第9話 本気



「ス、ストライク!」




光の投げた渾身のストレートは、いくらスピードの出やすい女子用のボールであってもこのスピードが出てもいいのかというレベルのボールを投げ込んだ。



甲子園のバックスクリーンには144km/hという表示されていた。



これには流石に同じチームメイトも、光のボールを受け続けた天見さんでさえ度肝を抜かれていた。


それを通り越してこの試合を見ていた全国の野球ファンもちょっと引くレベルのストレートだった。



この球速がどれだけおかしい事なのかは、現在の女子プロ野球で速球派として売り出し中の、西田彩音投手はMAX134km/hということを考えたらよく分かる。


平均球速128キロで女子プロで最速の女と呼ばれているが、そもそも予選からMAX138km/hを投げていた光がおかしいのは当然だが、当分の間日本人では140km/hの壁を超えるのは不可能と言われていた、球速をあっさりと越して更に4キロ上乗せしてきたところだ。



ものすごいパフォーマンスを見せる光に対して、勿論のことテレビカメラは光のことをずっと追っていて、光の顔が画面いっぱいに映されたがそこにいつもの笑顔はなかった。



元々は女子野球をやろうとも思っていなかったからか、本気の実力を出せずにいた。




それにまだ経験の少ない1年生達に経験を積ませるために、内野ゴロを打たせたりキャッチャーの天見さんを成長させようと本能的に力を適度にセーブしてきた。



実力を発揮できた1番の要因は、天見さんが光に本気を出しても大丈夫という安心感を与えることができたからに違いない。





過去の話になるが、光は小学生5年生の時から少年野球チームでエースで4番を打っていた。



その頃から卓越した身体能力と女の子とは思えないような本格的な練習を毎日のようにこなしており、女の子に黙って負けられないと思ったチームメイトがそれに引っ張られるようにして、チームはどんどん強くなって全国大会準優勝と全国ベスト4という成績を残した。



中学生になった頃から女子野球が人気が出てきて、女子野球チームが増えてきていた。



野球の能力は女の子とは思えない光でも性別は変えられないので、最初は家から少し遠い女子野球チームに入部することにした。



しかし、そこでは光が期待した野球をすることができなかった。



皮肉にも、光は女子という枠を超えた天才すぎたせいで、男子野球ででしか本気のプレーをすることが出来なくなってしまっていた。



しかし、中学3年にもなるとこれまで光に手も足も出なかった選手達も身体能力だけはかなり近づいて来ていた。



男女にはやはり身体能力では明らかな隔たりがあり、光はそれを分かっていていながらも、男子野球の中でしか本気でプレー出来ないことに悩んでいたのかもしれない。



だが、そんな事お構い無しで男子の中でも1番を目指し続けた。



最初は皆に理解されなかったが、そのとてつもない才能と絶対に折れることの無い強靭な精神力を目の当たりにすると誰もが光を尊敬し、女の子だからといって手を抜くことなく全力のプレーの中で光はこれまで野球をやってこれた。



その結果が、県内屈指の強豪校でも女子とか関係なく練習試合では登板して、相手との勝負を誰よりもこだわり、楽しみ、野球の全てを愛していた。



流石にエースになれる実力までは届かなかったが、控え投手としてベンチに食い込んでくる位の実力を高校でつけることが出来た。



そして野球部員や学校の友人などたくさんの人が光を出場させたいという気持ちで署名を集めてもらったが、結局高校野球の規定を変えることは出来ず、代わりに女子野球部として甲子園を目指しなさいと高野連から通達された。




両親にもまだ小さかった弟に対しても、プロ野球選手になりたいとか将来こうなりたいと言うのは聞いたことがなかった。



だからこそ、両親は女子野球を勧めることもなかったし、野球を楽しくプレーして一切の文句もなかったからこそ、公式戦出れないのが悔しいとか悲しいとかそういう事を全く悟らせなかった。



負けたら終わりという真剣勝負の公式戦のマウンドに上がる機会が来る事自体、家族も光自身も想像をもしていなかった。



この状況に光は内心どう感じているのだろうか?

完全試合を目の前にして少しは緊張しているのか?




当の本人は完全試合のことなどどうでも良くなっていた。



『やっぱり野球って楽しいよなぁ。今日のこの回だけは私の好きに投げてもいいかな?試合にも勝てるだろうし、本気出してねじ伏せたいという気持ちが抑えられない!』




いつもと違う表情をマウンド上で見せていた。



笑顔は一切なく、光の中の本能が全面的に出て来ており、女の子とは思えない野生の獣が狩りをするような鋭い目付きと、かなり独特の雰囲気を纏ってマウンド上で仁王立ちしていた。



天見さんは相変わらずど真ん中にミットを構えて動かそうとしない。



完全に己の内なる闘志が全開となりその前の1球あれだけ時間がかかったが、次の球はサイン交換無しで決まった。



投げたボールは勿論ストレートだった。




パシィィ!!!




投げたのは勿論ストレートだっだが、ど真ん中に投げずにインコースギリギリのきわどい所を狙って投げ込んできた。




「ス、ストライク!」



審判も悩むくらいギリギリのコースに投げ込んできて、ここまでどっしりと構えていた天見さんも少し動揺した様子だった。



天見さんはストライクを取ってもらいホッとした様子で光にボールを返球したが、一喜一憂している自分の球を受けてくれているキャッチャーに対して、光は本人の気も知らずにいたずらっ子のような笑顔でボールを受け取った。



光は自分の中に入り込んでる訳ではなく、今この場で誰よりも野球を楽しでいた。


インコースのギリギリに投げてもストライクをとれる自信があったからこそ、少し意地悪なところに投げたみたいだった。




『光さんはいつもいつも私を困らせてばっかりな気がする…。』




スリーボールツーストライクからの6球目を観客が心待ちにしている中、ど真ん中に構える天見さんに向かって同じようにストレートを投げるかと思いきや、光は一瞬左肩のユニホームの袖を上に上げるような仕草をしてからセットポジションに入った。



『光さんのあの仕草は…。』



高々と足を上げ、選択したのはチェンジアップだった。



ピッチャーがセットポジションに入る時に、ピッチャープレートを踏んだ後に他の仕草をするとボークが取られる為、プレートを踏む前に投手から捕手に対して出すボディーサインを捕手に出していた。




ここまで144、143キロのストレートと来て躍動感のあるフォームから101キロのブレーキの利いたボールに打者は完全にタイミングを狂わせながらも、どうにかスイングしてボテボテのセカンドゴロが転がった。




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