツネ、足が桜色や!」

「なんやて? ほうー、これは可愛いらしいなあ」


 お母ちゃん呼んでこよ、と言って去っていった父親は、里の手の空いている人間をみんな連れてきた。コギツネ一匹に騒いじゃってまあ、悪い気はしない。

 休み場だろうか藁を敷かれた一面に運ばれると、手拭いで丁寧に足を拭かれ、盛大に愛でられた。君が今なでてるおなかは帝以外、触れてはならなかった……っ、あー、気持ちいい、もっとして。


「まっしろで、ふかふかだねえ」

「うちらよりきれいにしてる。目立てへんけど首に布つけてるし、人に飼われてるんやろなあ」


 首に巻いた白い包み布は、狩りの獲物を包んで帰るための必需品だ。今日はニンニクを入れて帰りたいです。

 そうだ、ここで寝てしまう私ではない。おつかいを思い出し、小屋の軒先を探した。

 どこのおうちにも吊るされているではないか。あれください。


「コン! コン!」


 おかあさまの言いつけどおり、近くの小屋のニンニクの真下でくるくる回る。奇遇にも親子のおうちだったようだ。


「おかしなキツネやなぁ、ニンニク欲しいんか? やめとき、腹壊すで」


 え! そうなの。キツネは食べられないの? 息子の男童もいっしょになって首を傾げる。


「なんでキツネはあかんの?」

「お前かて、一日ひとかけらやろう。ニンニクは薬になるくらい、刺激の強い野菜なんや。うちらが暮らしに困っていたころ、痩せた作物を作るより、この高山に適したニンニクを育てて、銭に換えればいいと、今は亡き中宮様が球根を届けてくれた」 


 そうだった、そうだった。思い出したようにうなずく。

 神山の民は豊かであらねばと、陰陽頭に頼んで高山植物の苗をかき集めてもらったんだっけ。結果的にニンニクは神山の土なじみがよく、また薬としての価値が高く、高値で売れた。

 父親が溜め息を吐く。


「あれほど聡明で思いやりのある后妃はおらん。中宮様には、感謝しきれないほどの御恩があるが──、なんでまた怨霊になってまで、人々を苦しめるんやろうか」


 怨霊とはまた、初耳である。

 聞き捨てならないなぁ、今の私ってばこんなに可愛いのに。

 怨霊話しも少しは気になるが、今はニンニクが欲しい。

 私はお願いするように深く頭を下げてから、しつこくニンニクの下でくるくる回った。


「もしかしたら、飼い主さんに頼まれたのかも」

「この布に入れろって? まさか」


 そうそう、そのとおりだよー。

 男童が首の包み布をほどく。すると、なかからささやかながら小銭が出てきた。マサルさん、いつのまに!

