おきつねさまと豆

 神山に春がきた。

 目覚めに耳を澄ますと、昨日より今日のほうがずっと、邸の外が騒がしい。空は鳥たちが戯れ、地は寝起きの動物たちの足音で響いている。

 庭に出れば小川に雪解け水がふとく流れ、雨上がりのよう。まっすぐにのびる水仙には新緑のかおりのする霧がたなびき、七分咲きの桜は朝つゆを光らせ、目を細めさせる。

 ああ、なんて素敵な情景だろうか──。


「庭を観ていたいなら、縁におろそうか」

「ううん、このままがいいー」


 コンの邸に住みついてひと月、コンが起きたらその胸のなかに入るという、極楽を私は未だに味わっていた。まだ朝晩は寒いもの。コギツネの特権は存分に活用したい。

 草履を履いて土間におりたコンが、かまどに囲炉裏の残り火を入れながら訊いてくる。


「昨夜はどこまで足をのばしたの?」

「ううんとね、山頂の鳥居!」


 すっかり夜行性の私は、毎夜イタチたちといっしょに散策と化け術の鍛錬に出る。こもりがちな前世が嘘のような生活だ。

 昨夜は山の天気が良かったため、足を伸ばして山頂を目指した。邸の裏手から半刻いちじかんほど登ると、神山の頂きにでる。頂上にはその標柱なのか、色を塗られていない鳥居が建っており、その狭間に立つとちょうど、御都全土が見下ろせた。


「内裏の塀は低いのに、御都の正門って、あんなに立派なんだね! 扉が大きくて真っ赤で、びっくりしちゃった」

「うん。……そうだね」

 

 声が物憂げにこもる。

 気がかりとなりコンを見上げるが、瞳に映る炭が爆ぜ、眩しくてその表情までは、よくわからなかった。


「火ぃついた? はじめてええかー」


 声のするほうを見やれば、水桶がみっつ並んでおり、それぞれにイタチがへばりついている。私の顔をみるなり、みんな一斉に腰を叩いた。


「あーあ、思い出しただけで腰がいたいわ」

「ほんとに」

「なにが合体や、いちばん重いユキがいちばん上て」


 私はしょんぼり、耳をたらした。

 昨夜、かがり火に照らされた正門のあまりある迫力に感極まり、自分もおおきなものに化けられないかと試したのだ。

 自分よりちいさいものには容易く化けられるのだが、おおきなものとなると、想像が末端まで行き届かない。たとえば大木。天へとのびる小枝や葉先まで想像ができず、化けても剪定したばかりの木のようで、実にみっともない。

 そこで私は、分担すればよいのではと思い付いた。

 木の根、幹、そして両手いっぱいに広がる枝!

 もちろん派手な枝を選んだ私は三匹をぺしゃんこにおしつぶしてしまい、鍛錬は失敗に終わった。


「クーン」


 羽衣のように軽いと言われた私はいずこへ。

 コンが愛おしそうに私のたれた耳をなでる。

 

「まあまあ、おおきいものに化けることが難しいと、わかっただけでもよかったじゃない」

「まだあきらめてないよ。今度は私が下になるもん」

「そこは視点を変えるべきでは? 逆に、どれだけちいさいものに化けられるか、試してみるといい」


 なんという発想力!

 私は天地がひっくり返るほどの衝撃をうけた。 

 コンは女房たちのように「おやめください」と、口先だけでとめたり、寄り添うだけじゃない。

 まるで陰陽頭のように、やわらかに私を諭すのだなぁと、ふと思い浮かんでは胸が痛んだ。

 ほんとうによく似ている。

 共に過ごせば過ごすほど、聡明で優しい彼に。

 陰陽頭は、あなたのお父上ではないの?


