第一章 『がれきの世界』

第一章1 『静かになった世界』

 動かなくなった汽車から降りると、両目に飛び込んできた世界は灰色だった。

 瓦礫が積み重なり、物音ひとつしない。


「誰もいないね」


「そうだね。見たところ、文明が滅んだ後の世界といったところかな?」


「そうなの? ……くしゅん!」


 アリスのかわいらしいくしゃみがどんよりとした灰色の空に響く。

 ジャックが振り向いた先には、白い息を吐きながら、むき出しの肩を抱いているアリスの姿があった。


「ジャック、寒くないの?」


「いや、寒いよ。我慢してるだけでね。取り敢えずアリスは私のジャケットだけでも羽織るといい」


「でも、それじゃあジャックが……」


「いいんだよ。キミが風邪でも引いたら大変だからね」


 その言葉とともに、アリスの肩にジャケットがかけられる。

 だが、ジャケットを持った手が離れる様子はなく、不審に思い彼女を見上げると、固まったままどこかを見つめていた。


「彼かな。今回の世界が止まった理由は」


 その視線の先を追うと、そこにはボロボロのコートで身を包んだ黒髪の少年がこちらに歩いてきているのが見えた。


「やあ、こんにちは」


 当たり前のように挨拶をしてくるジャックを前に、彼は、少年は。

 涙を、こぼしていた。


「どうしたの? どこか、痛むの?」


 アリスが不安そうに彼の顔をのぞき込む。

 彼はあふれ出てくる涙を袖で拭いながら、違う、違うと言い続けた。

 青年はそんな彼にそっとハンカチを差し出し、微笑む。


「……ずっとつらかっただろう。少しだけ、本当に少しだけだけど。君の心を救いに来たんだ」


「あなたは、あなたの、名前はっ……」


「私はジャック。この子はアリス。良ければ、君の名前も聞かせてほしいな」



 瓦礫に腰を落ち着けてからほんの少しだけ時間が立ち、少年の心が落ち着いてきたのを確認して、ジャックはもう一度口を開く。


「それじゃあ改めてもう一度。私はジャック、そして、この子はアリス。良ければ、アリスとも仲良くしてほしいな」


「あ、よろしく。……お、お願いします」


「ああ、いいんだいいんだ。そうかしこまらなくても、私は別に偉い立場でもなんでもないのだから」


「……ん。わかった。……ジャック」


「そう。それでいいんだよ」


 少年はジャックが満足そうにうなずいているのを見つめていると、突然視界にアリスと呼ばれた少女が映り込む。

 突然の出来事に驚いて後ずさるが、それに気付いているのか気付いていないのか、アリスは興味津々と言った目で彼に話しかけた。


「ねえねえっ! あなたの名前は?」


「僕? 僕は……『アルミナ』って名前だった思う。ごめん、最近呼ばれてないから自信がなくて……」


「わかった! じゃあアルミナ、私がアルミナの名前いっぱい呼んであげるね!」


「い、いっぱいはちょっと……その、恥ずかしいな」


「じゃあ、その代わりにいっぱい私の名前を呼んで! そしたら恥ずかしくないかも!」


 雪崩のように話しかけてくるアリスに少し戸惑いつつも、先程よりも柔らかい表情になっていくアルミナ。

 そんな彼の表情を見て、ジャックの口が開いた。


「アルミナ。一つ、聞きたいことがあるんだ。……もし、答えたくないのなら答えなくてもいい」


「なに?」


「単刀直入に聞こう。何でこの世界は滅びたんだ?」


 あまりに無遠慮な問いではあるが、その質問は口にはしていないが、アリス自身も気になってはいた。

 しかし、彼は首を振り申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「ごめん、僕じゃわからないんだ。母さんなら何か知ってるかもしれないけど、ずっと眠ってて起きてくれるかどうか……」


