第一章3 『裏切り者のハートのジャック』
「これでよし、と」
紐を固結びしながらジャックが言う。
その視線の先には、腕と足首をきつく結ばれたグレーテルの姿があった。
地面に倒れたまま起き上がれない状態の彼女は、そのままジャックを睨みつける。
「……痛い」
「緩かったら拘束にならないだろう?」
「離して。カラスは美味しくない。カラスに限らず、雑食の動物は美味しくない」
「私たちをなんだと思ってるのかな?」
「……ていうか、食べた事あるんだ」
「ない。昔本で見た」
彼女の言葉に、アルミナは少しこまったように笑った後、表情を戻しジャックに向いた。
「それで、ジャック。どうして間に合ったの?」
「どうして、か。そうだね……」
「『力』でしょう? それも、観測者としての」
くすくすと笑うグレーテル。
ジャックは顔をそらし、何も言わずに俯いた。
「力……? いや、そもそも観測者っていったい何なんだ?」
「観測者は、その世界に定められた運命を守るための存在。つまり、本来の流れとは違うものを作り出す、あなたたちの敵」
「随分と耳障りの良いように言いかえるんだね、グレーテル。その運命の先に滅びが待っていても、誰一人助けようとしないくせに」
「他ならぬあなたもね、裏切り者」
「裏切り者って……ジャックが?」
アルミナがグレーテルの言葉に弾かれるかのようにジャックを見る。
ジャックはその視線を否定しないまま、黙って受け止めていた。
「私たち観測者にはね、童話にちなんだ偽名と力が分け与えられるの。私にはグレーテルという名前に、カラスに憑依できる力を与えられた」
「それで、その力がジャックにもあるってこと?」
「そう。アリス、こいつから何か貰わなかった?」
「貰ったけど……えと、ね。さっきから探してるんだけど、見つからないの。ポケットの中も探したんだけど……」
「探し物はこれかな、アリス」
ジャックの手には、一枚のトランプが握られていた。それに刻まれていたのはハートの
奇しくも、同じジャックであった。
「私はこのカードが存在する所にならどこへでも一瞬で移動することが出来る。それが私の力。ハートのジャックとしての、ね」
「……えっと?」
「このカードがあればどこにでも行けるってことだよ、アリス」
ジャックは先程から理解していないであろうアリスに顔を向け、膝を下り頭を撫でる。
くすぐったそうに目を細める彼女に対し、突き刺さるかのような鋭いグレーテルの声色がした。
「それで、わざわざ私を捕まえた意味ってなに?」
「ああ、そうそう。一つだけ質問があったんだ」
「何?」
「この世界で存在し続ける限り、彼の命は風前のともしびと言ったところだろう。だから、食料のある場所を教えて欲しい」
「……ここから南に、ここよりはマシな場所があった」
「おや、案外すんなりと言うんだね」
肩をすくめ、おどけたように笑うジャックに対し、グレーテルは目を瞑り、ため息をこぼす。
「銃を持った人が言う台詞じゃない」
「はは、いやいや。私たちは対等だよ。言うも言わないもキミの自由だ」
「手足封じている人に自由を説くなんて、やっぱりあなたどこかおかしいんじゃないの?」
「見殺しが仕事のキミたちからそう言われるのなら、光栄の至りだよ。まだ自分が正常である証だ」
「……本当、いちいち突っかかる良い方しかしないのね。それで?」
「それで、とは?」
地面に伏したまま、もう一度小さなグレーテルの口から大きなため息が溢れる。
「忘れたの? グレーテルたち観測者は、進み出した世界にはいられない。だから、その行動がどう解決につながるのかを聞いてるの」
「……ッ!」
アルミナが息をのむ音が、ジャックの耳に入る。
しかし、気付かなかったかのように、ジャックの視線はグレーテルに向き続けた。
「……さてね。だが、もし彼の心因的なものによるならば、私は彼を少しでも過ごしやすい場所に連れて行きたいんだ」
「ジャック、僕は別にそんなこと……! それに、母さんはどうするつもりなんだよ!」
「ああ、あなたのお母さん? そんなの、あなた自身が一番わかってるはずだと思ってたのだけど」
「……ッ! 黙れっ!」
アルミナが機敏な動きでジャックから銃を奪い取り、その銃口をグレーテルの頭に向ける。
しかし、銃身は震えるばかりで、いつになっても撃たれる様子はなかった。
「無理はしない方がいいよ、アルミナ。キミには撃てない」
「うるさい! ジャックだって、どうしてずっといられないってことを言ってくれなかったんだ!」
「それは……」
「もういい、もういいよ! 友達だと思ってたのに!」
「アルミナ!」
アリスの呼び止める声を振り切り、銃を地面にたたきつけ、どこかへと走り去ってしまう。
そんな彼を追うアリスの背中を、ジャックはただ眺めていた。
「行かないの?」
「私の出番じゃないよ。それくらいはわきまえるさ」
「ふうん」
ジャックの答えに対し、つまらなそうに返答するグレーテル。
そんな彼女に苦笑した後、ジャックはその隣に腰を下ろした。
