おきつねさまと夜のお散歩
「だれや、ユキにいい加減な入れ知恵したん……」
「あんたや。昏明呼びたいけど、さすがに寝てる刻や。朝まで待とう」
「お日さん昇るまであと
道なき道を行ったり来たりの追いかけっこに、小半日。
逃げるように沼のほとりまでやってくると、イタチたちはそれぞれうみ疲れた言葉を吐き、草の上に横たわった。
私はというと、
「コンコン、コン!」
コギツネらしさというものを振る舞ううちに自分を見失い、なりきるどころか野生にかえっていた。
「コン、コン!」
「あーもう、わかった。ユキの勝ちや!」
「うちらの短い足見てみい、キツネに敵うわけないやろ」
「頼むから、水だけ飲まして。ユキも、ほら」
揃って沼に頭をつっこむイタチと肩を並べる。水を飲むため、咥えていたものをおろし、
私はようやく我に返った。
「ピギャア────────ッ!」
水面に波紋をつくるほどの悲鳴に、枝の上の鳥たちが一斉に飛び立つ。水辺で寝ていたトキのツクモも、何事かと首をのばした。
「なんやこんな夜中に。イタチと──、ユキか。チィッ」
ねぇ、私聞き逃なかったけど、クチバシのくせに舌打ちした?
だが今はツクモどころではない。
自分が咥えていたものを、今一度恐る恐る見る。
それは、キツネの歯形で深く傷ついたウサギとネズミの死骸だった。
「私は、なんてことを──。つかわしめを、神様の眷属を殺めてしまうなんて」
「いやいや、あいつらなわけないやろ。野生のウサギとネズミや。よう見てみい」
イタチに言われ、またそちらへ目をやる。
あ、ほんとうだ。ウサギの毛はまだらだし、ネズミは黒い。
「血まなこになって追いかけてたくせに、よう言うわ」
「そうなの! いやでも、仲間を殺してしまったようなものでしょう? みんなに合わせる顔がないよ」
「そんなん言うてたら、腹ふくれへんで。キツネは肉食やろ。うちらだって、なあ」
「ほら」
イタチが向けた頭の先に、動かぬネズミやカエルが山になって置かれている。
「朝ごはんや」
「ヒィッ! これ、みんなの前で食べるの!?」
「さすがにそこは遠慮すんで。邸に帰る前に食べてもええけど、昏明とマサルがうまいこと調理してくれるから、一旦預けんねん」
「マサルさんが、うまいこと……?」
囲炉裏の炭でジュウジュウ炙られるウサギの肉を思い浮かべ、不覚にもよだれがあふれた。そういえば、コギツネに生まれて初めてネズミとウサギをみた私もまた、よだれをじゅるりしていたっけ。やだ、本能!
歯に残るウサギの肉の感触を思い出し、ちょっと落ち込む。
その視界の端で、ツクモがカエルをついばむ。
「こんな夜中に起こしたんやから、カエル一匹ちょうだい」
「もう咥えてるやん」
しかしまあ、真夜中の沼でカエルの取り引きはなんとも不気味である。沼の水で喉の渇きを癒やすと、頭が冴え渡った。
「ねぇ、イタチさんたち。私に化ける方法を教えるために、山に入ったんじゃなかったの」
イタチ三匹揃って「そういえば」をお口で形容する。
「いやいや、あんな鬼気迫る勢いで追いかけられたら、忘れてしまうわ」
「それもほとんど半日やで? ヘトヘトや」
「また明日にしよ」
「えー。でも私、すごくいいこと思いついたんだよ」
ツクモが吐き捨てるように言う。
「どうせ、くだらんことやろ」
「そうだね」
私は堂々と鼻を鳴らした。
話だけでもと、帰ろうとするイタチを引き止め、私の目論みを明かす。
「それは──、めちゃくちゃくだらんな……」
「くだらなすぎて、腰砕けそうになったわ」
「でも、ちょっとやってみたいかも」
「無理や。ユキが化けられへんかったら、成り立てへん話しや」
ツクモは首を振った。
「まだ一度も化けたことないんやろ。教えるのも、たった一刻で? ぜったい無理やね」
「そんなの、やってみなくちゃわからないよ。それに私、やりたいって思ったら、つらぬくよ」
「そういうとこ、お姫さまやなぁ」
「まあ、面白そうやからのったろ。ツクモも協力しい」
「はあ!? なんで私も付き合わなあかんの」
「カエルもう一匹おまけするから」
ツクモは、私が半刻で化けられたら協力すると、条件を出してきた。どうせできるはずないと、カエルをついばむトキを背後に、イタチがならぶ。
「つかわしめにだって、それぞれに能力がある」
「うちらが現世に残ったんは、おきつねさまに化けかたを教授するため」
洗いもの係ではなくて?
