第一章4 『別れへと向かう旅路なんだ、と彼女は微笑んだ』
既に日は落ちた。
空の雲は朱色に染まり、まもなく夜が近づいてくる。
前を歩くアンセルは、自分の家の扉を開け、正面に座っているランプに照らされたジャックを見た。
「やあ。おかえり」
正面にある椅子に座ったジャックが、本から目を離すようにアリスと、その背後にいる彼を見る。
その口元は柔らかく、怒った様子はない。しかし、先程の拒絶の言葉が尾を引いているのか、アンセルはどこかそわそわしていた。
「さっそくだが、今後のことについてだ」
「……怒らないの?」
「いや、むしろ怒られるのは私の方だよ。すまなかったね。聞かれなかったとはいえ、あらかじめ言っておくべきことだったと反省している」
「ううん。……正直なところ、そんな気はしてたから」
「そうか」
「……ごめん、嘘ついた。本当は、ずっと一緒にいてくれるってばかり、思ってた」
「……そっか。ありがとう、強がらないでいてくれて」
「……」
「さっそくだけど、これから私たちはキミを彼女の言っていた場所に連れて行こうと思うんだ。……もし良かったら、ついてきて欲しい」
「……」
「アルミナ……」
「……ごめん、まだもう少しだけ考えさせてほしい。だけど、必ず、ジャックたちの質問に答えるから」
「ああ。楽しみにしているよ」
アルミナはジャックの言葉に頷き、二階へと上がっていく。
母親が眠っている、二階に。
「ジャック、いいの?」
「いいんだ。あの子が決めることだからね。どちらを選んでも、私は彼を支えるさ」
ジャックに勧められるままに、隣にあった椅子にアリスが飛び乗る。
そして、ランプにともった火を見つめながらジャックに尋ねた。
「……ジャック。本当に、アルミナをここから連れ出す必要があるのかな?」
「というと?」
「ジャックからはひどい場所かもしれないけど。……それでも、この場所にはアルミナとお母さんの過ごした大切な思い出があるんだよ」
「……思い出、か」
「ジャック?」
「ううん、なんでもないよ。なんにせよ、私は提案しただけで、彼が未来を選ぶか、思い出を選ぶか。それは彼次第だよ」
「……ねえ、ジャック」
「なんだい?」
「ジャックは……ジャックはどうして、世界を救う旅に出たの?」
「それはね……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……」
月明かりさえも遮る分厚い雲を睨み、肩にかかっている毛布を握り締め、ジャックはがれきに腰掛け一人息をついていた。
既に彼女たちは寝静まり、世界を静寂が満たし、目の前で燃えている焚火の音だけが、彼女の周りを包んでいた。
そんな時、彼女の背後に近付く存在があった。
「やあ。まだ起きてたんだね、アルミナ」
「……窓から、ジャックが見えたんだ」
「そっか。悪かったね、起こしちゃって」
起こさないように外にいたんだけどな、と笑うジャック。
しかし対象に、アルミナの目は真剣にジャックの背中を捉えていた。
「ジャックは、どうして誰かを救う旅をしているの?」
「あはは、さっき同じことをアリスに聞かれたよ」
「……それで、なんて?」
「『私のやりたいことだから』。ありきたりだろう?」
くすくすと笑うジャックだが、アルミナの表情は変わらない。
それどころか、険しさを増す一方だった。
「……本当のことを話すまで逃がさないって顔だね」
「正直なところ、僕は貴方のことを信用しきれていない」
「だろうね」
「……だから、信頼させてほしいんだ。あなたの考えを知ったうえで、明日のことを判断したい」
「そっか。……うん、キミにならよさそうだ」
立ち上がり、彼の目を見るジャック。
後ろで手を組んで、少し困ったように笑いながら言った。
「私は多くの世界を渡り、見てきた。観測者として、滅びる世界や繁栄する世界、いろいろな世界を、ね」
「うん」
「だけどね、だけど……。私は観測者としての責務を果たせなかったんだ。滅びるはずではなかった世界を、守れなかった。それも、私個人の感情で」
「ジャックが、感情に揺さぶられたってこと?」
「そう驚くことじゃないだろ? 私だって人間だ」
人間。
そう、ジャックは人間だ。
その事実に、どこか安心している気持ちに、アルミナは戸惑っていた。
しかし、そんな感情を知る術はジャックにはない。変わらず、彼女は話し続ける。
「その世界を滅ぼそうとしている存在は、今も存在し続けてる。だから、あいつが滅ぼした世界で唯一生き残った少女を助けて、意趣返しを果たす」
「少女って……まさか」
「正解だ。だから……」
彼女の背後の雲が、紺色から色を変え始める。
夜明けが、近い。
先ほどまで辺りを包んでいた闇のベールがはがれ、アルミナは改めてジャックの表情を見た。