「少しだけ、感謝してる」
「……なんのこと?」
「彼に、母親の死を知らせてくれたこと。悪役を買って出てくれたんだろ?」
「さあ?」
「……うん、やっぱり私はキミのことは嫌いじゃない。その非情になり切れないところが、特に気に入ってる」
「グレーテルはあなたのこと大嫌いだけどね」
「それはどうも。……さて、と」
ジャックがお尻についた砂ぼこりを掃いながら立ち上がり、アルミナの家への道をゆっくりと歩いていく。
そして、しばらく歩いた後に、振り返った。
「それじゃあ、また。縄は別にほどかなくても何とかなるだろ?」
「……忘れてたと思ってたけど、覚えてたんだ。意外」
「まあ、そりゃあ、ね。私の力も覚えていてくれたみたいだろうしね」
「そう。……今度会った時は、確実に仕留めるから」
「知っているさ。キミもカラスも、執念深い生き物だろう」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「待って! 待ってよ、アルミナ!」
瓦礫の街を走っていくアルミナの背中を、息を切らしながら必死にアリスは追いかけていた。
しかし、この世界に長く居続けたのは、圧倒的にアルミナだ。次第に瓦礫の破片や火山灰に足を取られ、アリスの息も続かなくなってきた。
「きゃっ!」
どさっ、とアルミナの背後で音がした。
一瞬だけ、彼はそのまま走り去ろうか迷ったが、しばらく考えたのちに、振り返り地面に額を擦り付けて倒れているアリスの下へと駆け寄り、手を取って立ち上がらせた。
「あ、ありがとう、アルミナ……」
「……して」
「え?」
「どうしてついてくるんだよっ! どうせ、僕の前から消えるくせに! ほっといてくれよ!」
「アルミナ……」
「もう消えろよ、いなくなってくれよ!」
目じりに涙を浮かべ、顔を伏せ目をつむりながら吠え続けるアルミナ。
そんな彼の頬を、なめらかな少女の手が撫でた。
「……アルミナ。ちょっとだけ、ちょっとだけお話がしたいの」
「っ、なんだよ」
「アルミナはきっと、私たちのことが……ううん、私のことが嫌いになったかもしれない」
「……」
「でもね、私は貴方のことが大好きだよ。コートを貸してくれて、私のお話に付き合ってくれた、他でもないあなたのことが、大好きなの」
「アリス……」
「だから、もう少しだけお友達でいてくれませんか?」
「……本当に、ひどいよ人だよ、キミは」
アルミナの顔が、アリスを向く。
そこには、今にも泣きだしてしまいそうな少年の姿があった。
彼は膝を折り、両手で顔を隠しながら話し出す。
「そんなこと言われたら、嫌いになれる人なんていないよ……!」
「アルミナ……」
「……僕も、キミが好きだ。もう少し、いや、出来ればずっと友達でいたい。だけど……それと同時に、キミたちに嫌われたくないんだ」
「……」
「キミと話していると、僕は希望を持ってしまう。もしかしたら、この世界にいてくれるかもって。それに必死にすがって、きっと……嫌われてしまう。僕にはそれが耐えられない」
「アルミナ……」
「……本当は、母さんのことだってわかってたんだ。だけど、もう独りぼっちだって思ったら、怖くなって、それで……」
「もういいよ、アルミナ。話してくれてありがとう」
アリスはそう言って微笑むと、抱きしめて彼の頭を撫でる。
そうして、しばらくした後に、彼女は子供に読み聞かせるかのように穏やかな口調で話し出した。
「私ね、昔猫を飼ってたの。二匹いたんだけど、両方とも死んじゃって、凄い辛い思いをしたの。だって、家族だったから」
「でも、アリスにはジャックがいるじゃないか。僕には何もないんだ。キミたちがいなくなった後、この世界で……」
「そんな時にね、先生が言ったんだ。辛いのは泣いているアリスを見ている先生も同じだって。辛さのくらべっことかじゃなく、先生も同じ『辛い』なんだって」
「アリス……」
「だけどね、楽しいこともあった。だから、こうして生きていけるの。きっと、みんなそうなんだって、先生は教えてくれた」
「……そんなの、僕には楽しいことなんかないっ!」
「そっか。でも、でもね、私はこの世界でも嬉しいことはあったよ。私はあなたと話せて嬉しかった」
「……っ!」
息をのむ声がする。
アリスは目をつむり、そのまま骨董品を触るような優しい手つきで、アルミナの頭を撫で続けた。
「アルミナは、楽しくなかった?」
「……楽しかったよ。だから、キミに嫌われたくないんだ。一人になりたくないんだよっ……!」
「アルミナ。もう独りぼっちじゃないよ。今この瞬間の私とアルミナは友達。その事実は、永遠に変わらないものなんだから」
「……」
「だから、アルミナ。最後まで一緒にいよう?」
アリスの問いかけに、アルミナはぎゅっと抱きしめて答える。
そして、消え入るような小さな声でつぶやいた。
「ありがとう」
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