おきつねさまとつかわしめ

 まぶた裏がやけにまぶしく、また火のなかへ戻されたのかと目を開ければ、邸のなかまで光射しこむおだやかな朝。あろうことか、目をつむってそのまま眠ってしまったらしい。

 神の御子とはいえ生まれたて。こぎつねの睡眠時間をあなどっていた。


 昨日、宿命を受け入れてからなにしてたっけ。

 お目付け役に会って、名付けてもらって、喜んで寝ましたなんて、おかあさまに知られたら──。


 コンに嫉妬するだけだな、うん。


「なんて強い陽射し」


 神祇官の血のりで滑った昨夜が夢のようだ。

 目覚めよく、くるまっていた妙から抜け出ると、あまりの寒さに足が爪先立ちになった。戸がすべて開け放たれており、前からも後ろからも、風が吹き込んでくる。床の敷居を辿ると寝ていた部屋は昨夜いた広間ではなく、四畳ほどの小部屋のようだ。それだけ確認すると、包まっていた妙へと戻った。どうやらこのぬくぬくは、コンが昨夜着ていた着物に違いない。とてもよい香りがするもの。

 なかでぐるぐるとまわり、頭だけ出すと、ちいさな動物と目が合った。

 ネズミだ。

 ほっかむりをかぶった真っ白なネズミが五匹、箒を持って畳目にそって一列にならんでいる。

 手前のネズミが、舌打ちをして言った。


「まぁだ寝るんか。おきつねさまは寝汚いなぁ。掃除でけへんやん」


 ずいぶんと舌のまわるネズミさんだ。口は悪いが五匹とも、まんまるとふとって可愛らしい。

 私は生唾をのんだ。

 すごく、おなかが減っている。


「もしかして、あなたたちは淑景殿しげいでんの………………、私の、朝食?」


 言葉が通じたようだ、五匹散り散りにひき、壁にへばりついた。

 手前にいたネズミも引き戸のある出入り口まで逃げてブルブル震えていたが、敷居をまたいで入ってきた動物をみて、とびはねた。


「ウサギ、はよう! はようその洗濯もん、持ってって!」

「はい、はい。ネズミは今日も口うるさいなぁ。……うん?」


 ウサギは竹籠に、着物を丁寧に一枚移した。すると、さっそく私の身体がむきだしになってしまった。さむい。


「きつね? では、このかたが、おきつねさま?」


 墨のように黒い毛色のうさぎは、小首をかしげた。その様子はとても愛らしく、そして肉付きがよい。自分の意識とは関係なく、大口を開けてよだれをたらした。

 いけない。私ったら、はしたないわ。

 じゅるり、舌でよだれをせき止める。


「いやああああああああああああああああ!」


 ウサギは天井に耳がつかんばかりにとびはねると、竹籠をひっくり返して逃げだした。

 ぼふん、と誰かの脚にぶつかる。

 コンの藍色の袴だ。


「おきつねさまの部屋で、なにごとですか」

 

 おきつねさまの?

 ここ、私のお部屋なの? キツネに部屋なんていらないのに。

 動物たちは、口を揃えて言った。


「おきつねさまに、食べられる!」


 みんな息がぴったり、仲良しなのね。

 コンが膝を下ろしたので暖をとりに、すぐさまのり移った。


「おはよう、ユキ」

「おはよう」


 昨夜、私が眠ったあとにでも練習したのか、ごく自然に新たな名を呼んでくれた。

 嬉しくて見上げれば、陽射しよりも目にまばゆいお顔が桜色に染まっていく。呼び慣れるまでその顔色がみられると思うと悪くない。そんなゆえなき紅顔に、コンは疑心ひとつ抱かぬ笑みを浮かべた。


「ユキが、つかわしめの君たちを食べるわけないでしょう」


 コンの言う、つかわしめとは神使しんしのことだ。御都の陰陽生は元服と同時に、己れの守護神から神使を授かる。安産や家内安全の守護神をもつ陰陽師は、後宮の側室ひとりずつに、専従していた。中宮であった私にもまた、馬のつかわしめを連れた陰陽師がいたものだ。

 そのなかでも最高位である陰陽頭おんちょうのかみは、いつも肩に白い小猿をのせていた。彼は陰陽師でありながら、そこいらの太政官よりずっと、執政についてつまびらかであった。御所で唯一、友のように笑い、語り合えた彼は今──。


 ぐう。


 せっかくコンが庇いだてしてくれたというのに、私のお腹は「食べたい」と、素直に返したのだった。


 膝からコンの胸のなかへ移された私は、ぬくぬくと広間へ移動した。私ったら、生まれてから何歩歩いたかしら。神殿で歩いた数だけ数えていると、小上がりになっている囲炉裏から声がした。

 

「おかゆ、できましたよ」

 

 すると土間からクルミ色のイタチが三匹、顔をだした。野菜の泥を落としていたのか、汚れた水を始末しに外へ出ると、空の水桶をもってすぐに戻ってきた。そのまま上がってくるのかと思えば、柄杓の置かれたかめの水で丁寧に手足を洗っている。さらには上りかまちに広げた白妙で、しっかりと水気をとり、部屋へあがった。