「ようみとき」
三匹そろって長い胴で弧を描き、一回転した。
着地点に転がったのは、右からお箸、匙にお茶碗。
「おなかがすいたのね!」
褒めもせずに図星をついてしまった。
イタチたちはキィキィ金切り声をあげて怒った。
「なるほど、興奮すると戻るのね。気をつけなくちゃ」
「ふんっ、まだ化けられてもないのに」
「いっとくけど、めちゃくちゃ難しいんやで」
「そうなの?」
「物に化けるためには、物の仕組みと原理を理解せなあかん」
「ふぅん」
退屈そうに見ていたツクモが片翼で示したのは、腰かけになりそうなほとりの岩。
「たとえばこの岩はどうや」
「神山はめずらしい、石灰岩の山よね。ならばこの岩もきっとそうだと思うけど」
色ツヤからみても間違いない。私は岩のまわりを一周し、下生えの草までよくみつめると、その肌触りと重みを頭に浮かべた。忘れぬうちに、その場に岩のなかへ溶け込むような感覚で縮こまる。
「へ」
寸刻で化けた私をみて、イタチは腰を抜かし、ツクモはクチバシを天と地に分けて驚いた。
「天才か!」
「お褒めの言葉ありがとう」
ツクモが素直になるほどのことらしいけれど、前世の知識をもってすれば容易なことだ。教える手間が省けたと、小躍りしはじめたイタチに釘をさす。
「化けられたんだから、約束は守ってよ?」
私の目指すところは、みんながくだらないという目論みにある。その準備をしていれば一刻などはやいものだった。
冷えて赤くなった前足に息を吐き、日の入りに気づいた。
イタチたちへ目まぜし、化けて待つ。
あとは教えたとおり、ツクモがコンを呼び寄せるだけだ。
しばらくして遠くからコンの焦燥とした声が聞こえた。
「ユキが一晩中戻らなかったってほんとう?」
肩にのるマサルさんが目をしぱしぱさせながら言う。
「昨晩はひどく冷えこみましたから、すぐに戻られると思ったのですが。イタチたちからの知らせもなく」
「起こしてくれてよかったのに」
「しかし、修行がはかどっていればお邪魔になるかと」
「ツクモの話しでは、ずいぶんと楽しそうだったみたいだね。それで、マサルに散々心配をかけさせたコギツネとイタチはどこ?」
沼のほとりで腰に手をあて、立つコンが見える。私はここだよ、ふふふ。
ツクモが物憂そうに言う。
「ユキとイタチが、この雪ウサギのなかに化けています。主人が一度でみつけられなかったら、栗ふたつ欲しいそうです」
「なるほど、雪ウサギ」
ツクモの言うとおり、私は今イタチたちといっしょに、雪ウサギに化けている。数にして三〇個ほど。自分たちで作った雪ウサギに紛れているのだ。
自然にあるものではなく、自分が化けるものをイチから作る。
それほどくだらないことはこの世にないと、ツクモは吐き捨てたが、可愛く作れたものに可愛く化けてなにが悪い。
コンだって、ほら。
「ウサギにそっくり、真っ白で可愛い。見たらきっと喜ぶね」
ウサギに?