「……そっか。辛いことを聞いてごめんね。じゃあ、どこか本が読める場所はあるかな?」


「本なら僕の家にたくさんあるけど、来る?」


「君がいいなら。アリスもそうだろ?」


「うん! えっとね、その……実は、ずっと寒いの我慢してたの」


「……良かったら、僕の着てるコート、貸すよ」


「本当!? ありがとう、アルミナ!」


 少女の元気な声が灰色の空に響いた。



 きぃと音を立て、ボロボロの扉が開く。

 中はゴミや散らばったがれきの破片が地面に敷き詰められ、壁に使われている無機質なコンクリートが、どこか圧迫感を感じさせる。

 そして、唯一色のついた木製の机も、本やゴミなどで隠れてしまっていた。


 靴を履いたまま玄関を上がり、瓦礫の音を立ててアルミナが部屋の奥にあるガムテープでふさがれた窓を開け、その付近にかけてあったコートを着る。

 彼女たちも、そんな彼にならって机のところまで歩くと、アルミナが振り向いて言った。


「ごめんね、散らかってるよね。でも、母さんが起きるまではこのままにしておきたいんだ。母さんが起きて、びっくりさせたくないから」


「お母さんはどこに?」


「二階。でも寝てるからそっとしておいてあげてね」


「ああ。椅子の軋む音以外立てないと約束するよ」


「……うん、信じるよ。それと、ごめん。もう食べ物がほとんどないから、探しに行かないといけないんだ。だから……」


「食べ物!? ねえねえアルミナっ、いつもどんなものを食べてるの?」


「え……と、缶詰とかあるものを食べてるよ」


 話に突然割り込んでくるアリスに、目を丸くするアルミナ。

 だが、もう警戒の色はない。ジャックはその様子をみながら椅子に座り、頬杖を突きながら言った。


「ならアリス、アルミナについていって一緒に探してきなよ」


「いいのっ?」


「私は構わないよ。アルミナが良ければ」


「僕も別に構わない。もしかしたら、食べ物がなくてただの散歩になるかもだけど」


「ううん、行きたい! ここがどんな世界なのか、知りたいの!」


「世界?」


 アリスがそう高らかに述べると、ジャックは口元を緩め、手を広げた。


「言ってなかったけど、私たちはこの世界の人間じゃない。だから、何か無作法があっても許して欲しいな」


「……別の世界の、人」


「ジャック、もしかして……言ったらまずいことだった?」


「いや。いつか知ることになるのだから、それが早まっただけだよ。それより、早く行かないと夜になってしまうけど、いいのかい?」


「わかった。でも、母さんは起こしちゃ駄目だからね」


「ああ、重々承知しているとも。……ああ、そうだ。アリス」


「なぁに? どうしたの、ジャック」


 振り向くアリスに、ジャックはどこからか取り出した一枚のなんの変哲もないトランプを手渡す。

 彼女はそれを受け取るが、意図が分からないと言った風に首を傾げた。


「お守りだよ。万が一のために、ね」


「……えっと、ありがとう」


「ああ。それじゃあ、いってらっしゃい」


 ジャックの言葉に頷き、二人は扉を開いて外へと駆けだしていく。

 そして、ぱたんと扉が開く音とともに、ジャックは音のしない部屋でため息をついた。


「さて、お母さんに挨拶に行かないとね。言いつけを破るようで申し訳ないが、勝手に上がり込むわけにはいかないな」


 彼女は椅子から立ち上がり、小さな瓦礫をかぶっている灰色の階段を上り、その奥に一つだけある扉に手をかける。

 そこには、彼の言った通り窓の近くに置かれているベッドで眠っている女性と、埃のかぶった机や本棚。

 この部屋は一階とは違い、床に瓦礫はなかった。

 しかし、それよりも目を引いたのは、机に立てかけてある猟銃だった。


「銃、か。随分と穏やかじゃないものがありますね」


 彼女は横目でアルミナの母親である女性を横目で見ながら銃を拾い、弾倉を確認する。

 その銃は一般的な中折れ式の猟銃で、装弾数は二発。

 残弾は、残り一発だった。


「……銃の引き金に埃がかぶってる。あの子は使ってないのか」


 ベッドで眠っている彼女を向く。

 そこには亜麻色の髪をした、優しそうな女性が眠っていた。気になるのは、慣れない手つきで巻かれたであろう包帯。

 そして、その中心には血がにじんでいた。


「籠められる二発の弾の内、今入っているのは一発……なるほどね。一発放ったという訳だ。他でもない、自分に対して」


 事の次第をすべて理解した彼女は机の隣にある木製の椅子に座り、手に取っていた銃を机に立てかける。

 そこで、彼女は机の上に置かれた本を何の気なしに手に取り、ぱらぱらとめくった。

 その本にも埃がかぶっており、如何に少年がこの部屋をそのままに維持してきたのかについては、もう十分すぎるほどに理解できた。


「これは、日記?」


 日付に数行の文章。

 そして、最後の方には空白のページが広がっている。反対に、前の方のページにはたくさんの字が敷き詰められ、日付も連続で書かれていた。


「ここまでぎっしり書かれた日記帳なんて初めて見ましたよ。随分と几帳面な性格だったんですね」


 眠っている彼女に皮肉交じりに言う。

 しかし、当然返答はない。自嘲気味に鼻で笑った後、最後の方のページを開いた。

 目に飛び込んできたのは、謝罪の言葉。


 ごめんなさい。

 生まれてきてごめんなさい。生きられなくてごめんなさい。死んでしまってごめんなさい。

 でも、私は悪くない。私は悪くない。


 全て、あいつが、悪い。


「……あいつ?」


 綺麗だった字は見る影もなく、まるで自身の不安を押しつぶすかのように書きなぐられている。

 見るに堪えなくなったジャックは何ページかさかのぼっていくと、新聞の紙切れのようなものが、本からこぼれ落ちる。

 それを拾い上げ、ため息をついた。


「『世界各地で起こる噴火』。……なるほど、これがこの寒さと人がいなくなった理由かな」


 日記に書かれた文字を読む。

 それ以前の文字を読むが、後悔や焦燥の言葉ばかりで、見るのも嫌になってしまうほどの恨みつらみが書きなぐられていた。

 彼女はその本をそっと閉じ、机のもとあった場所に置く。


「……火山の噴火による世界の滅亡、か。だけど、あいつって……?」


 空を覆う灰色の雲。

 家や外に敷き詰められた小さな瓦礫。

 これらすべてが火山灰によるものだというのなら、この惨状も納得するしかなかった。

 あいつ、というのがアルミナのことなら……。


「確かに、あなた方の境遇には同情しよう。だけど、その思いを背負うべき人間じゃないよ、アルミナは」


 彼女は机に腰掛け、彼女の方を向く。

 当然、返答はない。少なくともこの瞬間まで、彼女はそう思っていた。

 しかし――。


「……っ!」


 カラスの鳴き声。

 責め立てる様に。喚く様に。

 この世界ではあり得ないはずの、カラスの鳴き声。


 そして、ジャックの目前に広がる、数十匹のカラス。


「なるほど、見つかったのか。……銃、借りますね。あなたに返す保証はありませんが」


 それだけ言うと、ジャックは銃を手に取り、その部屋を後にした。

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