 コンはたったひと言で、私の興味を反転させた。まだ十五にもならない、あなたが。


 私、おおきなものに化けようなんて、もうちっとも思わないもの。なんなら目の前の芋になってみたいわ。


「芋……? お芋だ! 今日の朝ごはんは、芋粥?」

「ううん、ちがうよ」


 えー、ちがうの。

 残念やったなぁと、イタチたちが洗った芋をとなりへ、また洗ってとなりへと受け渡す。どうやら彼らの今朝の仕事は芋洗いの流れ作業のようだ。コンが芋を受け取るころには、泥ひとつない。

 コンはそれらを粗い輪切りにして、蒸し鍋へと放り込んでいった。手慣れてはいるが、少年らしい加減で好ましい。

 ところでこのたくさんのお芋、今すぐ食べられないの?


 ぐぅ。


「クーン」

「はい、はい。ごはんにしようね。今日は豆ごはんだから」

「なんですって。豆ごはんって、あの豆ごはん……?」

「えんどう豆。ユキ、好きでしょう?」


 大好きよ!

 私は一瞬で芋を忘れ、頭をお豆でいっぱいにした。


 あつかいやすいやっちゃなぁと、イタチたちは笑ったが、それは違う。

 

 豆ごはんに使う青いえんどう豆は、この時季の旬ではあるが、神山ではまだ採れない。おそらくこの日のためにわざわざ御都の店家で買ってきたものだろう。単純に、私が青豆に目がないことを知っていたのか。

 

「芋から注意をそらせるためか」

「ん? なあに?」

「ううん。なんでもないー」


 囲炉裏を囲う食卓。

 お茶碗を鼻でひき寄せ、ひそやかに笑う。

 ほら、こんなに粒がそろった豆、お店でないと手に入らないよ。

 私はそのひと粒を舌ですくいソッと避けると、あとは遠慮なく、心からお腹を満たしていった。




 ごはんのあと、沼まで散歩をして神託という名のツクモの小言を聞き、務めにでるコンを見送る。ここまでが朝の習慣だ。それから、いつもの私ならば縁で日向ぼっこをはじめる。そのまま眠りこんで、夕刻には洗濯ものにまぎれ込む作戦だ。雨が降れば、囲炉裏の前で同じように眠る。

 でも今日は我慢した。

 なぜなら、大好きな豆をひと粒とっておいたから。このお豆、とーっても美味しいので夜までとっておく自信がない。

 ならば今、化けるまで。

 コンがちいさいものに化けてはと言ったので、どうせなら身の回りでいちばんちいさいものに、化けようと考えたのだ。

 私は縁に豆を転がすと、じっくりとその姿を目に焼き付けて、そしてやっぱり食べた。

 我慢できませんでした。


「いやぁ、今日もよく乾きそうやね」


 縁に空の竹籠が置かれた。洗濯係のウサギだ。達成感で満ちあふれた様子でひと息つく。


「さて、うちも散歩しに行こ。あれ、ユキは?」


 近くで掃き掃除をするネズミに訊ねた。


「晴れた日に縁に居らんの、珍しいなぁ。まあ今日もよう食べたし、邸のなかのどっかで寝てるやろ」


 それもそうかと、納得するウサギ。

 少しは探してよ。

 そんな無駄をすることもなく、ウサギは邸を裏から出た。


 ウサギの行く当ては決まっているようだった。鼻をスンスンと動かし、キツネとイタチの足跡を辿る。道も半ばで息を切らしはじめたが、休むことなく頂上を目指した。山頂に着くころには喉をひゅうひゅう鳴らせ、やっとの思いで鳥居に寄りかかる。


「はぁ、はぁ、えらいとこまで来たなぁ」


 それもそうだ。山頂付近になると険しい岩場ばかりが続く。足は痛むし、苔で滑る。毎日のように鍛錬に付き合わせているイタチたちだって、ヘトヘトになっていた。ちいさなウサギにはさぞ苦しい道のりだったことだろう。それなのに、なにゆえ昨夜の道を辿ったのか。