 父親が感嘆とする。


「こりゃあ、たまげた。かしこいなあ。こいつはもしかしたら、神様のお使いかもしれん」


 お使いは、間違いではない。ほんものの神使は、私利私欲のままもち米を探しているけれど。ネズミはその対価に福をもたらすというが、どれほどのものなのか。


「神様が、キツネにお使いを頼んだの?」

「そうや。お使いに下界へおりた動物を、つかわしめという。今年はよう獲れたから、銭なんてええけど、神様のお気持ちならもらっとこ」


 父親は私に手をあわせ小銭を拾うと、藁に吊るしたニンニクをまるごと布に包んでくれた。五、六個あるだろうか、胴に結んでもらうと達成感のある重さとなった。

 やったー! 本日の任務完了です。

 親子と、見物していた里の人みんなに丁寧に頭を下げる。

 すると伝染するようにみんなが私を拝み始め、少し後ろめたくなった私はネズミと合流するため、そのまま里の御社を目指した。



 産土神が不在である御都では、天子を祀る風習がある。そのため天子が代替わりするたびに、新しい鳥居が国から各々の集落へと下賜された。

 たいして年季の入っていない鳥居には、右の柱に龍の背にのる太子が、左の柱に天子弥嵩帝てんしみかさていの名が文字で彫られている。

 鳥居をくぐると帝の顔が頭に浮かんできそうで、やめた。

 あれ、そういえば。


 鳥居に彫られた太子のそばを横切りながら、ふと思う。


 私が燃やされていた五年で、次代となる皇太子は産まれたのだろうか。


 その心の問いは、やけに胸をざわつかせた。


 私が生きていたころ、二十ある後宮殿舎すべてに側室が入っていたが、誰ひとりとして御子を授からなかった。


 いにしえから御都には争える皇族がいない。 

 元々、御子を授かりにくいうえに、身体が弱く短命であることが多いのだ。

 肺の病に冒された先帝は三十の若さで崩御した。

 帝の前にはふたりの兄がいたが、どちらも早世であったし、ひとつ下の弟は足が悪い。

 そして帝もまた、耳を病んでいた。

 御都では何百年も前から、天子の血を強くしたいと、様々な国の血が後宮へと集められている。だがどんなに血を薄め、混ぜても、皇族は産まれにくく、また残らない。

 神様のいたずらか、天子と呼ばれる由縁だ。


 果たして天子の居ない御都は、国として成り立つのか。


「……今すぐにでも、後宮の現況が知りたい」


 内情次第では、私の立ち回りもおおきく変わってくる。帰ったらすぐにコンにその旨を伝えようと心に決め、ようやく御社の敷居をまたいだのだが、その御社には私のただひとつこぼしたひとりごとを、耳に拾ったものが居た。


「知りたいのなら、私と来なさいな」


 魔法陣が描かれているであろう壁面を背に、大きな白馬がいで立つ。

 その声、そのなりを感じただけで、白い産毛が逆立ち、喉が鳴った。


「麒麟……!」


 私は転生してはじめて、怒りという感情に溺れた。


「お久しぶり、雷鳴の中宮様? 今は、おきつねさまだっけ。ずいぶんとちいさくなって」

「よくもまあ、私の前に姿を現せたものね」


 声が震えた。

 許せなかった。未だのうのうと息をしている目の前の馬が。


 馬の名は麒麟。

 安産の神のつかわしめだ。

 私の専従として、陰陽師とともに雷鳴殿に仕えていた。

 麒麟は雄のくせに、艶のある声音で言った。


「後宮へ行きたいのでしょう。私の足ならば一刻もかからないわ」

「私がその背にのるとでも? 裏切り者が」

「無理矢理でものせるわよ。主人の命ですもの」


 主人──?


「まさか。近時ちかときが、生きているの」


 病が撒かれた宴の日──。

 忘れもしない。

 花宴という一大祭典で私は中宮でありながら、帝と玉藻姫が肩を並べる高御座たかみくらの真下という、屈辱的な御座に座らされていた。

 いつも見下ろす側にいた私を慮り、女房たちは御簾や几帳で隔て、出された御膳に手をつけぬようにと、果物かしをもってきてくれたものだ。そして陰陽師の藤森近時ふじもりのちかときもまた、穢れがつかぬようにと四方八方に護符を貼っていた。

 私は彼を信じきっていた。

 その護符が病のもとだとは、思いもしなかった。


 ──共に逝き、来世で結ばれましょう。


 そう言って近時はしゅを唱え、印を結んだ。

 白い護符はたちまち紅く染まり、近くにいた女房たちは肌をただれさせ、パタパタと倒れていった。

 トキが咄嗟に布でおおってくれたおかげで、私の肌はただれなかったが、結果的に病から逃れることはできなかった。

 

 近時はその騒ぎに紛れ、麒麟にのって逃げ馳せた。

 後のことは知らないが、近時の肌は、あの時すでにただれていたはずだ。


 病に薬はない。冒されればかならず七日で死んだ。

 生きているはずがないのに。


 前触れもなく、魔法陣が青白く光る。

 麒麟は鼻で笑った。


「あなたに拒否権はないみたい」


 赤黒い男の腕がのびる。

 火傷のような湿疹のあとが視界をふさぎ、私の身体は容易くさらわれていった。

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