 驚いた。この邸の動物たちはまるで人間、いや貴族のように清潔にしている。イタチたちの名を呼ぼうとしたが、コンに抱かれる私をみつけるなり、あちらからうやうやしく頭を垂れたので、私も同じように返した。


 さて、おかゆを作ってくれたという声の主を探す。

 

神猿まさるさん!」

 

 考えるより先に、口火を切っていた。

 つい先ほど頭に浮かべたばかりの小猿が、囲炉裏の前で足を組んで座っている。

 私の声がけに、マサルさんは杓子しゃくしを天に上げて応えてくれた。


「ああ……! これはこれは麗しの中宮様! おはようございます」


 ぺしゃん。

 杓子のなかの粥が、うしろにいた小亀の甲羅に落ちた。


「あちちちちち──!」


 小亀はひっくり返って、手足をばたつかせた。ネズミたちが慌てて布巾をもってやってくる。ウサギが小亀をまたひっくり返し、その拍子に甲羅に粥が入るなど、すったもんだの騒ぎになってしまった。

 コンが水桶に小亀を放ち、その場はおさまったが、なんだか申し訳ない。マサルさんなんて、水のなかで目をまわす小亀に何度も頭を下げている。

 ところで、マサルさんであってるよね?

 罰が悪そうにコンを見上げる。


「昨夜のことをみんなに話したんだ。そうしたら、マサルがずっとあの調子で。前世で面識があったんだね」

「うん。マサルさんの主人の陰陽頭は、私の専従ではなかったけれど、よく話し相手になってもらっていたの」

「そう」


 コンの声音がひとつ下がった。陰陽頭の所在を訊ねたかったのだが、やはりここは自分から詮索すべきではないと、私は口をつぐんだ。

 コンは、私の心の機微をくみとったうえで、表情を明るく戻した。ほんとうに、聡いコだ。


「さあ、朝ごはんにしよう。今日は忙しいぞ、みんなのことも紹介しなくちゃね」


 忙しいのか。そうだよね、昨日着いてすぐに眠ってしまったものね。私は勢いよく、コンの着物からおりた。


「いただきますー!」


 湯気のたつお椀の前で、尻尾をふる。

 あれ、お椀が消えた! 

 と、思ったらコンがさらっていた。

 コンったら間違えてるよ、コンのぶんはちゃんと膝の前にあるでしょう。


「はい、どうぞ」


 コンは粥を匙ですくうと、きらきらと光の粒をあたりにまき散らしながら、私の口もとまでもってきた。

 なるほど、呼び名と敬語禁止はあくまで私が下した命であって、貴賓扱いまでは変わらないのか。


「あっ、まだあついか」


 一旦ひっこめ、息でふうふうと粥を冷ます。寒さの厳しい季節だというのに、コンのくちびるときたら姫君のように艶やかだこと。

 そのひとくちめは、遠慮せずいただいておこう。


「もぐもぐ。コンがふうふうしたおかゆ、おいしい。でも、私じぶんで食べられるから」

「えっ!?」


 信じられないという顔をする。

 いや、中宮のときだって自分で食べてたよ?

 それにみんな匙など使わずに、鼻からつっこんで食べているではないか。

 イタチの真似をして、鼻先でお椀を引き寄せる。マサルさんの「できた」は、ほどよく冷めた状態をさしていたようだ。コンのふうふうがなくても、食べられる。そして腹があったまる程度にはあったかい。粥のやわらかさも絶妙だ。


