第一章2 『ヘンゼル不在のグレーテル』

 静寂だった世界に、その鳥の声は響いた。

 突然現れた黒い鳥を追って、瓦礫に埋もれた道を音を立てながらジャックは駆け続ける。


 そして、しばらく走った後に彼女の足が止まった。


「……やっぱり、キミか」


 ジャックの両眼に映るのは、瓦礫に腰掛け足まで到達している灰色の髪をいじっている、カラスの羽根のように光ひとつない黒い目をした褐色の少女だった。

 服装は黒のワンピースのみのいたってシンプルなものではあるが、同時にどこか儚い印象を受ける。

 彼女はジャックに目を向けないまま、近くに止まっているカラスを見つめ、頭を撫でた。


「よく見つけたね。良い子」


「お褒めに預かり光栄だね」


「……あなたに言ってるんじゃない。その口を閉じて、『ハートのジャック』」


「ただでさえ怖い目なんだ。そんなに睨まれたら心臓が止まってしまうよ、ヘンゼル不在の『グレーテル』」


 グレーテルと呼ばれた少女はその言葉を停止させるかのように睨みつける。

 しかし、ジャックは肩をすくめたまま、嘲笑した。


「相変わらず、冗談の一つも通じないんだね」


「……冗談くらいわかる。あなたと言葉を交わすのが嫌なだけ」


「はて、そこまで嫌われることをしたかな?」


「人を小馬鹿にする性格、態度、喋り方、表情。これだけでも十分だと思うんだけど」


「それだけ?」


 ジャックは笑いを堪えるかのような表情をしながら首を傾げる。

 その仕草がよほど彼女の癇に障ったのか、瓦礫から立ち上がり、正面からジャックを睨みつけて、言った。


「いい加減にして、裏切り者」


 呼応するかのように、数匹のカラスがジャックに飛びかかる。

 彼女はそれをかわしながら、反論した。


「……私はもう沢山だっただけだよ。目の前に救いを求めている人がいるのに、それを見ている事しかできない立場に」


「正義の心にでも目覚めた?」


「さてね。困っている人に手を差し伸べるのを邪魔するキミ達より、よっぽどまともだと自負しているよ」


「それで、その困っている人に手を差し伸べて、どうするつもり? 幸せを教えて、その人達が置かれている状況が不幸だとでも知らしめるの?」


「幸せは不幸にはならないよ。幸せだった記憶は永遠に変わりはしない」


 ジャックの返答が気に食わなかったのか、グレーテルの表情がますます険悪なものになる。

 そんな彼女の機嫌に追随するかのように、先ほどまでバラバラな場所にいたカラスたちが、一斉にジャックを睨みつける。


「……もういい。あなたと話すのが時間の無駄だって、よく分かった。どうしてもグレーテルたちを悪者にしたいんだ」


「いいや、見方によっては私たちは悪だ。だけどね、私は善とか悪とか、そんな割り切れた物差しで語るつもりはないよ」


 彼女の言葉を皮切りに、周りを取り囲んでいたカラスたちが一斉に襲い掛かる。

 だが、咄嗟のところで地面を蹴って躱し、照準をグレーテルに合わせる。


 しかし。


「――ッ!」


 引き金を引けないまま、地面に着地する。

 グレーテルはそんな彼女の様子を見て、先程のジャックの態度の意趣返しのように意地悪く笑った。


「当ててあげる。その銃には弾がそんなに込められてなくて、そんな数少ない貴重な弾がこの子達に当たってしまうのを恐れた。違う?」


「……そういう勘が鋭いとこ、嫌いだな」


「くすくすっ。私もあなたのこと嫌いだから、おあいこ」


「戦闘中に笑えるなんて随分と余裕だね」


「負ける要素がないから。それにね、もう時間は十分稼いだから」


 時間は稼いだ。

 その言葉が意味していることが分からないほど、ジャックは愚鈍ではなかった。


「……ああ、さっき言ってた『よく見つけたね』ってそういうことだったんだね」


「ええ。あの女の子を人質に取った方があなたを殺すより手っ取り早いと思って」


「でも、君からも随分離れているはずだろ? まさか、居もしないヘンゼルくんとやらにでも頼むのかい?」


「……本当に不愉快。その薄ら笑い、すりつぶしてあげる」


「それはそれは」


「じゃあね、裏切り者」


 吐き捨てるように言うと、彼女の周りをカラスが渦巻くかのように飛び出す。

 轟音のようなはばたく音だけが響き、数十枚もの羽と、羽が頭にかぶらないように手で遮るジャックだけがその場に残った。


「……裏切り者と蔑まれたとしても、私は間違いを犯したつもりはないよ。グレーテル」




「ねえっ、グリムって人知ってる?」


 どこからか拾ってきた木の棒をぶんぶんと振り回し、灰色の瓦礫の山で出来た、無人の街を行進するアリス。

 アルミナは危ないよ、と困ったように言いながら少女の後を付き添っていた。


「グリム? 知らないけど、どういう人?」


「優しくてカッコよくて、よく面白いお話を聞かせてくれたの! だからね、私も先生みたいにカッコ良くなりたいんだ!」


「お話?」


「うん! 内容はその……あんまり、覚えてないけど……でも、素敵だなって思った!」


 意気揚々と剣を振り回すかのように棒を振るアリス。

 そんな彼女の着ているワンピースが、地面について汚れているのを見ながら、アルミナは聞いた。