そうかしら、どちらも可愛いけれどそっくりではないわ。雪は真っ白だもの。
コンの短い疑問に、ツクモは即答した。
「時間に決まりは?」
「ございません」
しまった。私はなんという初歩的な間違いをおかしてしまったのか。
時間制限など、あって当然だ。
私が化けた雪ウサギは時間と気温の変化で溶けてしまうのだから。
動く美人画という異名におごっていた自分を戒めたい気分である。
間もなく薪がはぜる音がし始め、絶望した。火などもってのほか。
さらには香ばしい匂いがのぼる。
マサルさんが器用にさばいたネズミを、コンが焼きはじめたのだ。
半日走り回っていた私のおなかはもはや限界に達していた。
ぐう。
「おや? どこからかおなかの音がするなあ」
コンが意地悪く耳をすますしぐさをする。
「わざわざ火で雪を溶かさなくても、見つけられそうだな」
サクサクと雪を踏む音が近づく。
ジッとするのは得意だけど、おなかの音までがまんできないよ。
ぐう。
あ、また鳴っちゃった。
「みいつけた!」
ふに。
コンが両手で拾い上げたのは、私のとなりの雪ウサギ。
「あ」
中身は胡桃色のイタチだ。
「ヤッタァ────!」
私は前足を天に突き上げ、とびはねた。
あれ? もしかして膝曲がったんじゃない?
コンの上背を軽く越えたところで気づき、そのままコンの胸に飛び込んだ。
「コン、私、とべたよ!」
「うん、すごく高くとべた」
「ウサギに教えてもらわなくても、とべた! それに、じょうずに化けられたでしょう?」
「ほんとうに。ユキにはすっかりだまされたよ」
まったく悔しさを見せず、笑って抱きしめてくれる。
となりのイタチには、シロガネヨシというおおきなねこじゃらしをお尻に刺して、化けてもらったのだ。キツネの尻尾にみえるように。
ほかのイタチたちも次々と変化を解き、いっしょになって喜んでくれた。
マサルさんが涙ぐんで手招きする。
「まさかひと晩で化けられるとは。さぁ、おなかがすいたことでしょう。ここで食べて行きましょう」
「わーい!」
つぶれた雪ウサギのそばで焚き火を囲い、昨夜の獲物にかじりつく。
ネズミにウサギよ。美味しくいただくよ。
うしろでカエルをついばみながら、ツクモがぼやく。
「雪ウサギなんて、火で炙ったらすぐわかりましたのに。主人はなんでやめたんです?」
「んー、熱いかなと思って」
そう返しながら、コンはハフハフと、口から湯気をたたせてウサギの肉を食んだ。なに食べさせても様になるなあ。
「コンは、優しいね」
邸ごと火に巻かれ、死んでいった私を慮って、炙るのをやめたのだろう。雪を溶かせば一目瞭然だったのに。
コンは笑った。
「優しくないよ? 栗はいちにち一個」
「えー!」
「君たちにはさぞかし楽しい夜だったのだろうけど。マサルを見なよ」
ちいさな背中を丸めて、ウトウトと舟をこいでいる。
「イタチたちも。知らせる方法はいくらでもあったでしょう?」
「まあ、それは。すまんかった」
「ごめんな」
「さあ、食べ終わったらすぐ帰ろう。マサルのことだから、起きたらきっと牛乳を入れてくれるよ」
火の始末が終わると、コンの腕のなかをマサルさんに譲り、私はイタチたちといっしょに走って帰った。昨日は片道すら歩ききらなかったのに、ひと晩明けてみると、神殿の回廊一周ぶんもないように思える。
それから私たちは、またなにごともなかったかのように、邸のみんなと朝ごはんを共にした。
もちろん、あたたかい牛乳つきだ。
食後には「今日だけだからね」と言って、コンは自分のぶんの栗を、私の口に入れてくれた。
とても嬉しかったけれど、
「ありがとう、コン」
「約束だし。でも、みんなには内緒だよ?」
人差し指を口もとに添え片目をつむるコンは、二、三年後にはとんでもない女たらしになっていそうだなあ。
そんな先のことに思いを巡らせながら、私はしみじみ栗を噛みしめるのだった。
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