「んふぅ……っ」


 夢中で食べていただろうか。お椀から鼻をあげると、みんなの視線がこちらを向いていた。

 ウサギが言う。


「ほんまに、これが雷鳴の……?」


 マサルさんが言う。


「これ、ではない。中宮様だ」


 たしなめるように言うので、私は首をふった。


「もう中宮ではないわ。キツネだし、生まれたてなのだから、このなかの誰よりも年下よ。私のことはどうぞユキと呼んで」


 マサルさんは、コンと同じように愕然とした。 

 みんなもまた困惑した表情で、それぞれ顔を見合わせる。

 小亀は水桶から赤く腫れた頭をつきだして言った。


「おきつねさまには神様と同じように接するようにて言われてたけど、話しとちがいますね」

「ユキだよ。たしかに黄泉神の子どもだし、務めはきちんと果たすけど、身分もないただのキツネだもの。私、なにか間違ってる?」


 みんな揃って首を横にふり、粥があたりにとび散った。

 ウサギが恐る恐る、手前にあったザルを私のほうへと寄せる。


「ユキ、栗たべる?」

「食べたい!」


 手伝おうとするコンの手をすりぬけ、私はひとつぶ歯ですくいとった。


「みてみて!」


 うさぎが手本をみせるように口もとを前足でしめす。


「こう!」


 前歯で殻に切れ目をいれた。


「こう?」

「そう! あとは切れ目を縦につぶすように噛んでみて」


 ウサギの言うとおりにすると、なかの実がつるん、と口のなかにとびだした。あとは殻を吐き出すだけ。


「そんなっ、中宮ともあろうおかたが、殻を……床にっ!」

「ああ、みていられない!」


 コンとマサルさんが両手で目を覆っている。

 床に落ちた実の残っていない殻をみて、ウサギは前足を叩いてほめてくれた。


「じょうず! どう? おいしい?」

「おいしい──っ!」


 ひと噛みして気づいた、蒸し栗だ。

 歯を押しこむと、ぶわりと栗の香りと甘みが口のなかでひろがった。

 崩れた実を舌で転がせば、それだけでしっとりとつぶれ、餡になる。


「すっごくおいしい! どうして? キツネだから? 鼻がきくから? 後宮で食べる蒸し栗よりずっと、ううん。今まで食べた栗のなかで、一等おいしいー!」


 ザルのなかの栗が、どんな宝石よりも輝いてみえる。


「もういっこ!」

「あかん。一日いっこや」

「そんなあ」


 コンが言う。


「神の御子であらせられるあなた様が、自然の恵みを食すということは、その土地の気を取りこむということ」

「うん? コン、言葉づかいが戻ってるよ」

「ンンッ、特にこの御都の神山で採れた栗は、つかわしめのみんなの糧となっているから、蓄えの少ない冬場はひとつまでと決められているだすの」

「語尾がおかしいね」


 腰を折って床にうつ伏せたコンの背中を、マサルさんがさする。

 その様子に、みんな声を出して笑った。


「そうや、その栗はねぇ、秋にネズミたちが採ってきたもんなんよ」


 ウサギの言葉に、ネズミたちがのっかるように喋る。


「甘い栗えらぶん、うまいやろ?」

「うん! 朝の起こし方は、いじわるだったけどねー」


 マサルさんにギロリとねめつけられ、五匹が一斉にとびあがる。

 次には、果物をゴロゴロ転がしてきた。


「かなわんわ、りんごもあげよ」

「みかんもあるで!」

「わぁ、おみかん、おいしそう」


 イタチたちも、ひかえめに言葉を添える。


「うちらは今日、魚採りに行くから夕ごはん楽しみにしててねぇ」

「お魚が食べられるの? とってもたのしみ!」

 

 どことなくはりつめていた空気が、雪解けのようにあたたかくなっていく。

 間もなくマサルさんから、皮のむかれたミカンが差し出された。このお猿さんは、堂々と私を甘やかす気らしい。


「うふふ、ありがとう」


 私は三房に割いたミカンを咀嚼しながら頭で考えをまとめた。甘くてみずみずしいです。


「ではなくて、このお邸はつかわしめの住処なの?」


 みんなには、それぞれに役割があるようだ。

 ネズミは掃除と木の実狩り。ときおり、みんながとばした粥を鬱鬱と見ている。

 ウサギは洗濯。マサルさんは火の番。

 イタチは水まわりといったところか。

 小亀の役割はまだよくつかめないが、きっとその甲羅にかかわることだろう。

 問題は、ひとつの邸にたくさんのつかわしめが集まって暮らしていることだ。主人おんみょうじのそばにいるはずの、つかわしめが。


「ここは、私が両親からもらい受けた私邸だよ」


 コンは、茶器に湯を注ぎながら言った。


「神山のなかは、玉藻姫の千里眼に決して映らない。だからみんなここで、詰め寄って暮らしているんだ。紹介するね」


 淹れたての茶をすすめられ、浅い皿に舌をつけた。野草を煎ったお茶だろうか、渋みはなく、香ばしくて口のなかがさっぱりする。

 おかわりをねだろうと鼻をあげると、


「で、最後にマサルね。だいたい囲炉裏にいるから、困ったことがあれば彼に聞いて」


 みんなの紹介が終わっていた。あまりのおろかさに、尻尾を股にはさんでしまう。

 顔と名は一度聞けば忘れない、強記な私はいずこへ。

 ウサギがクスクス笑う。


「うちの名前、おぼえた?」

「ごめん。お茶が美味しくて聞いてなかったよ」

「やっぱり! でも気にせえへんでええよ。マサルは前から昏明に名を呼ばせてるけど、うちらの名前を呼んでええのは、主人だけやった。せやから、ウサギでええよ」

「そう。──ウサギ。うん、わかった」


 ──主人だけ、やった。

 ウサギは過去形の語尾を強調した。

 

 目から鼻に抜けるようだった。

 みんなの置かれた環境と立ち位置を、碁盤と駒のように汲み取ってしまう。私のいやらしいところはなにも変わっていない。


 みんな、いないんだ。

 主人である陰陽師を、亡くしている。

 そしてマサルさんにも、主人の陰陽頭がいない。

 陰陽頭の名は、小御門陽明こみかどようめい

 同姓であるコンは、歳のころから考えて、きっと──。

 そちらを見やれば、コンは相変わらず可愛らしい笑みを浮かべ、言った。


「ユキ、食べ終わったら少し、散歩でもしようか」

「うん」


 この邸にたゆたう悲しい空気が、私の胸をしめつけていった。

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