彼女の、表情は――。
「だから、あの子が幸せに生きれる世界を目指す。いわばこの旅は別れへ向かう旅路なんだ」
吸い込まれそうなくらい、綺麗な笑顔だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
買ったばかりのノートのような雲の下、彼女たちはグレーテルに示された場所へ向かい、歩いていた。
アルミナの目の前では、ジャックとアリスがお互いに話をしながら笑っていた。対称に、アルミナの表情は暗く沈んでいた。
アリスの居た世界が滅んでいた。
その事実は、ジャックが言うにはアリスは知らないらしい。
そのことを知らず笑い続ける彼女を見るたびに、アルミナの罪悪感が膨れ上がっていく。
だけど、彼はジャックを責めるつもりもなかった。
彼女が世界を滅ぼした一員であることくらい、聡明な彼女ならわかっているはずだと思ったからだ。
だから、責める気にもなれなかった。
「……アルミナ?」
沈んでいる彼に気付き、アリスは振り向いて声をかける。
彼は心配をかけまいと、笑って誤魔化した。
「ああ、ごめん。少し考え事をしてたんだ」
「……やっぱり、離れたくなかったんじゃ」
「ううん、違うんだ。本当に少し考え事をしてたんだよ」
「アルミナ、もし辛いんだったら言ってね」
「ありがとう。でも、決めたんだ。その場所に生きる希望があるかもしれないのなら、賭けてみたいって」
アルミナが頷きながら言う。
それでも、アリスはどこかで不安を覚えているのか、困ったように彼を見ていたが、ジャックがそんな彼女の肩に手を置いた。
「アリス」
「……ジャック」
「やっぱり、心配かな?」
「……」
アリスは黙り込み、うつむく。
ジャックは彼女の肩から頭に手を映し、ゆらゆらとなでる。
「アルミナは、本当はどうなの?」
「心配してくれてありがとう、アリス。だけど、……っ! げほっ、げほっ!」
苦しそうに胸を押さえ、せき込み始めるアルミナ。
そんな彼の口からは、灰色の世界に似つかわしくないほど鮮明な赤がこぼれていた。
「アルミナ、血が……!」
「……いいんだ、別に珍しいことじゃない」
「でもっ!」
「頼むよ、行かせてくれ。僕はこの世界を何も知らないままいきたくなんかない」
アルミナは今までよりも強いまなざしでアリスを見続ける。
反対に、彼女の視線はアルミナから逸れ、力なく項垂れた。
「……それじゃあ、二人とも。ちょっとこっちに来てくれ」
静かな世界に響き渡る汽笛の音。そして、ゆっくりと横目に流れていくむき出しのパイプや、割れたコンクリートの世界。
ガタガタと揺れる視界に、頬を撫でる感触と、揺れるたびに腰掛けている椅子から埃が舞った。
「うん、やっぱりエンジンの音はいい! 骨に染みるね!」
「ジャック、これは?」
「汽車だよ。キミたちがいない時に見つけたんだ。いやあ、文明の利器って凄いね! 大分古くても、石炭次第でまだ動くんだから、ビックリしたよ!」
運転席に座っているジャックは、前を向いたまま興奮したような大きな声で答える。
そんな彼女よりも大きな声で、アルミナが声を上げた。
「ジャック、動かせるの?」
「ああ、汽車を動かしたことは何度かあるけどね! でも、この線路がどこまで続いているのかは知らないな!」
「じゃあ、もし線路に大きな石でも落ちてたら……それより、ずっと動いてなかったものを動かして、爆発でもしたら……」
「大丈夫だよ! その時は私の力を使って何とかするから!」
ジャックの言葉に返す言葉を失くすアルミナ。
そんな二人の会話を傍目に、アリスは無邪気に笑っていた。
「凄い、ジャック! 歩くよりずっと早い!」
「だろ? まだまだスピードは出せるけど、どうする?」
「本当!?」
「ジャック、後生だからアリスを煽らないでくれ!」
今度は、ジャックから笑い声が聞こえた。
アリスとジャック。奇妙な来訪者の笑い声に包まれて、いつの間にか。
「……ふふ」
アルミナも、笑っていた。
そんな彼に気付いたアリスが、声を上げる。
「楽しいね、アルミナ!」
「ああ、楽しい。とっても、楽しいよ……!」
楽しい。
その言葉とは裏腹に、彼の瞳からは一筋の涙がこぼれていた。
「……あれ、楽しいのに。楽しいはずなのに」
「アルミナ……」
「ははは……やっぱり、死にたくないなあ。死にたく、ないよっ……」
「大丈夫だよ。きっと、なんとか……」
アリスの言葉に頷くアルミナ。
しかし、その言葉が虚勢であることなど、この場にいる誰もが知っていた。
それでも、今この瞬間だけは。
異世界巡るたずねびと。 〜異世界の時計屋と、時の止まった世界にて〜 四巻き族 @coz40
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