「……ねえ、アリス。一つ聞いて良い?」


「うんっ、いいよ!」


「ジャックについて、知っていることを聞きたいんだ」


「ジャック? うんとね……女の人で、お目めが真っ赤で、不思議な話し方をして……」


「あ、ごめん。そういうことじゃないんだ。……それと、女性って言うのは初めて知ったかも」


 突然耳に入った新情報に対する驚きを隠そうとしながら、彼はアリスの隣に座る。

 そして、彼女の顔をのぞき込むような姿勢になった。


「あの人は、アリスの一体何なの?」


「……え、と?」


「ごめん、聞き方が悪かった。どうしてあの人はアリスに優しくしてくれるの? 恐らくだけど、家族って訳じゃないんだよね?」


「……友達だから?」


「友達だから、なのかな?」


「いいえ。孤独を選んだあいつに友達なんていない」


 アリスのものでも、アルミナのものでも、ましてやジャックのものでもない、もう一つの声。

 その方向には、先程ジャックと対面していた少女の姿があった。そして、数百にも及ぶカラス。

 その異様な光景を目にした二人を警戒させるには、初対面であっても十分すぎるほどだった。


「初めまして、私はグレーテル。観測者のうちの一人」


「かんそくしゃ……?」


「ああ、まだ伝えてないんだ。じゃあ、簡単に言うとね……アリス、あなたの敵」


 敵、という単語にはじかれたかのように、アリスの手に握られている先程までいたずらに振り回すためのものだった棒先がグレーテルに向く。

 そして、肩で呼吸をしながら睨んだ。


「来ないでっ!」


「敵といっても、別に命を奪うつもりはない。ちょっとだけ、あいつに対する脅しの道具になってもらうだけ」


「あいつって、ジャックのこと?」


「そう、あいつと違って話が早くて助かる。あいつはのらりくらりと話を変えてくるから……」


「……?」


「……なんでもない。話を元に戻すけど、棒切れ程度で倒せる相手じゃないよ、私は」


「アリス、あの鳥の量……!」


 アルミナが指差す先には、数十匹ほどのカラスが瓦礫に留まり、こちらを睨んでいた。

 その異常な光景に恐怖を抱いてしまったアリスの手から、武器であるはずの棒が離れ、カラカラと音を立てて落ちた。


「嫌、来ないでっ!」


「……アリス、あなたには同情する。あいつがいなければこんな怖い思いをしなくてもすんだはずなのに」


「いや……助けて、先生……」


 ゆっくりと近づいて来る。

 その恐怖に耐えかねるかのように、ジャックから渡されたお守りを投げるが、明後日の方に飛んでいき、彼女の背後に落ちた。

 万策つき、目に涙を浮かべふるふると首を振り始めるアリス。そんな彼女の顔に、影がかかった。


「アルミナッ!」


「僕もよく知らないけど、本で読んだだけだけど……女の子は、男の子が守らなくちゃいけないんだろ。……ここからは、男の子の役目だ」


「駄目だよアルミナ、一緒に逃げようよ!」


 彼女の静止を振り切り、雄叫びを上げながら握りしめた拳を彼女の胸に叩きつける。

 そして、しばらくの静寂ののち、少女はふぅんと息を漏らした。


「アルミナ、だったね。勇気あるんだ。でもね、残念だけどその勇気は蛮勇に近い」


 アルミナが後退り、それを追うかのようにグレーテルも歩き出す。

 一歩。また一歩。

 そして、手が届く距離になった時に、先程までこちらを睨んでいたカラスが一斉に飛び立った。


 何事かと思い、グレーテルが振り返ると、そこには。


「いや、彼の行動はこれ以上ない正解だよ」


 ――ジャックが、いた。


 その言葉とともに、勢いをつけながら銃身が彼女の頭に振り下ろされる。

 鈍い音、そして、彼女たちを中心に強い風が吹いた後に、やや遅れて少女の倒れる音が聞こえた。


「悪かったね、二人とも。怖い思いをさせてしまった。本当にごめん」


「ジャック、ありがとう……! すごく、すごく怖かったよ……!」


「違うよ、アリス。礼を言うのは私じゃない。そこにいるアルミナだ」


 ジャックはそう言うと、固まったまま呆然としているアルミナに近づき、頭を下げる。

 そんなジャックに気付いて慌てて手を振るが、それを意に介しないまま言った。


「小さな王子様の大きな勇気に敬意を。……本当にありがとう、かっこよかったよ、私なんかよりずっと」


「かっこ……うーん、そう言われると、少し恥ずかしい、かも」


「……ありがとう、アルミナ。でもね、でも」


「アリス?」


「逃げようって、言ったのに! どうしてあんな危ないことをしたの!?」


「え、と……それは……」


 バツの悪そうに彼女から目を背ける。

 そんな彼を庇うようにジャックはアリスの肩に手を置いた。


「友達だからだよ」


「友達、だから……?」


「そう。だから責めないであげてほしい。彼は男の子として、アリス。キミを守ったんだ」


 だから、ほら。と付け足しながらハンカチを手渡す。

 そのハンカチで涙を拭うアリスに背を向け、ジャックはその奥にいるグレーテルに目を向けた。

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