 ウサギはすぐそばを流れていく雲を見て、笑った。


「ユキ、すごいや……! 生まれてひと月で、こんなとこまで登れるようになるなんて」


 私の胸に稲妻が走った。

 ええー、そんな、私の居ないところで私を褒めないで。居るけれど。

 縁で豆に化けられた私は、ウサギの背中にはりつき、ついてきていた。まさか褒められるとは思わなかったけど。もじもじ、あ。


「うわぁっ!」


 からだをよじらせた私は変化が解け、キツネに戻ってしまった。それを見たウサギが腰をぬかす。


「ユキ!?」


 どうやらちいさいものに化けると、ほんの少しの動きで変化が解けてしまうようだ。なるほど、またひとつ学んだ。


「えへへー、へ? ……ウサギ、まずいことになった」

「次はなに!?」

「うしろ」


 コンの言っていた獰猛な動物──、コンの上背ほどあるおおきなオオカミが、よだれを垂らしてこちらを見ている。

 みつかる前に逃げてねと言われているのに、みつかってしまった場合は、どうすればよいのだろうか。後ろ足をにじらせるウサギを、とめる。

 

「逃げたら、追いかけられる」

「でももう、オオカミの目は獲物をみる目や!」

「私が少しだけひきとめる。その間に、はやく逃げるのよ」

「どうやって──」

「また豆に化けるから、オオカミに投げて」

「はぁ? 豆?」


 言葉だけでは伝わらないだろう。そう思った私はウサギの右前足に照準をあわせ、化けてみせた。あとは、投げるだけだ。

 ウサギは前足をみつめ、ゴクリと生唾をのんだ。


「ほんまに、豆や……。こんなん、食べられたら、おしまい……」


 そうつぶやきながらも覚悟を決めたのか、オオカミへ鼻先をむけた。後ろ足で思いきり鳥居の柱を蹴る。ウサギのからだは柱より高くとび、前足を翼のようにおおきく振りあげた。

 共にいたのがウサギでよかった。

 私は見事、オオカミの目に的中した。


「やったぁ! ぁあ!?」


 片目をつぶされたオオカミは怒り狂い、耳をつんざく咆哮をあげた。その覇気に気圧され、ウサギがへなへなと腰を落とす。だからはやく逃げろって言ったのに。

 私は即座に次の手を打った。

 沼のほとりにある石灰岩を思い浮かべ、化け直したのだ。


「グァアアア────ッ!」


 オオカミは岩の重みに耐えかね、崩れるようにへたりこんだ。岩を退けられる力はないようだが、致命傷には至っていない。このまま体力を失うまで待っていたいが、それもまた危険だ。オオカミは群れで動く動物、仲間に気づかれたら命はない。


 仲間──、そうか!


 私は変化を解くと、鳥居の上までとびあがり、


「ツクモのバ────カ! クチバシばっかりの役立たず────!」


 と、ひとしきり叫んでからウサギの首根っこをくわえ逃げだした。オオカミの一歩は、私の三歩。だがその三歩で足が宙を浮いた。オオカミの鋭い牙が尻尾の毛をすく。

 間一髪で、ウサギをくわえた私の首根っこを、ツクモがくわえ、飛んだ。


 瞬く間に山頂の鳥居がちいさくなり、雲を突き抜けていく。


「んん……っ」


 あまりにも美しい景色に、あやうくウサギを落としそうになった。ツクモが横柄な態度を貫く理由のひとつなのだろうか。雲の上から見下ろす世界は、とてもちっぽけで輝かしい。

 うっとりと眺めている間に、邸の屋根が近づく。ツクモは空の上でも「んー、んー」と悪態をついていたが、くわえていた私たちを庭へ下ろすと、うんと叫んだ。


「この私の、どこが役立たずや────!」


 ものすごい剣幕で叫んだ。

 なにごとかと、みんなが恐る恐る縁に集まってくる。

 私は明るく言い放った。


「役立たずだなんて言ってごめん。助けてくれてありがとうね」

「礼なんぞいらんわ! この恩、百倍にして返してもらうからなぁ!」

「いいよ! ツクモだけにね」

 

 どっ、と笑いの渦に包まれる。

 場を和ませるために交わしたその約束に、長い間苦しめられることになるとは、このときの私は思いもしなかった。

 

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